第4話
ツインテールを揺らしながら、美玲はかぶりを振った。
「全く、あんた何なのよ!?」
俺は『まあ落ち着けよ』と言って肩を竦めてから、美玲を真っ直ぐ見つめた。
「何なのよ、なんて訊かれてもな。まあただの一高校生だとしか言えない。退学させられたら、同じくらいの偏差値の高校に転校するよ。それと」
「なっ、何よ?」
俺は一息ついてから、二つ目の持論を持ち出した。
「俺の婆ちゃん、ずっとこの堅山の麓に住んでるんだけどさ、随分お冠なんだ。昔はこの山、結構神聖な場所だって言われていたらしくて。それがこんな更地にされて、頭の固い人たちには許しがたいことなんだとよ。あともう一つ」
美玲は眉間に手を遣りながら、視線を落とした。構わず俺は、止めを刺す。
「教卓に座り込むなんて、理事長の娘としては恥ずかしいことなんじゃないか?」
「ッ……!」
美玲は俺にまで聞こえるほどの歯ぎしりをした。
「あんたねえ、言いたいように言わせておけば……!」
お前がチャンスを逃して反論できなかっただけじゃないか。俺が呆れて次の言葉を待っていると、ちょうど間を空けずにチャイムが鳴った。同時に、クラス前方のドアがするりと開いた。
「おーい、皆、席についてくれ」
入ってきたのは、若い男性教諭だった。スーツをビシッと着こなしているが、その上からでもなかなか引き締まった身体をしているのが分かる。
彼は真っ先に、教卓上の美玲に注目した。
「君、そこで何をしている? 早く下りなさい!」
「あら、森田先生!」
「お、おう、君は……」
美玲はぴょこんと教卓から下り、綺麗なお辞儀を決めてみせた。あいつ、先生方とは既に面識があるのか。
「これはこれは、ご無礼を致しまして、お詫び申し上げますわ、先生。ただ、わたくしにも言い分がありますの。前から三番目の中央席の男子生徒、ご存じでいらして?」
「ん? えーっと……」
森田と言うらしい教諭は、鞄からファイルを取り出した。
「荒木修一くん、だな?」
「ああ、はい」
俺は一度、頷いた。
「そうそう! そこの荒木修一さん! 何か気に食わないことがあったそうで、わたくしに難癖をつけ始めましたの。ご注意していただけまして? 森田先生」
難癖をつけてきたのはお前の方だろうが。すると教諭は顔を上げ、怒ったような、それでいて少し狼狽した様子で俺と目を会わせた。
「あー、荒木! 何か問題があったら穏便に済ませるように! 相談には乗るから、言い争いは止めろ!」
なるほど、そういうことか。理事長の娘であるという特権を発動し、教職員を裏で操ろうと。
真正面から反論しても、勝ち目はない。そう察した俺は、素直な様子を装って頭を下げた。
席に戻っていく美玲が、嫌味の笑みを浮かべるのを、俺は淡々とした目で見返した。
その時だった。ガタッ、と隣席の葉子が立ち上がる気配がしたのは。
器用に椅子と机の隙間を抜けながら、窓側の美玲の席に向かっていく。
「あら、あなた何か用がおありでして?」
挑戦的な目を向けてくる美玲。だが、葉子は席に着いた美玲を無感情な目で見つめている。
その時、今までにない衝撃音が、クラス中に響き渡った。
「あ……」
俺は瞬きするのも忘れて、その光景を見つめた。
葉子が、美玲を引っ叩いたのだ。
教諭までもが絶句する中、葉子はその場で半回転し、教諭に向かい合った。そして深々と頭を下げながら、これまた無感情な声で言った。
「大変申し訳ありませんでした」
そのまま、何事もなかったかのように席に戻る葉子。
再び椅子をずらす音がして、後は沈黙がクラス中を満たした。
沈黙を破ったのは、教室前方に備えつけられたスピーカーからのチャイムだった。続けて声が聞こえてくる。
《新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。間もなく入学式が始まりますので、各教室の教諭の指示に従って体育館へご入場ください》
周囲の教室から、一斉に机や椅子をずらす音が聞こえてくる。しかし、一年B組に限っては例外だった。誰もが電気椅子にでも縛りつけられたかのように動かない。否、動けない。
最初に正気に戻ったのは、森田教諭だった。
「えー、い、一之宮葉子! 入学式終了次第、職員室に来い! 分かったか!?」
相変わらずおっとりとした挙動で頷く葉子。
