3 国境の長いトンネルを抜けると異世界であった
「――は?」
何が起きているのか、理解が及ばなかった。
血まみれのお兄さんと共に俺はトンネルを出たはずだ。その先に待っているのは、少ない街灯が照らす闇夜のはずだった。県境の、山道へと続く道路だけだと。
だが違う。
俺の眼前には今、日本では北海道くらいにしか存在しなさそうな、広大な平原が広がっていた。
ビルも道路もない。地平線まで見通す限り、緑一色しかない。
いや、実際は緑だけではなかった。ぽかんと口を開け、正面ばかり見ていた俺の視界に入っていなかっただけで。
左斜め前方には、何やら大きな建物がある。周囲に比較対象が無いため遠近感が狂うが、かなり巨大な建築物だ。
石造りの、これまた西洋ファンタジーに出てきそうな城。
王様がいそうというより、戦争の舞台になりそうな城砦に近い。実際城砦の外壁は弓兵を展開できる構造になっており、柵や投石器も微かに見える。
だが分からないのは、そんな城砦は現代日本には存在しないという事実だ。
「……どこ?」
振り向く。トンネルはない。広大な森が広がっている。
そもそも夜じゃない。太陽が頭上で輝いている。
おかしい。何だこれ。どうなっている。
それより、あの銀髪のコスプレお兄さんは――。
『――驚かせてしまったようだな』
「うわぁ!」
突然聞こえてきた声に、俺は飛び跳ねるようにして驚く。しかし周囲を見回しても、声の主はいない。
聞き間違ってはいないはずだ。この声は、先程よりもかなり生気を取り戻した声色だが、間違いない。
あの騎士風の格好をした青年の声だ。
『しかし驚いているのは私も同じだ。かなり分の悪い賭けではあったが、どうやら上手くいったらしい。私は賭けに勝ったのだ。いやはや、本当にキミには感謝してもしきれな……』
「ど、どこにいるんだよっ!?」
声はすれども姿は見えず。その状況が、これほど薄気味悪く不安を掻き立てるものだとは知らなかった。
『落ち着きたまえ。ココだよ、ココ』
「ここ……?」
『そうそう。まずは深呼吸して、お空の空気を大きく吸ってー、地面に向かって長く吐いてー。ハイそこ! 下を見たまま! 私はココさ』
言われるがままに下を向くと。
……まさかとは、思うが……。
「……このブローチから、声がしているのか……?」
『少し違うなジョージマ・ジョージ君。このブローチが私であり、そしてこの私ことジョージ・ジャミロクワイがブローチなのだ。まぁ、仮の住まいでしかないがね』
「……ワケ分っかんねぇ……」
思考を放棄しそうだ。理解しようとするのに、一食や二食分だけのカロリーじゃ足りない。
何が起きている。どうなっている。
混乱し過ぎて、俺はまた『重要な事態』に気付くのが遅れた。
『ならば分かるまで何でも聞くと良い。私に答えられることは何でも答えよう。複雑に絡まったように見える干し草の山も、解きほぐしてしまえばただの短い草の集まりだ』
「……じゃあ、まず……。ココはどこなんだ……?」
足の捻挫を治して貰った恩はあるが、それでも不機嫌そうな声が出てしまう。仕方ないだろう。助けようとした人間が小さな宝石になっていて、知らない場所で語りかけてきているのだから。
余裕なんて最初からなく、頭を抱えることしかできない。
『ふむ。ここはセント・ラリア教皇国の土地だな。その中でも更に、我がジャミロクワイ騎士国の治める領地だ。つまり私の国さ』
答えが来るごとに疑問が増えそうだ。だがまずは、些末事は抜かして重要項目だけを確認していきたい。
「日本、というより地球ではないのか……?」
『そうなるな。ここは違う世界だ。キミのいた世界と私のいた世界を私は強引に繋ぎ、キミに助けを求めた。成功するかは不明確だったが、両者の世界は限りなく近しいものだった。よって無事に私は私の世界に戻ることができたのだ』
「アンタ、何者だよ……!?」
『言っただろう? 私はジョージ・ジャミロクワイ。教皇様を守る世界最高の英雄。平和と秩序の番人。ジャミロクワイ騎士団元団長にして、現在は騎士国の王でもある』
「……その英雄サマが、どうして俺に……。てか何であんなボロボロで……」
『………………』
少しばかりの沈黙があった。
それは嘘を付くための準備というより、言葉の取捨選択をしているかのような時間だった。
『……英雄にしては、こっぴどくやられてしまってね。肉体が魂から離れる死の体験のギリギリまで追い詰められた。しかし私は咄嗟に自分の魂をこの宝石に入れ替える事にした』
「それでその状態なのか……」
『その通り。で、魂が抜けてカラッポになった肉体の方を、キミに任せたいという話だ』
「え?」
『うん?』
その時俺は、ようやく気付いた。むしろ遅すぎるくらいだった。
身動きする度にガシャガシャと音は鳴っていたはずなのに。
風が吹く度に、俺の背中のマントはたなびいていたはずなのに。
自分が白を基調とした衣装を身にまとっているのを、この目で見たはずなのに。
認識していなかった。認識するのを無意識に避けていたのかもしれない。だが、事実だった。
急いでブローチを胸元から外す。エメラルドを眼前に持ってきて、太陽光をうまく反射するように角度調整する。そしてその傷一つない宝石に、確かに映し出された。
――銀髪の頭をしたイケメンが。俺の足を治してくれたお兄さんが、顔色を悪くして『俺』を見つめ返している。
「な、な、な……!」
『うむ! 良い顔だ。流石は私の肉体。毎日鏡で見ていたが、こうして見ても曇らぬ男前っぷりだ』
いや曇ってるんですけど。アンタの肉体を与えられた城島譲治君は、今こうして顔が引き攣っているんですけど!?
