3話

18 世界の法則

 ジャミロクワイ騎士国ゲオルギウス城の地下には古くから、罪人を閉じ込めておく牢がある。

 しかしジョージ・ジャミロクワイが統治して以降、数年単位でこの牢に幽閉された者はいない。

 騎士国の多くの国民が誇り高き精神を宿し、かつ重罪を犯すような者は、ほとんどがセント・ラリア教皇国に絡む案件の者がほとんどだからだ。

 それ故。謀略が発覚して連行されるとしても教皇国へであって、この地下牢は『空き』であるのが常だった。


 しかし。今回ばかりは。

 騎士国の短い歴史の中で最も多くの者が捕らえられ、独房ではなく相部屋を必要とするほど、地下牢はその役目を果たすこととなっていた。


 そしてその薄暗く湿気の多い監獄で。これまた陰鬱な風貌の男は語る。


「……『隻眼のガヌロン』。出身及び血族は自分でも分からない。元『ガヌロン山賊団』の頭領、ですか」


 騎士国の宰相ゲスマスは手元の書類から、手錠をはめられ地べたに座る男へと視線を移す。

 通り名そのままである眼帯の男――ガヌロンは、長く垂らした紫髪の隙間から、己を見下ろすゲスマスとエレミヤをニヤニヤと観察し返している。

 牢の中で三人は、言葉を交わす。


「数年前にワシらがジョージと共に壊滅させた賊だ。覚えがある。だが……これほどの戦闘力を有してはいなかったはずだがな」


 そう言って老将は、己の左頬をさする。そこには痛々しく貼られた大きなガーゼ。パレード襲撃の際に、英雄ジョージを守ろうとした際にできた名誉の負傷だ。同時に、己が油断した事を現す屈辱の証でもある。


「……そう言うアンタは、耄碌したなジジイ! あの程度の一撃も、かわせなくなっちまうなんてよォ! ハハハっ!」

「静かにしてください」


 そう言ってゲスマスは、ガヌロンの顔を殴り付けた。

 細身の彼からは想像もできないような速さと鋭さを持った拳に、さしものガヌロンも一瞬苦悶の声を上げる。

 ゲスマスの白い手袋にはガヌロンの鮮血が付着し、元山賊を殴った『盗賊』は、それを忌々しそうに黒い服で拭う。

 その光景を、エレミヤは眉一つ動かさず見ていた。


「……貴様の言う通り、確かにワシは油断していた。不覚だ。ジョージの帰還に浮かれていたのだろう、ワシもな」

「しかしそこを狙って凱旋パレードを襲撃するとは……聞くまでもないですが、サウズ帝国の差し金ですね?」


 口元を切ったガヌロンは、肯定の代わりに鮮血したたる口元を歪め、不敵な笑みで返す。

 再び書類に目を戻したゲスマスは、今度は気だるそうに、木製のテーブルに置かれた『証拠品』へと手を伸ばす。


「少量の水と焼けた小石を鍋に入れ、密閉した後にフタに魔導陣を描く。発生する水蒸気の働きを魔力によって文字通り『爆発的に』増大させ、簡易的かつ無差別に人を殺傷させる道具とする。……材料はどれも、国内で入手できます。子供の小遣いでも用意できる炸裂兵器です」

「……パレードの警備も入国者の審査も甘かった。帝国との戦で、あまりにも人が減りすぎていた」


 その事実は、言うまでもなく今この瞬間の『状況』にも現れていた。

 尋問を一国の宰相と将軍が行い、地下牢を管理する獄卒も少ない。通常ならば有り得ない事態。

 警備も警邏も何もかも、とにかく人手不足だったのだ。


「英雄一人帰ってきたところで、テメェらの敗北は変わらねぇ! 寿命が多少ばかり延びただけだ! 今に此処も皆殺しのパーティー会場だ。テメェらジャミロクワイ騎士団が、俺の仲間達を殺ったように! 今度はお前らが血祭りになるのさ! ハハ、ハハハハハ!!」


