第26話

「何をさせる気だ、淳平?」

「何って、君にメイド服を着るように勧めているんじゃないか」

「なんで?」

「君は女形だろう? 女子に紛れていれば、警備員の隙をつけるかもしれない」

「そうしてどうする?」

「一発ガツンと頼むよ、ガツンと!」


 淳平は似合いもしないファイティングポーズを取った。フッ、フッとぎこちないストレートを繰り出す。


 まあ、そこまで考えがあってのことなら、俺も諦めがつく。


「仕方ねえな……」


 俺は教室に戻り、ため息をつきつき、メイド服に袖を通した。


         ※


「よし、皆行くぞ!!」


 威勢のいい声を上げたのは、美玲親衛隊の片割れだった。その前を、素早く葉子が駆けていく。

 俺たちは人数に任せて警備隊員を押し退け、廊下をずんずん進む。規模は百人弱といったところか。もはや校舎内を警備していた隊員たちに、戦意は残っていない。

 よほど興奮しているのだろう、俺には葉子の『思念』が伝わってきた。


(皆、やったわ! 生徒たちは味方だから、あなたたちは攻撃しないで!)


 この思念の中の『皆』とは、付近の霊魂や野生動物のことだろう。彼らが俺たちを攻撃しないように、注意を促したのだ。


 威勢のいい男子生徒たちを中心に、ぞろぞろと葉子についていく生徒たち。ちなみに俺、美玲、エリンの三人は、葉子の信頼を得た人間としてほぼ先頭を歩んでいた。


「ここが第一体育館への野外通路だな? 皆、気を引き締めろ! 外の警備部隊は陣営を整えて迎え撃つつもりだぞ!」


 エリンの声が、勢いよく廊下を跳ね回っていく。エリンは半回転して扉に向かい、思いっきり中段蹴りを繰り出した。ドアを見つけたら蹴らずにいられないのか、こいつは。

 すると、突然視界が真っ白になった。


「うっ!?」


 光だ。体育館側に設置されたサーチライトが、俺たちに情け容赦なく向けられている。思わず腕を眼前に掲げると、同時に学校中の通信機器から怒声が響き渡った。


《生徒諸君! 教室に戻れ! これは命令だ! こちらには武器があるぞ!》


 ん? どこかで聞いたことがある声だ。どこで聞いたのだろう――。

 そうだ。エリンと初めて出会った時の、ヘリから聞こえてきた声だ。理事長にマイクを奪われた人物。エリンの言うところの、フォックスハンター・実戦部隊長だろう。


 だが、そこまでの判断を下すことのできた生徒は相当少なかったはずだ。逆にそれは、俺が今回の事件に相当首を突っ込んでいた、ということの証左でもある。

 大多数の生徒は混乱し、狼狽し、足を止めてしまった。これでは、せっかく集めた生徒たちが烏合の衆になってしまう。少なくとも、士気は大幅に下がったはずだ。

 所詮は『子供』のやることだ。『大人』には結局敵わない。ここまでか――。


 その時だった。唐突に、視界が真っ黒、否、真っ暗になった。腕を下げ、瞼を開く。始めは目の調整が追いつかず、ぼんやりとした闇が広がっているだけに見えた。しかし、徐々に慣れてきた俺の目に映ったのは、慌てふためく隊員たちの姿だ。

 この距離からでも、隊長たちの会話が途切れ途切れに聞こえてくる。


「おい、一体どうし――何だと?」

「……の配線――」

「早く復旧――」


 俺が耳を澄ましていると、少し離れた場所で小さな落雷が起こった。いや、落雷ではない。配線がショートしたのだ。同時に聞こえてくる、微かな爆音。


「そうか!」


 この学校には、非常事態用の独立発電・変電設備がある。それを何者かが破壊したのだ。だが、その何者かが人間であるとは考えにくい。生徒たちは校舎に缶詰め状態だったし、大人たちはその電力を当てにしていた。

 そうなると、今電源を破壊したのは――。


 俺の頭が回転しかけた時、足元にざわざわという感覚が走った。葉子だ。丸い瞳で俺を見上げ、俺の脛あたりを軽く掻いている。その目は、一際強く光を反射していた。まるで――動物にはあり得ないことだが――泣いているかのように。


 俺は再び、雷光のあった方を見た。


「もしかして、動物たちが?」


 そう呟くと、葉子は俺にそっぽを向けた。肯定の意志表示らしい。

 

 野生の動物に、ボタンやスイッチ、コンソールなどで発電を止めるほどの知性があったとは思えない。無理に破壊して、感電してしまったのだろう。葉子の姿からして、命を落としたものもいたようだ。


