10 国盗りゲスマス

 『ジャミロクワイ騎士国』は元々、ごく少数の傭兵の集まりから始まった国だった。

 傭兵集団にも関わらず『義』を重んじ、金銭の見返りを求めず弱者を救った事も多い。悪を倒し、強気を挫き。僅か数年で、その名を大陸中に轟かせた。

 その中心人物となったのが、他ならぬ『ジョージ・ジャミロクワイ』。彗星の如く歴史の表舞台に登場し、数多の伝説的武勇と英雄的手腕で大陸を駆け抜けた奇跡の人。

 そんなジョージの数々の功績が認められ、あるいは『徳』に人が集まり、傭兵団は騎士団に。そして騎士団は教皇国からの認可を得て、ついには騎士国として樹立した。

 酒場で集った誇り高き騎士達は、国を得た。英雄は騎士王になった。その輝かしい思い出は今も、かつての傭兵達の胸に刻み付けられている。


 だが。そんな英雄の国が。

 今この瞬間、たった一人の男によって。あとほんの数分で奪われようとしていた。


「……では、もう一度確認致しましょうか」


 白い円卓が設けられた一室で。ジャミロクワイ騎士国本城『ゲオルギウス城』の会議室で、男は口を開く。

 痩せ型で骨張った指や肩。濡れたカラスを思わせる黒髪を垂らし、その服装も黒一色。存在感の薄い男は、喋る時はこれまた小さな声で囁いている。

 しかし丸眼鏡の奥に覗く眼光ばかりが嫌にギラつき、獰猛なヘビを思わせる薄気味悪い男だった。


「アリデッド要塞にはサウズ帝国軍1万が攻め込み、セント・ラリア教皇国からの客将アンナ・アシェル殿が防衛に当たっていますが……まぁ守りきれないでしょう。我々は本城に籠り、徹底抗戦の構え、と……。そういう事で良いですね?」


 誰も反応しない。円卓に座る『ジャミロクワイ家臣団』達は男を睨むばかりで、肯定も否定もしない。

 そんな様子でありながらも、溜息混じりに男はまとめる。先程までの白熱した議論の内容を。


 アンナを助けに行くのか行かないのか、教皇国に援軍を頼むか頼まないのか。あるいは、帝国に対して突撃するか篭城するか。

 それすらも、決まらない状態だったのだ。円卓に座る古参のジャミロクワイ騎士達の感情をまとめるのに、男はひどく骨を折った。誰も彼もが、『英雄ジョージ』に似てのだから。


「皆々様には御集結して頂き、これで何とか『戦争』のカタチにはなるかと思います。しかしまだ足りない。それ故、この宰相『ゲスマス・ディスマス』より、防衛戦略を提案させて頂きます」


 宰相のゲスマスは細い指で眼鏡を押し上げ、疲れたような声色で語り出す。防衛の策を。国を守る、戦略を。


「まずは兵力の拡張が最優先ですね。現行の志願兵制から、11~65歳までの全ての男子を徴兵します。女性国民も志願兵として採用できるようにし、心身に問題が無ければ誰でも兵になれるようにしましょう」


 その発言に会議室がどよめく。円卓を囲む騎士達は、己の耳を疑った。


「国民皆兵だと!?」

「正気か……!」

「この国の民を、セント・ラリアの加護を受けし臣民達を! 全員丸ごと死地に送るつもりか!」


 当然、反対の声が飛ぶ。怒号と言っても良い。

 しかし宰相ゲスマスは語り続ける。勇猛なる騎士達の声に負けないほどの、大声ではないが部屋全体に通る口調で、彼らを黙らせる。


「兵力に乏しい状態で攻め込まれては、全員死にます。戦場に立つのを志願してもしなくても、帝国はそんな事お構いなしに女子供も殺すでしょう。それでも良いと言うなら、この案は取り下げますが?」


