第5話

 生徒たちは、各々帰宅準備をして席を立っていく。美玲がひと騒ぎ起こしたお陰か、二、三のグループが既に成立し、校舎に並立されたカフェテリアへと向かっていく。親睦を深めようということか。いいことだ。

 そんなクラスメートたちを眺めていると、軽く肩を叩かれた。淳平だ。


「なあ荒木くん。修一くん、と呼んでも構わないかね?」

「ああ、呼び捨てでいいぜ、淳平。で、どうした?」

「僕も何人かからお呼びを受けてね。君も誘おうと思うんだが、どうかね?」

「そりゃありがたいな。是非――」


 と言いかけて、俺は視界の隅に違和感を覚えた。

 教室の隅で、葉子と教諭が何やら言葉を交わしている。どこか他の生徒たちも二人を避けているようだ。教諭は身振り手振りで『葉子の暴力行為』について納得させようとしているらしい。それから職員室に連れて行こうとしているのだろう。


「あー、悪いな淳平。今日はちょっと都合が悪くなった。また明日な」

「あれ? どうしたんだ修一? 何事かね?」

「皆にも俺からよろしくと伝えておいてくれ」


 それだけ告げて、俺は葉子たちの方へと歩み寄っていった。その時だった。横合いから声をかけられたのは。


「あーら荒木さん! 何か森田先生に御用でも?」


 美玲だ。背後には、男女問わず十名近い取り巻きを従えている。

 しかし、俺は特に気にかけずに『まあな』と一言。


「もしかして、あの一之宮さんの助太刀でもなさるつもりかしら? でも残念だわ。わたくしにこんな傷を負わせてしまっては……」


 先ほど葉子に張られた頬を押さえ、顔を逸らす美玲。あまりのわざとらしさに、俺は呆れてものも言えない。

 俺は一つ、大きなため息をついてから、美玲の方へ身体を向けた。


「お前と違って、俺は助太刀できる立場じゃないだろうな。だが、正確な状況説明ならできる。その責任を感じたまでのことさ」


 すると、美玲はバッと顔を上げた。


「ほ、本気ですの?」

「ああ。生憎俺には先生方とのコネはないが、やれることをやるだけだ」


 ポッカリ口を開けた美玲から顔を逸らすと、ちょうど葉子と森田教諭が教室を出ていくところだった。


「おっと。ま、そういうわけだから。じゃあな」

「ちょ、あなた待って――」


 振り返りもせず、俺は教諭に近づいた。


「森田先生、俺……じゃない、僕も同伴させてもらえますか?」

「んん? 荒木、お前まで呼び出した覚えはないが?」

「だからこうしてお願いしているんです。よろしいですか?」


 すると教諭はため息と共に肩を落とし、


「……分かった。ついて来い、荒木」

「ありがとうございます」


 俺は軽く頭を下げてから、軽く美玲たちの方を一瞥した。今度は美玲の方が呆れてものも言えない状態のようだったが、それ以上言葉を交わすことはなかった。


         ※


「いや、全く申し訳ない!」

「は、はあ」

「……」


 椅子に座って大きく頭を下げる森田教諭。俺はやや戸惑いながら、葉子は無言で教諭を見つめている。

 職員室は、廊下から見てガラス張りになっている。『開かれた学校』を象徴するような部屋の造りだ。しかし、その奥にはカーテンで仕切られたスペースがあり、生徒と教諭が相談を行う場となっている。

 俺と葉子が招かれたのは、そんな狭い空間だった。


「実はな二人共、あの女子、高橋美玲さんは……」

「分かってますよ。先生に罪はありません」

「あ、ああ……」


 森田教諭は、先ほどとは打って変わって肩を狭めながら話をした。

 高橋美玲は、理事長の娘であること。

 彼女と教職員との間には、強力なパイプがあること。

 そして、教職員は美玲に対して強い態度に出られないこと。


「だから、美玲さんに手を上げてしまった一之宮の態度が問題視されてしまうんだ。そもそも、この高校は全国からのエリートを掻き集めている。暴力行為やいじめといった問題行動が発生するなど、想定されていないんだ」


『分かるな?』と首を傾げて同意を求める教諭。俺はすっと、葉子はのっそりと頷く。


「まあ、今回は出会ったばかりということもあるし、登校初日でもある。少しトラブルがあったということで、俺が責任を取ろう。理事長も、あの程度なら大目にみてくださるかもしれない。だが」

