21 ラストメッセージ

 目が覚めた時には、全てが終わっていた。

 俺が見上げる、ジョージの部屋の天井。『王』の部屋の巨大なベッドで寝る俺は、回復専門の魔導師が退室していくのを、宰相のゲスマスと共に見送った。


「……まずはご無事で何よりです。しかし、貴方が敵を取り逃がすとは……。流石の私も、正直驚きましたよ」


 隻眼のガヌロンは取り逃がした。防壁の上で痛みに悶える俺を助けたのは、エレミヤ将軍とアンナ。

 だが戦いの詳細は二人が秘匿し、俺の事はただ『脱走者を追跡している際に不意打ちで軽傷を負った』という事で対外的には処理された。

 そう。『軽傷』なのだ。ジョージ・ジャミロクワイにとって、骨折など珍しいことでもない。

 数多の戦場で傷を負い、それでも不屈の闘志で戦い抜いてきた男。腕が折れようと足を斬られようと、ジョージの記憶にある彼の戦いぶりは、負傷などものともしていなかった。


「……まぁ我々も、貴方にばかり負担をかけすぎていたのかもしれませんね。今度からは常に供回りを付けさせましょう。ガヌロンの追跡に関してはお任せを。そう遠くは行っていないでしょう。……では、私はこれにて」


 一礼するゲスマスに、何も言わず。こんな時ジョージなら何と言うか、とも思わず。

 ただの城島譲治として。肋骨が折れただけで喚く人間の俺には、顔を上げることすらできなかった。


 動揺は既に城内に広がっているだろう。あるいは城下にも。

 ガヌロンに負けた事実を知っているのは助けてくれた二人と、ゲスマスと、骨折を治してくれた魔導師だけ。あとは当事者のガヌロンか。

 だがそれでも。対面した敵を取り逃がし、軽傷とはいえダメージを受けるなど。人々の知っている英雄からすれば、想像もできなかった事態だ。


「……ジョージ」


 返答はない。未だ本物の英雄は目を覚まさない。

 ボロが出てきた。あるいは最初から、化けの皮なんてこんなものだったのかもしれない。


 ――限界だ。ここらが潮時。

 胸中にはその想いばかりが渦を巻いていた。


 最初から無理だったんだ。俺は戦士でも魔法使いでも、ましてや英雄なんかじゃない。ただのガキだ。

 目立たず、上手く立ち回り、人生を平穏に過ごす。そればかり考えて生きてきた俺に、英雄の代理なんてそもそも務まるはずがなかった。

 誤った。選択を間違えた。今更もう遅いと分かっていながら、柔らかな羽毛布団の中で丸くなる。


 俺は次にジョージが目覚めたら、全て諦めたことを告げようと決めた。

 俺にはもう、何もできないと。


***


 目が覚めると小鳥のさえずりと、眩しい朝日が部屋に飛び込んできた。

 どうやら朝まで眠ってしまったらしい。最近政務や会談・会議などで、鈍い疲労が蓄積していた。こんなに長時間寝るのは久しぶりだ。


「……ん?」


 最初に気付いた違和感は、自分が布団を被っていなかったという事。

 昨日は不貞寝にも近い形で、上質な布団にくるまったというのに。今は何もかけられておらず、やや肌寒い。


「……寝相は悪くないんだけどな」


 折れた骨は治癒魔導でくっついたが、無理な動きはまだできないはず。痛みも感じず、布団を投げ出したことにも気付かないほど熟睡してしまったのだろうか。


 次に気付いたのは、ベッド脇のテーブル。照明やメモ用の紙が置かれている場所に鎮座する、俺が俺の世界から持ち込んだビデオカメラ。

 そのカメラは俺の方を向き、赤いランプが点灯していた。


「うわっ、録画中じゃん。バッテリーが……!」


 まさか一晩中録画していたのか。いくら長時間録画が可能な機種とはいえ、充電ができないこの世界では無暗に使用できない。

 そうして俺は気付いた。一体誰が録画モードにした。ビデオカメラなんて存在しないこの世界において、一体誰が操作した?


 嫌な予感がして録画を止める。そしてデータを確認する。


 幽霊トンネルでクラスメイト達を撮った映像。

 トンネルの奥から歩いてくる血まみれの騎士。

 逃げる白石さんに足を踏まれる俺。

 そんな俺の眼前で俺を心配し、足を治してくれる騎士。

 そしてその騎士――ジョージと共に、トンネルの奥の光に進んで行った。


 次のデータは、俺がジョージにカメラの使い方を教えた時の映像。

 城の草花や、リンゴの木、城の絵画や彫刻などを撮っている。俺にだけ聞こえるジョージの声に返答する、俺のボイス。

 短い映像だった。


 そして最後に残された、俺の知らない録画データ。

 再生するとそこには、俺が――いや、ジョージの姿があった。


『……っと。これで良いのかな。上手く録画できていると良いが』


 ベッドに腰掛ける、寝間着姿の俺。

 違う。これはジョージそのものだ。

 ジョージの魂がジョージの肉体に宿り、彼が彼自身の言葉を発している。


『親愛なる城島譲治。同じ名を持った、違う世界の友人よ。君には本当に、迷惑ばかりかけてしまった。怖い思いも辛い思いもたくさんさせてしまった。まずはそれを謝りたい』


 何だ。何を言っている。何のためにこの映像を撮ったんだ。これじゃ、まるで――。


『私は今日まで、一刻も早く自分の肉体に戻るため試行錯誤してきた。だがどうやら……この宝石に、この世界に魂を定着させ続けるだけでも、膨大な魔力を消費するようだ』


 知ってる。だからアンタは何時間も寝ていたんだ。そうして、元の身体に――。


『譲治。どうやら私にはもう、時間が残されていないようだ』


 ……は?


