第20話 もしも自由なら

 気だるい疲労感は不快なものではなくて、むしろ腕の中にいる温もりを、更に愛おしくさせていた。ああ、と細く長いアマリアの吐息に汗ばむ胸をくすぐられると、疼くような切なさと陶酔を感じる。

 アマリアが全て受け入れてくれるから、いや受け入れてくれるように見えてしまうから、愚かしくも彼女を自分のもののように錯覚しそうになる。愛おしさに、歯噛みしてしまう。

 心が繋がっている訳ではない。ただ身体を繋いだけで、それも一時の間だけでしかない。この儚い時間も、残り少なくなっていることだろう。思いを込めて抱く程に苦しくてたまらなくなるのだった。


 トゥーレは、ぐったりと寄りかかっている彼女の栗色の髪を撫で、その香りを胸の奥深くまで吸い込んだ。


「……誰にも命じられることなく術を使えるなら、お前は何をしたい?」


 尋ねると、アマリアは軽く身を起こしてトゥーレを見下ろした。

 彼女は穏やかな夢見るような顔で、何度かまばたきしそれから少し首を傾げた。自分の自由に術が使えるということなど、考えたこともなかったのかもしれない。何度もえっとえっとと繰り返していた。

 トゥーレは微笑んで質問に付け足した。


「難しく考えなくていい……。もしも代償を払う必要もなくて、好きに使えるとしたなら……。そうだな、何でもできる魔法のようなものだったとしたら、お前はどんな願いを叶えたい?」


 アマリアが自分自身のために何を望むのか、トゥーレは知りたかった。今までずっと他人のために身を削ってきた彼女が、本当に心から望んでいることは何なのか知っておきたいのだ。

 できることなら、その望みを叶えてやりたい。しかしそれは無理な相談かもしれない。望みの内容が問題なのではない。時間がないのだ。

 チクチクとまた胸が痛みだす。

 その時間を奪ったのは自分だ。彼女の願いが叶わないのは自分のせいだ。だからこそ、知っておかなければいけない。己の罪の戒めのためにも。

 アマリアの髪をゆっくり撫でながら、トゥーレは返事を待った。

 困ったような目をしたアマリアが、すっと目を伏せた。そしてまたトゥーレの腕の中に帰ってくる。


「大切な人の幸せ、でしょうか……。その人のために術を使いたいです」


 トゥーレの胸にそっと額を押し付けて、彼女はそう呟いた。単なるもしもの話で、自由にしてよいと言っているのに、自分ではなく人のために術を使いたいと。

 アマリアらしいなと思いながらも、トゥーレは少し眉をひそめる。もっと荒唐無稽な夢を語ってくれても良いのにと思う。


「どうして自分のために使わない?」

「……いいえ、私のためです。大切な人が幸せなら、きっと私も幸せになれるから……」


 うっとりとした彼女の声。嘘を言ってるのではないのだろう。家族のために贄になると決めたアマリアなのだ、大切な人の幸せを第一に望むのは当然なのかもしれない。


「そうか。それなら分かる……」


 アマリアのいう大切な人とは誰だろうかと思う。本当にフーゴのことだろうか。

 まるで恋人同士の様に抱き合いながらも、自分は一体彼女の何を知っているのだろうか。胸の軋む音が彼女に聞こえやしないかと不安になった。

 自分にも術が扱えたなら、きっとアマリアのために使うだろう。どんな代償を払おうとも、彼女をここから逃がし、平穏に生きていけるように全力を尽くしたいと、心から思う。

 己の無力さ、意気地の無さがまた身に染みて、トゥーレは長い息を吐いて目を瞑った。


「俺も呪術師だったらよかったのにな……。大切な人を守りたかった……」

――お前を……。


 トゥーレは後悔と無念に身悶えしそうになる。守りたいと強く思う相手は、既に守ることができずに失われたも同然なのだから。

 アマリア自身が受け入れている死を、自分も覚悟しなければいけないと思ったのに、また心はぐらぐらと揺らいでしまうのだった。

 足を絡め合って、ぴたりと肌を寄せ合って、きつく抱き合う。

 腕の中の愛しい人は温かな体温を分けてくれているのに、それがもうすぐ失われるのだと認めるのはとても苦しいことだった。


 どうして自分は、アマリアは、自由に生きられないのだろう。

 風習も権力争いも消えて無くなればいいのにと思う。

 自分は搾取する側で、彼女はされる側。それゆえに、愛しているの一言を口にできないでいる。

 何もかも捨てたなら、彼女と愛し合えるのだろうか。今となっては、それは虚しい夢想でしかなかったが。

 トゥーレはそっとアマリアを裏返し、その背中を見つめた。いく筋もの鞭打たれた傷跡に呵責を感じる。トゥーレは目を閉じて、傷跡を指と唇でなぞっていった。


「あ……」


 ピクリと仰け反る背中に、トゥーレは口付けを続ける。とうに傷は癒えているのだが、無残な肌が痛々しくてならない。口付けで消せるなら、何度でも与えてやりたい。


「……辛かったろうに……」

「トゥーレ様……」


 舌を這わせる度に震える身体を抱きしめる。抱けば抱く程に愛おしくてならない。掠れた声で名前を呼ばれると、またゾクゾクとむず痒い歓喜が手足の先まで突き抜けてゆく。

 ただ一人の女なのだ。アマリアは、他には何も要らないと思う程に、欲してしまう唯一の女なのだ。

 たまらず彼女の腰を抱き上げて、トゥーレはまた深く身体を沈めるのだった。


 彼女にもう何度も情熱のありったけを注ぎ込んだのに、まだ足りない。まだ、全然足りないのだ。たった一夜、契っただけで何が伝えられるというのか。

 言葉で言えず、ひたすらに身体で愛を乞うしかないのに、夜はあまりにも短すぎて、もっともっとと焦るばかりだった。

 朝よ来るなと、時よ止まれと、トゥーレは神に願うのだった。






 ガチャリと鍵の開く、冷たい音が部屋に響いた。

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