4 英雄は「オッフゥ」とか言わない

「……もはや、これまでです……! アンナ様……っ!」


 諦めと絶望に彩られたその声に。金色の長い髪を乱して、少女は振り向く。


 アリデッド要塞の周囲に自生する草花と似た、この世界では聖なる色と認定されている若葉色の甲冑。

 白い軍勢の中にあって唯一そのグリーンの鎧を身に付けた『アンナ・アシェル』は、色合いだけでなく彼女自身の美貌でも周囲とはかけ離れていた。

 太陽光を反射して輝くブロンドの長い髪に、目鼻立ちの整った顔。しかし透き通るような白い肌は、今は土と灰に汚れている。


 そして何より。兵士達が吐露した『弱音』に、あどけなさを残した彼女の顔は困惑に歪む。


「何を……! あなた方はジョージ・ジャミロクワイ様の軍勢でしょう!? 誇り高き『“セント”ジョージ』の騎士! 諦めてはいけません……!」


 確かに城砦は敵の手に落ちた。

 生き残りをかき集め、何とか裏門を脱出しこの場所まで来た。

 しかしこれで終わりではない。敗北を認めるわけにはいかない。

 アンナはまだ、どうにかして城砦を取り戻す方法を考え続けていた。

 だが――。


「諦める諦めないの問題ではありません……! 1万に達するサウズ帝国軍の攻撃を受けて、むしろよく皆殺しにならなかったものです……! 逃げましょう、アンナ様……!」


 その時初めて。緑銅の武具を纏うアンナは、兵士達一人一人の顔を認識した。

 額から血を流す者。絶望の暗闇をその瞳に宿す者。友の遺品を抱えて泣く者。 

 勇猛さと精練さで知られた『ジャミロクワイ騎士団』。その戦列に名を連ねる者達が今、折れかけている・・・・・・・

 その事実がいかに重大で、いかに危機的状況か。それが理解できないほど、アンナは愚かではなかった。


「……逃げて、どこへ行くのですか」


 それでも。それでも尚。

 アンナはもう一度、帝国の旗が掲げられた砦に目を向ける。


「最後の砦は落ちました。多くの兵が死にました。逃げた先で、『それ』をまた繰り返すのですか。ジョージ様の城が燃えても逃げるのですか。ジョージ様の民が殺され辱められても、まだ逃げるのですか。ジョージ様の国が、あなた達の国が崩壊しても! あなた達はどこまでも逃げると言うのですか!」


 それは違うと。そんなつもりはないと、誰もが思っていても反論できなかった。

 逃げたいわけじゃない。砦を奪い返したい。民を、国を守りたい。それができないなら国と共に騎士として散る。それもできない。

 『分からない』のだ。どうすれば良いのか。自分達に道を示し、導き。その背中を追い続けてきた『英雄』は。

 ジョージ・ジャミロクワイは今、ここにいないのだから。


「……咎めはしません。逃げたい者は逃げて下さい。私はここで敵を食い止めます。一人でも多く、一秒でも長く……! ジャミロクワイ騎士国が滅べば、帝国の毒牙は我が故郷セント・ラリアにも届く……! そうはさせません! 私は、私のこの身は! 大切なものを守る護国の盾です!!」


 彼女の身の丈ほどもある盾を、アンナは装備する。緑色の長方形に刻まれた白い十字架。それはまるで、棺桶の蓋を抱えているかのようだった。


 だが突っ走って行こうとするそんな彼女を、白い甲冑の兵士達は必死に制止する。無茶や無謀な行為どころではない。ただの自殺行為だ。


「いけません、アンナ様!」

「おやめください!」

「貴女の身に何かあったら、我々は教皇様に……! ジョージ様にも合わせる顔がありません!」

「放してください! 私は戦います! いつだってそうでした……! 彼は、ジョージ様は! どんな困難も逆境も、颯爽と現れて! 奇跡のような手腕で突破してきたじゃないですか!」


 アンナのその言葉で。兵士達の動きは鈍り、拘束する力は緩む。

 だがまたすぐに強く彼女を抑え、これ以上の犠牲を出さないよう努める。


「ジョージ様は、もうお戻りになりません……!」

「そんなはずは……! 彼は……!」

「これほどの危機に瀕しても! 亡国の寸前の今、この瞬間まで! 彼は現れない! ジョージ様が『失踪されて2年』……! もう皆気付いています! だからこそ帝国も攻めてきた……!」