 彼らの犠牲を無駄にするわけにはいかない。

 俺は大きく息を吸い込み、叫んだ。


「突撃だ!!」

「うおおおおおおお!!」


 雪崩のように駆け出す生徒たち。大人たちの慌てる様子が目に入り、『自分たちはまだやれる!』と思い込んでくれたらしい。いや、思い込むだけではなく、実際に不可能ではないはずなのだが。

 すると、駆け出した俺の肩を叩く者がいる。淳平だ。


「僕たちはこの流れに乗って警備の連中をとっちめる! 君たちは体育館の裏に回り込んで突入したまえ!」

「了解だ! その言葉、ありがたく受け取るぜ!」


 と、その時だった。僅かな月明りの元で、警備隊員が一斉に何かを構えるのが見えた。はっとして、俺は走りながら声を上げた。


「催涙弾がくる! 皆、しゃがみ込め!」


 しかし、この混乱の中で上手く通じるはずがない。スポン、スポンと気の抜けるような音を立てて、催涙弾が弧を描く。これでは、せっかくの生徒たちの流れや勢いは強制的に留められてしまう。陽動が通用するのはここまでか。

 ピンクや黄色といった目立つ色で、催涙ガスは雲のように広がった。前方にいた一部の生徒を除いて、後方からは咳や悲鳴、転倒する音が聞こえてくる。将棋倒しにならなければいいのだが。

 俺がしゃがみ込んだまま顔を前方に戻すと、こちらの視界も悪くなってきていた。どうすればいい? 何を頼りに前進すれば――。


 その時、青白く光る尻尾が、すっと俺の頬を掠めていった。葉子だ。振り返ってこちらを見つめる彼女の目は、まるで真夏の太陽光線のように輝いている。


「皆、あの青い光を追いかけろ!」


 この声がどれほどの生徒に聞こえたかは分からない。しかし、少なくとも俺にはその光が見える。道標だ。俺はハンカチで口元を押さえ、低い姿勢を維持したまま再び駆け出そうとした。が。


「!」


 前方、葉子と俺の間に、何者かが割り込む気配。俺は慌てて身を翻した。

 俺の頭があったところを、コンバットブーツが通り過ぎる。綺麗なローキックだ。まさか理事長、フォックスハンターの連中に対して、生徒への暴力行為を認めたのか。


「とっ!」


 俺は片腕を地面につき、そこを中心に自らの身体を回転させて低い回し蹴りを放った。こんな技、ボクシングでは使わない。だが、実戦的に格闘技を学びたかった俺が、アクション映画から見様見真似でパクったものだ。

 微かにではあるが、確かに何かを掠めた実感が靴先から伝わってくる。敵は近い。だが、リーチがある。


 顔を上げれば煙幕に呑まれ、下げっぱなしでは上から狙われる。どうしたらいい?

 しかし、そんな心配はすぐに払拭されることとなった。煙幕が、縦方向に真っ二つに切り裂かれたのだ。

 葉子だ。葉子が相手に飛びかかり、同時に尻尾で空気の流れを変えたらしい。


「くっ!」


 低く短い唸り声がする。俺は急いで立ち上がり、バックステップして距離を取った。相手の胸あたりを中心に、その全身を視界に収める。

 すると、葉子が相手のガスマスクもろとも振り飛ばされるところだった。これでは地面に叩きつけられてしまう。しかし、俺は相手から目線を外すわけにはいかない。咄嗟に抱き留めるわけにはいかなかったのだ。


「葉子ッ!!」


 俺には叫ぶことしかできない。そして、葉子は地面にしたたかに叩きつけられてしまった――わけではなかった。


「おっと!」


 偶然か否か、葉子の飛ばされた先は、エリンの腕の中だった。


「修一!」


 エリンは飽くまで優しく、葉子を俺に向かって放り投げる。


「先に行け! この男の相手は私が務める!」


 淀みない動作で、ホルスターから拳銃を抜くエリン。俺が葉子を受け止める頃には、エリンと隊長は戦闘態勢に入っていた。


「見損なったぞ、エリン。せっかく俺が拾ってやったというのに」

「……!?」


 俺はいずれ見せつけられるであろう現実に、しかし、驚きを隠せずにいた。


「エリン、こいつは……」

「私の上官にして義理の父。私が彼を止めるから」


 あまりにも素っ気ない言い方。そして言い終わるや否や、エリンは容赦なく発砲した。腰を折る隊長。だが、それは弾丸の衝撃を抑えるための所作だ。肝心の防弾ベストは、見事に弾丸を受け止めきったらしい。一気にエリンとの距離を詰める隊長。そのままエリンの側頭部へと拳を振るう。辛うじて腕で鉄拳を防いだエリンは、しかし拳銃を取り落としてしまった。

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