『元々死にかけていた人間だ。君の世界に逃れて、私の代わりを探した。そして君を見つけた。だが結局それは運命を先延ばしにしただけで、根本的解決ではなかった。そればかりか、無関係な君を巻き込んでしまった。本当に……どれだけ詫びても、許されることではないだろう』


 画面の中の英雄は、ジョージは。とてもすまなさそうに、本心からの謝罪と懺悔を。その顔に滲ませていた。


『君には二つの選択肢がある。私の協力者がいる場所へ向かい、元の世界に帰るんだ。君との約束は違えることになるが……。それでも、君が望むのであれば必ず送り届けることを、私は保証する』


 そうしてジョージは『協力者』とやらがいる場所を伝えた。

 だが違う。俺が聞きたいのはそんな事じゃない。的外れなんだ。ジョージが言っていることは。


『そしてもう一つは……。とても虫の良い話だが、英雄の代わりをもう少しだけ続けて欲しい。帝国を退ける、あるいはその可能性が確実なものとなるまで』


 ジョージの声が小さくなっていく。ベッドに腰掛けているも、ぐったりと力が抜け、今にも倒れそうだ。

 それでも、カメラからは決して目を反らさない。

 俺も真っすぐ、画面の中のジョージの瞳を捉える。


『私の部下は有能な者達ばかりだ。君が望めば富も、地位も、名誉も、素敵な女の子だって、何だって手に入る。何せ世界最高の英雄だ、私は。その気になれば、この世界だって手に入るさ……』


 違う。そうじゃない。そうじゃねぇだろ。何を言っているんだ。何を、ふざけた事を。


『……だが最後に選ぶのは君だ、譲治。どんな道を選んだとしても、君が選んだ道なら私はそれを尊重する。君は自由だ。私が持っているもの……今まで積み上げてきた全てを、君にやるよ。それでせめてもの償いとしたい。捨てるも拾うも、君次第だ』


 英雄の肉体。魔力。騎士王としての立場。金。宝物。ジョージを慕う者達。

 それが全部俺の物になる? それは素晴らしい。素晴らし過ぎて、俺は涙を流しながら――画面の向こうにいる英雄に怒鳴りつけた。


「……要らねぇよ、そんなモン! 要らねぇから、早く全部元通りになれよ……!!」


 アンタの物は全部アンタのもんだ。アンタが、ジョージがいなきゃダメなんだ。この国の、この世界の人達も。そして他ならぬ俺も。

 ジョージがジョージの身体に戻って、俺は俺の世界に帰って。そうじゃなきゃ、俺は安心なんかできない。


 とっくの昔に俺も、『英雄』を慕う人間の一人だった。

 ナルシストで、カッコつけで、自信満々で――それでも、最高の『英雄』として。俺が昔憧れたヒーローそのままの奴が、俺の前の前に現れたんだ。

 ソイツは俺を『親友』と呼んでくれた。そんなものは今までも、そしてこれからも存在しないだろうと吐き捨てていた俺が。

 どれほど胸を熱くしたことか。どれほど嬉しかったことか。

 ただの一般市民が英雄になれたからではない。『英雄に頼りにされる』という事に、その期待に応えることが、どれほど難しく――誇り高く感じたか。


『恨んでくれて良い。騙されたと、不運な出会いだったと憎んでくれて構わない。……それでも私は、君と出会えて良かった』


 恨みたかった。憎みたかった。俺に全部を任せて、自分は宝石のまましやがって。

 だから俺は決めていたんだ。いつか直接文句を言うと。面と向かって、作り物みたいな顔に張り手でも喰らわせてやって。

 そうしてそれから、感謝も伝えたかった。俺が今までに感じた怒りも悲しみも喜びも全部、帰る時に伝えようと思っていたんだ。城島譲治として、ジョージ・ジャミロクワイに。


 一人だけ先に行くなんて許さない。こんなのアリかよ。まだ何も、伝えられてないのに。


『……さよならだ、譲治。短い間だったが、君は……私の……。もし……運命が許すなら、もう一度……。……あぁ……。……時間、か……』


 待てよ……! 目を閉じるな。いかないでくれ。俺は、俺はどうすれば良い。残された臣下は、国民達は。


『……譲治……。ありがとう……。幸せ、に……幸せに……どうか……幸せ……に……』


 ジョージの瞼がゆっくりと落ちる。

 そしてその身体はベッドに横たわり、それから朝まで――『俺』が目を覚まし起き上がるまで、動くことはなかった。

 

 録画データはそれで終わりだった。

 俺は部屋で呆然と立ち尽くしたまま、涙を流して良いのか、怒るべきかも分からないまま――ビデオカメラを、握りしめていた。


 ブローチに取り付けられた宝石は今や、路傍にある小石と同じような灰色に褪せていた。

 どれほど語りかけても。どれほどジョージの名を呼んでも。

 応えてくれる魂は、もうこの世からは消え失せてしまった。

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