12 鉄の外交官

 宰相ゲスマスに促されるまま、ゲオルギウス城のとある一室に入る。

 ジョージの記憶によればここは応接室。国外からの使者をもてなし、政治的な会談が行われる外交の場。


 で、あったはずなのだが。ゲスマスが扉を開けた瞬間に吹き付けてきた『熱気』は、とてもじゃないが国交にふさわしき場の熱量ではなかった。


「……297……298……299……!」


 中では半裸のオッサンが、腕立て伏せをしてた。

 しかも指だけの力で。あれは『指立て伏せ』だ。正確には。


「300!」


 キリの良い所でそのオッサンは筋トレを中断し、馴れた動きで椅子にかけておいたタオルを手に取る。


 彼の周囲には応接室にあるまじき、言ってしまえば明らかな『私物』で溢れていた。

 赤いシーツのベッドに、大きな枕。窓際には彼の洗濯物が干され、筋トレ用のダンベルに、花瓶には大輪の花まで差してある。テーブルには彼が食事を済ませた食器が置かれていた。


 ゲスマスを始め、ジャミロクワイの家臣団達はオッサンに対して呆れたような、疲れたような視線を向けている。溜息まで聞こえてきた。

 そこでようやく、俺とジョージは理解した。


 この人、ここに住んでる。しかも2年間。


 しかしその赤い短髪の筋肉中年は、入室してきた俺達の方を見ると、カイゼル髭を歪ませ笑いかけてきた。


「ようやくお出ましですか。聖なる英雄。戻ってくるのが後1年遅かったら、危うく四十路になるところだった」

「……お、お待たせ、しました……」


 2年越しの外交会談が、始まろうとしていた。


***


 着替えを済ませ周囲を片付けたその威圧的な筋肉中年――サウズ帝国外交官『モージ・バヤール』――は、特徴的なヒゲをなぞりながら、テーブルに座る俺に書類を差し出す。


「まずは無事に御帰還なさった事、心よりお喜びを申し上げる。城内がにわかに騒がしくなったので、何事かと思えば……。この私も嬉しいですぞ。実際、正直」

「どうも……」


 差し出された羊皮紙の書面は、僅かばかり『よれて』いて、時の流れを感じさせる。

 そこで俺は率直に、今から会談する気満々のモージ外交官に、あえて質問を切り込んだ。


「……何故2年も国に帰らなかったので?」


 その発言に。彼からしてみれば俺の『愚問』に。モージ外交官は目をパチリと見開いたまま、不思議そうな表情を浮かべていた。


「これは異な事を。私は外交官。帝国陛下より与えられし使命を果たす者。それが果たせずして、どうして国に帰れましょうか」


 いや帰りましょうよ。敵国のド真ん中に2年間も居座ってないでさ。国王がいないんだから、一回持ち帰りましょうよ。案件を。


「……『コレ』ですよ。これだからこの方は厄介なのです」


 俺の右隣に立つゲスマスは心底面倒そうに、モージに視線を送る。

 しかし当のモージは、一切気にしていないようだ。


「我々も再三、サウズに帰国するよう申し上げました。勧告しました。忠告しました。警告したんです。しかし彼は『英雄と話を付けるまで帰らない。一歩もこの部屋から出ない』の一点張りで……。特使に対して力づく、なんて事をすればそれこそ宣戦布告のようなものですし」


 それでこの部屋の様子か……。英雄ジョージと話をするため、それがいくら仕事とは言え。流石にやり過ぎだろうと思った。

 そもそもこの世界、極端な人が多いんじゃないかと感じ始めてきた。


「帝国側からも帰還命令は出ていました。しかしモージ殿はそれを無視し、この城に居座りました。……そして英雄の不在を察した帝国は、『自国の外交官を監禁する悪の国』として我々に戦争をふっかけてきたのです。まぁ、相手は大陸制覇を目的とするサウズ帝国です。彼は戦争のための大義名分でしかないのですが……。この争いの要因であるのは確かです」