「……!」


 アンナの身体から、力が抜け落ちる。

 分かってはいた。だが目を逸らし続けていた。認めたくなかった。

 もう、彼がいないという事実を。これほどの事態にあって姿を見せない英雄に、多くの者が見切りを付けている事を。


 アンナのサファイア色の瞳から、透明な色が流れ落ちる。

 彼が姿を消した後も。英雄不在のまま開戦した時も。砦が落ちる、今この瞬間まで。

 泣くまいとしてきた決意が今、アンナの中で音を立てて崩れ去った。


 現実を直視してしまい、もう、一歩も進むことはできなかった。

 そこには戦士としての凛々しさも、聖女としての気高さもなく。路地裏で親とはぐれた子供のように泣く、一人の少女の泣き顔だけがあった。


「ジョージ様……! ……どうか、皆をっ……!」






「……あの~……」


 赤色の騎馬隊が迫り、兵士達の心は折れ、聖女が悲しみの涙を落とした時。

 実に控えめな、日本人的な割り込み方で。銀髪の青年はひょっこりと、悲劇の舞台に登壇した。


「……お取り込み中、すいっまっせーん……。ジョージ・ジャミロクワイとお知り合いの方とか、いらっしゃいますぅ……?」


 英雄の肉体に宿る城島譲治は、兵士達全員が自分に向ける視線に、あと一秒だって耐えられる自信がなかった。


***


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「ああああああああああああああ!!!!」

「ヴぇあえええええええええええ!!!!」

「ジョージざばぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


「おわあああああああああああああああ!!?」


 『もみくちゃ』という状況を、俺こと城島譲治は生まれて初めて味わった。満員電車や遊園地なんて比較にならない。


 何十何百人もの人間が、俺一人という存在を目指して取り囲む。手を伸ばす。歓喜とも狂喜とも区別できない声を上げる。

 この世界に来てから、本当に平穏とは程遠い事ばかり起きる。早い所この人達全員をどうにかして助け、早く元の世界に帰りたい……。


「落ち着いてください、皆さんッ!!!」


 むさ苦しい男達の抱擁やら握手やら頬ずりに『されるがまま』になっていると、一人の女の子の声が響いた。

 未だ興奮冷めやらぬといった様子ではあったが、それでも兵士達は即座に一歩下がり、その少女が通る道を作る。


 そこから近付いてきた少女に、俺は言葉を失った。


 見た目だけで言えば白谷さんを凌駕する。いやもう、白谷さんなんて彼女と競う土俵にすら上がれていない。

 戦いがあったからか多少汚れてはいるものの、むしろそれがかえって金の髪やスカイブルーな瞳の輝きを際立たせ、厳重に守られた鎧から僅かに見える白い肌が、より禁忌の果実の美味を証明しているようだった。


『おお、アンナ・アシェル! 何だか久しく感じるな。3日ぶりの再会だというのに、随分と髪も伸びたものだ!』


 俺が彼女――アンナの見た目に呆けていると、不意に宝石のジョージが声を発する。

 だがアンナはジョージの言葉に反応しない。英雄の声が聞こえているのは、どうやら俺だけのようだ。


 しかしこれはマズイ。そうなると、どう説明したものか。

 宝石がジョージであることも、ジョージの肉体に俺が宿っていることも。この場にいる全員にそれを理解させ納得させるには、どうしたら良い。

 下手をすると、俺が英雄の名を語る偽者と認定され、想像もしたくないような結末が待っているかもしれない。あの歓喜と興奮が、そのまま失望と怒りに変わりでもしたら――。


「ジョージ様!」


 ――そんな考え事をしていて油断しきった俺の右手を、アンナは両手で強く握りしめた。


「おっふゥ」


「「「「「え?」」」」」


 しまった。


『……譲治、キミ……』


 兵士達の目に、瞬時に疑念の色が浮かぶ。

 ジョージの呆れたような声が脳内に届く。

 目の前で俺の手を握るアンナは、きょとんとした顔をしている。


「……『オッフゥ』? オッフゥとは、何でしょうかジョージ様?」


 まずいまずいマズイ。怪しまれた。


『……なんだキミは譲治ッ! 奥手か? 奥手なのか!? 女子に手を握られたくらいで、なんて声を出しているんだ! 英雄はそんな事言わないから! 私は、このジョージ・ジャミロクワイは! アンナと触れたくらいでそんな声出さない!』


 わわわ、分かってるよ! でも仕方ないだろ! 白谷さんに近寄られただけで緊張するくらいなんだから!

 それをこんな、白谷さんすら霞むくらいの美少女にイキナリ熱く固く手を握られたら……!


『立て直すぞ』


 分かってる。


「あの、ジョージ様……」


 俺は即座に手を離し、真剣な面持ちを浮かべる。

 その張り詰めた空気を悟ったのか、アンナも兵士達も口を挟まない。

 そして俺はわざとらしく盛大に、喉の調子を確かめるように一つ咳払いする。


「『おっほんフゥ』。……久しいな諸君。だが再会を喜ぶの後にしよう。まずは状況確認だ。複雑に絡まったように見える干し草を、一本一本解きほぐしていこう」


 精一杯の良い声とキメ顔を披露して。俺は俺の思う『英雄ジョージ』を演じる。


 ここが異世界で本当に良かった。

 もし周りに現実の俺を知るクラスメイトなんかがいたら、明日から間違いなく登校拒否していたところだ。

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