第五章
第21話 抜け殻あつめ
トゥーレがアマリアに恋していることなんて、とっくに知っていた。
従兄が自分の立場ゆえに恋情に気付かぬフリをしていることくらい、ラルスはいとも簡単に見抜いていた。
そして、トゥーレの恋は明らかに実らない片恋だったから、ラルスも気付かぬフリに付き合ってやった。
一方、アマリアの方もトゥーレに恋していると知った時は、どうしたものかと少々悩んだ。両想いだなどと伝えてやる訳にもいかない。二人の恋は、どう考えたって身分違いの悲恋にしかならないのだから。
都合の良いことに、双方共に伝え合う意思はなさそうだったから、ラルスはそのまま知らないフリでやり過ごすことを選んだ。
そのうち二人とも報われない恋は捨てて、それぞれに見合う相手を見つけるんだろうさと、呑気に考えていたのだ。
しかし、先代領主の突然の死というの予期せぬ事態から、転がり落ちるようにトゥーレが聖婚を強要される状況に陥り、どこでボタンを掛け違えたのだと頭を抱えることになってしまった。
ラルスは、もしも自分が二人の仲を取り持ってやっていれば、こんなことにはならなかったのだろうか、などと考えて後悔してしまうのだ。少なくともお互いの想いを知っていれば、アマリアは贄に志願しなかっただろうし、トゥーレも民衆を古い因習から解き放つべく、もっと早くから意識改革に乗り出していたかもしれない。
だが、所詮もしもの話だ。
そもそも二人は身分が違う。想いを伝えあったとしても、結ばれることは決して無いのだ。別の悲劇が待っていただけだろう。だからこそ、二人とも自らの想いを抑えていたのだし。
アマリアが贄に志願したと聞き、ラルスはなんとしても彼女を助けなければならないと思った。彼女への同情もあったが、何よりもトゥーレを慮ってのことだ。彼が苦しむと分かっているのに、放ってなどいられない。
しかし、トゥーレに前もって知らせることもできず、逃がそうと試みることさえも先んじた父に阻まれてしまった。トゥーレの為なら何でもできると思っていたのに、全くの役立たずだったのだ。
明日の朝、一体どんな顔をしてトゥーレに会えばいいのかと、ラルスは暗澹たる思いだった。信頼を失くすだろうし、悪くすれば絶縁だってあり得ると思うと胃がキリキリと痛んだ。
むっと口を噤んで腕を組むラルスの目の前に、まだ泣いているブリジッタがいる。馬車で屋敷に戻る最中なのだが、しくしくぐずぐずやかましくてかなわなかった。
「ああ、嫌、嫌よ、トゥーレ。お願い今すぐ私のところに戻ってきて……」
――んなもん、無理に決まってんだろ……
ラルスは、大きなため息をついた。
この先トゥーレはこの女と上手くやっていけるんだろうか、いや、無理だなと苦笑してしまう。
「ま、明日になれば屋敷には戻ってくるんだし、二人でモーニングティーでもすればいいんじゃない?」
わざとすっとぼけたこと言ったら、目を吊り上げたブリジッタが噛みついてきた。
「違う! そんな話じゃないわ! ……ああ、今頃トゥーレはアマリアを見て……。ああああ! トゥーレの心はあの子に囚われてしまう。あの子でいっぱいになってしまうのよ! もう、私が入り込む隙間もないくらい、トゥーレの心をあの子が独占してしまうの!」
――……そうか、こいつも気付いてたのか……
「だから行かせたくなかったのに! 贄がアマリアだと教えたくなかったのに!」
ラルスはブリジッタの顔をじっと覗き込んだ。
結婚する日を指折り数えて、能天気に幸せに浸っているだけの女かと思っていたのに、彼女も彼女なりに恋に悩んでいたらしい。
「意外だな、あんたがトゥーレの気持ちを知ってたなんて……」
「な、なによそれ。……あなたも知ってたのね」
「まあね」
「大好きなんだもん、見ていればすぐに分かるわよ……トゥーレはアマリアにいつも熱い視線を送ってたもの……」
ブリジッタは大粒の涙をこぼした。
ボロボロと泣きながら、ラルスを睨みつけている。
「あの子が、妻の座を奪うなんて思ったことはないわ。そんなこと起こり得ないもの。……でも、心は違うの。ずっと怖かった、彼の心を持って行かれるんじゃないかって」
「ああ、言ってることは分かるよ。身体は縛れても心は縛れないからね」
