17 奇跡の250秒
血を流すパン屋のブラッドン。
そんな彼に縋り付いて無く母娘。
ジャミロクワイ国最古参の
アンナはユリファを庇うようにして立ち、ゲスマスも普段以上に顔色を悪くして状況を見つめている。
そんな状況下で、俺は。英雄ジョージ・ジャミロクワイの代理を頼まれた城島譲治は――立つ事も喋る事もできずにいた。
「……本当に
「ッ!!」
心臓と肩が同時に跳ね上がる。汗が噴き出す。今一番バレて欲しくない事実を突かれ、俺の意識は平静を保てなくなる。
そんな俺を嘲笑うかのように、左目に眼帯をした男は、紫色の縮れ髪を外気に晒す。目つきも体格も、全てがブラッドンやエレミヤとは違う方向に威圧感に満ちていた。
野生動物のような、ただ獲物を食い千切るためだけにあるような。恐怖と萎縮を与えるだけのプレッシャーが、俺に注がれていた。
「……い、いかにも。私がジョージ・ジャミロクワイだ。随分と……熱烈な歓迎だ」
生まれたての鹿のような足取りで、聖剣アスカロンを杖代わりにして。俺はようやく立ち上がり、しかし微かに震える足で、襲撃者と向き合う。
ダメだ。こんなんじゃ気付かれる。もっと自信満々で、余裕たっぷりで、自分が世界で一番偉いみたいな態度を見せないと。それが英雄なんだ。
そんな風に俺が必死で『ジョージらしさ』を貼り付けている間、眼帯の男はニヤニヤとしながら俺を見てくる。値踏みするような、何かを確かめるかのような。
「いや~……助かったぜ! 俺は『2年前から』テメェだけを追い求めてたってのに……。失踪してオアズケ喰らって、戻って来たと聞いて駆けつけてみれば、『影武者でした』じゃ採算が合わねぇもんなァ!」
あぁ、苦手だ。関わりたくない人種だ。俺の平穏なる人生を乱すから、付き合わないようにしてきたタイプの人間の喋り方だ。
「英雄ジョージ・ジャミロクワイ! 呑気にパレードなんかしてる場合じゃねぇよなァ!? その寝惚けたような顔つき、すぐに歪ませてやるよ!!」
来る。殺意と狂気をその身に宿した偉丈夫が、砲弾か列車の如く突っ込んで来る。
聖剣は抜けない。魔導を使おうにも媒介が存在しない。風は微弱。身体強化しようにも、陣を描いている暇がない。
頼りになるのは、英雄の
「オッラァ!」
咆哮と共に繰り出された左ストレートを、俺はギリギリで回避する。右の耳たぶに拳が掠め、「ひゅうっ」と空を切り裂く嫌な音が鼓膜を引っかいた。
「何をしているのですか皆さん! 英雄をお守りするのです!」
ゲスマスの檄が飛ぶ。
宰相の言葉に突き動かされるように、剣や槍を持った護衛の騎士達が襲撃者を取り囲むようにして走る。
これなら大丈夫だ。敵は単身。俺が動かずとも、部下達に任せれば良い。安堵した俺が、一歩引き下がると――。
「英雄!」
ゲスマスの言葉に反応し、――実際はジョージの肉体の反射によって――俺は咄嗟に頭を下げた。
銀色の毛先が僅かに切り取られる。「仕留め損なった」と口惜しそうな目をする、フードと口布で顔を隠した『新手』に。俺は心底肝が冷えた。
「敵は一人ではありません! 各個撃破を! 城門の方から援軍を呼んで下さい! 市民と街を守りつつ……!」
「宰相!」
「くっ……!?」
建物の影から出てきた更なる襲撃者によって、ゲスマスの指示は遮られる。
『盗賊』であっても武器を持たないゲスマスには、短剣を持った男の一撃を交わしきることはできず。黒い衣服の左腕部分が裂け、真っ赤な鮮血を垂らしていた。
状況は、既に乱戦。
次々と出現する『敵』は、数十人規模に上っていた。
市民に紛れてパレード襲撃の機会を窺っていたのだろう。剣戟と怒声が飛び交う中で、眼帯の大柄な男は、俺だけに目標を定めながら近付いて来る。
「お祭り騒ぎはこれくらい派手にやらなきゃなァ……? テメェを殺す事だけが『任務』の第一目標だが……。お前から奪えるモンは、全部頂くぜ……!」
一歩一歩近付いて来るたびに、俺は後ずさりすることしかできない。
騎士達は俺の下へ駆けつけようとしている。だが眼帯の男の仲間がそれを阻止している。
どうする。どうすれば。どうしたら良い、ジョージ……!
