第30話

 それは一瞬のことだった。

 上半身の力を抜く。腕のガードまでも下げる。ただし、重心は落としたままでしっかりと床を踏みしめる。

 そして、思いっきり腰から上を捻った。


 俺には、飛んでくる電気銃のワイヤー先端部がはっきりと見えた。そんな俺の目前を通過していく、細く張り詰めたワイヤー。俺は上半身の捻りを活かし、フィギュアスケーターのように一回転した。

 電気銃の先端、吸盤状の部分は、確かに隊長には届かない。だが、俺は一回転した勢いのまま腕を伸ばし、ワイヤーを引っ掴んだ。


「!」


 思いの外呆気なく、電気銃はエリンの手を離れ、宙を舞った。真っ直ぐと、俺に向かって。

 俺はさらにワイヤーを引き込み、思いっきり振り回した。すると、俺の手先を支点に飛んでいった――電気銃の本体が。

 エリンの位置からでは、隊長には届かない電気銃のワイヤー。それを俺は、ワイヤーの途中から引き込むことで、自分を中心に横薙ぎにしたのだ。


「ぐっ!?」


 まさか自分のところまで届くとは思っていなかったのだろう。隊長は慌てて、自分の横っ面を叩く形になった電気銃の本体を回避した。間の空いたバックステップ。大きな隙。そこを狙わずして、勝機はない。


 俺は無言のまま駆け出した。俺と隊長との間には、三十メートルの距離がある。遮蔽物は当然ない。メイド服姿で、キュッ、キュッと靴音を鳴らし、俺は真っ直ぐに突進する。

 電気銃のワイヤーを手離して、自分に巻きつかないように注意。軽く跳躍を交え、長身の隊長の頭部に鉄拳を叩き込もうと試みた。しかし、流石にそこは戦闘のプロ。簡単に急所を晒すような真似はしなかった。


「はあああああああ!!」


 気合で叫ぶ俺に向かい、あたかもお辞儀をするかのように、隊長は頭を下げたのだ。傾けた、と言ってもいい。


「チッ!」


 俺は思いっきり引いていた右手を、拳ではなく掌で突き出した。眼前に迫ったのは、隊長の顔ではなくヘルメット。まともに殴ったら、こちらの手の骨が折れてしまう。

 本当は体当たりできればよかったのだが、滞空中のバランスを取るにはタイミングが遅すぎた。結局、相撲の張り手のような打撃になってしまう。手首が折れないように脱力するのが、俺の精一杯だった。


 バチン、という音が響き渡る。強化軽量素材のヘルメットに、俺の汗ばんだ掌がぶつかる瞬間のことだ。俺は無理に身体を捻り、隊長を突き飛ばすようにしながら距離を取った。そのまま、微妙な間をもって隊長の正面に下り立つ。電気銃はと言えば、俺が放り投げたまま遠くに転がっていた。


「甘かったな、小僧!」


 俺が電気銃に一瞬気を取られた、コンマ数秒の間。しかし、隊長にとっては接敵するのに十分すぎるほどの時間だった。気づいた時には、隊長は俺の正面に立っていた。


「ッ!?」


 俺の頬からこめかみにかけて、左右からがしりと掴まれる。こちらの足が一瞬浮き立つ。そのくらいの勢いで、俺の頭部は簡単に揺すぶられた。ゾッとすると同時、凄まじい衝撃が、俺の額から全身を震わせた。

 思いっきり、頭突きを喰らったのだ。頭蓋骨からの振動が背筋を震わせ、足先まで達する。

 俺は思った。相手は、俺を殺す気だ。

 それを裏付けるように、相手は思いっきり俺を突き飛ばした。バランスの取れない俺を後ろ向きに床に叩きつけ、後頭部にもダメージを加えるつもりなのだ。


 視界に星が飛び交う中で、俺は必死に足をもつれさせ、側面から倒れ込んだ。なんとか腕を頭部と床の間に挟み込み、頭部を守るためだ。だが、それでもそう易々と体勢を立て直せるわけではない。

 俺は水、いや、もっと粘性のある泥の中に叩き込まれたようだ。手足が動かない。神経が、脳からの電気信号を拒んでいる。脊椎にダメージは及んでいないようだが、三半規管はいかれている。脳みそがぐわんぐわんと揺れ、上下左右、前後の感覚も不確かだ。


「くっ……!」


 すると、今度は腹部に鈍痛が走った。蹴りを入れられたのだ。呆気なく、芋虫のように転がる俺。ここから先は、隊長も武芸を披露するほどのことはなかった。

 人体の急所を狙うわけでもなく、かといって生易しい手加減をするわけでもない。文字通り踏んだり蹴ったりだ。

 そんな中で、俺は息を詰まらせながら隊長の独白を聞いた。否、耳に捻じ込まれた。


「いいか、小僧。金の力とはこういうものだ。権力にも支配力にも、暴力にもなれる。相手に恐怖を与える心理戦力にもな」

「……ッ」

「蹴りながらで悪いが、少し話を聞いてくれ。その間、急所は狙わない」

「……」

「さっきまで俺は、貴様を殺すつもりだった。邪魔だからな。だが、俺は貴様を見くびっていたらしい。咄嗟に後頭部を守るために、上半身を捻ったな? 筋のいい動きだった。見事、とまでは言わないが、見込みはある」


 見込み、だと? 何のことだ?


