第9話◎

 そんな思索の時間は、淳平に腕を引かれることで強制終了させられた。


「さあ修一、君も我々の仲間になりたまえ!」


 主人公を悪の道へ引き込むアニメの悪役かよ。ツッコミを入れたいのは山々だったが、ここまで皆がハマってしまったのならもう仕方がない。俺はあからさまに大きなため息をついて、淳平の方に向き直った。


「で、どれをどう着ればいいんだ?」

「こちらに即席の更衣室を設けてある。来たまえ」


 見れば、教室の前方角にカーテンで仕切られた区画がある。俺は半ば淳平に連行されるような形で、その区画へと入っていった。


 五分後。


「おお、随分と似合うじゃないか、修一!」

「まあ、お前よりはな」


 性格のわりに女性らしい、などと妙なレッテルを貼られて十数年。これは主に、俺の顔つきのことを指している。確かに似合わないことはない……って、納得してどうする。


 俺と淳平がカーテンの仕切りから出てきた、その時だった。

 ガラリ、と音を立てて、教室前の扉から誰かが入ってきた。葉子だ。しかしその姿は、いつもの小奇麗な姿ではなかった。

 制服――夏服なのでカッターシャツに紺のスカート姿だ――はほぼ泥まみれで、ところどころが破れている。葉子自身は重傷を負ってはいなかったが、細かい切り傷が腕や足から散見される。


「ど、どうしたんだ、葉子?」


 俺は大股で近づいた。周囲のクラスメートたちはと言えば、葉子を心配するか、あるいはあまり気にも留めずにいるかのどちらかだった。

 葉子を心配する数名の女子陣による輪ができたが、葉子はいつものおっとりした様子で『転んじゃった』『つまづいたら制服が破けちゃった』と無難な答えを繰り返す。


 この三ヶ月間、葉子はそれなりにクラスに馴染んではいるようだった。だが、あまり友人には恵まれなかったようだ。俺にとっての淳平のような人物は、今のところは見受けられない。強いて言えば――。


「ねえ、荒木くん」

「あ、俺?」


 こくり、と頷く葉子。


「私にもう一度、力を貸してほしいんだけれど」

「俺がお前の力に? もう一度って? どういう意味だ?」

「ちょっとこっちへ」


 ぱっと俺の手を取る葉子。入学式の時のように、俺と葉子は手を繋いだ。ただし今回は先導役が逆だ。葉子の方が、俺をぐいぐいと廊下へと引っ張っていく。


「お、おい、どこへ――?」

「このあたりでいいかな」


 俺が連れてこられたのは、コの字型の校舎の中庭だった。サッカーができるほどの、背の低い芝生になっている。


「一体どうしたんだ? お前らしくもない……」


 おどおどと呟く俺。この三ヶ月間、俺と葉子は特別な仲ではなかったが、かといって互いに全く関心がないわけではなかった。まあ、俺が一方的に葉子を心配していただけかもしれないが。

 葉子はきょろきょろと周囲を見渡している。


「驚かないで、私のことを見てほしいんだけど」


 俺はドキリ、と胸が高鳴るのを感じた。三ヶ月前の鼻血の一件を思い出す。

 葉子は目立たない挙動を取っているから分かりづらいが、相当な美少女である。

 まさかとは思うが、ここで、そう、告白でもされたらどうしようか。俺はひどく狼狽えた。

 しかし、葉子が語りだしたのは、そんな俺の妄想とはかけ離れたものだった。


「ここだったら落ち着いて説明できる。私を見てよく聞いて。入学式の日、修一も見たよね? この土地の宿り主の姿を」

「や、宿り主?」


 俺は必死に頭を回転させる。宿り主って一体……? ああ、もしかして。


「皆が怪物って呼んでた、あの岩でできた奴のことか?」


 素早く頷く葉子。やはり、いつもの葉子ではない。

 

「私がこんな格好で来たのは、彼と話をしていたから。彼は機嫌が悪くてね、私も逃げ回るのに必死だったの。なんとか彼を説得することはできたけど、他の過激な宿り主たちが何を始めるか――」


 と、葉子が言いかけたその時だった。


「! 修一、伏せて!!」


 俺は葉子に押し倒された。二つの膨らみの間に鼻と口を塞がれ、呼吸ができなくなる。


「~~~!!」


 ジタバタする俺を、葉子はその華奢な身体からは想像できない力で押さえ続ける。

 すると、何かがすぅ、っと自分の身体をすり抜けていくような感覚が、頭頂から足先にかけて走った。


「待って! ちょっと待って! この人は……!」

「むぐむぐ! ふが!」


『この人』って俺のことか? しかしそんな疑問を口にする余裕はない。俺の上からどいた葉子は、いつかの『宿り主』に襲われかけた時と同じように、両腕を大きく開いて立ちはだかった。