「ジョージ……!?」
返答が無い。『寝てしまった』のか。また。こんな時に……!?
「あァそうさ。ジョージだ。ジョージ・ジャミロクワイ、テメェがターゲットが……! 俺の、俺達の獲物だ……!」
男の言葉なんか耳に入ってこない。
魔力を充填するためにジョージは宝石の身であっても眠りに落ちる。それは一刻の早く元の肉体に定着し、俺を現実世界に帰すため。
だが、今じゃないだろう。勘弁してくれ。この状況で、一切の反応が無いなんて……!
「う、ああぁぁぁ……っ!」
絶望的な事実を認識し、俺は情けない声を上げる。
3000の騎馬隊を相手にする時も。土の竜を倒す時も。2年も城に居座った厄介な外交官と話を付ける時も。『恐怖』はあった。戸惑いも焦りも。しかし、ジョージがいたから。ジョージが語り続けてくれたからこそ、『絶望』を感じた事は無かった。
それが今。英雄の助言を得ることができない、たったそれだけの事実が。俺を心底絶望させていた。聖なる剣も最強の肉体も、魔法使いに匹敵する魔力も有しているのに。
俺にはどうしても、目の前の男を倒すビジョンが浮かばなかった。
「……何なんだよ、テメェ……」
「く、来るな……!」
目に涙が滲む。また足が震えだす。逃げたい。でも逃げるわけにはいかない。だがどうしたら良いかが分からない。
「ガッカリだせ、奇跡の英雄さんよ……。だがまぁ良いさ……。テメェの首を持ち帰れば、俺も一生遊んで暮らせるだろうしよォ!!」
男は拳を振り上げる。
反撃も防御も回避も俺の意識には浮かばず。ただひたすらに、情けないほど、「助けてくれ」と願っていて。
誰か、ヒーロー、英雄……! 怖いよ、こんなの嫌だ。助けてくれ……っ!
「オラァァァァァァァっ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――風が、吹いた。
「……!?」
拳を手の平で受け止められた眼帯の男は、絶句している。
俺も理解が追いつかず、何も言えずにいた。
何故なら俺は今、『胸元のブローチ』から周囲の景色を認識しているのだから。
「やれやれ……。素の部分が漏れ過ぎだぞ、『譲治』」
『え……!?』
風にたなびく銀の髪。光り輝く、『金色の瞳』。自信に満ちた、不敵な笑み。
「だが『助けてくれ』と呼ばれたら、駆けつけるに決まっている。いついかなる時も、どんな状況でも。何故なら……」
自分こそが世界最強と信じて疑わない、そんな男が――。あの『幽霊トンネル』で出逢った騎士が、そこにいた。
「――何故なら私は、『英雄』だからだ」
『ジョージ……! ジョージ・ジャミロクワイ!!』
奇跡の人。魔法使いに最も近い男。
凱旋パレードが襲撃された今。伝説の男が、還ってきた。
***
鉄腕を掴み止められた男は、困惑と動揺の色を見せていた。
しかしすぐに、またぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。
「急に雰囲気が変わったか……? だが良いさ、テメェは俺が――」
「舌を噛むぞ」
掌底打ち。手の平の付け根部分で、ジョージは男の下あごを突き上げる。
男の右目が一瞬白目を向く。しかしすぐに意識を取り戻し、顔を戻す要領で、反撃の頭突きを上段から喰らわせようと――。
「失礼」
砲撃音。いや違う。実際それは、ジョージの蹴りが眼帯の襲撃者に腹に叩き込まれた音だった。