「私の身代わりで死んでいくのに、なんで同情も感謝もしないんだってトゥーレは言ったけど……できるわけないわ! そうでしょう! アマリアは死ぬことで永遠になるのよ! 生きている時よりももっと強くトゥーレを捕えるわ! あの子はトゥーレの永遠になるの! トゥーレの心と一緒に海に沈むの! 彼を連れて行ってしまうのよ! ああ、私は……私では……だめなの……もうおしまいなの」
ブリジッタは両手で顔を覆うって泣き崩れてしまった。
――トゥーレの永遠、か。うん、いいね、詩人だね。
ラルスは、震えるブリジッタの細い肩を見つめていた。
向かい合っていると迫力のある胸と派手な顔のつくりのせいか、強そうな印象が先行するのだが、こうして背を丸めて泣いていると弱々しく見えてしまい、うっかり庇護欲を刺激されそうになる。
ブリジッタにとって、今夜の聖婚の儀式は、未来の夫の心を永久に失ってしまうことを意味していたのだ。贄が他の女だったなら、婚約者が望んだような同情や感謝も寄せることもできたのだろう。でも、アマリアだけはだめだったのだ。
トゥーレはアマリアに恋していたから。
アマリアはその命でもって彼の心を捕まえて、一緒に神の
「……贄があんただったら、トゥーレは多少苦しんでも割とすぐに立ち直るんだろうけど……アマリアじゃな……」
「ひ、ひどい! ……あ、あなた、私に何の恨みがあるのよ! 昨日だってひどいことばっかり言って!」
「え? 別に恨みなんてないし、あんたが言ったことを繰り返しただけなんだけど?」
ニッと笑うと、バチンと派手な音が響いた。耳にキリが突き刺さったかと思った。
――いや……だから、殴るならほっぺにしとこうよ……
ラルスは耳をさすりながら、ブリジッタに詰め寄る。遠慮なくぐいぐいと身を寄せてゆく。狭い馬車の中のことだから、避けようとする彼女に覆いかぶさることになった。そしてブリジッタの耳元に囁く。
「ねえ、まだトゥーレと結婚するつもり?」
「止めてよ、どいて!」
暴れる彼女を腕を押さえつけて、ラルスは続けた。
彼女がもっとも聞きたくないだろう言葉を、はっきりと口にする。
「トゥーレは、もうあんたを愛さない。誰も愛さない。結婚したとしても、あんたは顧みられない形だけの妻になる……」
「止めてって言ってるでしょう!」
「あんたは捨てられるんだ」
「イヤ!」
真っ青な顔をブンブンと振るブリジッタを抱きしめた。
冷え切った身体が小刻みに震えていた。
「だからさ、俺があんたを拾ってもいいだろう?」
「…………?」
「俺の女になれよって言ってんの」
――はあぁぁ? もしもし俺、何言ってんの? 何血迷ってんの? ちょっと虐めるだけだったんじゃないの?
言ってからラルスは目を剥いて硬直してしまった。
ブリジッタの方も、度肝を抜かれたようで目をまん丸にしてラルスを見つめ返していた。
「あなたバカだったのね……」
「……そうらしい」
もうどうにでもなれと、ラルスは深呼吸してからまくしたてた。
「俺はトゥーレが好きだ。あんたの好きとは違うかもしれないし、もしかしたら同質かもしれないし、まあどっちでもいいんだけど。同じ相手を好きな者同士なら分かり合えることも多いだろ。俺たち結構上手くやっていけると思うんだけどな。…………とかいうのは建前で、今から失礼なこと言うから覚悟しろよ! 俺さ、昔からトゥーレが要らなくなったもの貰うのが嬉しくてさ。今でも全部宝物にしてずっと大事にしてるんだ。あいつが側にいるみたいで、あいつを俺のものにしたみたいで、気持ちいいんだ。俺、あいつの要らないもの、捨てたもの全部欲しいんだ。女もね。だから、あんたも欲しい」
ちょっと調子に乗ってブリジッタの首筋に吸いついたら、頭を思い切り押し返された。首が折れるかと思った。
「い、要らないものって…………ふざけないでよ、このヘンタイ! 」
「正直に言ってるだけ。あんたが欲しい」
「ち、父が許さないわ!」
「そのキルシがくれるって言ったの、昨日ね」
「……そんな」
ラルスは、トゥーレから何かを奪おうなんて思ったことはない。それが大事なものなら猶更だ。不要になったものを貰えたらいいなと待っているだけだ。おこぼれを貰えたらそれでいいのだ。
