第7話 キルシ館の獣
ラルスとトゥーレは、吹き付ける風と雨の中を人垣をかき分けて進んでゆく。ハラルドの号令に従ってキルシの館の前に集まり、ブリジッタを連れてゆこうとする者たちの群れの中を。
皆ずぶ濡れでひどい恰好だというのに、獣のように目をギラつかせていた。ハラルドに目を掛けられてきた者たちばかりだから、この騒ぎも領主の座を巡る駆け引きの一つだと理解して、トゥーレに敵意を見せていた。
トゥーレは門番に自分が来たことを主に伝えさせ、周りで口々に早く贄をと叫ぶ声には何一つ答えなかった。
ラルスはといえば、トゥーレの護衛の如く「ハイどいてどいて」と彼らを押しのけて道を作るのみだった。ハラルドの息子なら自分たちと目的を同じとするのだろう、と彼らは思っていたようだが「トゥーレの邪魔すんなよ」の一言に、怪訝な顔になりざわついていた。
キルシの屋敷の門に到着するまでに、マントを引っ張られたり背中を叩かれたりと、二人はすっかりもみくちゃにされてしまった。
そして二人は、雨の中成り行きを見守る人々を外に残して、屋敷の中へと入っていった。
キルシ家の使用人に着替えを進められたが、二人はそれを断りすぐに主のところへ案内させた。濡れたマントだけ脱いで、足早に屋敷の主のもとへと向かうのだった。
今頃キルシは幾人もの豪族の主たちに、ブリジッタを差し出すようにと迫られていることだろう。外にいるのは彼らの身内や下位氏族だ。
キルシがこれしきの事で、娘を差し出すはずが無いとラルスは思っている。トゥーレだってそれは分かっているはずだ、とも思っている。
それでもわざわざ彼がここに足を運んだのは、キルシに娘を渡せと迫っている者たちに再度、贄が必要ない事を説明するためだろうと思うのだ。
ラルスはその成り行きを見るためについてきた。
そして、二人が通された応接室でも獣が吠えていた。想像通り一人の壮年の男を幾人もの男たちが取り囲むという光景が繰り広げられていたのだ。
男たちは、腕を組むキルシが黙って瞑目しているのを良いことに、好き勝手に彼を非難している。他人を贄を捧げるのは良いが、自分の娘だけは駄目などと身勝手だ、というわけだ。
トゥーレとラルスの登場で、部屋は一瞬で静まり返り二人に視線が集中する。かりそめの静寂の後、今度はトゥーレに対していくつもの言葉が投げつけられてきた。儀式を行う決心はついたのか、新しい領主になるのなら領民のために責任を果たせ、などだ。中にはひどい罵詈雑言もある。
しかしトゥーレは表情を崩さない。
そしてまたラルスは、門前でのように「ハイ黙って黙って、どいて下さいよ」とニタニタ笑いながら人々を制し、トゥーレの先導をするのだった。
集まった豪族たちが、なぜお前はトゥーレの子分のように付いてきているんだ、と目を丸くしているのが面白くてならない。
――お生憎様。俺はあんたらの仲間じゃねぇっての。
トゥーレのやりたいようにやらせる。彼が望む未来がいつか実現するのを見守る。それがラルスの個人的な思惑であり望みだった。
父には、周りの豪族たちがキルシとトゥーレを叩くように焚き付けて来い、領主には不適任だと言わせて来いと言われていたが、そんなことはとっくに耳を素通りさせている。自分もやりたいようにやるつもりだった。
「やあトゥーレ! 来てくれたのか、嬉しいね」
キルシが立ち上がって朗らかな声で言った。出っ張った腹をポンと叩いて、トゥーレに握手を求めた。言葉攻めなど、全く堪えていないようだ。
ラルスは思わずぷっと笑ってしまう。そして、怪訝な顔をしている男たちに向かって言った。
「あ、俺のことは気にしないでくれていいですから! ただの見学だし、贄がどうとかこうとかいう話は、俺どうでもいいんで!」
――そ、俺が興味あんのはトゥーレだけだからね。
ひらひらと手を振って話題の中心から離れ、ラルスは壁際に立った。後はトゥーレの独壇場だ、と観客を決め込むのだった。
そして、トゥーレは気象の話から入り嵐が直に治まることを説明して、古い因習に縛られていては発展してゆく周辺諸国から遅れをとるだけだ、と丁寧に説いてゆく。
トゥーレの熱を帯びたよく通る声が部屋に満ちていた。
途中、何度も野次に中断させられたが、一部の者は確実に彼の話に惹きつけられているのを、ラルスは見逃さなかった。今は半信半疑だとしても、トゥーレの話に耳を傾けている者たちは、いずれ彼の支持者になると確信するのだった
目を細めてトゥーレを見つめる。彼は着実に理想に向かって歩みを進めているのだと、嬉しく思うのだ。
ラルスにとって、彼は友であり憧れであり目標であり壁であり、他に替えることのできない大きな存在だった。
トゥーレが望むなら何だってしてやりたい気にさえなる。見返りを求める気持ちもない。彼がキラキラと輝いて、夢に向かっていく姿を見られたなら、他は何も要らないとさえ思う。
――いやまて。これじゃ、あの
じわりと苦笑する。
見つめているだけで幸せなの、と顔に書いているようなアマリアと、トゥーレの腰ぎんちゃくをしている自分には、痛い共通点があることに改めて気づき、笑わずにはいられなかった。
――いやいや、俺は男色に興味ねえから。
