16 襲撃

 演説を終え街道を歩き、城下街への入り口である門所の前まで辿り着く事で、パレード自体は終了となる。

 しかし、これで終わりではない。


 今度はゲオルギウス城まで徒歩でゆっくりと戻りながら、国民達と、見知った人々と挨拶を交わしていくのだ。

 昨日は城内で挨拶回りと思ったら、今度は城下で同じ事をする。しかし今日は、少しばかり勝手が違った。


「おぉ、ジョージ様……! よくぞ、よくぞ……! ありがたや……!」

「待たせてすまない。よく耐えた。よく日々を戦った」


 涙を流す老婆と抱擁を交わす。

 俺の祖母は俺が幼い頃に亡くなったのであまり思い出はないが、『お婆ちゃん』がいたらこんな感じだったのだろうかと、ふと思った。


 このようにして、沿道で会う人々その全てが。英雄の事を尊敬し、敬愛し、祝福していた。

 そして同時に英雄ジョージにとって、この国の民は『家族』であるのだ。その点、『臣下』であった城内の人間達とは、言葉を交わすにはやや反応も対応も違ってくるのだ。


 握手、抱擁、合掌。

 それらはどれも英雄に対する高い支持を現しており、これほど国民から愛されているのは、君主として立派なことなのだろう。

 アンナを初め、ジャミロクワイ騎士の家臣団が警護として付き添っているとは言え。これほど国民達と近い距離で言葉を交わす『王』など、俺にはちょっと想像もできなかった。


「ジョージ様! 英雄! 待ってましたよぉ!」


 すると。そんな風にして民衆と交流していると、一際体格の良い男が前に出てきた。


『おぉ、ブラッドン! 相変わらず、市井の人間にしておくには勿体無い筋肉だ!』


 ジョージの言う通り、その大柄な中年男性は筋骨隆々としており、しかしその笑顔には優しさと人懐こさも滲んでいた。

 白いエプロンと頭に巻いたタオルが特徴的なその『ブラッドン』という男は、ほのかに甘い香りを漂わせながら俺と握手を交わす。


「せっかく店も新しくして新メニューも考案したってのに、アンタどっか行っちまうからよぉ! 皆心配してたんだぜ!」

「す、すまないな。気苦労をかけて」

「まったくだぜ! アンタが名前を付けてくれたウチの娘も、もう二歳になっちまったよ!」


 ガタイの良い身体の後ろから、ひょっこりと。子供を抱いた女性が遠慮がちに出てくる。彼の奥さんと娘さんなのだろう。

 しかしこの人は随分とグイグイ来るな。ジョージの脳内記憶を探ろうにも、そんな暇もなく次々に語りかけてくる。


『彼はパン屋のブラッドンだ。私は彼の焼くパンが大好物でね。……しかしカロリーナも二歳になったのか! ついこの間、生まれたばかりだったのに!』


 知り合いのパン屋の主人。だからこそ、向こうもこれだけ気さくに語りかけてきたのだろう。

 俺としてはこういうタイプの人間は苦手なのだが、ジョージは時間の流れの食い違いを改めて認識し、ブラッドンは懐かしさに大声で笑っている。ここで変に、俺だけ苦笑いしているわけにもいかない。


「さぁさぁ、食ってくれよ! アンタが好きだったパン! 戻って来たって聞いてから、急いで仕込みしてよ! 焼きたてだぜ! ほらほらほら!」


 小脇に抱えていたカゴから『クロワッサン』に似たパンを取り出し、俺に勧めてくる。このままでは無理矢理口に突っ込まれそうだ。

 俺はパン屋のブラッドンからパンを受け取り、一口頬張る。すると、パンとは思えぬ美味なる感覚に、俺は目を見開いた。


「うまい……!」


 外はサクサク、しかし中はしっとりとした生地。噛めば噛むほど甘さが滲み出てくるようで、喉に詰まるかもと思いながらも、口内に放り込む事を止められない。


『どうだ、美味いだろう。ブラッドンの腕前は確かだし、何より私の身体だ。味覚も私の舌と共有しているのだろう』


 この世界に来てから、城内で食事を出された時も思った事だが。現代日本で生まれた俺は、食品や水質の違いから腹を下すのではないかと心配していた。城島譲治のままこの世界に来ていたらそれも有り得たかもしれないが、しかし今はジョージの肉体なのだ。ジョージの身体で『水が合わない』という事はないし、好物だったものは俺も美味しく感じる。問題が無いどころか、良い事尽くしだ。

