第10話

 そんな俺の困惑をよそに、ヘリの回転翼を上回る大音響が、俺の鼓膜を震わせた。


「ぐっ!」


 慌てて両耳を押さえる俺。それでもその『音』は、容赦なく耳に捻じ込まれてくる。これって、まさか――。

 金属のこすれ合う凶暴な音。それに混じって、チャリチャリと細かい金属片が雨のように降ってくる。間違いない、機銃弾だ。俺の頭上で、ヘリが怪物に射撃を加えている。


 俺は顔を上げ、二十メートルほど離れた場所にいる怪物、もとい宿り主の方を見た。宿り主は腕を掲げ、なんとか自身の身体を守ろうとしている。

 しかしそんな努力も虚しく、宿り主の身体は徐々に削り取られていく。それはそれは凄い勢いで、あっという間に宿り主は傷だらけになってしまった。ライオンが短く吠えた時のような雄叫びを上げ、両足をふらつかせる。やがて前方、こちら側に倒れ込んだ――かと思いきや。


 倒れ込む寸前、宿り主は脚部の膝と思しき部分を地に着き、素早く何かに手を伸ばした。そして再び立ち上がる。手に握られていたのは、スチール製のゴミ箱だった。

 恐らく弾切れを起こしたのだろう、ヘリからの銃撃音が途絶える。すると、宿り主は実に素早い所作で腕を振りかぶった。まるで、先ほどまでののっそりした挙動が嘘のようだ。

 ゴミ箱を投擲して、ヘリを撃墜するつもりか!


 ドスン、と地を揺らして一歩踏み出す宿り主。一斉に割れる、校舎の窓ガラス。そしてゴミ箱が振り投げられる、その直前のことだった。


(待って!!)


 ん? 誰の声だ? 


(人間を殺すのは止めて!!)


 それは不思議な声だった。先ほどの機銃の射撃音と同じく、明瞭に理解できる。しかし、『聞こえている』わけではない。強いて言えば、脳に直接語りかけてくるような。

 だが、俺は本能的に察していた。この言葉は俺ではなく、宿り主に向かって語られているのだ。

 ふっと、両腕を広げて俺を火の玉から守ろうとした葉子の姿が脳裏をよぎる。

 葉子、お前の声なのか、これは?


 しかし、時すでに遅し、だった。ゴウッ、と空を切る凄まじい音と共に、ゴミ箱は宿り主の腕から真っ直ぐに投げつけられた。

 直後、金属片が捻じ曲がる不気味な音がした。それに混じって、僅かな爆発音も。そして、規則的だったヘリの飛行音が乱れる。

 百八十度転がり、仰向けになって空を見上げると、ヘリが落ちていくところだった。ゆるゆると高度を下げ、校舎の陰へと入って見えなくなり、そしてぐしゃり、と何かが潰れるような音を立てて、ヘリは墜落した。


「……な……」


 それこそアクション映画のような展開に、俺は呆然と、あたりを見回す他なかった。

 俺の意識を引き戻したのは、再び振動した中庭だった。はっとして視線を戻すと、宿り主がこちら側に倒れ込むところだった。

 ズズン、という重低音と砂塵を撒き散らしながら、膝、腕、本体の順に倒れ込んでいく。


「ぐっ……」


 俺は腕を目に当てて、立ち上る土煙から顔を守った。

 ゆっくり顔を上げると、


「どわっ!?」


 前方のメイド服の元に、葉子が立っていた。案の定、何も身に着けてはいない。

 俺は慌てて目を逸らす。と同時に、状況の確認を試みた。


「葉子、怪我はないか!?」

「うん」

「い、今のは何だ!? お前、あの怪物――宿り主を止めようとしていたのか?」

「うん」

「で、でも、宿り主は……」

「……」


 俯く気配が伝わってくる。


「死んじまったのか?」

「厳密には違う。彼らは霊魂だから。八百万の神っていう言葉、知ってる?」

「あ、ああ」


 俺は昔、婆ちゃんに教わったことを思い返していた。日本では、人間や動物だけではなく、虫や植物、非生物であるはずの石ころにさえ霊魂が宿っているという考え方がある。

 それら霊魂を神と見做し、無数に存在する神々の宿ったものを『八百万』と表現した、という話だ。


「この堅山が二年前から大規模な開発されて、ここの神々は怒っている。私の目的は、人間と自然の仲を取り持って、対立や被害を最小限に抑えること。でも……」


 被害は出てしまった。宿り主が殺されてしまった。ヘリの乗員たちも。


「なんとか止められないのか?」

「分からない」


 即答する葉子。いや待てよ。そもそも――。


「葉子、君は一体何者なんだ?」

「待って。だったら私を見て」

「は、はあ!?」


 見て、っておい。同級生の裸体なんて、何度も見ていたらトラウマになっちまうぞ。


「私のことを知ってもらえないとなると、話を進めることはできない」

「だ、だけどなあ……」


 まさにその時だった。中庭と校舎を繋ぐ扉が、勢いよく蹴り開けられたのは。


「動くな!」


 突入してきたのは、奇妙な形の自動小銃を構えた人間。声と体形から若い女性だろうと見当をつける。しかし、黒い防弾ベストにバイザー付きのヘルメット越しにでは、強い警戒心しか伝わってこない。

