22 信頼

 英雄ジョージ・ジャミロクワイが居なくなった事実を、誰にも言えないまま数日を過ごした。

 言えるはずがない。俺ですら未だに混乱している。だがあのビデオメッセージ以降、ジョージの声が宝石から聞こえてくる事は、一度もなかった。

 ジョージの『協力者』の元に行けば、俺を元の世界に帰してくれるとの話だった。だが、俺はその場所に向かわなかった。向かう事などできなかった。


「あ、おはようございます英雄!」

「先程、アンナ様が中庭でジョージ様をお探しになっていましたよ!」

「そうか。教えてくれてありがとう」

「それにしてもジョージ様! 今日も素敵な佇まいですね!」

「……ふっ、当然だ。何故なら俺は英雄だからな。ジョージ・ジャミロクワイなのだから!」


 そう言って笑顔と共にウィンクを見せれば、女中達は黄色い悲鳴を上げて城の通路を興奮気味に走って行った。……『ジョージっぽい』振舞いにも、そろそろ慣れてきた。まだ若干恥ずかしいが。


「………………」


 だが油断するとすぐに、表情を曇らせてしまう。不安なのだ。現実世界の俺を知る、唯一の知り合い。秘密を共有する相手。宝石の身になっても、俺が精神的に頼りにできるのはジョージだけだった。

 だがもう、ジョージはいない。世界最強の英雄の魂は消え去った。その後を引き継いで、俺がサウズ帝国との戦争を乗り切らなければ。

 聖女のように優しいアンナ、婚約者のユリファ、エレミヤ将軍にゲスマス宰相、ジョージを慕う、城内の仲間達。それだけじゃない。市井の人々も、皆がジョージの事を大好きなのだ。


「……しっかり、しないと」


 両手で頬を叩き、気合いを入れ直す。

 戦争の危機は去っていない。隻眼のガヌロンも取り逃がしたままだ。全てが中途半端なまま逃げだしたら、俺は後悔に苛まれて悪夢にうなされるだろう。

 それだけはダメだ。居なくなったジョージを想って、いつまでも悲しんでいるのも、俺の精神衛生上よろしくない。

 全ての問題を解決し、何の心残りもなくこの世界を立ち去る。元の居場所に帰る。それが俺の、不変の目標だ。


 疲れたり弱っている暇はないと自分に言い聞かせ、アンナが待っているという中庭へと向かった。


***


 一本のリンゴの木が生えている中庭は、天気の良い時はいつも朗らかな日差しの注ぎ込む場所だった。

 そこに設置された長椅子ベンチに、アンナは背中をもたれて腰かけていた。日差しを浴びて金色の長い髪が煌き、遠目から見ても宗教画か何かと思わせる光景だった。


「……待たせたようだな? アンナ」

「ジョージ様……!」


 声をかけるとアンナはすぐに立ち上がって礼をする。

 「構う事はない、座り給え」とできるだけカッコ付けて促しながら、俺もアンナの隣に座った。

 ……ヤバい。メッチャ緊張する。女子と、それもこんな美少女の隣に座るなんて事、今まで経験ないわ。良いのか。俺みたいのが接近してしまって。体臭とか……それはジョージの身体だから大丈夫か。てか、何だろう、メッチャ良い匂いする……! これが噂の『美少女臭』か……!?


「あの、ジョージ様」

「ひゃいっ!」

「ヒャイ?」


 やっべェ。


「……ひ、『冷やっこい』な、この椅子は。最近少し寒くなってきたような……」

「そうでしょうか? 暖かいぐらいだと思いますが……。もしや、お風邪でも……!?」

「あ、いやいや、大丈夫だ。気のせいだ。そんなに心配しなくて構わん。……それで、何か私に用があったのでは?」

「そ、そうでしたそうでした!」


 下手な言い訳をすると、アンナは疑うどころか俺の体調を心配しながらも納得してくれた。

 ……危なかった。しかし気を付けなければ。いつ何時なんどき、ボロが出てしまうか分からない。


「ジョージ様、お食事はまだでしたよね? ブラッッドン様のお店で、パンを買ってきました! ジョージ様の大好きな種類ばかりですよ!」


 アンナは小脇に抱えていたバスケットから、焼き立ての温かいパンを差し出してきた。さっきからしていた良い匂いの正体は、どうやらパンから漂っていたようだ。変な想像を膨らませてしまった自分が恥ずかしい。


