第16話
「なんて格好だ、修一! せっかくのメイド服、似合っていたのに……」
淳平よ、心配するのはそこじゃないだろう。そうツッコミを入れたいのを堪えながら、俺は教室に足を踏み入れた。堅山の祠のあった場所から、学校に戻ってきたところだ。
戻ってきた、という表現は適切ではないかもしれない。気がついた時には担架に寝かされていたし、今も背後にはエリンの自動小銃が突きつけられている。それを見た淳平は、短い悲鳴を上げて尻餅をついた。
「座れ、荒木」
「はいはい」
銃口で俺の席を指し示すエリン。
俺はもうやけっぱちだった。どうにでもなれ、と。やはり祠の前で起こした一騒動は無茶だった。だがそれを無茶だと判断するだけの理性は、先ほどの俺にはなかったのだ。
仕方がない。どうしようもなかった。俺程度の高校生が、あの高橋財閥お抱えの警備部隊に喧嘩を売ったのが間違いだった。――俺は、あまりにも無力だ。
教室を見回してみる。皆、どこか好奇心を抑えきれない様子だ。あまり心配や不安の念は抱いていないように見える。多くの生徒は着席していたが、それでもお喋りは盛んだった。
警備員も銃を肩から背中にかけていて、先ほどまでの緊張感は漂わせていない。そんな中、俺は憂鬱な視線を隣席に遣った。
「……」
一之宮葉子。彼女だけは、明らかに周囲から浮いていた。悔し気に両の拳を握りしめ、背を丸めたまま今だに肩を震わせている。
こんな格好の人間を見かけたら、普段ならそっとしておくべきだろう。だが、今の俺には葉子以外に声をかける相手がいなかった。逆に言えば、誰とも思いを共有しないでいる、というのは、俺にとっては我慢できないことだった。あまりにも、心の空白が大きすぎる。
「なあ、葉子……」
すると、ぱっと葉子は顔を上げた。意外なことだ。すっかり塞ぎ込んで、声をかけても無意味なのでは、などと俺は勝手に思っていたのだ。だが、もしかしたら葉子の方こそ、誰か話し合える相手――もしかしたら俺のことを求めていたのかもしれない。
「修一、話したいことがあるの」
涙で歪んだ顔をした葉子。だが、思いの外その声ははっきりしていた。
「まずは、あなたが出て行ってからのことを話さなければね」
葉子は語った。
急に警備部隊の動きが慌ただしくなったこと。『生徒一人が脱走』との校内アナウンスが流れたこと。エリンが率先して追跡部隊に入ったこと。そして、『心配無用!』との旨の高橋理事長の言葉が続いたこと。
「あなたが無事見つかった、っていう放送もあったけど……。本当に大丈夫?」
「え? あ、ああ」
「そう……」
葉子は視線を前方に戻し、手で顔を覆うようにして再び俯いた。
俺もまた、身体を黒板側に戻した。ひどく身体が重い。
「淳平、悪い。俺のジャージあるか?」
「ああ。ロッカーに入れておいたよ」
「サンキュ」
立ち上がった俺に対し、エリンが鋭い視線を飛ばしてくる。
「トイレで着替えてくるだけだ。そんなにピリピリすんなよ」
そう告げて、周囲の監視の目を意識しながら、俺はトイレに向かった。
※
トイレの個室で着替えて帰ってくると、予想外の人物がそこにいた。
「やあ、荒木修一くん! お身体の方は大丈夫かね?」
正直、度肝を抜かれた。
「高橋……辰夫……!」
俺は震える声で、それだけを口にした。
「おっと、年長者を呼び捨てにするのはよくないな。だが、私にも非があることは認めよう。部下が全く、失礼を致した。それでお怒りだったのかな?」
『お怒り』という一言で、俺は再び自分の脳内が真っ白になるのを感じた。
だが、ここでまた暴れ出すわけにはいかない。司令官がそばにいるからか、隊員たちもピリピリしている。また昏倒させられてしまう事態は避けたいところだ。
しかし、俺は不思議な感覚を覚えた。真っ白になったはずの脳が、急速に冷めていくのだ。そこには恐らく、『今、最高責任者に伝えなければ』という義務感もあったのかもしれない。
俺はゆっくりと、一語一語を選びながら言葉を紡いだ。
「理事長、これ以上の開拓作業は、止めてください」
「ほう?」
司令官、もとい理事長は両眉を上げて見せた。どこかおどけた、驚きの表情。そこに罪の意識は全く見受けられない。