 狂ったように笑うガヌロンに、ゲスマスもエレミヤも不快感を隠さない。侮蔑を込めた目線を送りつつ、しかし他にも尋問すべき捕縛者はいるため、彼らは早々に牢を後にした。


 大した情報を聞き出せない――と言うより、最初から大した情報など持っていないガヌロン。

 ジャミロクワイの騎士に私怨があり、そこを帝国に利用され、捨て駒の鉄砲玉としてこの国に来た。

 サウズ帝国からしてみれば、今後何人も何十回もと送る刺客の一人に過ぎない。

 パレード襲撃計画を持ちかけられた時から、利用価値など枯れ葉より期待されていない事は、ガヌロン自身も重々承知していた。


 しかし。だからこそ、騎士国にとっても帝国にとっても、『計算外』の動きをする事ができる。


「………………」


 ガヌロンは牢の中で立ち上がる。

 両手は手錠で封じられている。足首に括り付けられた鎖も、牢屋の固い扉の前までしか伸びない。

 そのギリギリまで足を引き、堅牢なる鉄柵の前に立つ。


「……オラァッ!」


 その固く大きな握り拳で、鉄の扉を叩く。しかし当然、牢の鉄柵はビクともしない。

 扉の材質そのものが力任せな脱獄を不可能とし、加えて、錠前にかけられた魔導陣がその防御を強固としている。

 中に入った者の末路を示すように。あるいはまるで自分自身が障壁だと言わんばかりに。ガヌロンの目の前には、防御魔導の陣が現れてクルクルと回転していた。


「……くく、ハハ……!」


 しかし、それを見て。

 脱出など不可能な牢の中で、隻眼の復讐者は静かに笑った。




***




 幽霊トンネルでジョージと出会って。この異世界を訪れてから、もう一週間近く経つ。

 英雄の帰還によるお祭り騒ぎも、凱旋パレードを狙ったテロの混乱も治まり。戦時中とは言え、国内は元の落ち着く雰囲気を取り戻していたようだった。

 不幸中の幸いと言うべきか、あのパレード襲撃事件による死者は出なかった。パン屋のブラッドンが重傷を負ったものの、回復魔術のおかげかすぐに元気になった。今は一家揃って店の営業を再開しているらしい。


 全ては、『英雄』の活躍によるもの。

 傷を癒したのも襲撃者達を倒したのも場をまとめ上げたのも、全ては『ジョージ・ジャミロクワイ』のおかげ。

 俺は、何もしていない。何もできなかった。城島譲治として、何一つ。


 そんな不甲斐ない俺に対して、英雄の代理を頼んだジョージ本人はと言うと――。


『ほほう! そこを操作するとズームになるのか! なるほどなるほど! それで今撮った映像を、先程説明してくれたモードで確認するのだな! しかしどんな構造で映像と音声を記録しているのか……! 一度分解してみたいな!』


 ――ビデオカメラに熱中していた。


「……久々に『起きた』と思ったら、真っ先に食いつくのがカメラって……」


 穏やかな昼下がり。

 城内の人気の少ない中庭で、通路からの視線を遮るように生える一本のリンゴの木の下で、俺はビデオカメラを操作する。


 幽霊トンネルでジョージを撮影した、親から借りたビデオカメラ。肝試しを開催することとなった『きっかけ』。ある意味全ての元凶。

 そんな存在が、何故か俺の魂と一緒にこの異世界にも招かれていた。

 理屈は分からないがとにかく、俺にとっては数少ないアッチの世界の私物。大切にしたいものだ。


『未知なるものへの探求こそが魔導師の本分! それにこのブローチの状態では何をすることもできないしな。キミがこうして、私の知らない話をしてくれるのが唯一の楽しみなのさ』


 ビデオカメラのナイトモードを起動すると、英雄は再び楽しそうな声を上げて興味を示す。


 パレード以降、ジョージは『眠る』事が多くなった。

 ブローチの宝石に魂を定着させ、尚且つ元の身体に戻るために必要な魔力を補充するからだ。とは言え、一日に数時間だけ意識を現出する程度。

 英雄としての政務は問題ない。ジョージの脳にある記憶や知識を引っ張り、別世界の小市民である俺でも『こなす』事はできる。

 問題は、英雄自身の裁量や判断で決める事柄だった。兵士の徴兵数やどの人材を登用するか等、『俺ガ自由に決めて良い案件』の方がむしろ困難だった。ただの学生であった俺に、ジョージ本人が不在の中で勝手に決断するなど。俺には荷が重すぎた。


 だからこそ、ジョージが意識を取り戻している間にそういった諸項目を確認したいのだが、当の英雄はこうしてビデオカメラに夢中。更には俺が住んでいた世界の話を聞きたがったりと、何かと『未知の情報』ばかりを要求していた。


「何がそんなに面白いのか……」

「知らなかったものを知る。見えなかった景色が見えるようになる。それこそが人類の歴史の中で繰り返されてきた『進化』という革新であり、同時に本能が求める最大の娯楽なのさ。ワクワクするだろう、自分の想像もしていなかった事象に出逢えるというのは!」

