第28話

「よっ、と……」


 ギシリ、と音を立てて、鉄製観音開きの扉を開ける。体育館の中は真っ暗だった。誰かがいる気配はない。理事長はおろか、警備隊員さえも。


「大丈夫そうだ」


 そう呟くと、葉子が素早く扉の隙間から音を立てずに忍び込んだ。美玲もひょっこり顔を出す。

 しかし、どういうことだろう? 俺たちは三ヶ月間、この体育館を使ってきた。何の変哲もない体育館だ。ここに理事長がいるはずなのに、いない。


「美玲、何か聞いてないか? 秘密部屋があるとか」

「いえ、あたしにも教えてくれなかったもの、あの人」


 冷たく突き放すような言い方。だが、それは俺に怒っているのではなく、父親に愛想を尽かしてのことだろう。

 俺が視線を前に伸ばすと、葉子が暗闇の中を進んでいくところだった。立ち止まり、無言で振り返る。やはり、何もないのだろうか?

 俺が一歩踏み込もうとした、その時だった。ぴくり、と葉子が耳を立てた。


「止まれ、美玲」


 俺は小声で告げた。ぱっと俺の手を取る美玲。


「……」


 正直、ちょっとだけドキリとした。

 そんな俺の前を、葉子は横切っていく。向かう先にあったのは、運動用具倉庫だ。そこに何かあるのだろうか。

 俺と美玲は、足音を忍ばせてそちらへ向かった。見慣れた薄緑色のスライドドアが、外から差し込む光で照らされている。俺は美玲を自分の背に隠すようにして、把手に手をかけた。


「ふっ!」


 思いっきり引き開ける。すると葉子は、すぐに危険がないことを悟ったのか、足早に入室した。


「どうだ、葉子?」


 ひっそりと声をかけると、ふっと葉子の姿が消えた。壁をすり抜けたのだ。すると、何の変哲もなかった壁の向こうで、何かがざわめく気配がした。


「何だ? おいどうした葉子? 無事か?」


 俺は言いながら、壁を拳で叩きつけた。無論、それだけで開くわけがない。だが、思いがけない形で突破口が開いた。

 ガシャッと音がして、壁の一部がせり出してきたのだ。


「おっと!」


 そこには、いくつかのボタンやスイッチが並んでいた。俺がそれを確かめた直後、足元にひんやりとした感覚が走った。


「きゃっ!」


 美玲が短い悲鳴を上げる。しかしすぐにその正体に気づいたらしく、それをそっと抱え上げた。


「あ、あなた、大丈夫!?」

「おい、どうし――」


 美玲の腕に抱かれていたのは葉子だった。しかし、その身体が帯びていた青白い光はずっと薄まっている。

 そっと葉子を下ろす美玲。横たわった葉子は、身体をくの字に折って苦し気に息をしている。状況からして、壁の向こうにいる何者か――もしかしたら理事長にでも蹴り飛ばされたのかもしれない。

