20 英雄の不在
どこだ。どこに行った。
ジョージの肉体を借りる俺は、過ぎ去る城下の街並みに目をこらしながらも、肩で風を切って走る。
脱走した隻眼のガヌロンは、牢屋を突破し衛兵を殴り倒し、自分の装備だけを持って逃げたという。襲撃の際に共にいた仲間達は助けず、単身で。
城内に潜伏する可能性は低い。数多の将や兵がいる中で、いくら何でも敵陣真っ只中には居続けられないだろう。
ならば城下のどこか。あるいは、サウズへ逃れるために関所へ向かうか。
そんな事を考えながらも、走る足の動きは緩めない。
ジャミロクワイ騎士国は本城ゲオルギウス城を中心として、円形にぐるりと周囲を防壁に囲まれている。そして東西南北それぞれに、領内へ入るための関所が四か所。
つまりジョージの国から出るためには、必ず検問を通らなければならない。異変があればすぐに分かるはず。
今の俺は単身、その防壁の上を走っている。地面まではおよそ30メートル。
ガヌロンが目指すとすれば、いずれかの関所か、あるいはこの防壁をよじ登るか。俺はそう予想して、5メートル幅の足場を駆ける。
だが正直、奴とは遭遇したくなかった。できれば城内か関所で捕らえられて欲しい。あるいは街中に潜伏しようとして、兵士に見つかるか。
「……いや、人任せじゃダメだ……!」
弱気になっている。戦うのはやはり怖い。それでも俺は人々を守らなければならない。ジョージの代わりとして、英雄の代理人として。
その時。俺の眼前に、防壁上の通路に、地上から投げ上げられた『かぎ爪』が飛んできた。
その鉤爪は通路に突き刺さり、その先にはロープが伸び、何者かが登ってこようとしているのが推測された。
「……ビンゴかよ……!」
嫌な汗が浮かんでくる。こんな事なら、誰か護衛を連れてくれば良かった。
いやそれはダメだ。戦闘の素人である俺の戦いを見たら、きっとバレる。そうでなくとも怪しまれる可能性が高い。
誰にも見られることなく、ジョージの助言が無い状態で、この場を乗り切る必要がある。
大丈夫。魔力も肉体も、世界最高峰。スマートな戦い方はできなくとも、勝利をもぎ取ることはできるはずだ。
そう、だってこの身体は――。
「……よォォ。ジョージィ、ジャミロクワイぃぃぃ!」
ロープを使って登ってきた隻眼のガヌロンは、俺と相対して、ギラつく右の眼光を向けてくる。
取り調べで衰弱し、傷ついたその身体で。それでも尚、執念とも呼べる気迫を放っていた。
……ちょっとヤバいかもしれない。
「ようやくだ、ようやくテメエと『サシ』で戦える……!」
手甲とブーツ。そして眼帯。主要な装備と言えばその程度だ。剣も弓も持ってはいない。
なのに何だ。この威圧感は。鍛え上げられた巨体が全身凶器を想わせる、なんてレベルじゃない。
「決着を付けようぜ……! お前への復讐を誓って帝国に尻尾を振って数年……! 失踪だの死んだだの言われていたが、やはりお前は生きていた! 嬉しいなぁオイ、この手でお前を殺せるんだから!!」
「……やっぱり、個人的遺恨かよ……!」
この男にとってはサウズ帝国も、ジャミロクワイ騎士国も、取るに足らない存在。
ただ、壊滅させられた賊の頭領として。ジョージに敗北を喫した一個人として。ジョージ本人にしか、最初から興味なかったのだ。
「行くぜぇ、ジョージ・ジャミロクワイ!!」
「上等だ……! やってやる……!」
震えそうになる身体を、必死に押し留めて。俺は拳を握った。
***
聖剣アスカロンは俺を
だが俺には、いやジョージは剣術だけが全てではない。
その格闘術も、そして何より魔導の技量も。比類なきものなのだから。
「今は……! 『追い風』ッ!!」
空中に指で魔法陣を描く。
この騎士国は、セント・ラリア教皇庁の霊峰から吹き降ろす風のおかげで、無風な状態である事が少ない。
その事はサウズ帝国の外交官モージも言及していた。
地形が生み出す自然の突風。アリデッド要塞で騎馬隊を蹴散らした程の突風が吹いてはいないが、それでも。
俺の背を打ちマントをはたかめかせる風は、疾風は魔力で強化すれば、充分に対人戦闘用の『刃』となる。
「『ウィンド・カッター』!」
追い風が鎌鼬となり、疾走する刃はガヌロンに向かう。
「むッ……!? ぐォォォっ!!」
ガヌロンは咄嗟に顔の前で腕を交差させ、上腕を覆う手甲でガードする。
しかし風の刃は手甲だけでなく足や腹部、肩やこめかみを切り裂いていく。
左右に逃げようにも、ここは防壁の上。不用意に飛べば地上に落下してしまう。故にガヌロンは、この状況においても踏ん張ることしかできない。
そこを――殴りつける。
一瞬の隙を突いて懐に飛び込み、腹部を殴打する。
「がッ……!?」
ジョージの鉄拳が深くめり込む。よし、いける……!