そのかわり、トゥーレが要らなくなったものは何でも欲しい。全部欲しい。トゥーレのものは何でも素晴らしく思えるから。彼にまつわるもので、自分の周りを固められたら、夢のように幸せだと思っている。
だから今まで必死にかき集めて来た。一つの取りこぼしもないように。
自分はまるでトゥーレの抜け殻を集めているようだと思う。
――うん、俺、やっぱ変態だな……ブリジッタ正解。
明日になればキルシは、トゥーレに婚約解消を切り出すだろう。
トゥーレにはそれを拒む理由は特にないというか、明日の彼はアマリアを失って酷く荒れた精神状態に陥るだろうから、適当な返事をしただけで婚約解消は成立すると思われる。そしてブリジッタはまた狂乱するのだ。
その姿が、ラルスにはありありと目に浮かぶ。面白い見物だとは思うのだが、衆人環視の中で、これ以上彼女を失笑の的にしたくはなかった。
彼女はただトゥーレが好きで好きでたまらないだけなのだ。ただただ恋に溺れてしまっただけなのだ。
ままならない思いを胸に燻ぶらせて、地団太踏みたくなる気持ちは、ラルスにはよくわかる。トゥーレは自分の気持ちに全く気が付いてくれないから。
――いや、気づかれても困るんだけど……
明日トゥーレに切り捨てられてしまったら、ラルスだって平静ではいられない。いや、狼狽して我を忘れることだろう。何をやらかすかもしれない。
でも、更に弱そうな彼女は放ってはおけない。
それに彼女の取り乱す姿を見るのは自分だけにしておきたかった。トゥーレ恋しさに泣き叫ぶ姿を独り占めしておきたいのだ。
――あ、変態、極まった……
ブリジッタを「婚約者に捨てられた女」ではなく、「婚約者を乗り換えた女」にしてやった方がまだマシなんじゃないか、というのがラルスの独善的な考えだ。
惨めな彼女の醜態を期待した人々を裏切るのは少々気分が良いし、明日ブリジッタがトゥーレのものではなくなったら、貰っても構わないはずなのだから。
それならいっそ、今頂いてしまってもいいんじゃないかなと、邪念が湧いてきた。そしてすぐに行動に移していた。
馬車前方の壁をドンドンと叩いて、まだ宴が続いているだろう領主邸ではなく、自分の館に行くように御者に命令したのだ。
「ちょっと、勝手なことしないで! 誰があんたなんかと!」
非難の声を上げるブリジッタの唇を、ラルスは自分のそれで塞ぐ。柔らかな感触を楽しめたのは一瞬で、思い切り噛みつかれてしまったが。
ブリジッタは逃れようと暴れたが、それでもラルスは抱きしめる腕の力は緩めなかった。
「まあそう言わずに……俺の女になれよ。トゥーレにしてもらえなかったこと、して欲しかったこと、全部俺がしてやるから。愛してるって言って欲しい? 自分だけを見て欲しい? 俺が叶えてやるよ」
自分の声が今まで発したことのない甘さを含んでいて、一体どこの誰がこんなセリフを吐いたんだと驚いてしまった。
「トゥーレを好きなままでいいから。俺をトゥーレの身代わりにしていいから」
きっとブリジッタも恋に破れて抜け殻になる。トゥーレに出会う前の彼女には二度と戻らない。
自分は抜け殻収集家でしかないが、でも集めた宝物はずっと大事にできるはずだとラルスは思うのだった。
「あなたはトゥーレじゃない! トゥーレの代りになんかならない!」
「そうさ。でも一人で泣くよりはいいんじゃない? あんたの失恋話を飽きずに聞き続けられるのは俺しかいないと思うし」
「私は、私はトゥーレが……!」
「うん、それでいいから。まずは傷のなめ合いでもしようか」
トゥーレトゥーレと泣きじゃくるブリジッタを抱きしめた。今夜一人でいたくないのはラルスの方かもしれなかった。
ブリジッタの言う通り、明日の朝にはトゥーレの心はアマリアと共に海に沈んでしまうだろう。それぞれがみんな、大切なものを失くしてしまうのだ。今夜は辛く長い夜になるだろう。
しばらくして、やっとブリジッタは大人しくなり、馬車は領主邸の前を通り過ぎてラルスの館へと向かっていった。
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