男のが巨体が地から離れる。両足が地面に付かないまま、反対方向に10メートルは蹴り飛ばされていった。
『す、げぇ……』
俺は宝石の身体で、事の成り行きを見守っていた。ここまで僅か30秒にも満たない。
俺があれだけ恐怖し、絶望させられた相手が。小石と同程度に蹴り飛ばされていく姿は、夢か何かかと疑ってしまうレベルだった。
『じょ、ジョージ……』
元の肉体を取り戻したジョージは応えない。ただ黙々と大通りを進み、戦場と化した街を歩き、ブラッドン一家の元へ歩み寄る。
涙を流し、縋るような目を向ける母娘。彼女達に微笑みかけると、地面に膝を付き、倒れるブラッドンの血を指に付着させる。
そして即座に魔導陣を描くと、そこから水色の温かな光が発せられる。浮かび上がった魔導陣はブラッドンとジョージの手の間でクルクル回り、それは俺にとって懐かしい光景だった。
『治療、魔導……』
「ここでは応急処置しかできない。止血して傷口を塞ぐだけだ。だがブラッドンの命は必ず助ける。……まだまだ、彼のパンを食べたいものだからな」
時間経過と共に、流血は治まり傷口は塞がっていく。
そしてジョージの茶目っ気を含んだ言葉に、母娘達からも絶望は消える。
『助かる』、『助けてくれる』という事実を明確に示すことで、彼女達の心を落ち着かせたのだ。
「ジョージ様!」
ブラッドンへの応急処置もほぼ終える時。ユリファを連れたアンナが、俺達の下に駆け寄ってきた。
アンナの服は所々裂けて汚れているが、怪我はしていない。ユリファも無傷であり、しかしこの状況の一切の興味を示す事無く、豪胆にも3個めとなるパンを頬張っている途中だった。
「ブラッドン達を安全な場所へ運べアンナ。後の事は私に任せろ。パレードはまだ終わっていないのだ。祝典を邪魔する客人達には、早々にお引取り願おう」
「……! はい……!」
ジョージは立ち上がり、腰の剣に手をかける。
俺がどれだけ力を込めても抜けなかった剣。使用者を識別する聖剣アスカロン。
そんな宝剣が。ジョージ本人の手によって、いともたやすくその輝く刀身を太陽に晒した。
「譲治」
『……!』
不意に。騎士と襲撃者達が交戦している場へ向かいながら。英雄は俺に語りかける。
「悪いが私はまたすぐに眠る。この状態は一時的なものなんだ。そして今まで溜めた魔力もほぼ使い切ってしまっている。そういうわけで……また延長を頼みたい」
『……そ、れは、別に……構わないけど……』
何かがおかしかった。ジョージの言葉には俺の失態を責めるような怒りも、嘆きも、それとは別の強い思いも感じられなかった。
ただ何か、『達観』していた。
「私の代わりにパレードを務めてくれてありがとう。そして逃げ出さずこの場に残ってくれたことも。だが怖い思いをさせてしまったようだ。それはすまない。……だから、少し『そこ』で観ていると良い。英雄の、このジョージ・ジャミロクワイの戦いを……!」
俺はこの世界に来てから、一度も『ショージの戦い』を目撃した事はなかった。
記憶にある戦歴。俺が自分の意思で、肉体に染み付いた挙動で操作する戦い。どちらとも違う。
オリジナルの肉体で、ジョージの意思で。純然たる『英雄』の戦いが今――始まった。
***
それは『戦い』と呼ぶにはあまりにも――美しかった。
パレードを襲った襲撃者の数はおよそ30人ほど。そのどれもが、ジャミロクワイの騎士達と対等に渡り合えるほどの実力を有していた。