他者から見れば滑稽かもしれないが、心酔する者のために己を犠牲にしてもいいという思いは、思う本人にとっては尊いものなのだ。だから自分はこれで良い、とラルスは開き直る。そしてこんな自分だから、アマリアに同情してしまうのかもしれないな、と頭を掻くのだった。
その時、扉がバンと大きな音を立てて開かれた。同時に甲高い女の声が響いた。
「トゥーレ! トゥーレ!」
ブリジッタだった。
赤みがかったブロンドの結髪をふり乱だし、しどけない部屋着のままで彼女は走り込んできたのだ。ヒステリックな声が、キンと耳に痛い。
目を真っ赤に泣き腫らした顔で、彼女はまっすぐにトゥーレの胸に飛び込んだ。
突然の登場に、トゥーレだけでなく皆が呆然としてしまったのは言うまでもない。
「な、なんて恰好だ。ブリジッタ、部屋に戻りなさい!」
キルシが驚いて注意したが、彼女はブンブンと頭を振ってトゥーレの腕にしがみつく。豊満な胸もブルンブルンと揺れていた。
「きっと来てくれるって信じてたわ! あなたは、私を贄になんかしないわよね。見捨てたりしないわよね」
「も、もちろんだ。君を見捨てたりはしない。贄なんか必要無いことを、今話していたところで……」
「死にたくないわ! 怖いの、助けて!」
贄に指名されて恐ろしさのあまりに泣いていたのは分かる。
しかし、彼女はあまりにも場違いだった。この部屋の状況を考えず、感情のままに大声を上げているのだから。ベッドから出て来たばかりのような姿は、色っぽくはあるが見苦しいともいえる。
「怖かったの! とても怖かったのよ。ああ、トゥーレ、私たちまだ結婚してないのに……死にたくなんてないわ。あなたの花嫁になるのが夢なのよ! だけど贄になるだけの花嫁なんて嫌! 酷すぎるわ。ずっとずっとあなたと一緒に居たいのに」
ブリジッタはポロポロと大粒の涙をこぼしながらトゥーレを見上げた。彼の服をぎゅっとつかんで、子どもじみたしぐさで必死にしがみついている。どうか、離さないでくれと哀願していた。
トゥーレはブリジッタの背中を軽く叩きながら、困ったなと眉をしかめて視線でラルスに助けを求める。明らかに動揺している顔だ。よしよしと宥めるべきか、出て行きなさいと叱るべきか、どっちが正解なのかと困惑しているのだろう。
そこでラルスは、ご用命お待ちしてました、とばかりに二人に近寄っていった。
ざわめく人々の間から、失笑が漏れ聞こえてくる。
しかし、興奮状態のブリジッタの耳には届かないようだ。彼女はトゥーレの首に腕を回してつま先立ちになり、ぐっと顔を近づける。愛してるの、と囁いて婚約者の唇に熱い吐息を重ねようとした。
だが注目の的となっていることを自覚しているトゥーレは、顔を険しくして彼女をかわしてしまう。なんとか穏便に振りほどこうと、彼女の肩をそっと押して離れようとしていた。そして、側まで来たラルスに目配せする。
「……ブリジッタ、分かってる。落ち着いて」
「そそ、落ち着こうね、大丈夫だから。そんで、大切な君のために今トゥーレは、とっても大事なお話してるところだからね、他の部屋で俺と一緒に待ってようか、ね、ね」
ラルスは壊れ物を扱うようにブリジッタの手を取って、それからするりとトゥーレから引き剥がす。
――こういう事だろ? いやあ、ツーカーだよね。俺たち通じ合っちゃってるよねえ。ブリちゃんの出る幕じゃないしねえ。つーかあんた、キスくらいしてやれよ。
あからさまにホッとするトゥーレを横目で見て、ラルスはこみ上げてくる笑いを抑えるのに四苦八苦した。二人の間にこんなに温度差があるのに、結婚しちゃって大丈夫なのかよこの男は、と心の中で突っ込んでいた。
「さ、行こうか。後はコイツに任せて、君は休んでいるといい」
ブリジッタはラルスに促されて歩き出したが、後ろ髪を引かれるようで何度も振り返っていた。
「……トゥーレ」
「少し待っててくれ。大丈夫だから」
トゥーレはすぐに、豪族たちの方へと向き直ってしまった。中断されてしまった話の続きをしなくてはならなかった。
女中がこちらにどうぞと、いそいそとブリジッタの手を引いてゆく。その後に続こうとするラルスの肩を、ポンと叩く者がいた。
振り返ると媚びた笑みを浮かべるキルシがいた。彼はラルスの耳にそっと囁いた。
「……ブリジッタを嫁にしないか」
「は?」
思わず、まじまじとキルシの顔を見つめてしまった。キルシは横目でトゥーレを見た後、軽く首を横に振った。
ああそういうことか、とラルスは理解した。館の主も獣だということを。
トゥーレが領主になりブリジッタが妻になったとしても、彼の野心はもう潰えているのだ。娘を贄に出すことを突っぱねたせいで、もう外戚になったところで権力は振るえまいと。トゥーレが権力を掌握できるかも疑わしい上に、他の豪族たちからの風当たりが強くなるだけだろう。
それならば、ハラルドの息子の方がまだマシという判断をしたということだ。敵の多い領主の妻にするより、次の領主にとって代わるかもしれない男の息子の妻にして、一か八か賭けようということだ。
「ご冗談を……」
ラルスはニッコリと笑みを被って、部屋を後にした。
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