 しかし、唯一の欠点があるとすれば。ジョージ本人はこのパンを味わえないと言う事だ。


『くっ、流石に羨ましいな……! しかし今日はキミが充分に味わうが良い! 元の世界に帰ったら、もう味わえないのだから! 私は明日以降、じっくりゆっくりブラッドンのパンを楽しむのだからな……!』


 そう言われると、少しばかりこの世界に未練が生まれてしまう。こんなに美味いパン、俺は俺の世界で出会った事もない。


「へへへ、美味いだろ我らが英雄! またたらふく作ってやるからよ、新しく構えた店が帝国の連中に燃やされちまわないよう、お頼み申したぜ!」

「無論だ。これほどのパンを作る腕前を持った男とその店は、何が何でも守らなければならないな」


 ジョージだけでなく俺の本心も交えた褒め言葉を送ると、ブラッドンはガハガハ笑いながら俺の背を叩く。彼にとってジョージは英雄であると同時に常連の上客であり、息子のような存在でもあるのだろうか。

 しかし強い力で英雄の背をバシバシ叩く様子に、家臣達は少しばかり顔を曇らせる。流石に無礼なのだろう。

 だが一通り再会を喜び終えると、改めてブラッドンは深々と頭を下げ敬愛の意を示し、彼の奥さんが家臣団にもパンを配ると、少しばかり硬直した場の雰囲気は再び和んだ。


「ハイハイ皆さん、パンも良いですが警護を怠らずに。あ、エレミヤ将軍もどうぞ」

「……盗賊の貴様からパンを受け取るのは複雑だな。それに我々はむしろ、民草に施しをしてやらねばならん立場で……」


 そうは言いつつゲスマスからパンを受け取って食べる将軍。口ではああ言っているが、この祝賀ムードを崩す気はないらしい。

 その傍らでは緑の法衣を着たアンナと、ジョージの婚約者であるユリファもパンを貰っていた。


「ユリファ様、大きいのと小さいの、どちらになさいますか?」

「どっちでも良い……」

「大きい方はボリュームがありますが、小さい方は中にクリームが詰まっているそうですよ……!」

「……どっちでも良い……」

「では両方あげちゃいますね! あ、でも大きい方は半分こにした方が食べやすいですかね……!?」

「…………どっちでも……」

「あ、あっちで一個余ったみたいですね! 貰ってきますね! 2個より3個の方が嬉しいですもんね!」

「………………うん」


 結局アンナは3個もパンをユリファに渡していた。そんなにあっても食べ切れないだろうに。

 しかしジョージの婚約者に対しても礼節と思いやりを忘れないアンナの姿勢と、寝ているのか起きているのかよく分からないユリファの対応が、俺には印象的だった。

 穏やかで美しい彼女達のやり取りだけではない。家臣達の、国民達の、このジャミロクワイ騎士国そのものに溢れる優しさに。俺は畏敬の念を抱いていた。


「……良い国だな」

『ふっ、そうだろう。何せ私が……私達が作った国だ。最初は荒れ地と廃城しかなかった。だがやがて仲間が増え、家が増え、田と畑が増え……。そうしてここまで来た。自慢の国だ』


 ここは優しさに満ちていた。

 英雄ジョージ・ジャミロクワイを中心として、全ての者が心を一つにし、困難にあっても折れる事無く。『官と民』の距離も近い。

 穏やかで素朴。しかし秘めた強さと誇りを持った、良い国だと率直に思った。

 生まれる時代と場所が違っていたら、俺もきっと。英雄ジョージを尊敬し憧れ、それでいて平穏に生きる一人の騎士国民として暮らしていたかもしれない。

 そんな『もしも』の空想が、俺には何だか魅力的に思えた。


 ――だからこそ、『それ』は唐突に訪れた。

 その落差に、俺達は思い出させられた。和やかで理想的な凱旋パレードが不意に、現実に引き戻された。


 この国はまだ、『戦時中』であるという事実に。


「……ッ! ジョージ様!!」


 ゲスマス宰相がパンを落として叫ぶ。


 同時に俺の目の前に、一つの『鍋』が投げ込まれた。どこにでもあるような、銀色の調理鍋。

 しかしその鍋のフタには複雑な模様が――『魔導陣』刻み込まれていた。


「えっ?」

「英雄ッ!!」


 隣にいたブラッドンが俺を突き飛ばす。

 直後。鍋はけたたましい音を放ち、破裂し――その中から、いくつもの『小石』が飛び出してきた。


「ぐあああぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ブラッドンの苦痛なる悲鳴が響く。それだけじゃない。飛び散った小石が周囲の群衆にも当たり、喜びに満ちていたパレードの場は一瞬にして――地獄に塗り変わった。