 俺が顔を上げると、真っ先に目に入ったのは葉子の背中。視線を先に遣ると、両腕に収まるサイズの青い火の玉が浮かんでいた。ボウッ、と音を立て、俺と葉子を威嚇しているようい見える。


「この人は味方よ! 私を信じて!」


 すると、その言葉に応じるように、火の玉は小さくなっていき、やがて燃え尽きるかのようにして姿を消した。


「荒木くん、大丈夫? 怪我はない?」


 聞いたこともないような鋭い口調で問いかけてくる葉子。ただし、視線は向こうへ遣ったままだ。俺は辛うじて、肯定の意を込めた音を喉から絞り出した。

 その直後。

 俺の耳に、パタパタと空を切る音が聞こえてきた。なんとか立ち上がり、周囲を見渡す。


「ヘリコプターか……?」


 にしては調子がおかしい。普通、ヘリを含んだ航空機は、一方方向から来て反対側に去っていくものだ。しかし今は、飛行音が四方八方から聞こえてくる。

 空を見上げてみる。しかし中庭にいるせいで、上手く状況を捉えることができない。校舎によって、視界が区切られているのだ。


「な、なあ、葉子、何が起こってるんだ?」


 すると、それに応えるようにチャイムが鳴った。ヘリの飛行音の中でも明確に聞き取れるほどの大音量で、だ。


《生徒諸君! 落ち着いて聞いてくれたまえ!》


 響き渡るのは高橋理事長の声。


《現在この敷地内に、テロリストが潜入したとの情報が入った!》

「はあ!?」


 テロリストだって? こんな田舎の高校に? だったら目的は何だ? いやいやそれより、俺たちはどこへ逃げたらいい?


《だが安心してくれたまえ! 我々高橋財閥の誇る警備部隊が急行中だ! 敵はすぐに駆逐される! 諸君は下手に動かずに、机の下に隠れて頭を守ってくれたまえ!》

「おいおい、こんなところでドンパチやる気かよ!?」


 一体どこのアクション映画だ? 俺が思い出したのは、この前テレビでやっていた『ダイ・ハード』なのだが、まさかあんな状況に自分が追い込まれるとは。


「とにかく指示に従おう、葉子、一旦伏せて――」


 と言いかけて前方に目を遣ると、そこには誰もいなかった。否、『いなくなっていた』。先ほど葉子が立っていたところには、すとんと上から脱ぎ捨てられた制服(と下着)が置かれている。


『こんな時に何やってるんだ!?』という俺の非難の言葉は、しかし発せられることはなかった。何故なら、突如として聞こえてきたからだ。銃声が。

 俺がその音を『銃声』と判断できたのは、やはり映画の影響かもしれない。銃声の発生源は、昇降口と教職員用出入り口の二ヶ所。誰かと誰かが殺し合いをしている。

 このままでは、流れ弾を喰らうかもしれない。俺は葉子を捜すのを諦め、地面に伏せて後頭部に手を載せた。

 その時だった。ゴゴッ、と地面が揺れ、地割れが中庭中を縦横無尽に走り抜けた。


「な、何だ!?」


 伏せたまま戦慄する俺の前で、巨大な腕が地面から生えてきた。こいつは、入学式の時に見た怪物じゃないのか!? 違いがあるとすれば、そいつが実体を伴っている、ということだ。半透明でもなければ地面をすり抜けてくるのでもない。まさしく怪物。

 全身は丸っこく、ラグビーボールを縦にしたような形状をしている。体表は、泥を限界まで圧縮して固めたような硬質な雰囲気をまとっており、オーラとでも呼ぶべき空気の揺らぎが見受けられた。


 二本の太い足で立ち上がり、全身を現した怪物。ズズン、と鈍い音を立てて、身体を太陽に向けて反らす。ちょうど人間が背伸びをするかのように。その振動で、一階の中庭に面した窓ガラスが一斉に割れた。

 そうか。こいつが葉子の言っていた『土地の宿り主』なのか。それにしても、なんて迫力だ。


 すると、突然上空から大音響が響き渡った。今度は高橋理事長ではなく、もっと規律のある、軍人の発するような声だ。


《中庭にいる女子生徒! そのまま伏せていろ! 今から救出する!》


 女子生徒? ああ、俺が勘違いされているのか。しかし、だったら葉子はどこへ行った? 俺を置いて自分だけ逃げるような奴では決してないはずだ。どこか別なところに隠れているのだろうか……?

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