第18話

 俺の予想が正しければ、葉子はエリンたちの後を追って地震のあった現場へ向かったはずだ。これ以上の衝突が起きないようにするために。

 俺が再び校外へ脱出することを考え始めた、その時だった。背後から俺の肩に手が載せられた。ゆっくりと、しかしずしりとした実感を伴って。

 

「今度は何をしでかす気だ、荒木?」

「森田先生……」


 彼が俺の行動予想範囲に入って来るとは、意外だった。


「荒木、すまんが一緒に来てくれ。他の皆は、理事長や警備部隊の面々の指示に従うように」


 森田先生は、俺の背を叩いた。飽くまで軽くだ。しかし、その掌に込められた心理的な圧力に、俺は従うしかなかった。

 顔を覗き込んできた先生に、俺は黙って頷き、立ち上がった。

 

 ちょうど夕日が差し込んできた。軽くクラスメートの顔を一瞥したが、逆光でよく見えない。ただ一人見えた顔は、淳平のものだ。随分と不安げな目で俺を見上げている。


「大丈夫だ」


 小声でそう告げて、俺は森田先生の後に続いて廊下に出た。


「どこに行くんです?」

「校内だ。来てもらえば分かる。意外な場所かもしれないがな」


 そう言う先生の歩幅は随分と広い。速足についていくうちに、俺は角を数回折れて、校舎の突き当たりに誘導されていた。


「ここって……」


 なんということはない。いつか葉子が世話になった、保健室だ。


「失礼します」

「あら、森田先生。早かったわね」


 そこで俺たちを待ち受けていたのは、この部屋の主、後藤先生だ。


「久しぶりね、荒木修一くん」


 綺麗に組まれた長い足にドキリとしつつ、俺は『どうも』と言って慌てて頭を下げた。


「後藤先生、状況は?」

「芳しくないわね。これを」


 後藤先生は、手元のノートパソコンのコンセントを引き抜いてこちらに画面を向けた。


「こいつは……。結界、ですか」

「ええ。私たちが遭遇してきた中でも、最高クラスの強度を誇っているわね。ヘリを退避させておいたのは正解だったわ」

「それはそれは」


 デスク上で会話を交わす二人の教師。俺ははっとした。話題に追いつかなければ。


「あの、先生たちは何の話をしてるんです? 状況とか結界とか……一体何です?」

「ああ、生徒たちへの情報統制は完璧だったようね。妖怪とか怪物とかの件で、裏で何が起こっているか」

「裏……?」


 俺の口から、ぽとりと言葉が落ちる。


「荒木くん、あなた、一之宮葉子さんと仲がいいようね」

「は?」


 いや、自覚するほどの仲ではないが。


「彼女がヨウコ……って口頭じゃ伝わらないわね。妖怪の狐と書いて『妖狐』。最近になってそう疑ってはいたのだけれど、目的が分からないから泳がせておいたの。どうやら私たち人間と、自然に宿る霊との関係改善を図っているようね」


 俺はますます混乱した。葉子の言動を見ていれば、彼女の目的は察せられたし、彼女自身が妖狐であることはほぼ確定的だ。

 だが、その事実と先生たちにはどんな関係があるというのか? 何故、先生たちはそんなことを知っているのか? そしてこれから、何をどうするつもりなのか?


「我々教職員は、高橋財閥に集められた精鋭だ。かく言う俺も、大手予備校からその実績を買われて雇われたんだ。教師というより、人材育成のための歯車としてな」


 森田先生は、腕を組みながらそう言った。


「だが、それでは不足だった。我々は単なる『教員としての意識』だけではなく、『小を犠牲に大義を為す勇気』が要求された。今回の場合、堅山という一つの山林を潰してでも、学術的に理想的な環境を創ることが『大義』だったんだ」


 そこで突然、後藤先生がさっと手を挙げた。森田先生の言葉を遮るように。


「綺麗事は抜きにしましょう、森田先生」


 ひんやりとした、後藤先生の言葉。森田先生には目もくれない。


「いいこと? 荒木くん。あなたには許し難いことでしょうけどね……。高橋財閥の狙いは、敢えて環境破壊を起こすことなのよ」

「は、はい?」


 俺は耳を疑った。たった三ヶ月とはいえ、今まで習ってきたことと全く逆行してしまうではないか。


「人間は自然を破壊しても構わない。代わりに、独力で環境を変え、自分たちの種だけでも生きていける。そんな思想を、高橋理事長は抱いている。まあ、そこには世界の技術革新に追従しなければならない、という国家レベルの思惑もあるのだけれど」