「万年思春期みたいな発想だな……。無邪気かよ、騎士王」

「魔導士は学者であり同時に童心を忘れない純なる精神を求められる。世界の法則を解き明かすには、凝り固まった思考では足枷にしかならないのだよ」

「魔法も魔導も使えない俺には、よく分からないね……」

「だからこそ、分からないことを知るのさ。それが『進化』だ、譲治。……さぁ、この前の話の続きをしてくれ! 私の、私達の世界には存在しない、キミの世界の法則を!」

「えぇ~……」


 こうしてせがまれるの何度目かだが、流石にそろそろネタが尽きてきた。

 自動車だの科学技術だのの話題には凄い勢いで食いついてきたが、俺はそもそも学者じゃない。ただの学生の知識では、この世界の魔導士であり研究者でもあるジョージを満足させることは難しい。

 仮に知識を搾り出してもこの世界でも似たような現象は存在し、逆に俺がジョージの解説を聞いて関心する事の方が多いくらいだった。


「何でも良いのさ。キミの知っている事なら何でも良い。キミがどんな世界に住んで、どんな風に暮らしていたかの話さ」

「そう言われてもなぁ……」


 単なる日常風景を語っても面白くないだろう。

 どうしたものかと困っていると、ふと目の前のリンゴの木が目についた。

 そう言えば忘れていた。身近で有名な、あの『法則』があるじゃないか。


「アレだな。『万有引力の法則』ってやつだ」

「ほほう! 何とも興味を惹かれる名前だ!」

「まぁ、例に漏れず大して詳しくないんだけど……。この世の物は互いに引き寄せられている、そういう力が働いているって法則らしい。潮の満ち干きにも関係しているんだと。とにかく、この世には手を触れていないのにそこに働いている力があるだろ? リンゴが木から落ちるのも、常に何かしらの働きが存在するからだ、って事。……リンゴが木から落ちたのを見て発見した法則だって言われているけど、本当か嘘か怪しいらしいけどな」


 うろ覚えで曖昧な、説明にもなっていないような解説。

 しかしジョージは不満を現すことなく、むしろ感激しているようだった。


「ほう……! ほうほうほう! なるほど成程! その発想は無かったな! 確かに、この世には人が作用を与えずとも発生している働きがある! それで万有引力か! そうなるとそれはつまり、空間や次元に対するアプローチも話が変わってくる……!」


 こうなると、もう俺の話はジョージの届かない。完全に自分だけの世界に入って行ってしまう。

 リンゴは木から落ちる。昼と夜が交互に来る。人間がいて動物がいて、植物が存在する。この世界にはドラゴンも魔法も存在するらしいが、根本的な部分では俺のいた世界とよく似通っている。

 だからこそ、ジョージはその幽霊トンネルに現れ、俺もこの世界に来る事ができたらしい。

 世界の法則。それを利用する魔導。何とも不思議だ。何かがほんの少し違えば、俺の住んでいた世界にも魔導士がいたのかもしれない。

 ……まぁだからと言って、魔導士を目指したりはしなかっただろうが。学者にも研究者にも憧れなかった俺だ。どちらにせよ、関係ない部類の話だと思っていただろう。


「………………」


 俺が、憧れたのは――。


『譲治!』

「んおっ」


 考え事に没入しそうになった瞬間に、名を呼ばれる。

 いい加減不意に呼ばれた時にビックリするのは治したいが、どうにも緊張は解けない。当然だ。英雄がこんな所で独り言をブツブツ言っている姿を見られたら、あらぬ誤解を受ける。

 そんな俺の気遣いなど知らず、英雄ジョージは嬉々とした声色で俺の意識に語りかけてくる。


『我々がこうして出逢ったのも、引力によるものだろうな! 実に素晴らしい。元の身体に戻ったら、その分野を研究するとしよう。やはりキミを選んだのは偶然に限りなく近い必然だったのだろう』

「大げさな……。万有引力ってそういうのじゃないから」

『良いのさ。人と人との間にも、法則に従って生まれるものがある。それは時には嫉妬や怒りといった負の感情だったり、あるいは友情や信頼といったものだ』

「難しい話はよく分からねぇよ」

『譲治』

「何だよジョージ」


 昼の休憩時間もそろそろ終わる。

 午後からの仕事をどう片付けようかと考えながら立ち上がると、英雄は少しばかり声のトーンを落としていった。


『常に、そこに働いている力がある。私も常にキミと共に在る。大丈夫だ、譲治。どんな時も、何とかなるさ』

「……まぁ、英雄の身体と魔力があるもんな。何とか……するよ。出来る限り」

『……そうしてくれ』


 少しばかり、自分の意図は伝わっていないと感じたような声で。ジョージはそれきり、また眠りに落ちた。

 俺はジョージの言葉の真意を薄々察していた。だがそれを真に認識すると、何かとてつもなく恐ろしい、取り返しのつかない事態になる気がした。だからあえて、何にも気付かないフリをした。フリをして、英雄の代理を演じ続けた。

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