5 抜けない聖剣
***
アリデッド要塞とは元々、周辺に住まう蛮族から『聖地』を守る意味合いで築かれた砦だった。
それから数百年の時代が流れ、その聖地が今は『セント・ラリア教皇国』に。
蛮族達が根城としていた拠点は『アルタイル要塞』に。
そして、アルタイル要塞を越えて英雄の国を守る最後の砦が、ここアリデッドであった。
しかし今。ジャミロクワイ騎士国と教皇国を守るはずの城砦には、赤い旗が掲げられている。
旗の中央には火を吹く黒い竜と、それを串し刺すように交差する二本の剣。サウズ帝国の建国の歴史に登場する、『暗黒竜と勇者』の逸話をベースとするデザインだ。
その旗を騎士国の眼前で高々と上げる事に成功し。『勇者の末裔』は他の誰よりも、文字通り勝利の美酒に酔っていた。
「ハーッハッハッハ! 我らが偉大なる帝国と! 暗黒竜を討ち滅ぼした我が先祖の御霊に! 乾杯!!」
黒髪の少年の号令で、アリデッド要塞内の帝国兵達も杯を持ち上げる。
血よりも濃い赤色をした酒を呷り、口元から零れ落ちることもいとわず、皆上機嫌に勝利を祝福していた。
それをテーブルの上から満足そうに眺め、黒い瞳を爛々と輝かせた少年はもう一度、もはや自分でも何度目か分からない「乾杯!」の声を響かせる。
「大陸制覇は目前に迫っている! 不届きな『英雄』なんぞではなく、我らが! 勇者ローランによって切り拓かれた、正統なる歴史を持つサウズ帝国こそが! 教皇国を護る刃となるのだ!」
「「「ウオォォォォォッ!!」」」
食事場の壁や柱が揺れるほど、少年の言葉に帝国兵は昂ぶり吼える。
少年は右手に剣を持ち、その輝く刀身を配下達に見せる。そして左手に持った酒を飲み干すと、既に真っ赤になっている顔で不遜な笑みを見せる。
「おお、アレが『聖剣デュランダル』……!」
「暗黒竜を斬り裂いた、勇者ローラン・シャルル・マーニュの剣……!」
「チャールズ様万歳!!」
「シャルルマーニュ侯に! 祖国に乾杯!」
「乾杯!!」
テーブルの上に立つ少年は、勝利に浮き立つ帝国兵達を誇りに思うと同時に、愛おしく思っていた。
帝国のためにその身を捧げ、栄光と誇りのために戦う同志。
彼らと共に戦場に立てたことを。そして勝利を分かち合うことができている事を。生涯忘れまいとしていた。
「さぁ、飲め! 食え! 歌え! 今この瞬間、我らは英雄の軍勢を討ち破った世界最強の一団だ! この祝宴を邪魔する者は、たとえ竜であっても魔法使いでもあっても、この『チャールズ・シャルル・マーニュ』が斬って捨てる!!」
大仰な台詞に帝国兵は笑い、しかし拍手喝采し、また酒を浴びるように飲む。
――その瞬間。
食事場の扉を叩き破る勢いで、赤い甲冑をまとった武将が乗り込んで来た。
「チャールズ殿ォ!!!」
「ふ、ふぁい!!?」
黒髪の少年――チャールズの肩は跳ね上がり、反射的にテーブルから飛び降りる。
それまで場を包んでいた祝賀の空気は一瞬にして、その男の声で消え失せた。
「何をしておいでか!」
「お、おお。誰かと思えばリナルド将軍ではないか。いやはや、死んだ父上かと思って肝を冷やしたぞ」
だが少年から見てみれば、父と同じくらいの年代の将ではあった。
中年から初老へと差し迫りつつある、白髪混じりの男。出で立ちも声質も目立った特長はなく、甲冑を着ていなければ散髪屋の主人と言われても不思議には思わない。
しかしその色褪せていくつもの傷が入った鎧と、何より細い目の奥に光る眼光が。彼が歴戦の勇士であることを雄弁に物語っていた。
「何をしておいでか、と私は聞いたのですが」
「う、うむ! アリデッド要塞の攻略にも成功した事だし、兵達の功を労おうと思ってな! 活躍した彼らの武勲を称え、次なる戦の英気を養わせるのは、一軍の大将として当然のことである! ……はず、だったよな……? 父上から貰った兵法書にもそう書いてあったし……」
「ならば、一軍の副将として。私も当然の進言をさせて頂きます。……まずは酒を置きなさい」
「……はい」
シワの多い顔に、更に眉間に深い溝を作って。リナルド将軍は二回りも年下の『
彼の背後からも、彼直属の精鋭達が続々と入室し。皆一様に使い込まれた武具と、多くの鉄火場をくぐりぬけて来た緊張感を、今も絶やさずに纏っている。
そんな彼らに睨まれるチャールズの部下達は。赤い甲冑を脱ぎ捨ててドンチャン騒ぎしていた若き帝国兵達は、火照っていたはずの顔を真っ青に染めていた。
***
「――成程。だいたい分かった」
アンナ達からの説明を受けて。ジョージ・ジャミロクワイこと俺、城島譲治は『詰んでいる』ということだけは理解できていた。
その程度の理解でも問題はない。この局面において、胸元でキラリと光る宝石――本物のジョージが全てを分かってさえいればそれで良いのだから。