このまま気を失って戦闘不能になってくれ。そうでなければ、追撃を頭部にでも――。
「……!」
何かが。何かがおかしいと思った。
それは俺の本能か、あるいはジョージの肉体が感じ取ったのか。とにかく言いようのない、得体の知れない不安が、全身を襲った。
ガヌロンの右目が俺を射抜く。圧倒的に有利なのは俺。勝利に近いのは、英雄ジョージ・ジャミロクワイ。そのはずなのに。
ガヌロンの目は、敗北とは無縁の炎に滾っていた。
「このっ……!」
俺は回し蹴りを入れようとした。
しかしガヌロンは――その場から姿を消した。
「!?」
馬鹿な。この狭い足場で、回避は不可能なはず。
上空でもない。左右に飛び退いたわけでも。
混乱する俺を嘲笑うかのように、ガヌロンの拳は――俺の首筋に叩き込まれた。
「がぁァ……!?」
車でも突っ込んできたかのような衝撃。俺は防壁の上をごろごろ転がり、首筋の痛みに悶え苦しむ。
どうやって後ろに回った。どうして背後からの奇襲ができた。どうして――。
痛みと困惑で汗が吹き出し、身体がブルブルと痙攣する。吐きそうだ。
だがまだ、諦められない。
俺は立ち上がって、再びガヌロンを見据える。
「……やっぱり、鈍っているんじゃねぇのか、英雄サマよォ! 2年前に俺と戦った時は、もっと、こう……。ビリビリしてヤベー空気をまとっていたあの男とは、とても思えねえ!」
そうだよ。その通りだよ。俺はジョージじゃないんだ。当然だ。
「だがまァ良いさ……。お前を殺すという、目的が果たせれば!!」
ガヌロンの拳が迫る。
向かい風に立たされたのは、今度は俺の方。左右に飛び跳ねての回避が難しい、後手の手番が回ってきた。
だが、その中での対抗策は――ある!
「『ウィンドガード』!」
向かい風を利用した防御魔導。瞬時に描いた魔法陣に風が吹き付け、その気流を利用して相手の攻撃を防ぐ。
いくら剛腕でもただの人間のパンチ程度なら、この魔導で防いで、そこからカウンターを――。
そう思った俺の目論見は、文字通り『打ち砕かれた』。
「――えっ?」
ガヌロンの拳が、空中の魔導陣を突破する。
風の防御壁を、蜘蛛の巣を取り払うよりも簡単に壊し。
その鉄球のような、砲弾のようなパンチが――俺の胴体に撃ち込まれた。
「ひゅっ……」
吹っ飛びはしなかった。身体の『芯』を捉えたその一撃は、全ての攻撃エネルギーを一点に集中させていた。
「あ……」
俺は膝から崩れ落ちる。そうしたくはないのに、しかし別の人間の身体かのように、言う事を聞かず。
一瞬頭が真っ白になった。どうして自分がここにいるのかも、一瞬だけ分からなくなった。
その後に押し寄せたのは、じわりとした熱さ。体内に噴出したそれが、『痛み』であることを脳が理解した時――猛烈な激痛が、全身を襲った。
「……た、い」
「あァ?」
「痛い、痛い、痛い……!」
肋骨が折れた。身体が痙攣する。顔面から倒れ込む。涙と脂汗が滲み、何もかもを我慢できなくなる。
「いだいいだいいだいいだい、痛い! 痛い!! ああァァァ……! うわあああああああッ!!!」
こんな痛みは初めてだった。膝を擦りむいたとか、指を包丁で切ったとか、そんなのと比較にならない。
悶え、のたうち回り、叫び、泣く。自分がジョージの身であるなど、英雄としての体裁を保たねばならないなど、頭の片隅にも浮かんでこなかった。
「……な、何だよ、コイツ……」
「痛い、痛い、痛いよォ! 誰か……っ!! きゅ、救急車ァ!!!」
ガヌロンが追撃をためらう程、何かの策ではないかと勘ぐるほどの苦悶。しかしこの時の俺は、ただ痛みに全ての思考を支配されているだけだった。
「……みっともねぇなァ、英雄。正直ガッカリだぜ。だが、泣こうが喚こうがその首はキッチリ……」
その時。俺の後方と、ガヌロンの後方から。
防壁の上の通路を、それぞれ反対側から走ってくる者達が。その『二人』が、戦いに割って入ってきた。
「ジョージ様!」
「ジョージィ!」
一人は、棺桶の蓋という巨大な鈍器を振り下ろす、客将アンナ・アシェル。
そしてもう一人は、騎士団の最古参エレミヤ・アナトテ将軍。
少女の棺桶と老兵の剣を、ガヌロンはそれぞれの腕で受け止める。しかしその衝撃に、苦しい表情を浮かべた。
「チッ! もう来やがったか!」
そこからの判断は早かった。ガヌロンは騎士国の領内ではなく、外部へと続く森林の方へ。防壁の上から、空高くジャンプした。
「逃がすか……! 追うぞアンナ殿!」
「お待ち下さいエレミヤ将軍! ジョージ様が……!」
「……!? ジョージ!?」
ガヌロンを逃がすまいとする二人の足は止まる。
助けられた俺は、相変わらず防壁の上でのたうつだけで。カッコ良く決めることも、指示を出すこともできないまま。
ただ折れた肋骨の部位に手を添え、芋虫のように這いずっているだけだった。
ぐちゃぐちゃになった顔と感情のまま、ついに本物のジョージが出てくることもなく。
俺の意識は、そこで途切れた。
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