そのうちの一人が、ジョージの接近に気付いて振り返る。眼帯の男が倒れされた事に一瞬驚くような視線を向けたが、すぐに仕事人の目を取り戻すと、長剣で切りかかってきた。
「いいか譲治。大切なのはまず『落ち着く事』だ」
そう言ってジョージは歩を止め直立のまま――振り下ろされた長剣の腹を裏拳で殴りつけた。
左方向に吹き飛ぶ刀身。半分になった長剣の姿に、何が起きたか理解できないでいる襲撃者。
そんな男を、ジョージは左腕を振り戻して殴りつけた。
鈍い音がし、剣士本人は右方向に飛んでいく。剣も魔導も使わず、左腕一本で。手練れの剣士を、二撃で破り去った。
しかしその背後に、レイピアを持った別の敵が控えていた。剣士の背に隠れ、攻撃後の隙を狙っていたのだろう。
「そして次に、『自分を信じる事』だ」
レイピアの刺突を、素手で掴み取る。驚愕する敵を前に、ジョージは小さく笑うと、片手でレイピアごと敵を持ち上げる。
レイピアを放すまいと、しかしどうすることもできずもがく敵を、ジョージは後方に振り回して叩き落す。
丁度そこには、ジョージを背後から刺そうと突進してきたナイフ使いがおり、レイピアの男は彼もろとも叩きつけられた。
「いいか譲治、私はいつだってキミの傍にいる。たとえ声が聞こえずとも、別々の世界で生きることになっても。我らは親友だ! 英雄の友である自分を信じるんだ。大丈夫、キミならきっとできる。何故ならキミは――」
たった一人で次々と襲撃者達をなぎ倒し。恐れも震えもなく戦うジョージの言葉は、そこで中断された。
最初に襲撃してきた眼帯の男が立ち上がり、真っ直ぐにコチラに向かってきていた。
それを察知したジョージは聖剣を固く握り、奴を迎え撃つ。
「……ジョージィ、ジャミロクワイィィィィィッ!!!」
不自由そうな右半身で、恐ろしいスピードとパワーを発揮するその男。
しかしジョージは不敵な笑みを崩さないまま、聖剣を――地面に突き刺した。
「!?」
『何を……!?』
眼帯男と俺は同時に驚く。この状況で、地面に剣を刺す意味が分からない。
だが、それこそがジョージの『フェイント』。有り得ない事を平然とやってのけ、動揺を誘い、そして最後に勝利を掴む。
ジョージは高くジャンプし、突き刺した剣の柄を足場とする。そしてそのまま、直線で突進してくる敵に――飛び蹴りを見舞いしてやった。
「がっ、は……!」
間合いも何もあったものではない。剣技でも格闘術でもなかった。もちろん魔導ですら。
「我こそはジョージ・ジャミロクワイ! 勝利と栄光をもたらす者! この私がいる限り、我が領土に、国民に! 指一本手出しできないと知れ!」
今度こそ気を失った眼帯の男を尻目に、ジョージは高らかに笑う。それは自らの勝利と、敵の大将を討ち取ったことと、襲撃者達に『任務失敗』を告げる笑い声だった。
おそらくこの眼帯の男が襲撃者達のリーダーだったのだろう。敗北を悟った彼らは勢いを取り戻した騎士達に押し返され、その悉くが捕縛された。
こうして……。ジョージの凱旋パレードを狙ったテロは、そこから発展した市街戦は、やはり英雄ジョージ・ジャミロクワイの活躍によって幕を下ろした。
……本当は、俺がやるべきはずだった役目を。英雄の代理人として務めるべき行為を、全てジョージ本人にやってもらって。
そしてこの日から。再び宝石に意識を宿したジョージは、5日間も『眠り』続けた。
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