『しかし奇妙なこともあるものだ。譲治と出逢いこの世界に戻ってくるまで、私の体感では2時間程度の認識だったのに。まさかこちらの世界では2年も経過していたとは……。一体どんな原理で時空の捻じれが……』
いや、今気にするべきはそこじゃないだろ。
『おっと、そうだったな。すまない、魔導士の
ジョージはこんな状況にあっても、一切の怯えや動揺を見せることはなかった。
飄々とした、実にフラットな。
まるで今からお茶会にでも出席するかのような声色で、俺の意識に言葉を送る。
「……どうなさいますか、ジョージ様……!」
アンナが尋ねる。
どうしますかジョージ様。譲治君は何も思いついていないですよ。
『砦の奪還は諦める』
「砦の奪還は諦める」
ジョージの言葉を、俺はそのまま伝える。
「なっ……!?」
アンナも、ジャミロクワイの兵士達も、そして俺も驚いている。
「で、ですが……!」
「残存兵力で城砦の攻略は難しい。仮に奪取できたとしても、防衛線を維持するのも容易ではない。まずはこの戦場を離脱し、私は私の国に戻る。そして態勢を立て直し、帝国を追い払う。奪われたアリデッド、アルタイル、リュラ砦の全てを奪還し、平和と秩序を取り戻す。民を、そしてキミ達を護る。……そのために、私は帰ってきたのだ」
「……!」
……凄いな、この人。
俺はジョージの発する言葉をそのまま口にしているだけだが、ただそれだけでも。一言一言紡ぎ出すだけで、この場にいる人々の瞳に生気が宿っていくのを目の当たりにする。
つい先程まで絶望に呑まれ、涙を流し、この世の終わりみたいな顔をしていたのに。
それだけこの人達にとって、大きく太い精神的主柱なのだろう。ジョージ・ジャミロクワイという英雄は。
「私ならできる。このジョージ・ジャミロクワイにならそれができる。何故なら私は英雄だからだ。そして、英雄の証を! 私は携えているからだ!」
「おぉ!」
ジョージの腰元に差してあった剣に、俺は手を伸ばす。
あの幽霊トンネルで出会った時にもジョージが持っていた、本物の西洋剣だ。
世界に三本しかない『聖剣』の一振り。選ばれし者の証。
兵士達の士気を上げるのに、これほどの一品は存在しない。俺はジョージの脳が持つ記憶を頼りに、希望と栄光の象徴であるその輝く剣を、勢いよく抜――。
「くんっ」
抜けない。
「……ふんっ!」
抜けない。
「はぁッ!」
抜 け な い 。
「………………」
『流石は我が愛刀アスカロン。たとえ古参の仲間達には隠し通せても、魂の変化を聖剣は見逃さないらしい』
何となく分かってはいたが、こうもビクともしないとは。……仕方ない。
俺は抜刀する事を諦め、若い兵に近付く。
何事かと緊張の面持ちを浮かべる新兵の、その手に持った『旗』を、俺は彼の代わりに手に持つ。
「おぉ……!」
「ジョージ様が、自ら旗印を……!」
「聖剣を使うまでもないと!?」
「あの旗に続けと、そう仰っているんだ……!」
あらヤダ。この人達、すごく都合の良い解釈してくれる。
『全ては私が今までに培ってきた実績と信頼の為せる技だな。他の者では、こうはいかない』
……悪い言い方をすると『妄信』では?
まぁいいさ、この状況はむしろ俺にとってありがたい。聖剣に選ばれていない、選ばれるわけもない城島譲治としては、刃物を持つことすら遠慮したいのだから。誰かを斬って血を流させるなんて、俺の方が先に貧血で倒れそうだ。
……さて。さあ、それじゃあそろそろ……。行くぜ、ジョージ。
『応とも。行くぞ、譲治!』
旗を掲げる。強い風に吹かれ、日輪模様に守られた十字架が姿を見せる。
皆がそれを見ている。旗を、英雄を、俺の背中を。
「――これは撤退戦ではない」
眼前には既に砦から出撃し、突撃陣形を構える紅蓮の騎馬隊。草原を赤く染める大軍が、いつでも俺達を踏み越える用意をしていた。
「私はこれから国へと帰る。邪魔する者は、誰であろうと正面から討ち破る」
正直怖い。足が震える。戦いなんて、俺は経験した事もないし今後したくもない。
『怖いならば、尻尾を巻いて逃げるとするか?』
可能だろう。だがそれは、俺の目指す『平穏な人生』ではない。
「ジャミロクワイの兵達よ! 英雄と共に在る勇者達よ! これは退却戦ではない! 我らは『凱旋』するのである!!」
この人達を見捨てて逃げれば、俺はきっと気に掛ける。どうなったのか寝る時想像する。夜中に起きて後悔する。
元の世界に戻ってもそんな形で、俺の安眠を妨げられたくはない。ストレスのない日々。心配や後悔のない人生。それこそが、最も賢く幸福だ。
「我らこれより敵陣を突破し! 栄光ある『明日』へ帰還する!! 全軍、このジョージ・ジャミロクワイに、続けぇー!!」
小市民として生きるため。俺は英雄の名と肉体を借り、赤い津波に向かって駆け出した。
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