「何でも、アリかよ……」
『何でもアリではないさ。私は、私達は魔法使いじゃないのだから。ただの魔導士だ。既にある世界を繋ぐことはできても、世界の創造は出来ず。魂を移し変えることはできても、死者を甦らせたり生命をゼロから生み出すことはできない』
「どっちにしろ、とんでもねぇよ……」
異世界の英雄ジョージ・ジャミロクワイさんが命の危機にあって俺の世界に来て? 偶然出逢った俺の意識を自分の肉体に宿して? 自分は宝石になっちゃって?
なんだよソレ。俺の意思や、俺の身体はどうなってるんだよ。
確かにあの時。あのトンネルで。俺はこの人を助けたいと思った。だが、ここまでとは言ってない。
『なぁに、大丈夫だ譲治。一生そのままでいろ、という事ではない。心配しなくて良い。あくまで私の魔力が回復し、自力で元の肉体に戻れるようになるまでの短い間だけだ。キミ自身もキミの肉体も、必ず万全の状態で送り返す。英雄の名に誓ってだ。信用してくれ』
胡散臭い。そんな事、現実的に可能なのか。
しかし目の前で治療魔術とやらを施され、ここまで突拍子もない出来事が連続して降りかかってくると、現実として受け入れる以外に手段はなかった。
それに何故か……宝石から聞こえてくるこの声を聞くと、不思議と焦りや不安は小さくなっていく。
「大丈夫だ」、「心配しなくて良い」。そんな言葉が、荒れる俺の心を落ち着かせる。
右も左も分からない状態だが、唯一の知り合いが。この世界を知る存在が。ジョージ・ジャミロクワイが胸元に存在するというその事実が、俺の理性が崩壊するのを防いでくれているように感じた。
『さて、それではそろそろ……。私の疑問を解消する時間にさせてくれるか』
唐突に。
傷付きながらも絞り出す声。宝石になっても明るく、俺を落ち着かせてくれる声。そのどちらでもなかった。
『キミの世界から回帰する時、私の国に出現できたのは幸運だった。だが『おかしな』点がある。それを確かめさせてくれ』
拒否権はないのだろう。泣こうが喚こうが逃げ出そうが、この世界で俺が頼りとするのはこの
波風を立てず、なるべく迅速かつスマートにこの
そう思うと少し楽になれた。大丈夫、今度も上手くやってやるさ。
『――何故、我が領土内で我がジャミロクワイの軍勢が展開している?』
周囲を見渡す。すると先程の城砦から離れた場所に、旗を掲げた集団がいるのを見つけた。
白い鎧や服を着ていることくらいしか遠目には見えないが、あれが『ジョージの軍勢』ということなのだろうか。
『そして何故、我が騎士国の要塞――アリデッドに、同盟国サウズ帝国の旗が掲げられている?』
城砦の方に視線を移す。城砦の天辺には、いや外壁の上にも、赤い旗がいくつも昇っていた。
それを確認した時。城砦の桟橋が落ちる。そしてそこからは、馬に乗った赤い鎧の兵士達が、白いジョージの軍勢に向かって走り出していた。
しかも続々と続々と、途絶えることなく赤き騎兵は現れる。白い軍勢の方は500人程度か。それを遥かに上回る数の馬が、大地を揺らしている。
『……いかん……! 行くぞ譲治!』
「えっ!?」
『モタモタしないでくれ! このままでは――! 私の国が滅ぶかもしれん!』
確かにあの時。あのトンネルで。俺はこの人を助けたいと思った。他にも怪我人がいるなら助けなきゃと。
だがこの人の国――国民全員救うとまでは言ってない。
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