第29話
確証はない。だが、手札は揃っている。
絶大な破壊力を誇る、高出力レーザー。高橋財閥の英知の結晶である、退魔用のエネルギー弾丸。
もしその出力を調整できれば、このドーム状の結界のみを破壊し、犠牲者を出さずに生徒や教職員を脱出させることも可能だろう。
「来るな! 誰も私に近づくんじゃないぞ! 私は皆を助けるために――」
「……何?」
俺は、一瞬で自分の脳みそが沸騰するのを感じた。それ以降の理事長の台詞は、俺の脳に届く前に溶解してしまう。
いつもの冷静さは、今の俺には必要ない。
いや、そう思う時点で冷静ではないのだろう。
気づいた時には、俺の足は大きな一歩を踏み出していた。
「美玲、下がってろ」
「ちょっ、荒木くん!?」
『相手は銃を持っている』だか何だかという美玲の声が聞こえたが、俺は無視した。今の俺が、その程度の戦力差で意志を曲げるでも思っているのか。
俺は自分の動体視力に感謝した。理事長をねじ伏せるのに必要な情報は、全て頭と網膜に映り込んでいる。
相手は右利き。片手で拳銃を振り回す癖があるのか、狙いが精確とはいえない。一発目を屈んでかわし、一気に懐に飛び込んでアッパーを顎に叩き込む。
部屋の狭さがどう影響するかは一長一短だ。相手の銃撃は、俺に狙いを定めやすくなるだろう。だが、俺も距離さえ詰めてしまえば、相手が回避するだけのゆとりを簡単に奪うことができる。
よし、これでいこう。
俺は足音を忍ばせ、コントロールルームの入り口に近づいた――その時だった。
「二人共、そこを動くな!!」
という野太い声が響いてきた。
はっと息を飲む気配がする。美玲のものだ。理事長はといえば、コンソールを操る手を止めようとはしない。となれば、やはり『動くな』という警告は、俺と美玲に向けられたものだろう。
俺はゆっくりと振り返った。相手に言われるまでもなく、両手は頭上に掲げてある。殺気が、ジリジリと俺をグリルにする。
まず目に入ったのは、美玲の背中だ。足元にそっと寄り添うように、葉子が横たわっている。そしてその先には――。
「こいつの指示に従え、二人共! 今なら殺されはしない!」
二十メートルほど離れたところに、エリンが立っていた。ただし、背後から大柄な男性に羽交い絞めにされた格好で。
その光景に、俺の脳みそは急速冷凍された。あの男性、すなわち隊長は、義理とはいえエリンの父親なのだ。そんな男が、彼女の首元に腕を回して拳銃をこめかみに当てている。
理事長といい隊長といい、どうしてこうも酷い奴らが親をやってるんだ?
いや、それはおいおい考えるとして、今の俺の立ち位置は非常に危うい。理事長と隊長、二人の人間すなわち二方向から、拳銃で狙われる羽目になっている。これは大変な事態だ。
ご丁寧にも、隊長が説明を買って出た。
「動けんだろうな、小僧。荒木、といったか?」
俺は舌打ちを一つ。
「貴様を殺しても、生徒一人の死亡くらいなら事故死でいくらでも『調整』できる。エリンを殺しても、銃撃戦になったと言えば正式に『殉職』扱いになる。我々の力を甘く見ないことだな」
孤児であるエリンを引き取っておきながら、そんなことを言ってのける。俺にはその神経が全く理解できない。理解はできないが、何がきっかけでそうなっているのかは分かる。俺はその言葉を、隊長から引き出すことにした。
「娘のエリンを殺してまで、あんたは何を信じる? 何のために生きているんだ?」
そこで隊長は、眉を吊り上げた。あまりにも妙な質問をぶつけられたと思ったのだろう。
「ぐっ!」
エリンが突き飛ばされた。しかし隊長は、拳銃をエリンに向けたまま。よく見ると、エリンは足を挫いたのか、うつ伏せのまま身動きできずにいる。放り出しても十分人質として利用できる。
しかし、隊長は腕を下ろした。そして、俯いた。
「……く……くくっ……」
美玲は怪訝な様子で、俺は警戒を解かずに隊長を見つめ続ける。しかし、俺たちの視線の先で、隊長は全くこの場に不似合いな挙動に出た。
「くっ、ははっ、はははははははっ!!」
笑い出した。哄笑だ。腰を折ったかと思えば、思いっきり上半身を反らして笑い声を反響させる。あたかも体育館の壁、床、天井が、俺たちを嘲笑っているかのようだ。