しかし、俺は知っていた。一週間ほど前から第二体育館の建設を目的に、土壌工事が行われていることを。今日は特に、鉄筋が山中に運び込まれ、トラックの往来が激しかった。
それが、山の霊魂たちの我慢の限界を招いたのだろう。ギリギリだった均衡は、完全に崩れ去った。
「あなただって知っているはずだ。ここが地元住民や、動植物にとってどれほど神聖だと思われてきたか。いや、神聖なんて言葉はいらない。とにかく大切な場所なんだ」
理事長は黙って腕を組み、落ち着いた様子で聞いている。
「それにこれだけの更地を造って、人工物を建てて……。これはあまりにも傲慢だ。せめて、これ以上この山を荒らすことは止めてもらいたい」
『以上です』と言って、俺は持論を締めくくった。教室中が、静まり返っている。あの美玲でさえ、声を上げようとはしない。父親の前で萎縮してしまったのか。
だが、そんなことはどうでもいい。俺は理事長が次に何を口にするか、ずっとその顔に注視した。逆に俺に刺さってくるのは、警備部隊の隊員たちの視線だ。その中にはもちろん、エリンの目も入っている。
さて理事長。俺をどう料理する? 退学処分か? 停学で済ませるか? いや、ここまで事が大きくなってしまった以上、学校の閉鎖という事態も考えられる。
俺はぐっと唇を結び、しばしの間、理事長の采配を待ち続けた。
しばし続いた沈黙の後、『荒木くん』と理事長が口にした。演説者らしい、適切な間の保ち方だ。
「君の意見、確かに拝聴した。感謝する」
「え?」
俺は拍子抜けした。俺の意見など、頭ごなしに否定されると思っていたからだ。
「君のことは調べさせてもらった。昔はよくこの山に入って遊んでいたそうだね」
俺は無言で頷くしかない。
「まあ、幼少期の思い出は多々あるだろう。それに、お婆様のお気持ちも汲んで君は行動したんだろうね。だが、残念ながらそれは間違いだ。社会に通用する理屈ではない」
ゆっくりと、しかし確実に間合いを詰めてくる。そんな感じの言葉遣いだ。
「高橋財閥は小型・分業化してさらに巨大化を遂げる。君たちが入学したての頃、人工衛星を打ち上げただろう? あれもその事業の一つだ。そして教育改革にも乗り出そうとしている。世界に散らばった有能な人材を、数基の人工衛星通信補助システムで繋ぐ。情報の輸送と管理を一括して行うには、教育業界と宇宙産業への同時参入が必要だったのだ」
『さもなければ、この時代の流れの中では生き残れない』と、理事長は小声で付け足した。だが、その小言にこそ、俺は人間の在り様が現れているように思われた。
「結局、目的は金か」
そう呟いた俺の前で、理事長は手を顎に遣った。続けてくれ、と言う風に、視線を合わせる理事長。俺は攻勢に出た。
「あんたは高橋財閥のボスだ。他にも何か、自然破壊をしなくてもできることがあったんじゃないか? 医療補助とか資源関係とか、できることはたくさんあっただろう? こんな俺みたいな馬鹿な生徒でも、そのくらいは考えられるぞ」
「その通り」
理事長は何度も首肯しながら、俺を指差した。
「だが、そんな理想だけでどうにかなるものではない。我々が行っているのはビジネスだ。より潤沢な利益の上がる方向に向かわざるを得ない。そこには地方が、国が、世界が何を求めているかを読み取る能力が必要になる」
『分かるね?』と確認を取る理事長に、俺は目だけで頷いて見せた。
理事長の顔つきは、いつの間にかがらりと変わっていた。眉間に皺を寄せ、肩を落としている――先ほどまでの穏やかさはどこへやら、だ。
「許してくれとは言わん。だが、君に今の状況を変えることができるとも言わんよ、荒木くん。そのあたりの話は私以上の適任者がいるから、訊いてみるといい」
「は?」
疑問を呈する俺から目を逸らし、理事長は出口へと向かっていく。
「お、おい、ちょっと待てよ!」
俺がその肩に触れようとした瞬間、横合いから手首を掴まれた。はっとして視線を遣る。そこにいたのはエリンだった。
彼女に動きを止められた俺に、一瞥をくれる理事長。専従の隊員に囲まれながら、彼はスタスタと廊下に出て行こうとした――その時だった。
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