第27話

「甘いぞ、エリン!」


 腕でガードしたエリンだが、振りぬかれた隊長の拳の威力は凄まじい。


「くっ!」


 バランスを崩したエリンの上半身に向かい、今度はハイキックが迫る。辛うじて屈み、回避するエリン。すると全く唐突に、彼女は叫んだ。


「荒木、受け取れ!」

「お、おう!?」


 下草をすり抜けるようにして、何かがエリンの手元から滑ってきた。拾い上げると、ずしりと重い。こいつは――。


「け、拳銃か、これ!?」

「弾数は十六発! もう引き金を引くだけで撃てる!」


 確かに、敵味方が入り乱れている状態で発砲は控えるべきだろう。だから突入を試みる俺に拳銃を託したのか。


「無駄弾を使うな!」


 叫びながら、再びバックステップするエリン。

 暗闇の中、エリンと隊長――義父は腕と脚をぶつけ合った。エリンは素早く立ち回り、防戦一方とはなっていない。しかし、なにぶんリーチが短い。相手は長身の大人なのだから、当然といえば当然だ。


 俺が拳銃を両手で握り、唾を飲んでその様子を見ていると、『早く行け!』と再びエリンに怒鳴られた。


「勝てよ、エリン!!」


 俺はそれだけを叫んで、葉子を追って駆け出した。


         ※


 エリンが義父と戦い始めてから、俺と美玲は葉子に導かれ、全速力で体育館の裏手に走り込んでいた。

 無論、警備隊員は数名残っている。しかし、そこは俺の拳銃と美玲の命令で押し退けることができた。冷静で優秀な隊員たちは、皆淳平たちの陽動に回ってしまったらしい。残された下っ端の隊員は、おずおずと道を空けるくらいしかできないでいるようだった。

 しかし、体育館の裏口に到って、美玲の苦し気な声が聞こえてきた。


「ちょ、ちょっと待って、荒木くん!」

「どうした、美玲?」

「あ、あたし、息が上がっちゃって……」


 葉子が周囲を警戒する中、俺は美玲の言葉に立ち止まった。振り返ると、美玲が腰を折って膝に手を当てている。


「お嬢様! ここは危険です! 校舎にお戻り――うわっ!?」


 ゆっくりと彼女の背後から近づく警備隊員を、俺は拳銃で威嚇した。

 息切れしながらも、美玲は命令を下す。


「あ、あなたたち……。武器を置いて、道を空けなさい……」


 美玲に一瞥され、おずおずと自動小銃を地に置く隊員。


「それでいいわ……。この作戦は失敗だと、隊長に伝えなさい……。でなければ……」


 と言いかけて、美玲の目がぎょっと見開かれた。


「荒木くん!!」

「何だ? 一体どうし――」


 直後に響いたのは、音ではなかった。俺の脳が直に振動したのだ。ぐらり、と足元がふらつき、その場に膝をつく。自分が自動小銃の把手で殴られたのだと悟るのに、しばしの時間がかかった。それほど、俺の思考が鈍ったのだ。


「貴様、荒木修一だな!? お嬢様をたぶらかしやがって! 美玲様、お父様がお待ちです。こちらへ」

「荒木くん!!」


 隊員の言葉を無視して、美玲は俺の前にひざまずく。しかしその時には、俺はどっと上半身を地につけていた。


「お嬢様! お早く!」


 すると、美玲はぐっと声の温度を下げた。


「――分かったわ」


 俺ははっとした。美玲の声は、教室で威張り散らしているのと同じ色彩を帯びている。まさか、この期に及んで……裏切られた?


「あなたたち、とんだ迷惑をおかけいたしましたわね。助けてくれてありがとう。わたくし、人質になっておりましたの」

「そ、それはそれは、どうぞご無事で! ではお嬢様、こちらへ。おい、荒木修一の身柄を取り押さえろ!」

「ああ! 言われなくともやるさ!」


 うつ伏せ状態の俺の背に、隊員の膝が押しつけられる。腕が無理やり捻り上げられる。

 何故? どうしてだ、美玲? こんなところまでやって来て、結局は自分や自分の父親の見方は正しいと思い直したのか?


