25 たった一人の英雄

 ――襟首を掴んで持ち上げられた体を、殴り飛ばされたのだと。背中から土の地面に叩きつかれた感触と痛みで、それを理解した。


「ッ……ぁ……!」


 言葉すら出ない。肉体のどこが痛くてどこが無事なのか、それすらも分からない状態だった。


「……意味分かんねぇ事言いやがって。もうダメだなコイツ」


 ガヌロンの冷ややかな目線も。アンナの悲鳴も。トンネルを吹き抜ける風の音も。

 何も感じない。何も見えない。何も、聞こえな――。




『……怪我をしているのか、譲治』




 ――聞こえたは、ただの幻聴だった。



「……ジョージ……」


 ……ごめん。


『どうして謝る?』


 やっぱり俺にはできなかった。


『何を言う。傷付いた私に肩を貸し、見ず知らずの土地で私の代わりを演じてくれたじゃないか。土のドラゴンを倒した。城に2年も居座る外交官と話を付けた。民衆に勇気と誇りを取り戻させた。敵の悪意と戦った。今も戦い続けている。迷惑ばかりかけて、謝りたいのは私の方だ』


 そうじゃない。そうじゃないんだ……。


『……ならば、何を?』


 それは全部、アンタが居たからだ。いつも傍に、英雄が居てくれたから何とかできた。

 でも宝石がない今、ジョージ・ジャミロクワイの魂が消え去った今。居なくなった途端にこの有様だ。


『あぁ、確かに酷いな。ボロボロであちこち血を流して、骨も折られて……。流石の私も、私の肉体がこんなに負傷した状態を見るのは初めてだ』


 肉体だけじゃない。英雄の名誉も傷付けた。無敗の記録に泥を塗った。

 ガヌロンを倒せず、アンナを護れず。ボロ雑巾にされて仰向けになって。

 期待に応えられなかった。アンタは、選択を間違えたんだ。


『間違えてなどいない。私は今までに、一度だって誤った決断を下した事はない。何故なら私は英雄だからだ。世界最強にして最高、ジョージ・ジャミロクワ……』


 ……俺は! 俺は、英雄じゃない……!


『………………』


 子供の頃からずっとヒーローになりたかった。ジョージの肉体を借りている間、俺は高揚した……! 興奮した!

 だけど、それは俺の力じゃない……。魔力があっても技術があってもどれだけ強くてカッコイイ『英雄の器』を与えられても! ただの一般人である俺は、何も変わらなかった……。何もできなかった。


『……譲治……』


 最初から分かっていたんだ。これが俺の限界。ヒーローに憧れて、でも自分はなれないと悟ると、目立たず疎まれず『小市民』としての穏やかな生活を手に入れようと……。『ヒーローになりたかった』なんて幼稚な後悔を引きずらないよう、平穏な生活と安眠を求めたんだ。

 理想に敗れた人生の敗北者。言い訳を重ねて逃げ続けてきただけ。

 ちっぽけで、ダメな人間なんだ……。


『……譲治。城島譲治。聞いてくれ』


 ……今更、何を……。


『私がどれだけ、キミに救われたかを知っているか』


 俺は、誰も……アンタを救ってなんて……。


『正直な話……。私はずっと不安だった』


 え……?


『選択に後悔をした事はない。ただ怖かった。誰かの期待に応えるのは。誰かの信頼を裏切らないようにするのは。……その大変さは、キミも良く知っているだろう』


 ……知っているさ。嫌ってほど。

 そして今も、アンタからの期待に応えられずこうして倒れているのだから。死にたくなるほど辛い。苦しい。


『キミの世界に助けを求めた時。最初に出逢ったのがキミで良かった。本当にそう思う。……私の姿に怯えて逃げ、転倒した少女がいただろう』


 白石さん……。


『キミは、キミだけは彼女を助けようとした。結局その恩は仇で返されてしまったが……。それでもキミは、私を助けてくれた。誰にだってできる事じゃない』


 ……違う。俺は、ただ……。あの時……。


『キミは逃げる事も出来た。私の肉体に宿ってからも、我が魔力を悪用して乱暴狼藉を働く事ができた。全てを己の物にする事も。だけどキミはしなかった。いつだって怯え、困惑し、重圧に押し潰されそうになっていた。それでも勇気を振り絞り、どうにもならない事をどうにかしようと足掻いていた。……だった。悪人でも聖人でもない、恐ろしく普通な考えの少年だったんだ』


 だって、俺……。俺は……!