 呆気にとられる俺に向かい、森田先生が質問を投げかけてきた。


「二酸化炭素の排出量、多い国といえばどこだ?」

「えっ? そりゃあ、中国、アメリカ、それに日本もかなり上位にいたんじゃないかと……」

「その通りだ」


 うんうんと頷く森田先生。


「だが皮肉なことに、これらの国々――二酸化炭素排出量の多い国こそ、環境保全に繋がる技術革新を起こしているのもまた事実なんだ。その研究のためには、どうしても自然環境と利害が衝突することはあるし、人間が幅を効かせてしまう部分もある」


『我々は地球を守るためにこそ、元来の地球の自然と戦わなければならない』――。森田先生はそう言った。

 淀みなく語られたその言葉と事実に、俺は応えるだけの考えを持ち合わせていない。


「今年、この堅山を大幅に開拓して高校を建てたのも、単なる理事長の気紛れじゃない。堅山を見せしめにして、人間の、人類の支配力の強さを世界に誇示する。それが、ここに教育機関を置いた本当の理由だ」


 すると、森田先生の演説の隙を突いて、後藤先生が口を挟んだ。


「まあそれはいいとして。問題は、今現在、我々が置かれている状況よ」


 そうだ。結界がどうのこうのという話になっていた。あれは一体、何を意味していたのか?


「結界というのは、今までは存在しなかった事象なの。出現予想はされていたけれどね。霊体以外の、今生きている生物の通過を許さない盾。そう思ってくれればいいわ」

「そ、それが俺たちにどんな影響を……?」

「簡単なことよ」


 後藤先生は肩を竦めて見せながら、コーヒーで唇を潤した。コトリ、とカップを置きながら、すっと俺を見上げる。


「我々はこの学校の敷地から出られなくなった……。自然側の人質に取られたということね」


 その瞬間、俺は頭が真っ白になった。自分の予想・考えが、一気に捻じ曲げられてしまった、そんな感覚。

 この高校は、自然科学を勉強するために建てられたはず。だが、まさかそれが『表向き』の体裁でわざわざ建造されたとは。どうして平地に造らないのかという疑問に、もっと食いついていればよかった。


「我々と自然の霊魂、それぞれに死者が出ている。ここから先、何が起こってもおかしくないわね」


 後藤先生の言葉は、実に明瞭で聞きやすかった。それでも、胸の奥を焼くような熱い感覚に苛まれるのは何故だろう。

 葉子、お前は今どこで何をしている?


 その時だった。廊下の方で、カタン、と軽い音がした。後藤先生は自分のデスクから、目にもとまらぬ速さで拳銃――これも対霊体用なのだろう――を取り出し、ドアの向こうにポイント。

 ああそうか。保健の先生というのはやはり建前で、彼女もきっと訓練を受けてきた身なのだ。

 などと考えているうちに、


「ぐっ!?」


 俺は後ろ襟を掴まれ、軽く床に引き倒された。


「下がっていろ、荒木!」


 小声ながら鋭く指示する森田先生。俺は半ば引きずられるようにして、デスクの陰へ引っ張り込まれた。


「何者だ? こちらには武器があるぞ!」


 俺は先ほど、昇降口近くで見かけた、猫の姿の霊体を思い出した。またあんな風に、何らかの霊体が負傷、または魂の寄る辺を失ってしまうのだろうか。

 だが、聞こえてきたのは、嫌というほど聞かされてきたあの人物の声だった。


「う、撃たないで! 私、美玲! 高橋美玲よ!」


 はっとして顔を上げると、後藤先生が両手で拳銃を構えたまま、ゆっくりとドアへ近づいていくところだった。

 一歩、二歩、三歩、ドシャン。

 無理に蹴り開けられたドアから、窓ガラスが割れてばらばらと床に落ちる。

 その向こうに立っていたのは、確かに高橋美玲だった。ただ、自分で肩を抱いているので、その姿はひどく小さく見える。いつもの態度のデカさは何だったのだろうか。

 後藤先生は、美玲を足元から頭のてっぺんまでじっと見定めた後、『入れ』と指示してドアを閉めた。森田先生と違い、後藤先生は美玲に対しても、ざっくばらんに物言いができる性質らしい。

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