 幸い、葉子の姿は見えない。周囲の森に逃げ込んだのだろう。しかし、これでは最早、彼女の助けになる人間はいないではないか。

 負けた――。

 自然を守ろうとか、高橋財閥は傲慢だとか、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、俺は大人に、権力に、そして金というものの力に負けたのだ。そんな実感が、俺の胃袋をチリチリと焼いた。


 俺が諦念に囚われた、まさにその瞬間だった。高らかな銃声が、周囲の空気を震わせたのは。


「おい、どうした!?」


 俺を組み伏せていた隊員の力が緩む。やるなら、今しかない。

 拳銃がどうなったのか。俺はそれを考えるのを一旦止めた。腕を振りほどき、逆に相手の手首を掴んで、思いっきり身体を横転させる。そのまま短い坂を、相手と共に転がっていく。イチかバチかだが、今できるのはこれしかない。

 勢いをつけ、全身の筋肉を使って、俺は相手を突き飛ばした。


「がはっ!」


 相手は大木の幹に、したたかに背を打ちつけた。俺自身もバランスを崩し、


「ぶふっ!」


 顔面を倒木に強打。出血した気配もある。だが、それよりも今は隊員を沈黙させることが先決だ。

 ちょうど俺の足元で、先ほどの隊員が呻いている。そんな相手の頭部を、俺は先ほどのお返しとばかりに思いっきり蹴り飛ばした。


「がっ!」


 すると、相手の手足がぴくり、と一瞬痙攣し、ぱたりと地に着いた。気絶させることに成功したようだ。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 俺は息を切らしながら立ち上がった。出血の具合を確かめたかったが、それよりも先ほどの銃声が気になる。何があったのだろうか。

 俺はぐいっと腕で血を拭いながら、隊員に背を向けて駆け出した。

 体育館裏側の出入り口に通じる角から顔を覗かせる。するとそこには、衝撃的な光景があった。


「み、美玲!?」


 美玲が拳銃を構えている。フォックスハンターの連中に、護身術として教わっていたのだろうか。銃口からは硝煙が上がり、その先には美玲を連れていこうとした隊員が倒れ込んでいる。


「な、何があったんだ? いや、何をしたんだ美玲!?」

「大丈夫」

「な、何が?」


 拳銃から弾倉を取り出しながら、美玲は淡々と答える。


「殺しちゃいないわ。少し黙ってもらっただけ」


 聞けば、俺が後頭部を強打された時に、拳銃を取り落としたのが見えたのだという。


「それからあなたの前にしゃがみ込んだでしょう? その時に拾い上げたのよ、拳銃をね」

「そ、それで……」


 未だにお星様がチラつく視界の中で、俺は続きを促した。


「あなたを裏切ったふりをして、二人の隊員を引き離したの。一対一で、油断した相手ならあたしにだって相手ができる」

「で、でもこいつら、防弾ベストを着ているんじゃあ……」

「だから撃てたのよ」


 やれやれと肩を竦めながら、美玲は拳銃を無造作に放り投げた。


「私、エリンさんみたいに上手くはいかないけど、拳銃は一応使えるから。防弾ベストだって無敵じゃないわ。最近は強度を落として軽量化した、って話も聞いたし、胴体なら撃っても平気だと思ったの」


 それで撃ちまくっていたら、相手が気を失ってくれたのだという。どこか急所にでも当たったのだろう。


「後は私が父親を説得するから。さ、荒木くん」


 ハンカチを手渡してくる美玲。


「ああ、悪い」


 俺は軽く額と鼻に押しつけた。やはり出血はここからだったか。


「息は整ったか、美玲?」


 ハンカチを仕舞いながら、俺は尋ねた。洗ってどうにかなる汚れ具合ではない。買って返すことにしよう。


「ええ、なんとかね。あ、ハンカチのことは気にしないで。どうせもっと綺麗なやつあるから」

「お、おう」


 あ。まあ、言われてみればそうだろうな。


「まだ手伝ってくれる? ついて来てもらえると助かるんだけど」

「もちろんだ」


 そう、もちろんだとも。


「お前の親父、最初から気に食わなかったんだ。これでぶん殴る口実ができたってもんだ」

「あら、そう?」


 小悪魔的な笑みを浮かべる美玲。なんだ、かわいいところもあるじゃないか。

 ま、それはいいとして。


(修一くん!)

「おっと!」


 ささっと何かが足元を掠めた。


「おう、葉子。無事だったか?」

(うん! 私は平気)

「これから理事長との交渉……いや、直談判に行くところだ。美玲が理事長を黙らせるから、その間にお前は自分の思いを伝えるんだ。できるか? 狐の姿でも?」

(ええ。狙った相手にテレパシーを伝えることなら、私にもできるから)

「だそうだ。っていうか聞いてたか、美玲?」

「ええ。最初は何事かと思ったけどね。頭に直接聞こえてくる、っていうのは奇妙な感じだけど」

「だろうな」


 俺と美玲は互いに頷いてみせ、それから葉子に視線を遣った。葉子は気持ちよさそうに、前足で目のあたりを掻いている。


「よし、行くぞ」

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