「だが?」


 俺が語尾を繋ぐと、森田教諭は難しい顔で眉間に手を遣りながら言った。


「皆への示しもある。一之宮、すまないが反省文を提出してくれ」


 そう言いながら、原稿用紙三枚を葉子に手渡す教諭。だが、俺はそれを見過ごすことができなかった。


「先生、そもそも一之宮が美玲を叩いた原因は僕にあるんです。僕が馬鹿にされて、それを受け流していたら代わりに一之宮が美玲を……」

「つまり?」


 俺は軽くため息をつきながら、そっと手を差し出した。


「僕も反省文を書きます。そうすれば美玲の気も晴れますし、先生の面目も保てるでしょう? やりますよ」

「……そうか。本当にすまない」


 こうも謝られてばかりでもなあ。先生にはしっかりしていてほしいものだが。

 そんな先生を後に、俺と葉子はカーテンを開き、そのまま職員室を、そして校舎を後にした。


 男子寮と女子寮の分かれ道まで、俺と葉子は肩を並べて歩いた。


「なあ一之宮、お前、自分の荷物とか部屋の片づけとかはちゃんとやってるんだろうな?」


 無言で頷く葉子。


「ならいい」


 そう言って、俺は今日何度目かのため息をついた。


「反省文は書けそうか?」

「うん」

「分かった。あ、あと、どうやったかは訊かないが、これ以上俺の部屋に忍び込んだりするなよ。それじゃ」

「うん」


 短い返答を繰り返す葉子。ま、大丈夫だと信じることにしよう。俺は葉子に背を向け、そのまま男子寮の自室へと入っていった。


         ※


 翌日。

 制服を身に着け、鞄を片手で肩からかけながら、俺は男子寮を出た。特に誰かと言葉を交わしたわけでもない……というか、避けられているのかもしれない。まあ、嫌厭されているのかもしれないが、まあその時はその時だ。


 するとちょうど、女子寮のエントランスから葉子が出てくるところだった。


「おう、おはよう一之宮」

「おはよう、荒木くん」


 両手で鞄の把手を持ち、軽く頭を下げる葉子。


「昨日はごめんね、なんだか付き合わせちゃったみたいで……」


 おや、珍しく歯切れのよい言葉運びだ。しかし俺は、そんな葉子を手で制した。


「一之宮、お前が気にしてどうするんだ? 俺が勝手について行って、勝手に罰を頂戴しただけだ。気にすんなよ」

「うん……」


 俺が先に歩き出そうとすると、すぐ後ろから葉子が声をかけてきた。


「荒木くん、名前で呼んでもらってもいいかな……? 葉子って」

「ん? ああ、構わないけど」


 俺は淳平と話したことを思い返した。


「じゃ、俺のことも修一、って呼んでくれ。あーいや、適当でいいや。好きなように」

「分かった。修一くん」

「改めてよろしくな、葉子」


 まあ、初対面時は葉子が素っ裸だったわけで、『改めて』というのも変な感じだが。しかしそれはそれ、終わったことだ。気にすることもあるまい。俺は腕時計に目を落とした。


「朝のホームルームまであと二十分か。のんびり行こうぜ」


 のっそりモードに戻った葉子が、こくりと頷く。俺は深呼吸を一つ。木々の香りが清々しい。しかし、そんな感慨にふけっている時間は唐突にぶち壊された。


「あーら、これは荒木修一さんに一之宮葉子さんじゃありませんこと?」


 背後からよく通るキンキン声が響いた。高橋美玲か。

 

「何か用か? 美玲嬢」

「ええ、まあ」


 美玲はゆっくりとこちらに足を進めてきた。案の定、取り巻きも数名従えている。


「森田先生にこれ以上ご迷惑をおかけしないよう、わたくしが宿題のチェックをさせていただこうかと思いましてね。いかが?」


 要は、昨日課せられた反省文を見せろと言いたいわけか。きっと昨日のうちに、美玲は教諭に連絡を取って、どんな罰を科したのかを知ったのだろう。


「これは森田先生向けの個人的な書類だ。美玲、あんたに見せる筋合いはねえよ」

「あら? そんなことを言っていられるお立場でして?」

「今は先生方が周囲にいない。合理的に俺たちに責めを負わせることのできる人間はいないと思うが?」

「……ッ」


 再び歯ぎしりをする美玲。


「行こうぜ、葉子。何もこいつに見せてやる必要は――」


 しかし、律儀なことに、葉子は鞄を置いて中から原稿用紙の束を取り出そうとしていた。

 無言で美玲に反省文を差し出す葉子。


「あら、ごめんあそばせ」


 美玲はぱっと、葉子の手から原稿用紙を引ったくった。

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