「う、うむ。ありがとう。頂くとしよう」


 感謝を述べてからパンを受け取り、パクパクと頬張っていく。出来立てだから尚更美味い。ジョージの舌と空いた胃袋が歓喜している。本当に美味しい。……ジョージの、味覚だから。


「……懐かしいですね。こうして二人でパンを食べていると」

「ぅん?」

「あ、お召し上がりながら聞いて下さい。……覚えていますか? 私とジョージ様が初めて出会った時の事を」


 ふと、顔を上げる。

 小さく綺麗な指でパンを掴みながら、静かに話し始めたアンナの横顔は、とても穏やかで慈愛に満ちていた。


「……戦場で窮地に陥り、飢えと渇きで命の瀬戸際にあった時……。私は、教皇国のためならそれも悪くないと思いました。故郷と教義のために命を捧げるなら、きっと誇れるだろうと。……ですが、貴方様に……ジョージ様に助けられて。あの日与えられたパンと水の味を、私は今も覚えています。泣きながら食べて、どうにも塩っぱくて……。本当は自分は生き残りたかったのだと、心の奥底では震えるほど怖かったんだという事を、教えられました」


 ジョージの記憶にも、その出来事はしっかりと刻まれている。アンナと出会い、助け、交流し。その強さと誠実さで、たくさんの人々の心を照らしたきた。

 アンナだけではない。この城にいる全員が、騎士国の全員がそんな『絆』を持っている。誰しもが、ジョージとの思い出の日々を抱えている。

 自信家で、でもそれを実現させる力があって、決して諦めない男。どんなピンチも不安も、大笑いしながら吹き飛ばす英雄。皆、みんな大好きなんだ。そんなジョージの事が――。


「貴方様に救われた事を、私は生涯忘れません。……今日はただ、それをお伝えしたくて……。最近お一人で、根を詰めていらっしゃるようでしたし……」

「………………」


 ――そして、俺も……。


「……っ……。く……!」

「……ジョージ様……?」


 ヤバい。やばい。ダメだ。泣くな。アンナが心配している。気付かれる。

 でも、あぁ……。こんなに美味いパンの味を、ジョージはもう味わえないんだなと。もう、国中の人間が慕うジョージはここにはいない。俺が人生で初めて出会った本物の『ヒーロー』は、俺を助けてくれはしない。

 その事実が、ただどうしようもなく悲しかった。


 英雄としてではなく、城島譲治として涙を流す俺の手に、アンナがそっと触れる。

そして小さく滑らかなその手で、ぎゅっと握りしめてくれた。


「……私が、私達が支えます。貴方様の居なくなった2年間、私達はどれほどジョージ様に甘えてばかりいたか、痛感させられました。今度は私達の番です。ジャミロクワイ騎士国の全員が、そしてこのアンナ・アシェルが……。ジョージ様をお護りします」


 ジョージは死んだ。だけどジョージを敬愛する人達はまだ死んではいない。絆は断ち切れてなどいない。

 繋げる。俺が繋げ続けていかなきゃいけないんだ。パンを握った手で涙を拭い、もう片方の手をアンナが握ってくれる。その手の温もりを、絶えさせてはいけないと思った。


「……すまない。情けない姿を見せてしまったな。私とした事が……」

「……いえ。確かに驚きましたが、でも……嬉しいです」

「嬉しい……?」

「ジョージ様はいつも凛々しく、お強い人でしたが……。私達は不安にも思っていました。人ならば誰しもが持っている『弱さ』を、決して見せる御方ではありませんでしたので……」

「そうか……。そうだな……」

「……ふふ、ジョージ様の新しい一面を最初に見られたのが私なら、ちょっと優越感を覚えちゃいますね。これからも私にだけは、涙を見せてくれても良いのですよ?」


 悲しい雰囲気を切り替えるように、わざと悪戯っぽい口調で微笑むアンナ。

 ヤバい。どうすれば良いジョージ。可愛すぎて言葉が出てこない。

 その答えを教えてくれる色男に笑われないよう、頑張るしかないのだけど。

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