第19話
「盗み聞きしてたんだな?」
「……」
無言で頷く美玲。後藤先生の高圧的な口調に、俺は『なにもそこまで言わなくても……』と呟いた。が、確かに今の話は、野放図に広められるべきではないだろう。
俺は立ち上がり、美玲たちの方へと歩み寄った。後ろでガチャガチャ音がするのは、恐らく森田先生が武装している音だ。
よくよく見ると、美玲の身体は足先から頭頂まで小刻みに震えていた。
「おい、大丈夫か?」
俺がそう声をかけると、美玲はわっと両手を広げ、後藤先生のそばを素通りして俺に抱き着いてきた。
「ちょっ、何を……!?」
「怖かった、怖かったのよ、荒木くん!」
「は、はあ!?」
俺の背に腕を回しながら、こちらを見上げる美玲。涙でぐしゃぐしゃになったその顔に、いつもの『お嬢様目線』は感じられない。純粋に救いを求める、小動物のような瞳。三ヶ月も同じ教室で授業を受けていれば、今の美玲がいかに非常事態に陥っているか、察するのは容易だった。
「銃撃戦なんて起こってるし、パパはあんな調子だし、一之宮さんはわけが分からないし……。でも、荒木くんは一人で森に出て行って、無事に帰ってきた。だからあたし、あなたほど頼れる人はいないと思って……」
「……」
今度は俺が言葉を失う番だった。きっと美玲は、今までずっと厳しい教育を受け続け、自信過剰な自分と脆弱な自分の区別がつかなくなっていたのだろう。
これだけ頑張ったのだから威張っても構わない、という自分と、それでも他人の顔色を窺わずにはいられない自分。
一つの心の中に、こうも逆行する性質の自分が二人いれば、それはそれは疲れることだろう。
俺の胸に顔を埋める華奢な少女。その両肩に手を載せながら、俺は正直に話を聞かせてやることにした。
「あのな、美玲。俺はお前が嫌いだったよ。だけど、それって親とか周りの人間が厳しくしてきたからだろう?」
「……分かんない……。友達の家のことなんて知らない。比べようがないんだもの」
「あー、まあそうかもしれねえけどさ」
俺は決まり悪く、後頭部に手を遣った。
「でも、今日のお前の言葉や態度を見ていて、気づいたことがある。お前にだって、甘えさせてもらえるような大人が必要だった。違うか?」
「え……?」
すぐには理解が及ばなかったのか、赤い目で俺を見上げる美玲。
「例えば、俺は親父もお袋もほとんど家にいなくてな。中学の頃から一人暮らしをしたり、婆ちゃんの家に世話になったりしてたんだ」
「寂しくなかったの?」
「そりゃあ、まあ……。でも、俺は両親が冷たい人間だとは思わない。よく絵葉書をくれるし、スカイプで話したりできるしな。一流の研究者として世界中を飛び回ってる親父とお袋を、俺は尊敬してるし、誇りに思っている。そういう仲なんだよ、うちは」
思案するためか、美玲は視線を足元にやって、しばしの間、黙り込んだ。
「……しい」
「ん?」
何かを呟いた美玲に、俺は耳を傾けた。
「何だって?」
「……羨ましい。親御さんのことを、堂々と自慢できるだなんて」
「お前だって散々自慢してたじゃねえか」
俺は思わず、笑いだしそうになった。『わたくしのお父様は理事長でしてよ!』という美玲のキンキン声が甦る。
だが、きっとそれとこれとは別なのだ。
俺のように、両親の気遣いや心理的な温もりを感じられるか。
または美玲のように、親の肩書き述べることによって、ようやくその存在を肯定できるのか。
「なあ、美玲」
涙の跡をハンカチで拭いながら、美玲が顔を上げる。
「お前はどうしてこの高校に入った?」
「どうして、って……」
「志望動機だよ」
美玲は一度、ごくりと唾を飲んでから、
「パパがそうしろ、って言ったから。そうでなきゃ、お前にエリートになる道はない、って」
「何だと?」
俺は唐突に、脳みそが煮立つような感覚に囚われた。
俺がこの堅山黎明高校を志望した理由。それは、両親のように世界を股にかけ、人類に貢献できるような科学者になりたかったからだ。両親の影響があるとはいえ、それは俺が自分の意志で決めたこと。後悔はない。
だが、それに比べて美玲はどうだ? 父親が、この高校への進学を無理強いをしたに近い状況ではないか。しかも、『エリートになる道はない』とは……。
