2 二人のジョージ
車も通らない真っ暗なトンネルで。
闇を照らすのはアスファルトの道路に転がるライトと、俺が右手に持つビデオカメラが、録画中を知らせつつ点滅する赤いランプと。
そして重傷の青年の右手が放つ、淡い水色の光だけだった。
青年は膝を付き、俺の右足に手をかざしている。そこから生み出されるのは、不思議で温かな光。
だが何よりも奇妙だったのは、青年の手と俺の足首の間に浮かぶ、複雑な紋様の『円陣』だった。
その魔法陣のようなものは空中でクルクルとゆっくり回転し、その度に、右足首の激痛はみるみる引いていく。
「……
聞きたいことは山ほどあった。
だが最初に俺の口を付いて出たのは、そんな間抜けた質問だった。
しかし俺を馬鹿にすることもなく。苦笑いに似た表情で青年は口元を緩めた。
「……
最後の言葉以外は、何か教科書の一文を
だが俺には意味がよく分からなかったので、治療して貰っている間、なんとなしにビデオカメラを正面の青年に向けた。
今はもう画面にハッキリと映し出されている。
血まみれではあるが、銀髪の髪と金色の瞳は輝きを失っていなかった。外国人だろうか。俺より一歳か二歳ほど年上に見える。
そして何よりも目立つのはその服装。白を基調とした壮麗なる出で立ち。
鎧の上にマントを羽織り、まるで西洋の騎士やファンタジーRPGに出てくる勇者のようだ。今は鎧も剣も、彼自身の血で汚れてしまっているが。
しかし冷静になってこの青年を理解すればするほど、疑問は生まれ続け、理解からは遠ざかる。
夜のトンネルで、日本語に堪能な大怪我した外国人のコスプレイヤーに、足首を治して貰っている。
なんだこの状況。
「……よし。これでもう大丈夫。軽い捻挫で良かった。骨が折れていたら、治療魔術を何時間もかけなければならなかった」
騎士風のお兄さんは、血みどろの顔に爽やかな笑みを浮かべる。
まだどちらかと言うと怖さの方が勝るが、それでも、俺の怪我を何か不思議な方法で治してくれた事には変わりない。
「あ、ありがと……ございます。えっと、と、とにかく救急車呼ぼう。あと警察も……」
痛みの消えた足で俺は立ち上がって礼を言い、トンネルの入り口に踵を返す。
俺を置いて逃げやがったアイツらを憎憎しく思うが、あの状況なら誰でもそうするだろう。もしかすると入り口の先で待っているかもしれない。とにかく人手が必要だ。
そうして俺は元来た道を戻ろうとしたが、足が動かなかった。また金縛りか。違う。
膝を付いたままの青年が俺の足首を掴み、その手に力を入れていた。
「……えっと……」
まだ何かあるのか。
肩で息をする青年はとても辛そうで、早く治療しないとマズイ事態になるのは、素人の俺が見ても分かった。
「……そっち、じゃ、ない……」
絞り出した声は、消え入りそうで。
しかし頑強なる精神から漏れ出す、とてつもないエネルギーに満ちているようにも聞こえた。
「……仲間、が……。私の国が、国民達が……! 待っているんだ……。私を、『英雄』を……! ……頼む……どうか……!」
「ちょ、ちょっとちょっと」
俺の足首を掴んだまま。青年はアスファルトの道路に額をこすり付けて、何か懇願している。
そのあまりの必死さに驚き、俺は何が何やら分からなかった。
「あ、あっちの方にまだ誰かいるのか? 他にも怪我人が?」
俺の質問には答えない。
「頼む」「キミしかいない」とだけ繰り返すばかりで、どうにも要領を得ない。
「わ、分かったよ。とにかく移動しよう。立てますか?」
事故か何かで、唯一動けるこの人が助けを求めに来たのかもしれない。だとすれば、この人だけ連れてトンネルを出るわけにもいかないだろう。
救えたはずの命を取りこぼしたとあっては、夢見も悪い。
足を治してくれた礼もあるしと、俺は青年に左手を差し出す。
その手を見た銀髪のお兄さんはもう一度深く深く頭を下げ、俺の手を取った。
「……! ありが、とう……!」
……本当に、どうしてこんな事になったのか。
俺は青年に肩を貸してやって、覚束ない足取りを横で支えてやる。
右手に持ったビデオカメラは、まだ録画中だ。電源を切る余裕もタイミングも無かった。
一生に一度あるか無いかの出来事を、俺は不謹慎かもと思いつつ撮影していた。幽霊ではないが、幽霊以上に驚くべき被写体を。
騎士の格好をした血まみれの青年は俺と同じくらいの背格好で、間近でカメラを向けてみると、画面に映る彼の横顔はどこか俺に似た面持ちをしているように見えた。
……いややっぱり違うかも。俺はこんなにイケメンじゃない。この人に失礼だ。
おそらく青年のものと思われる血痕を頼りに、この人が来た道を辿ってトンネルの先へ進む。
トンネルを抜けさえすれば、電話も通じるようになる。この人以外にも怪我人がいる事を確認したら、手遅れになる前に救急車を呼ぼう。
「……肝試しなんて、やっぱ来なきゃ良かった……!」
甲冑も含めて青年の身体は重く、鍛えていない俺は早くも息が上がりそうになる。
間違いなく今日は厄日だ。
平穏で平和な日常を送るはずが、こんなにも精神が揺れ動くトラブルに遭遇するなんて。
今度アイツらに遊びに誘われても、白谷さんにどれだけ甘い顔されても、もう二度と関わらないことを決意した。
「……キミ。名前、は……」
そんな風に考え事をしながら歩いていると、俺に体重を預けるお兄さんは不意に問う。
ボロボロで今にも死にそうなのに、どうしてかずっと、その目の輝きが消えることは一度もなかった。ただ真っ直ぐに、トンネルの先を見据えていた。
「……城島譲治、です……」
それを聞いた瞬間、ふっと青年は噴き出した。
別に可笑しな名前をしているつもりは無かったのだが。今まで名前でからかわれたこともない。
だがそういう事ではなく、青年は『奇妙な偶然』につい笑いこぼしてしまっただけだった。
運命にも似た、その一致に。
「……良い名前だ……。実は私も『ジョージ』なんだ。『ジョージ・ジャミロクワイ』。セント・ラリア教皇国を守る、英雄の名だ……」
やはり外国人のようだ。後半の言葉の意味はやはりよく分からなかったが、どうやら俺と同じ『ジョージ』と発音するらしい。おかしな偶然もあるもんだ。
――そのせいで俺は、気付かなかった。
偶然の一致にばかり気を取られ、あるいはこの状況に未だ動揺している部分もあったからだろう。
夜だというのに光り輝く、トンネルの出口を不自然に思わなかった。
俺ともう一人の『ジョージ』はその光に吸い込まれるように、一歩一歩、トンネルを進んで行った。
そして俺達の身体が眩い光に包まれた時。俺の肩に掴まるジョージは小さく「ありがとう、私の……」と呟いた。
その言葉を確かめるよりも先に、俺は眩しさに目を閉じた。
そうして光が消えた時。
俺達もまた姿を消し。幽霊トンネルには普段と変わらぬ、闇夜の静寂が戻っていた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます