第22話 朝はまだだ

 ガチャリと冷たい音が部屋に響いた。


 ビクリと身体を竦めるアマリアを、トゥーレはぐっと抱きしめて扉を見つめる。 鍵の外される音の後の一瞬の静けさの中で、もう朝が来てしまったのかと絶望に息を止めていた。

 束の間の甘美な二人だけの時間は、扉が開くぎしぎしとという無粋な音に引き裂かれてしまったのだ。

 やかましい足音とともに吹き込んでくる冷たい風が、火照る素肌をチクチクと刺す。トゥーレは、その痛みからアマリアを守るように、シーツを引き寄せしっかり抱きしめて、侵入者を睨んだ。


「朝は、まだだ……」

「……ぅおぉぉぉ、ま、まだだったか……」


 不躾に入ってきた男はたたらを踏み、慌てて回れ右した。急いで供を部屋の外に追い出す。そして、目のやり場に困ったように、ごほんと咳をする。


「あ、いやいや、もうとっくに朝で……。ああ、少し待つから服を……」


 ラルスだった。迎えが来てしまったのだ。

 トゥーレは、彼を睨んで繰り返す。


「……出ていけ。まだ早い」


 いつもの顔でやってきたラルスに、恨み言をぶつけたくなる。

 ハラルドの命令に従って、お前は俺を切り捨てたのかと。


――なぜ助けてくれないんだ……。知っていたのなら、どうしてアマリアを逃がしてくれなかったんだ!


 これはきっと甘えなのだろう。ラルスなら何時でも味方をしてくれる、なんでもいうことを訊いてくれると思い込んでいた自分の驕りなのだろう。彼にはアマリアを助けなければならない理由などないのだから。

 だが、目を逸らした従弟が、少し後ろめたそうしているように見えてしまい苛立ってしまう。彼に当たるのは間違っていると思うのに、怒りの矛先を向ける相手が他にいないのだ。


「トゥーレ、これでも時間を取ったんだ。もう引き伸ばせない」

「出ていけ!!」


 トゥーレが怒鳴ったのとほぼ同時に、船がガタリと揺れた。怯えて腕にしがみつくアマリアを見つめて、トゥーレも頬を引きつらせた。

 船は海に向かって引かれているのだ。領主であるトゥーレがまだ船の降りていないというのに、外の連中は海神へ贄を捧げようとしているのだ。なにがなんでも贄を鎮めなければならないという、強迫観念に冒されているのだろうか。

 ラルスは、はあと大きく息を吐いた。


「……な、もう始まってしまったんだ」

「黙れ! 止めさせろ!」

「トゥーレ……」


 ラルスはじっとトゥーレを見つけ、そして部屋の外で控えている警備の男たちに船を降りるように命じた。

 そして、重い木の扉を閉めた。口を歪めただけの笑みを見せる。


「ちょっと、ここだけの話をしようか?」

「…………」

「とりあえず、服着て。俺におっぱい見せたいんなら別にいいけど」


 アマリアは慌てて衣装で身を隠し、トゥーレはヘラッと笑う従弟を怒鳴りつけた。


「今すぐ、船を動かすの止めさせろ!」

「無理。親父が痺れを切らしてる。早く出ないと、あんたごと沈められるぞ? ってのは冗談だけど……」


 冗談と言いつつ、ラルスの目に怖い光が灯っている。

 ハラルドであれば本当にやりかねないことは、二人とも分かっていた。その上で、ラルスが自分の身を慮ってくれていることも、分かってはいる。

 それに覚悟を決めたはずだった。決めなければいけないのだと。

 だがこの土壇場でトゥーレの決意は霧散してしまう。ここを動きたくなかった。アマリアから離れたくなかった。彼女と共に海に沈むのならそれでもいいかと、思ってしまうのだ。


――アマリア、お前は迷惑だと言うだろうか。死出の旅に、俺も付き合うと言ったなら……


 不安げに自分を見上げている、アマリアの乱れた髪を指でとかしながら、トゥーレは彼女を腕の中に閉じ込めるのだった。


「なんで言わなかった……」

「トゥーレ……やっぱり俺のこと怒ってるよな」


 ラルスが柄にもなくクシャリと顔を歪める。いつもはヘラヘラとして軽薄な彼が、ひどく頼りない表情を浮かべている。

 贄の儀式はハラルドが急に決めたことだから、おそらくラルスにしても直前まで聞かされていなかったのだろう。宴の間も何かと話かけてきていたのは、伝えようとしてくれていたのだと、今なら分かる。