『あのトンネルで、キミが私に手を差し伸べてくれた時……。どれほど心強かった事か……! 強大な敵に震えて逃げ出したくなりながら、それでも立ち向かうキミを、どれほど誇り高く思ったか! 宝石の身になって何もできない私が、英雄の肉体を与えられて異郷の地で踏ん張るキミを見て、どれほど勇気付けられた事か!! キミは知らないんだ!』


 でも、結局ダメだったじゃないか。俺は英雄の代理人にはなれなかった……!

 感謝されて、誰かの期待に応える存在になりたかった。でも無理だから、誰にも期待せず期待されないように振舞って……。それでも……!


『……馬鹿な事言うなよ。譲治。城島譲治。助けを求める人間に、私に手を差し伸べてくれたキミが、って言うなよ』


 この世界にいる英雄はジョージ・ジャミロクワイなんだ。俺は英雄じゃない。ただの城島譲治。

 今にも死にそうで、視界が真っ暗になって。このまま意識を手放せば、ずっと欲しかった『安眠』が手に入るんじゃないかって、そんな事を思っているんだ。

 卑怯な人間。単なる非力な一般人。皆が期待する『ジョージ』じゃない。誰も本当の俺を知らない。俺に期待してくれる人間なんて、そもそも一人も――。


『なぁ譲治。違う世界の、同じ名前を持った親友よ。キミはやれる。信頼に応える事ができる。ガヌロンに勝てる。私と最初に出逢った時から、キミはそれができる人間だった』


 ……ジョージ・ジャミロクワイになれなかった俺が……?


『誰も誰かの代わりにはなれない。完璧に他者として存在する事なんてできないんだ。だがキミはキミだ。城島譲治じゃないか。いつだって、諦めない男だ』

 

 本当は諦めたくはないよ……。もう少しだけ、俺は期待に応えたい……!


『行こう。往こう。征こうぜ、譲治』


 英雄にはなれなかった俺でも、もう一回だけ立ち上がって良いのかな。立ち上がる事が、できるのかな。


『出来るさ。だってそうだろう? 最初にあのトンネルで出会った時。私を救ってくれたあの日――』




 を最後に、ジョージの声は聞こえなくなった。






『――あの日から、キミは私の英雄ヒーローなんだぜ』






 寝ているわけには、いかないと思った。


***


「……? 何だ……」


 拳を大地に叩き付ける。血をボタボタと流しながら、足に力を入れて立ち上がる。

 ガヌロンもアンナも、まさか俺が再び立つとは思っていなかっただろう。しかしガヌロンは嗜虐的な笑みを浮かべ、アンナは悲痛な色を浮かべた。


「そんなに殺されてぇかよ、ジョージィィィ!」


 ――聖剣の柄に、手をかける。


「ッ!」


 咄嗟にガヌロンは腕を交差させて防御した。あらゆる物質を切断する聖剣アスカロン。当然の対処だろう。

 しかし――。


「がっ、は……ッ!?」


 俺は聖剣の柄を、柄頭を、抜刀しないままガヌロンの鳩尾に押し付けた。

 予想外の『突き』に、魔眼が揺れる。まさか鈍器として使用してくるとは思っていなかったのだろう。だが俺は生憎、英雄じゃないんだ。刀剣としては扱えない。


「テメッ……!」


 カウンターの回し蹴りが迫る。

 瞬時に体勢を低くし、蹴りの打点の真下をかいくぐり、ガヌロンの軸足を蹴り付けて転ばせた。


「っ……! 『マグネット』ォ!」


 追撃に聖剣の鞘で殴打しようとしたが、ガヌロンは己の『磁力』を操る魔力で素早く後退した。手足の装備に魔導陣を仕込んであるのだ。発動までの時間も短い。


「……ハッ! ようやくやる気になって来たかよ! だが、テメエの魔導は既に……! 俺には通用しねぇんだよッ!」


 磁力を用いて壁や天井を走り、常人では有り得ない角度から拳を振り下ろしてくるガヌロン。

 それを――最小限の動きでかわし、反撃に顔面へ鞘を叩き込む。まるで野球バットのように。フルスイングで。


「ぐ……ッ!」


 再び天井に貼り付いて退避する。だがもうその表情には、さっきまでの執着心や獰猛さを宿してはいなかった。微かな怯えと動揺が浮かんでいる。

 そんな彼へ――俺は微笑んでみせる。


「どうしたのかね隻眼のガヌロン。逃げてばかりでは――私には勝てないぞ?」

「ッ……!」


 笑え。自信たっぷりに。語れ。詩人のように。

 敵には畏怖を、味方には安心を。

 俺は英雄にはなれなかった。ジョージの代理も満足に演じられなかった。


 だからここからは、俺の戦いだ。この世界でたった一人だけ、俺を『英雄ヒーロー』と呼んでくれたアイツの……ジョージの信頼に、応えるために……!


