7 更なる危機

 熱狂と歓喜の勝利に包まれ。俺は長らく呼吸を忘れていたかのように、「ぶはぁっ」と緊張を吐き出してから空気を吸った。


『ハッハッハ! 素晴らしいな譲治! 良い口上だ! 私が考えた台詞じゃない、キミ自身の魂から生まれ出た言葉だ。元の世界に戻ったら、英雄を目指してみたらどうだ!』


 そう言われて初めて、俺の思考は冷静に戻る。

 脳味噌に血液と酸素が行き渡り、熱狂が潮のように引いて行く。

 そして『後に残ったもの』が俺の胸中に――猛烈な『羞恥』が襲ってきた。


「……は、はずかしぃぃぃぃ……」


 調子に乗った。まさかあんな事言うなんて。完全に映画の主人公か何かの気持ちになっていた。

 平穏なる人生こそが俺の目標。ストレスフリーな小市民としての生活。それが俺の生き方のはずだったのに。

 なのに軍旗をブン回し。魔法みたいな魔導を使って、騎馬隊を吹き飛ばした。

 実際には俺の力じゃない。ジョージの実力に、俺がタダ乗りしたようなものだ。

 それでも。敗走する敵に、そして砦にいるであろう帝国兵達に対して。強い言葉を使ったのは紛れもないオレ譲治自身だった。


 そしてその行動を。今日の体験を。俺はずっと、心のどこかで待ち望んでいたことにも気付いていた。

 俺は、昔――。


「ジョージ様!」


 手で顔を覆う俺に対して、背後からアンナの声が届く。

 正直振り向きたくない。敵に勝利した英雄が、真っ赤な顔をしているのだから。何故なのかと、きっと疑問に思われる。説明も誤魔化しも大変だ。


『呼ばれているぞ。見てやれよ』


 分かっているさ。でも少し時間をくれよ。

 穏やかなジョージの声を不思議に思いつつ。俺は何度も深呼吸を繰り返し、顔に昇っていた血を引かせる。

 そして『英雄』としての凛々しい顔を作ってから、アンナ達の方に身体を向けた。


「……ご苦労、諸君! よくぞこの私の旗に続き、サウズ軍と勇敢に――」


 ――そこでは全員が、頭を垂れていた。

 膝を付き、地に剣を突き刺し。その佇まいの全てから、忠誠と信頼を示していた。

 