 俺の狼狽の具合は酷いものだったが、戦闘少女も葉子の姿には釘づけだった。


 ひどくどもりながら、戦闘少女は葉子に銃口を向ける。俺は戦闘少女の視線から逃れ、ポケットティッシュを取り出して鼻に詰めた。葉子は戦闘少女を前に、『正体』を現す気はないらしく、首を傾げてみせるばかり。

 再びその矛先を俺に向ける戦闘少女。男かどうかを尋ねられ、素直に肯定する俺。その上で、このメイド服はやむを得ず着ているだけなのだと説明する。

 俺も戦闘少女に『サバゲー部か?』などと尋ねてしまったが、そうでないことは現在の状況からして明らかだ。理事長お抱えの警備部隊とやらの一人なのだろう。


 なんとかそこまで考えを及ばせたところで、俺の危惧事項は一つに絞られた。戦闘少女の手にしている銃が、本物か否かだ。もし本物だったとしたら、危険であることこの上ないと思うのだが。


 撃ってみろと促したが、戦闘少女はそうしようとはしない。弾薬切れになるのを恐れているのか? しかし、その理由は『この銃は怪物にしか効かない』ということ。何やら淡々と説明を始めたが、俺はそれを遮って葉子に服を着るよう促した。


         ※


 どうも、俺はひどく狼狽していただけでなく、動転までしていたらしい。この二語の明確な差異は不明。だが、とにかく『葉子に服を着させること』『戦闘少女に銃を下げさせること』の二つの事象が急務であることに変わりはない。

 どちらか片方ずつだったらどうにかなりそうなものだが……。


 だが、幸運なことに二人の少女は上手く状況を飲み込んでくれたらしい。


「修一くんがそう言うなら」


 と言って下着を身に着け始める葉子と、


「ふう……」


 とため息をつきながら自動小銃を下ろす戦闘少女。

 その時、ちょうど戦闘少女の方からノイズ混じりの声が聞こえてきた。


《桐山くん、状況は?》

「はッ、高橋司令! 目標は倒されました! 中庭にて二名の生徒を保護、教室にて合流します!」

《了解だ! よくやってくれた、桐山くん! では、安全に戻ってくれ!》

「はッ!」


 戦闘少女――桐山というらしい――は、スマホを分厚くしたような通信機を耳に当てたままザッを背筋を伸ばした。


「な、なあ、今の声って……」


 腰元に通信機を戻した桐山は、俺の方をその鋭い瞳で一瞥した。それから上へと顎をしゃくって、俺の視線を上空へ誘導する。


「高橋辰夫司令官。あなたたちには理事長、って言った方が通じるかもね」


 俺がその言葉の意味を咀嚼している間に、一機、二機とヘリが上空を通過していった。

 よく見かけるテレビ番組のヘリ――ではないな。真っ黒なボディ。尾翼の赤いランプ。低空をゆっくりと旋回する挙動。この学校の敷地内を、上空から見張っているようだ。


「あのヘリのどれかに、高橋理事長が乗ってるのか?」

「そう。正確には、我々『フォックスハンター』の実働部隊長が指揮しているのだけれど」

「フォックス……ハンター……」


 俺が視線を戻すと、桐山は手を差し出した。


「私の名前は桐山エリン。国籍はアメリカと日本。生憎親なしでね、運動神経を買われて高橋理事長にスカウトされた。あなたたちの同級生になる予定だったんだけど、こっちの方が性に合ってる。よろしく」

「あ、ああ」


すっと手を伸ばし、エリンの手を握り返す。


「俺は荒木修一。で、そっちで着替えてるのは一之宮葉子だ」


 そう言いながら、俺は視線を逸らしつつ、葉子に呼びかけた。


「葉子、着替えは終わったか?」

「終わったようね」


 俺が葉子のいた方へゆっくり視線をずらすと、葉子の姿はそこにはなかった。


「おい、葉子?」


 俺は手でメガホンを作って呼びかける。よく見ると、葉子は倒れ込んだ土地の主の元にひざまずくところだった。

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