「……泣き喚いていた奴が、何を偉そうに!」


 飛び掛かってくるガヌロンに、反撃しようと構える。

 しかし奴は俺の頭上を飛び越え――縄で拘束しているアンナを担ぎ上げた。


「コイツはテメエを呼び寄せるためだけの餌じゃねぇんだよ……!」

「ジョージ様! 私の事は構わず……!」

「構うさ。キミは、大切な人だ」


 ――アンナの身体を、手元に引き寄せる。


 一体何が起きたのか理解できず、ガヌロンも、アンナ自身も目を丸くしていた。……どうやら上手くいったようだ。


「なっ、何……!?」

「ジョージ様……!」

「大丈夫。……守りたかった人を、国を、託されたものを、俺は見捨てない……!」


 ジョージの愛した国。愛した人々。俺もたくさんたくさん、世話になった。

 守るんだ。助けなくちゃいけない。


「どういう事だ……!? 何をしやがった!」

「分からないなら……『解析』してみると良い」

「!?」


 俺は空中に『魔導陣』を描く。ジョージの魔力を用いて、ジョージの知識を借りて。


「馬鹿が! 奥の手か何だか知らねえが、俺に見られた時点、で……!?」


 完成した魔導陣。それを見つめるガヌロン。いつもならここで、全てを見破られて無力化されるはずだった。

 だがガヌロンはそうしなかった。のだ。


「分からない……!? 読めない……!? な、何だその魔導陣はァァァ!!」


 少し考えればすぐに気付く事だった。いつでも出来る事だったのだ。

 魔導師は魔法使いじゃない。我らはマナを導きマナに導かれし者。世界に存在する物質や法則を、それらの力を借りてほんの少し変容させるだけ。


「お前に分かるかよ……。分かるわけねぇだろ……! ジョージが命を懸けて、世界を越えてでも人々を護ろうとした心を! その先で出会った、俺の事なんて!」


 限りなく似た世界。空気があり、水があり、人がいて、太陽が昇り沈む異世界。

 ならば『有る』。当然存在する。いつだってそこにあり続けた。

 そして俺が、ここにいる――!


「よく見ておけ……! これが、俺達の、俺の……!」


 魔導陣の生み出す魔力によって、ガヌロンの身体が引っ張られる。

 奴は磁力の魔導で抵抗し、逃げようとしている。必死に魔眼で解析しようとする。

 だが無駄だ。理解できるわけない。この魔導陣を――そこに描かれた、『アルファベット』の構成式は……!


「何だ、何なんだよ、テメエはぁぁぁあ!?」


 人は生まれた時から『紋』を持つ。

 ジョージは『風』、ガヌロンは『磁力』、そして――!


「――これが俺の! 俺だけの! 城島譲治の、魔導魔術だァァァァああああああああああッッッ!!!」


 人と人との出会いも。俺がジョージと巡り合ったのも。きっと不思議な引力だったのだろう。

 アイツと言葉を交わし、真剣に考え、そして離れ離れになったとしても。

 ジョージが遺してくれた全ては、まだこの世界に存在している……! ここに、この星に!!


 ――ガヌロンの両足は浮かび上がり、意思とは関係なく、吸い込まれるように俺の拳へ向かってくる。

 これが俺の魔導。城島譲治の、魂の紋様。




「――『万有引力』ッッ!!!」




 引き寄せた隻眼のガヌロンの頭部を、全力で殴り付けて。ワンパンチで意識を奪い去る、会心の一撃で。

 暗く長い土のトンネルの、その端まで。ジョージの肉体と俺の魂で、殴り飛ばしてやった。


 ゴロゴロと転がっていったガヌロンは、完全に撃破されて。もう起き上がる事もなく、その場に沈んだ。


「……勝ったぞ、ジョージ……!」


 俺もそろそろ限界だ。いや、とっくに限界なんて超えていた。

 血を流しながら膝から崩れ落ち、力なく倒れ込む。

 その直前――。


「……ジョージ様……っ!」

「あぁ……。苦労ばかりかけるな、アンナ……」


 倒れそうになる俺の身体を受け止め、アンナが強く抱きしめてくれた。その温もりに満足する。守れて良かったと。

 そして、ふと湧き上がった考えに、俺は意識を手放しつつ微かに笑った。


「……はは」


 美少女に抱き着かれても動揺しなかったぜ。俺もちょっとは成長しただろう、相棒ジョージ

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