 結局あの場面でも、自分から一歩踏み込んで聞き出そうとしなかったから、こうなってしまったのだ。ラルスを責めるのはお角違いなのだ。


「ごめんな、上手く立ち回れなくて……時間が無かったんだ。言い訳だけど」

「せめて、船に乗り込む前に贄はアマリアだと教えて欲しかった! そうすれば俺は……!」


 今は何も無い腰に、いつも携えている剣を掴むようにトゥーレは右手を伸ばした。

 ラルスが罪悪感を抱えていると分かってもなお、トゥーレは糾弾してしまう。だだをこねる子どものように、時間の巻き戻しを要求しているようだった。


「あの時はもう伝えない方がいいと思った……。あんた、そいつを逃がそうとして、絶対、大立ち回りやらかすって思ったからな。だからそこは謝らない」

「ラルス!!」

「仕方ないだろ。あんた、そいつに執心しすぎて何もかもぶち壊しにするだろ?」

「ああ! ぶち壊してやったさ! 今からでもやってやる!」

「儀式だけならいいけどさ……あんたの人生までぶち壊してもらっちゃ、困るんだよ……ほら、着ろよ」


 差し出された服をトゥーレは払い飛ばす。青ざめた顔は鬼の形相で、まわりのすべてが敵だと言わんばかりに睨みつける。

 ラルスが自分を心配してくれているのは分かっている。

 しかし違うのだ。ラルスの思いやりは、トゥーレの願いとは真反対なのだ。

 アマリアを失えば、それこそ人生は終わりだと思うのだ。ラルスの言うようにハラルドの手の者たちと大立ち回りを演じてでも、たとえ国を追われたとしても、彼女の手を取って逃げられたなら本望だったのだから。いや、逃げきれなくても。

 キリキリと歯噛みして、やはりラルスを睨んでしまう。彼に罪はないとと思いつつも、恨めしくてならなかった。


「実はさ、キルシがブリジッタとの婚約を白紙にしてくれって言ってるんだ。つまり、あんたの後ろ盾が消えるってことで。あんたを推していた最大の後ろ盾がな。親父は、本気であんたの追い落としを狙ってるし、どうすんだ?」

「叔父貴が、領主になりたいって言うならなればいい」

「……投げやりだな……。あのさぁ、親父が領主なんかになったら最低最悪すぎて、俺、苦痛で死んじゃうかもよ? あんたの夢、諦めんのか? ……あぁ、それからさ、ブリジッタは俺が貰っちゃうけど……まあ、そこは文句無いよな?」


 勝手にすればいいと思う。投げやりだと言われても、バカだと思われても全く構わなかった。ハラルドが権力を掴みたいというなら、好きにすればいいのだ。夢だって、理想だってアマリアあってのことだったのだから。ブリジッタのこともどうでもいい。

 確かにトゥーレは、かつて学んだあの国のように、先進的な国づくりをしたいと思っていた。古い因習や階級制度を排して、アマリアのように誰かの犠牲になり踏みつけられるだけの存在を無くしたいと思っていた。それがどんなに難しく険しい道のりでも、いつか成し遂げたいと。

 しかし実際には、理想だけは高い若造のトゥーレに付いてきてくれる者は結局いなかったのだ。キルシにしたって、娘を領主の妻にすることだけが目的だった。

 この先、自分は何も為せはしないのだと、トゥーレは絶望していた。

 アマリアを失ってしまたら、何を為したとしても意味が無いように思える。他に守りたいものなど、もう見つけられるはずもないのだ。


「あんたは理想を理想のままで終わらせる男じゃないって信じてる。領主はあんたしかいないんだ」


 ラルスの熱っぽい言葉。しかしトゥーレの耳には虚しく響くばかりだった。

 ハラルドはともかく、このラルスが自分を害するとは思っていない。彼は父親に従順なフリをしているだけだし、先ほど彼自身が口にしたように、ハラルドを領主にしたいなど微塵も考えていないと知っている。