 ねっとりとした言葉が。『最善』ではないが『正論』である彼の策謀が、既に室内に満ちていた。

 反論が収まるのを確認するとゲスマスは口角を吊り上げ、指を一本上に出す。そして中指も立てると、二の案を語り出した。


「次に、城内にある勲章やら肖像やら、資金に変わりそうなものは全て売却しましょう。セント・ラリア教皇庁より頂いた、我らが英雄の活躍した証です。モノは良いはずです。それと教皇庁に援軍要請を。それがムリであれば、資金提供を申請します。兵が出せないなら、せめて金を出して頂きましょう。かき集めたその戦費で、各地の傭兵ギルドに仕事を依頼します」


 戦争のための資金も、最早尽きようとしていた。ジャミロクワイ騎士国は小国であるが故、元々国庫にも余裕は無かった。

 だからと言って英雄ジョージの勲章を売り、守るべき教皇国から借金をし。加えてどこの馬の骨とも知らない傭兵の手を借りるなど、元傭兵出身が多い家臣団としては、不安材料の方が多かった。


「更に、北方のノスランド王国にも援軍要請を。あそこは『アニエス様』のご実家でもあります」

「援軍要請ならもう断られている」


 ここで初めて、ゲスマスの案は不発に終わった。伸ばそうとしていた親指が、途中で引っ込められる。

 家臣団達からは無言の「ざまぁみろ」や「何でも上手く行くと思うな」といった空気が、分かりやすいほど伝わってきた。


「……そんな話は宰相の私に届いていなかったのですが……。まぁ、良いでしょう」


 しかしゲスマスは動揺することもなく。再び親指を伸ばすと、三本目の策を立て始めた。


「ではユリファ様には、西方のサウスタニア連合の国王に、嫁に行って貰うとしましょう。どうやら彼の連王はユリファ様にご執心のようでしたし。同じサウズ帝国と争う者同士。派兵も考えると思います」


 ゲスマスはにっこりと笑みを浮かべ、円卓の対面に座る少女にそう語りかける。

 白い円卓と白い部屋。清潔感の満ちるこの部屋で、文字通り異色なのは黒いゲスマスと、その蒼き少女だけだった。

 長く絹のような髪と、海色の瞳。決して溶けない氷を思わせる、あるいは地下で何万年もかけて精製されたクリスタルのような、透き通る美しさを持つ少女だった。

 しかし話題に上がった少女アニエスは何の反応も見せることなく、座ったままどこか虚ろに宙を眺めていた。


 代わりに激昂したのは、ゲスマスとユリファの中間位置に座る老将だった。


「ふざけるのも大概にしろ!!」


 円卓を叩き割らんばかりの勢いで。テーブルを殴りつけた老将の拳は、怒りに固く握られていた。


「ユリファ嬢はジョージの婚約者! それを勝手に、縁戚外交に利用するなど! 北の女王が黙ってはいないぞ! そもそも、誰の許可を得てそれらの戦略を実行する気だ! 明らかに越権行為であろう!」