それを確認したのか、教諭は皆に廊下に出て整列するようにと指示を出し、そのまま俺たちを誘導していった。
※
《諸君、入学おめでとう! ようこそ、堅山黎明高等学校へ!》
俺たちは、壇上の高橋辰夫理事長を見つめていた。校長の挨拶は省略され、代わりに理事長が演説を、ということらしい。見た目よりも若々しく、エネルギッシュな声で、理事長は演説を始めた。
そんな理事長の態度は実に柔軟で、学校よりもパーティ会場の方が似合うような雰囲気だ。かつてのヨーロッパの独裁者を連想させる、キビキビとした動き。だが、笑顔を絶やさないその態度からは、険悪なものは読み取れない。
《……というわけで、全国から集められたエリート諸君! 有意義な三年間を送ってくれ! 期待しているぞ! では!》
すると俺たち、というよりは俺たちの背後、保護者席からどっと歓声が上がった。
ああ、なるほどな。高橋辰夫と言えば、先端技術工業、主に繊維・素材に関する分野で一世を風靡した人物だ。確かに俺たちの両親は金持ちの部類に入るだろうが、資産総額は彼の足元にも及ばない。
それが、高橋辰夫という人物のステータスであり、中高年の上流階級からも一目置かれる存在である理由ともいえるわけだ。
その後、入学式は地味なものに戻ってしまった。まあ、普通の全校集会になってしまった、というところか。先輩という立場の人間はいないので、残すは新入生代表からの挨拶のみ。
こんなチャンスをあの高橋美玲が逃すはずがない、と思ったが、呼び出されたのは意外な人物だった。
《新入生代表、堂本淳平!》
「はい!」
突然真後ろから響いた、威勢のいい応答。すると、俺の横を通り抜けるようにして、ぽっちゃりとした後ろ姿が演壇に向かっていくところだった。
(ほう……。ということは、あいつが今回の入試でトップの成績を修めたわけか)
内心呟き、俺は淳平の落ち着き払った答辞に耳を傾けた。内容そのものはありきたりの優等生らしかったが、その語り口は、人を引き込む力が感じられる。最後に礼をした時には、拍手喝采のみならず、『ブラボー!』という場違いな言葉が飛んでくる始末だった。
少し視線を横に遣ると、どうやら『ブラボー!』の主は理事長であったらしい。明るく自由で開かれた校風であることをアピールしたかったのだろう。
そのまま視線をずらしていくと、その娘、美玲が視界に入った。皆が拍手する中で、一人だけ悔し気に唇を噛みしめている。『ざまあみろ!』とまでは思わなかったが、まあ、こうして社会の波に揉まれる経験も必要だろう。なあ、お姫様?
※
その後、入学式は何事もなく終了し、俺たちは自分たちのクラスに戻った。そのままホームルームがあり、明日からの持ち物や日程表が配られた。
意外だったのは、学園祭が秋ではなく、夏に行われるということだ。森田教諭によれば、夏休みを有意義にするために、開催時期をずらしたのだとか。
だが、学園祭を夏に行うことが、一体どんな『有意義』に繋がるのだろう?
再び年間スケジュールのプリントに目を戻す。そして俺は、一人納得した。学園祭は、夏休みに行われることになっていたのだ。『夏休み中は遊ばせてやるから、秋の文化祭は没収』とでもいったところなのだろう。律儀なことだ。
続けて、このホームルームの時間中に学級委員長と副委員長を決めることになった。委員長は、案の定美玲の一人勝ちだった。本人があれだけ目立ちたがりなのだから、予想通りといったところか。また、副委員長には淳平が選ばれた。本人はあまり乗り気ではなかったようだが、断る理由も見つからなかったらしく、素直にそのポジションに収まった。
「よーし、他の委員については明日の午前中に決定する。皆、何かしらの委員の仕事は割り当てられるから、自分が何をやりたいか決めてくること! 以上!」
森田教諭の視線が美玲の方へ。すると美玲は頷き、軽く髪に手を遣りながら『起立!』と一言。全員がガタガタと立ち上がるのを確認してから、『これで、帰りのホームルームを終わります! さようなら!』と言葉で締めくくった。
こんなテンプレ台詞でもどうにかなるのだから、やはり美玲の挙動は様になっている、と言う外ない。
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