 だがモージは悪びれることもなく、確固たる信念を崩さないまま腕組みしている。


「サウズの官僚として、一度陛下から預かりし使命を覆すのは、陛下自身にすら私はさせん。許さん。勅命に従う事こそが、私の何よりの本分だ」


 きっぱりと言い放ったモージの言葉に、誰も彼もが呆れる思いだった。心構えは立派だが、賞賛するには極論過ぎる。


「……こ奴はこの通り、あの冷徹な北の女王にさえ『条件は全て飲むからさっさと帰れ』と言わしめたほどの外交官だ。我々がどれほど手を尽くしても、結局この男は今日までこの部屋から出なかった。……さっさと追い返してくれ、ジョージ」


 俺の左脇に控えるエレミヤ将軍も、この頑固過ぎる外交官をどうにかしたいという点では、ゲスマスと同意見なようだ。


 どうやら、何とも面倒な人を相手にしなければならないらしい……。土のドラゴンを倒した時の方が、よっぱど楽だったように思えてきた。


 さて、どうするジョージ。まずは相手の要求についてだが……。


「……?」


 その時。俺は『ある事』に気が付いた。


「ジョージ?」


 つい口に出してしまった言葉に、真っ先に反応したのは対面のモージだった。


「急に自分の名前を呟かれて、どうなされた?」

「あっ、いや……。何でもない、っす……」


 油断していた。しかし、ここへ来て『英雄』の声がしないのを俺は不思議に思ったのだ。


『……おぉ、すまないな譲治。少し寝ていた。宝石に魂を定着させ続けるのにも魔力を消費するらしくてな……』


 宝石って寝るのか……? と思いつつ、ジョージという存在がちゃんとこの外交の場に居てくれている事に俺はほっとした。俺だけの判断では、この頑固一徹なオッサンをどうにかできる気がしない。


「……大丈夫ですかジョージ様? アリデッド要塞からここに来るまで休み無しだったとか。一度中断しますか?」

「いや……構わんよゲスマス。早めに終わらせよう。2年も待たせたモージ殿にも悪いしな」

「お心遣い痛み入る」


 紆余曲折あったが、いよいよ本題に入る。

 モージ外交官より手渡された書類に目を通し、サウズ帝国からの要求を確認する。

 今更だが、この世界の言葉や文字も俺はちゃんと理解している。『俺』というより『ジョージの目と脳』が理解しているのだから、俺の意識も労せずしてこの世界に溶け込めているのだ。


「えー、なになに……。『リュラ砦周辺地域の共同開発に関する発案』……?」

「……なにを、馬鹿な事を!!」


 何気なく言葉に出したその一文に、エレミヤ将軍はテーブルを叩いて怒りを露わにする。

 俺は心臓と肩が同時に跳ね上がったが、場の人間の視線は老将の方に向いていたため、英雄が大きな音にビビる情けない姿は見られずに済んだ。


「リュラ砦と言えば、貴様ら帝国が真っ先に攻め落とした要塞ではないか! それに続いてアルタイル、そしてアリデッドまで! それを『共同開発』などと!」

「そう言われましてもな。この開発案を承認して頂くのが私の任務ですから」

「……2年前の情勢で考えれば、大国の力を借りて農地や村落の開発が出来るのは僥倖です。しかし今は戦時中。そんな要求、通るはずがありません。……だから早くお帰りになって下さいと言ったのです」


 ジャミロクワイの将軍と宰相にそう反論されても、サウズの外交官はどこ吹く風、といった顔をしている。


 コチラ側としては2年も前の話を出されても困る。しかも開発地は既に帝国の占領下。なるほど、確かに無茶苦茶だ。


『その開発案、受け入れよう』

「その開発案、受け入れよう」


 またしても、テーブルを囲む4人は驚きに目を見開く。ちなみに城島譲治オレもカウントに入っている。


 だが英雄ジョージに考えがあるなら、俺はそれをそのまま伝えるだけだ。なるべくカッコ付けて、なるべく自信満々に。

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