「何を信じるかって? 何のために生きるか、だって? そんなもん、金のために決まってるじゃないか!!」
胃袋の底から吐き出すような、しかしさも愉快だと言わんばかりの声音。
正直、俺はぞっとした。
その時の隊長の身体は、常人のそれではなかった。目は妖しい光を放ち、口は耳まで裂け、屈強な四肢は誰の意志も受けつけずに関節からぶら下がっている。
「世の中、何が何でも金だ。金で全てが動く。物も、他人も、その心も。貴様のような小僧には分からんだろうな、金に浸る喜びが! 快感が! 心強さが! だから私は、この任務を果たす!」
俺はギリッと奥歯を噛みしめようとした。が、そこで妙なフレーズが頭に残った。
自分なりに、隊長の言葉を抜粋・編集する。そこから見えてきたのは――。
「金があれば、心強さが抱ける……?」
「その通りだ! 物分かりがいいな、小僧! 立て、エリン!」
逆らうことによほどの抵抗があったのか、エリンはゆっくりと立ち上がった。
倒れかけながらも、体勢を立て直すエリン。その瞳は長い睫毛に遮られ、よく見えない。
「お前の出番だ、エリン。あのガキを片づけろ」
「なっ……!」
俺は、驚きと呆れの念で胸が張り裂けそうになった。
驚きは、当然ながらエリンに俺たちを殺させようとしていることに対して。
そして呆れというのは、そこまで残酷なことを子供にやらせる思考回路に対してだ。
「さあ、エリン。こいつを使ってもいい」
隊長は背中から、少し大きめの拳銃を取り出し、エリンの右手に握らせた。
あれは、電気銃だ。アメリカの犯罪ドラマで見たことがある。相手に軽い――と言っても激痛を伴う――電流を加え、行動不能に陥らせるものだ。エリンの戦闘スキルなら、その扱いも容易だろう。
エリンはすっと手を伸ばし、電気銃を受け取った。隊長との白兵戦で疲弊しているだろうに、その所作に淀みはない。
「すまない、荒木。これでも彼は私の命の恩人なんだ。逆らう余地はない。引き下がってくれ。であれば、我々にお前や美玲嬢を傷つける理由はなくなる」
俺はエリンたちから目を逸らし、振り返った。その先では、理事長が手早くコンソールをいじっている。時間がない。美玲に戦闘能力は皆無だろうし、命令が通じる相手もいない。かといって、俺が理事長に駆け寄ろうものなら、すぐに電気銃の餌食になってしまう。
「エリン、それがお前の選んだ道なのか」
すっと頷くエリン。だが、彼女は一向に目を上げようとはしない。敵を視界に入れなければ、銃撃戦も白兵戦もできないではないか。俺は攻撃を躊躇う。もしかしたら、こうして時間稼ぎをすることがこいつらの狙いなのか。
いつの間にか、隊長は随分遠くへ後ずさりしていた。電気銃は、ワイヤーを発射して相手に先端を貼りつけ、そこから電流を加える。リーチが短いのだ。隊長が距離を取ったのは、エリンに撃たれないようにするためだろう。裏切りを恐れてのことか。
俺は距離を保ったまま、両の拳を握りしめ、顔の高さにまで掲げた。ボクシングの基本体勢だ。そして俺は、足を横に踏み出した。
エリンに接近はしない。だが、彼女を中心に円を描くようにして位置をずらしていく。キュッ、キュッというシューズの擦れる音が、体育館内に響き渡る。
ふと、葉子を抱き上げた美玲の姿が見えた。心配げな、どこか哀願するような瞳を俺に向けている。何を願っているのだろう? 自分の身の安全か? 人間たちの無傷の脱出か? それとも、先ほど葉子が挙げた二つの条件を父親に飲ませることだろうか?
俺は美玲に向かい、軽く笑みを作った。俺は傷を負うかもしれないが、必ず人間と自然の仲を取り持った上で、この苦境を乗り切ってみせる。それは葉子の願いでもある。そして、エリンを葛藤から救うことになるものかもしれない。
俺は背後からの刺すような視線を感じていた。隊長の目から発せられるものだ。
キュッ、キュッ、キュッ、キュッ……。
俺のシューズの音が、嫌というほど鳴り響く。
不意に、エリンが目を上げた。視線がぶつかる。すっと電気銃の銃口が、俺の胸元に定められる――今だ。
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