 明らかに骨折している。それも手足ではなく、身体の軸を。もしかしたら背骨だろうか。これで生きているのは不思議なくらいだろう。


 ただでさえ寿命が縮まっているというのに。

 せっかくここまで来たのに。

 自然と人間を平和裏に共存させようとしてくれていたのに。


「畜生!!」


 あまりの理不尽さに、俺は壁を思いっきり殴りつける――つもりだった。

 それを止めたのは、


「待って」


 という、落ち着き払った声。


「み、美玲……?」

「荒木くん、落ち着いて。私に考えがある」


 すると美玲は、ポケットから掌サイズの薄い板を取り出した。なんのことはない、ただのスマホだ。


「お、おい、何をするつもりだ?」

「森田先生とお話するわ。彼ならそこのコンソールのパスワードを知ってるでしょうから」

「でも……」


 俺が声をかける隙も与えず、美玲はパパッと操作し、耳に押し当てた。

 俺の懸念事項。それは、この結界の張られた状態で、電波が届くのかということだ。発電・変電設備が破壊されてしまったのだから、通信設備も破壊された可能性が高い。

『通じるのか?』と尋ねようとした俺の前で、美玲は早速喋り出した。


「もしもし? 森田先生? あたし、高橋美玲よ。これは命令や指示ではなく、お願いなのだけれど。体育館の隠し戸の開錠パスワードを教えてくださる?」

《な!? どうしてそれを……! まさか》

「ええ。もうコンソールは目の前にあるわ。さあ、早く教えてくださらないかしら?」


 俺にも相手の声が聞こえるよう、スピーカーが調整されている。その相手、森田先生は露骨に狼狽していた。


「それと、よろしければその扉の向こうに誰がいるのかも。高橋理事長お一人かしら?」

《ま、待ってくださいお嬢様! わたくしにも妻子がおりますゆえ、理事長に逆らうようなことは……!》


 すると、美玲は空いた片手を腰に当て、やれやれと首を振った。


「これはあたしの『お願い』だけれど、それはあなたに選択肢を与えたのと同義なのよ。お分かり? あたしに脅されたと言いたければ、そう言えばいいじゃない。今の理事長だったら、あたしよりあなたの証言を信じるはず。いや、あたしへの信用なんて、そもそもあってないようなものだし」

《そ、それは……》


 俺は驚き半分、怖さ半分で美玲の横顔を見つめていた。

 先ほどまで、小心者であることを体現していた女子の言葉とは思えない。家族に裏切られて、よくもこれだけ気丈にしていられるものだ。


「で、どうなの? 森田先生。パスワードを教えてくださるの? くださらないの?」


『お願い』と言ってしまった手前、美玲が森田先生の弱みを握ることは完全に不可能だ。美玲自身が言ったように、森田先生はいくらでもこの状況を、好き勝手に捻じ曲げて訴え出ることができる。

 しかし、いや、それ故に、美玲の言葉には、有無を言わさぬ重みがあった。俺が森田先生の立場だったら、何もないところで腰を抜かしていてもおかしくない。


 すると、冷たいため息がスピーカーから漏れてきた。


《分かりました、お嬢様。パスワードをお教えします。十桁の数列です。それでは……》


 美玲はコンソールの前に立ち、何度か頷きながらカチカチと番号を入力していった。『打ち込み完了』のボタンを押し込む。するとパシュッ、と軽い音を立てて体育館の壁に切れ目が入り、軽い白煙が上がった。同時に、コンソールわきの壁が二メートル四方にわたって奥にずれ込み、軽い擦過音を立てて開き切った。

 俺は首を伸ばし、そっと頭だけを出して向こうを覗き込む。


 その直後だった。俺の頬を、弾丸が掠めていったのは。


「……え?」


 呆然として動きを止めた俺は、しかし何かに足を取られ転倒、続く銃撃をかわす形になった。俺が気になったのは、自分の顔よりも俺の足にぶつかってきた何か――葉子だ。


「葉子ッ!!」


 俺は身を屈めたまま、葉子を抱きかかえてドアから遠ざかる。

 先ほども、そして今も、大した音はしなかった。きっと消音機をつけた、小ぶりな拳銃なのだろう。そしてそれを握っているのは――。


「くっ、来るな! 誰も私に近づくんじゃない!」


 やはりというか何というか、案の定、高橋辰夫理事長だった。

 はっと正気に戻った俺は、美玲にここから遠ざかっているよう指示をする。素直に従う美玲だが、その瞳からは心配の気持ちが痛いほど伝わってきた。


「お前は何か策を考えろ! その間、俺は理事長が出てこないようにする!」

「わ、分かった!」


 俺の背中から距離を取るように駆けていく音がする。女子を危険な場所に晒すのは気が引けたから美玲を逃がしたのだが、俺にも名案はない。

 一瞬ではあったが、先ほど覗いた時点で俺は、おおまかに隠し部屋の様子を目にしていた。

 真っ暗な室内に、色とりどりの小さなランプが灯っている。電子機器の関連機材のランプだろう。壁にはぎっしりと無線機やらスクリーンやらが並んでいた。


 一体何だ、この部屋は? 何か、巨大な機械を動かすコントロールルームに見えたのだが。

 では、何を操縦するのか? こんな結界に封じられた環境で、どうするつもりだ?


 俺が思索にふけっていると、ガコン、と何か金属製の何かが蠢く音が降ってきた。体育館の屋上で、何かが展開している……?

 俺ははっとした。こいつはまさか――。


「高出力レーザーか!」


 高出力レーザー。本当はその後に『通信パラボラアンテナ』とつく。宇宙船や高高度の航空機といった、大変遠距離にあるものとのスムーズな通信を可能にするために開発された最先端通信機械。これなら結界を破ることも可能だと踏んだのだろう。

 では、何に対して通信するのか?


「まさか……!」


 入学式翌日に打ち上げた、人工衛星ではないのか? 一体何が搭載されている? もしかして――。


「宇宙空間から結界を破る気だ!」

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