この場合、『エリート』とは『高給取り』のことだろう。だが、それが人生の全てではないことは、自然と学ばされることだ。『過労自殺』という言葉が広まって久しいが、むやみやたらに『エリート』になる、ということは、相応のリスクを背負うことでもある。俺ならそう考える。
もしかしたら――あまり想像したくはなかったが――、美玲はずっと、自分の可能性や選択肢を周囲に叩き潰されながら生きてきたのかもしれない。それは大人たちによる許されざる蛮行だが、所詮他人は他人、俺にどうこう言える筋合いはない。
だが。今この状況で、俺は何を為すべきか。それを落ち着いて考えてみよう。
俺たち生徒に一番大切なこと。それはこの、結界で閉じ込められてしまったという状況から脱出することだ。
最も分かりやすいのは結界を物理的に破壊することだが――。
「結界に興味ある? 荒木くん」
まるで俺の心を見透かしたように、後藤先生が声をかけてくる。
「確かに、壊せればそれに越したことはないのだけれど……あ、ちょっと待って」
後藤先生は、自分のデスクから小さなイヤホン状の機械を摘み上げた。
「こちら後藤」
《後藤先生、これは秘匿回線ですか?》
向こうからは、緊迫した様子の男性の声が聞こえてくる。
後藤先生は一瞬、思案顔を作ってから、ウィンクをしてみせた。
「ええ。私にしか聞こえていないわ」
《では……。十秒後に時刻合わせをお願いします》
「了解」
短くて長い十秒間が経過し、後藤先生はデジタル腕時計のスイッチを調整した。
「で、何をするの?」
《まず、結界の内側から攻撃します。銃撃に際しては退魔用九ミリ特殊弾を使用。破壊できなければ、結界上部からヘリの機銃掃射を試みます。結界はドーム状に展開されており、掃射の際はドームの上方三十度から三十五度の間を狙います》
「中にいる人間に危害が及ぶ可能性は?」
《心配は不要です。が、機銃掃射以上の威力を有する火器は使用できません。弾頭や爆風が結界内に飛び込んだ場合、内部の人間に危険が及びます》
後藤先生は素早くメモを取りながら、無言で頷いている。飽くまで聞いていないことになっている森田先生は、メモは取らずとも必死に想像を巡らせているようだった。
すると、ふとしたところで後藤先生の手が止まった。
「今度こそ、犠牲者は出ないんでしょうね?」
その言葉に、無線のこちらと向こうは同時に沈黙した。あまりにもその声が鋭利だったからだ。
《え、ええ、計算通りであれば……》
「あっ、そう」
吐き捨てるように言ってから、後藤先生はイヤホンを外した。
それからデスクの前の回転椅子に腰を下ろし、無邪気な少女のように両腕を伸ばして一回転する。
「ああいう答え、一番嫌いなのよね」
「どういう意味です?」
「んー?」
俺は怖いもの見たさで尋ねてみた。
後藤先生は背もたれに身体を預けながら、ゆっくりとこちらに顔を見せる。
そして――俺は後悔した。こんな不気味な笑顔を貼りつけている女性を、俺は見たことがなかった。
「計算通りなら人は死なない。計画通りなら誰も傷つかない。ふざけんなってのよ。思った通りになんて、いくわけないじゃない。どんな作戦でもねえ」
唇の片端だけを不気味に吊り上げる後藤先生。あまりの緊張感に、俺は逆に余計踏み込んだ質問をしてしまった。
「何かあったんですか? 後藤先生」
すると、後藤先生はぼんやりと俺を見返しながら、さも憂鬱そうに語りだした。
「これでも保健室勤務だし、その前はいろんな種類の怪我人を見てきたのよ」
『その経験を高橋理事長に買われたのだけれど』と言って、後藤先生は煙草を取り出した。
「非常事態ですもの、例外的な行動は許されるわね? 美玲さん」
「え? えっ?」
「今この室内で、高橋理事長と最も懇意にしているのはあなたでしょう? 煙草、吸ってもいいかしら? 理事長の代わりに教えてくれない?」
「は、はいっ! どうぞ!」
すると後藤先生は悪戯っぽく笑って『ありがとう』と一言。デスクから煙草の箱を取り出した。
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