 トゥーレにしてもラルスにしても、父親からの情を受け取ることなく育ってきたせいか、淡泊な親子関係を当然のように感じている。むしろ従弟であるラルスとの方が、結びつきが強いというものだった。だから兄弟のようなラルスが、父親よりも自分に肩入れしてくれることに疑問は抱かなかった。

 しかし、今のトゥーレにはこの腕の中にいる一人の女のことが重要だった。彼女をどうしても失いたくないのだ。

 船はガタガタと揺れ続けていた。確実に海へと、終りへと向かっていた。


「出ていけ! 船を止めさせろ!」


 ダンと床を殴りつけて怒鳴った。

 いい加減にしろよと、ラルスが凄むと、アマリアが声を上げた。


「トゥーレ様。どうぞ、もうお行き下さいませ」


 身体が震えていたが、声には迷いは無くはっきりとしていた。

 両手をついて深々と頭を下げる。二人を争わせまいと、言葉をつづけた。


「ありがとうございました。私を聖婚の妻にして頂きましたこと、心から感謝いたしております。トゥーレ様、私は幸せです。ありがとうございました」

「アマリア!」


 ゆっくりと顔を上げたアマリアは、穏やかに笑っていた。

 その微笑みに、トゥーレの心は刺し貫かれていた。身体がばらばらになるような気がする。

 彼女の笑みは永遠に失われてしまうのだ。目の前にいる暖かな体温をもった彼女は、冷たい海に沈んでしまうのだ。今、こんなにも生き生きと輝いて見えるのに。

 ほんのりと朱の差した頬は、昨夜ここで顔を合わせた時とは別人のように艶めいていて、トゥーレの心を掴んで離さないというのに。

 顔を歪ませてばかりのトゥーレに、アマリアは困ったお方ねという様に、また微笑みかけてくる。


「……笑って下さいまし……」

「…………」

――ああ、アマリア……笑えるものか……もう二度と笑えるものか……


 小さく頭を振るしかできないトゥーレの肩を、ラルスが掴んだ。

 ぐいと、アマリアから引き離すのだ。別れを惜しむことさえ、させてもらえない。


「行くぞ」


 無情な声が急き立ててくる。

 カッと頭に血が上り、トゥーレは振り向きざまに拳を振るった。が、その動きは完全に読まれていて、反対に鳩尾に思い切り膝の一発を食らってしまう。


「ぐ……」

「ああ! トゥーレ様!」


 トゥーレは身体をくの字に曲げながらも、ラルスに掴みかかってゆく。


「ああ、もうめんどくせぇな……寝てろよ」


 ラルスは軽くいなして、トゥーレの後頭部に手刀を叩き込んだ。そして崩れ落ちる彼を受け止める。


「……ったく、こんなことさせんなよ」


 ラルスは大きなため息を吐き出した。

 そして、駆け寄ってきたアマリアに、ニッと笑う。


「あんたもこいつもバカだよね。想いくらい伝え合ったって減るもんじゃないってのに……。でさぁ、分かってる? 俺がここを出た後はお前は自由なんだぜ? もう誰も見てやしない、好きに生きていいんだぜ? ちゃんと自分の頭で考えろよ?」


 ラルスの含みのあるセリフに、アマリアは首を傾げた。

 今、船は海に向かっているというのに、自由だとか生きるだとかいう言葉ほど、この場にそぐわないものは無いと思う。

 考えろと言われても何のことだか分からないし、アマリアには意識を失くしぐったりしているトゥーレの方が気がかりなのだ。怪我していないだろうかと、彼の顔を覗き込んでいた。

 ラルスは大げさに肩をすくめる。そしてトゥーレを担ぎ、シーツを一枚引っ掛けると、さっさと背を向けてしまった。


「……トゥ、トゥーレ様は……」

「大丈夫だって、すぐに目覚める……。お前、こいつに笑えって言ったよな? ならさ、真剣に頭使えって」


 トゥーレの足を引きずり、重いなとこぼしながらラルスは進んでいく。扉を開け

ラルスはふと立ち止まり、少しだけ振り返った。そして呟いた。


「部屋の隅の床板……補修、終わってたんだっけかなぁ……まあ、いいか」


 ひらひらと片手を振って彼は出ていった。

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