「私の部下になれ、荒木。鍛えればエリンなどよりよっぽどいい警備隊員になれる。傭兵、と言ってもいい。それなりの報酬も出るし、学者を目指すよりよっぽど豪勢な暮らしができる。どうだ?」

「ぐぅ……」


 隊長は一旦蹴るのを止め、その場で腕を組んで俺を見下ろした。しかし俺には、そんなことを考えるだけの集中力は残っていない。身体は痙攣するようにしか動かない。思考力さえも――。

 ただ、なんとかこの状況に一矢報いたい。俺に残っている意志はそれだけだ。


「くっ……はっ、ぐ……」


 浅い呼吸を繰り返す肺。そこになんとか酸素を叩き込みながら、手を伸ばす。その先にあるのは、隊長のコンバットブーツだ。

 すると、隊長はひょいと片足を上げ、半歩下がった。同時に俺の手の甲を踏みつける。いや、足を軽く俺の手に載せる。なんなら踏みにじってくれればいいものを。俺を篭絡できるとでも思っているのか。

 安く見られたものだな、と思う半面、俺は今までにない屈辱感を味わっていた。

 所詮、子供にできるのはここまで。大人、それも金銭に目がくらんだ連中に敵いはしない。それがこの社会の鉄則なのか。だとすれば俺は社会不適合者だ。家族には悪いが、ここで殺してもらった方が――。


 と、なんとか鈍った頭で考えた時、俺は思わず息を飲んだ。

 エリンが、実銃を手にこちらを向いていたのだ。その銃口の先には、隊長の背中がある。

 しかし、隊長は淡白な態度を崩さない。


「どうした、エリン? 私の教育方針に不満か?」


 エリンを見もせずに語る隊長。きっとエリンが発砲しても、防弾ベストの背中側でガードを――。

 そう思った次の瞬間、ズドン、という重低音が響き渡った。エリンは、撃ったのだ。義父の背中を。僅かによろめく隊長。だが、その隙を突けるほどの余力は俺には残っていない。


「おっとエリン、今のはいかんな。勘当してやっても――」


 と、そこまで隊長が言いかけた時だった。青白く光る何者かが、隊長のうなじに跳びついた。葉子だ。どこにあんな跳躍力が残されていたのか分からないが、とにかく彼女に跳びかかられたことで、隊長の注意は逸れた。


「くっ! 離せ! 俺から離れろ! 薄汚い害獣め!」


 呆気なくふっ飛ばされる葉子。だが、その時間は十分だった。エリンが隊長に駆け寄り、防弾ベストの及ばない横腹に拳銃を突きつけるためには。


「……何の真似だ、エリン」

「ご覧の通り。義父さん。私、あなたを裏切る」


 隊長は表情を変えない。だが、そこから殺人に対する気迫が湧いてくるのを俺は感じ取った。


「この期に及んで、貴様もか!!」


 叫ばれ、反響する隊長の声。だが、拳銃を零距離で押し当てられている以上、下手に動くことはできない。隊長の叫びに応えたのは、『ええ』という短いエリンの声。


「最近、いろんな人に感化されやすいのかもね」


 するとエリンはカタン、と拳銃を落とし、もう片方の手で握っていた電気銃を取り出した。その先端を、隊長の反対の脇腹に押し当てる。


「それじゃ」


 これからコンビニに行ってくる。そう言わんばかりの軽さで、エリンは電気銃の引き金を引いた。


「がッ!」


 隊長の悲鳴は一瞬。だが、それだけで今度は隊長がぴくり、と痙攣を起こして動かなくなった。


「エリン……」


 隊長に人質にされ、すなわち義父である隊長に裏切られ、それでもエリンは自身の決断でこうしたのだ。一体どういう心変わりだろうか。


「自分が金のために育てられたなんて、信じたくはないけど……。まあ、事実ならやむを得ないわよね。お陰で自然の脅威より、金銭に嫌気が差すようになったわ」

「あ、ああ……」

「立てる? 荒木くん」

「ちょっと待ってくれ」

「ああ、無理しないで。手を貸すから」


 エリンは易々と、俺の身体を引っ張り上げた。急に元に戻った視界の高さに、俺は一瞬立ち眩みを覚える。だが、それを止めたのはエリンの挙動だった。

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