「逃げろぉぉぉーーっっ!!!」


 悲鳴が。怒号が。混乱が。尻餅を付いて呆然とする俺の横を、風のように通り抜けていった。

 

『大丈夫か譲治!?』

「……あ、あぁ……。なん、え……!?」


 膝がすくんでいる。腰も抜けた。立てない。

 ただ、何が起きたのかも分からない俺の目の前で。『俺を庇った』ブラッドンは身体にいくつもの穴を開け、血を流し、道に倒れて苦悶の表情を浮かべていた。


「あなた!!」

「パパー!」


 奥さんと子供がわんわん泣きながらその傍に寄る。

 そんな光景はブラッドン達だけのものではない。気付けば、彼と同じように何人も周りに倒れ、血を流していた。

 俺はそれを、ただ見ている事しかできなかった。


「住民を避難させろ! 帯刀している者は襲撃者を探せ! それ以外の者は怪我人の手当てを!」

「エレミヤ将軍はジョージ様を、アンナ殿はユリファ嬢をお守り下さい! 傷一つ付けてはいけませんよ!」


 エレミヤとゲスマスの迅速な判断が飛ぶ。無事だった騎士達はそれぞれ、それぞれ守るべきもののために動き出す。


 この時俺はようやく、『テロが起きた』のだと理解した。凱旋パレード中の英雄を狙い、そしてパン屋の主人ブラッドンが、身を呈して守った事も。


「あぁ、ああ……! ブラッドン!?」

『何を……!? 迂闊に動くな譲治! 頭を下げろ! 今は目立つな!』


 ジョージの言葉も、エレミヤ将軍が俺の名を呼ぶ事にも気付かない。


 俺は這うようにしてブラッドンの元に行き、浅い呼吸を繰り返す彼に手を添える。それだけだ。治療魔術を使おうとか彼ら一家を守ろうとか、パニックになっている頭では、何も想像できなかった。


「どうしよう、どうしたら……!? 血が、血が……! 誰か……!」

「ジョージ様!!」


 悲鳴にも近い金切り声で、名を呼ばれる。驚いて、誰が俺を呼んだかも一瞬分からず。しかしブラッドンの奥さんが俺に縋っているのを見て、彼女が助けを求めたのだと気付いた。


「この人を、主人を……! 助けて下さいッ!!」

「ッ……!!」


 助けなきゃ。どうすれば。何をすれば良い。どうやって。

 汗が噴き出す。上手く呼吸ができない。まずは立たなければ。――立つって、どうやるんだっけ?


「ジョージィィィッ!!!」


 今度は、エレミヤ将軍の声がした。振り向く。老将の必死な顔が迫る。

 それもすぐに、俺の視界から消え失せた。

 黒いフードを被った男が路地裏から飛び出し、俺に向かって拳を振り抜こうとしていた。

 しかし俺と拳の間にエレミヤ将軍が割って入り、襲撃者の一撃は、エレミヤ将軍の頬に叩き込まれた。


「ぐぉっ……!」


 尋常ではない移動スピードと、拳速。

 まるで弾丸そのものようなパンチを受け、将軍は大通りの反対の建物に突っ込んでいった。ジャミロクワイ騎士団一の古参にして実力者でもある彼が、こうもあっさりと。


『……小石を詰めた魔導圧力鍋に、不意打ちとは言えエレミヤ師匠を殴り飛ばすとは……! 魔導による身体強化か……!? この手際、計画性……!』


 ジョージの中では既に真実に辿り着いていた。

 この場を襲った男はフードを脱ぎ、その眼光を俺に向ける。しかし左目は眼帯で隠され、右半身も不自由なようだ。

 それでも。これだけの大事をしでかした胆力と実力は、富裕層を狙った貧民のテロではない。そんなレベルではない。

 魔導士を用いた要人暗殺――。サウズ帝国からの刺客が、歪んだ笑みで俺を見下ろしていた。

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