「……よくぞ、お戻りで……!」


 あぁ、そうかと。俺は納得した。

 兵士達の姿を見て。ジョージという男の真髄を垣間見た気持ちになった。

 ジョージより力持ちな人間は世界のどこかにきっといるだろう。

 ジョージより魔導を上手く扱える人間は、あるいは魔法使いが。過去と未来の、いずれかには存在するだろう。

 だがアンナには、彼ら彼女らには。『ジョージ・ジャミロクワイ』しかいないのだ。

 その身を、命を捧げ。そしてその想いに、忠義に、信頼に。100%で応えてくれる人間は。世界中のどこを探しても、『ここ』にしかいない。

 それが英雄。だからこその英雄。ジョージ一人いただけでは、それは英雄足り得ない。


『見ろよ譲治。皆がキミを見ている。ここにいる皆がキミを、そして英雄を見ている』


 俺は英雄の身体に宿った一般人でしかない。

 本物のジョージは、今はちょっと綺麗な石ころだ。

 不完全で、曖昧で。彼らが信頼を寄せる存在は、実は今とってもややこしい状態であるというのに。


「貴方様はやはり、『英雄』だった……! いつも私達の危機に駆け付け、そして……っ!」


 アンナは言葉の途中で泣き出してしまった。他の兵士達も。

 絶体絶命の状況を抜け出した安堵と、英雄が帰ってきたことの嬉しさに。様々な感情が入り乱れ、涙を流す以外の行動に移せないのだろう。

 それは先程までと同じなのに。『泣く』という行為では同じであるはずだったのに。

 今の彼らからは、絶望など微塵も伝わってこなかった。


「……俺は、英雄じゃない。英雄の、代理だ……」


 兵士達の嗚咽に混じって、俺の小声は消えていく。

 誰にも聞こえていないその言葉は、ジョージにだけ届いていた。


『私も今は英雄の役目を果たせない。彼らの期待には応えられない。だから力を合わせるのさ。キミと私とで、英雄だ』


 勘弁してくれ。こんなのは一回体験すれば充分だ。さっさとこの場を退散して、俺は元の世界に帰りたい。

 絶望を振り払った俺達は、ジョージの国とやらに帰還しようと旗を揚げる。


 その時。アリデッド要塞の周辺を揺らす、地震のような轟音に俺達は気付いた。気付かされた。

 絶望はまだ去っていない。危機は討ち倒せていない。敵の心は、折れていない。

 振り向く。要塞を見る。見えない。その『巨体』に隠れ、砦の姿なんて視認できなくなっている。


 巨大なドラゴンが、俺達に迫っていた。


***


 その光景を要塞外壁上部で見ていたチャールズ達は、言葉を失っていた。

 騎馬隊はほぼ壊滅。

 失踪していたジョージ・ジャミロクワイの出現を確認。

 ジャミロクワイ騎士軍は生き残り、彼らは今から英雄を連れて国に凱旋する。


 考え得る限りの『最悪』が、サウズ帝国軍の前に立ち塞がった事を示していた。


「……弓兵と投石兵を出せ……!」

「チャールズ殿!」

「チャールズ様、それは……!」


 リナルド将軍と参謀オリヴィエが、揃って反対の声を上げる。

 しかし英雄の姿を捉えたまま、握った拳をブルブルと震わせるチャールズには最早、誰の言葉も届きそうになかった。


「こんな事が、あって良いはずがない……!」


 勝てる戦いだった。そもそもアリデッド要塞を攻略した時点で勝っている。

 勝者は自分たち。官軍。由緒正しき正義。歴史を綴る権利を持つ者。

 なのに。物量で押し潰せるはずだった掃討戦を、ひっくり返された。勝利の美酒に水を差された。何よりも、帝国の誇りが傷つけられた。


「今ならまだ間に合う! 全軍出撃だ! ここでジョージ・ジャミロクワイの息の根を止める! この私に! 勇者ローランの血を引くこのチャールズ・シャルルマーニュの剣に、続くのだ!」


 今にも要塞の上から飛び降りて行きそうな勢いのチャールズ。聖剣デュランダルを抜刀し、意気揚々と叫んでいる。


「私の部隊は出撃させません」


 そこへ。歴戦の勇士の重い一言が。有無を言わせぬ反論が、チャールズの耳に入る。


「……何だと?」

「騎馬隊3000を失い、酒に酔った状態の軽歩兵4000を死地に向かわせたいのであれば、どうぞご自由に。しかし我がリナルド隊3000は、長年の戦友共を私は、そのような馬鹿げた戦いには向かわせません」


 剣を持ったまま鬼の形相で、チャールズはリナルドに詰め寄る。怒りに震える手で柄を握り締め、その刀身を振り上げ――。


「チャールズ様ッ!」


 そこへ。両者の間に割って入ったオリヴィエの姿に、チャールズの足は止まる。

 オリヴィエは冷や汗を流し、視線だけでチャールズを諌めるものの。若き大将は目線を上に向け、吠える。


「臆したか、リナルド将軍! 『勲章なき名将』、『首級少なく、されど一度の敗北もなく』、『帝国一の生存率』! 数々の戦場に立ち、目立った功績こそないものの! 帝国の栄光ある勝利に最も貢献してきた貴殿が、貴殿ともあろう者が! 帝国の名誉に泥を塗るつもりか!?」

「泥にまみれても生きて帰る。一人でも多く生かして戻る。私は今までそうして生きてきました。それこそが、祖国への最大の貢献だと」

「上官の命令に逆らうのか!!」

「私の上官はサウズ帝国皇帝陛下ただ一人。そして私も貴方も、陛下より兵を預かる軍人に過ぎません」

「貴様……ッ!」

「もうお止め下さい、チャールズ様!」

「そこを退けオリヴィエ! 英雄なんぞの幻影に囚われ、帝国将校としての本懐を見失った腑抜けに、この私が……!」

「私に策があります!!」


 オリヴィエのその叫びで。驚きつつもリナルドは細目を開き、チャールズもまた剣を下ろす。


「……言ってみろ。我が頭脳。子供の頃から、お前の『策』は間違ったことがなかった」


 何とかその場が納まったことを認識し。正直膝から座り込みたい気持ちであったが、オリヴィエは背筋を伸ばす。

 この状況からの勝ち筋を。最善を、探る。


「我々は既にアリデッド要塞の奪取に成功しています。第一目標は帝国本隊が到着するまでの砦の防衛、死守。その点については問題無いかと。ジャミロクワイ軍の目的が要塞の奪還である可能性は、低いと思います」


 リナルドも、チャールズも言葉は挟まない。

 オリヴィエは一息に、早口に、その思考をフル回転させつつ喋る。


「仮に敵軍が要塞奪還のため攻撃してきた場合は、それこそ真っ向から迎え撃てば良い。チャールズ様の剣技を、英雄に喰らわせるのです。リナルド副将の部隊も防衛のため、砦内部に残って頂きます」

「元よりそのつもり」


 相反する両者の意見に。矜持に。感情に。折り合いを付け着地点を探るのが、今の自分の役目だと。『参謀』としてのオリヴィエは、それをハッキリと自覚していた。


「逆にジャミロクワイ軍が戦場を離脱する場合。このまま目の前で逃げていく敵の背を、指を咥えて見ているのも帝国軍人にあるまじき姿。しかし騎馬隊もチャールズ様の部隊も万全な状態にするには時間を要します。弓や投石での攻撃も可能ですが、効果は薄いかと」

「……ならばどうする!」


 一度大きく息を吸い。そしてメガネの奥に光る瞳を見開き。オリヴィエはたった一つの作戦を、大将に提案する。


「――『城砦防衛用ゴーレム』を使用します」

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