 白き甲冑と白髪。そして白いヒゲが特徴の大柄な老人は、若者にも負けないほどの気迫を見せて凄む。

 だがそんな威圧も、黒いヘビにはあまり効いていないようだった。


「えぇそうです。宰相の身分のままでは、全て越権です。そもそもジョージ・ジャミロクワイ様の一筆が、一言が、裁量が無ければ進まない問題がこの2年で山積みなのですよ」


 国王不在の2年。それがここまで状況を悪化させ、騎士国を追い詰め、国家存亡の危機を招いた。


「ですので」


 故に。


「私がこの国の『王』になろうかと思います」


 ――室内に満ちたそれは、『殺気』だった。


「……発言を撤回するなら、骨の5本で済ますぞ」

「おぉ怖い。しかし会議中の戦闘行為はご法度。ジョージ様の定めた法令に逆らうとは……もしや貴方、英雄が不在なら何をしても良いとでも?」


 騎士達の頭の中で。毛細血管がいくつか切れた。

 そんな音が聞こえそうになるほど、恐ろしいまでに場は『怒り』で静まり返った。


「ジョージ様が不在の今、体制を変革せずに帝国と決戦に挑むのは愚の骨頂。速やかに玉座を埋め、可能な限りの防備と最善を尽くすべきです」

「ならばその役目は、他の者でも!!」

「僭越ながら、この宰相ゲスマスを推薦する方は、挙手をお願いします」


 ――円卓に座る半数以上の人間が、手を挙げた。


 ユリファは依然ぼうっと虚空を眺め、反応を示さない。反対というより、無関心なようだ。

 そしてその光景を、老将は何かの間違いと思って呆然と見ていた。


「……な、ん……! お前達……!?」


 しかし彼らとて、『信任』しているわけではない。皆苦渋の表情だった。涙ぐんでいる者までいる。

 誰も、このヘビに主権を渡したくはない。しかし他に方法はない。

 英雄不在の2年間、この騎士国を運営してきたのは宰相ゲスマスの力が大きい。それは事実だった。

 彼以上に有能で適任な人間など、『王』に近い素質を持った者など、他にいなかったのだ。

 ここにいる者達は皆ジョージの仲間であり家臣であり有能な『従者』であった。しかし、『王』ではなかった。


「……これで過半数の票は得ましたね。後は国王たる英雄が異議申し立てをしない限り、私が二代目のジャミロクワイ騎士国王に任命されます。……いやはや、根回しするのも大変でしたよ」

「……とうとう正体を現しおったな、『国盗りゲスマス』……! 『国家専門の盗賊』! サウスタニア連合の所属国家を、飽きるほど略奪、独立、政権交代させておいて……! 今度はこの国でそれをやるつもりか! この簒奪さんだつ者め!!」


 にこやかに自身の肩を揉んでいたゲスマスは。老将のその言葉を聞いて。ここで初めて、『激怒』した。


「……私はこの国に来てから、一度も法を破った事はない。貴方達が建国時に決めた法に従い、ルールを守り、貴方達の掟に賛同し続けてきた……! そしてそれは今も変わらない!」


 目を見開き。ヘビが赤い口を大きく開けて。激情に身を任せる彼は、老将よりも更に大きな声が出ていた。


「いいですか、私はアナタ達の国を! 正式な手続きを踏んで、正攻法で、真正面から! 『盗み獲る』と言っているのです! それを言うに事欠いて『簒奪』とは!! 盗賊に対してだって、言って良い事と悪い事があるのですよ!!」


 盗賊としての矜持。宝石も金も狙わず、ただ『国家』のみを専門に取り扱う稀代の大怪盗。

 そんなゲスマス・ディスマスの異常性を見せ付けられ、もはや己の武力で解決できるレベルにはないと悟った老将は、半ば茫然自失するように腰を下ろした。


「……張り合いがないですねぇ。ジョージ様がいた時は、こんな簡単に国を明け渡しはしなかった。彼は私の今までの人生で最も高く険しい『困難』だった。……もう彼に挑めないかと思うと、少しばかり残念ですよ」


 落ち着きを取り戻したゲスマスは、遊び相手のいなくなった子供のように。目標を達成したにも関わらず、憮然とした表情で眼鏡の位置を戻した。


「死に体の国家で大国との防衛戦。……まぁ、『英雄の国を盗む』事に比べれば難易度は下がりますが、悪くない困難です。さぁ、これから皆さんで頑張りましょう。きっといっぱい死にます。きっとたくさん絶望と悲劇が待ち受けています。我々はそれに嬉々として乗り込み、打ち勝つのです! ハードルが高ければ高いほど、クリアした時の快感は忘れられませんよ!」


 既に葬式会場のような空気の会議室に、ゲスマスの楽しそうな声ばかりが響く。


 その時。今まで沈黙を貫いてきたユリファが、北方より訪れしジョージの婚約者が、小さく呟いた。


「……来た」

「はい?」


 ――会議室の窓ガラスが全て吹き飛ぶ。


 怒号と悲鳴と困惑と。家臣団が咄嗟に武器と魔導と殺気を身構えるその中で。


 窓をブチ破って侵入してきた銀髪の男は。白い甲冑とマントを身に付けたその男は、飛び散るガラス片の乱反射を身に受けて。光り輝きながら、円卓の中央に踊り立つ。

 椅子に座ったままゲスマスは、テーブルの上に立ったその男に対して。実に愉快そうな表情で、『出迎え』の一言を告げた。


「……おかえりなさいませ、『我らが英雄セント・ジョージ』」

「ただいま、宰相。私の国はまだあるか?」

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