第19話 仮初めではなく

 贄の儀式を中止すると言い出した自分を止める為に、アマリアは自らの裸身を晒し、抱いてくれと強請ったのだと分かっていた。

 だからこそトゥーレは抱いて良いはずがないと思った。家族の為に、明日の死を覚悟してこの場に臨む彼女が神聖に見えてしまったのだから。


「こんな……バカげた儀式で……お前を抱けぬ」


 自分がしなければならないことは、アマリアを抱くことではなく、家族への心配は要らないと安心させてやることだろうと思った。だが言葉が続かなかった。その約束は、彼女の死後に成るものなのだ。安心して死ねなどと、言えやしないのだ。


 目の端に、裸体を隠そうともせずに近づいてくるアマリアが映った。無理をしているのが、ありありと分かった。彼女はガタガタと身体を震わせているのだから。

 本来、彼女はこんな真似を平気でできる娘ではないと思うのだ。それだけ、追いつめられているという事なのだろう。自分が逃げようなどと言ったばっかりに。

 では、どうすればいいのか。トゥーレには何が正解なのか分からず、立ち尽くすばかりだった。

 手を彼女の膨らみに誘われても、思わず腕を引いてしまう。


――ああ! アマリア!


 まともに彼女を見ることもできず、顔を背けて唇を噛んだ。まるで拷問のようだと思う。心臓は早鐘を打っている。どれだけ強く自分を惹きつけているか、彼女はまるで分かっていない、そう思うのだ。

 細く痩せた身体の中で、控えめに女を主張している柔らかな膨らみに、激しい衝動が湧いてきてしまう。彼女の拙い誘惑にまんまとはまっていた。

 だが、その誘惑が愛ゆえでないことも分かりきっている。お前が身体をはる必要はないのだと労わってやりたいのに、その気持ちが伝えられない。トゥーレは、悶えるように歯を軋ませる。


 そのトゥーレの足元に、アマリアが跪いた。

 ベルトに手をかける。

 まさか、とトゥーレの身が竦んだ。その間にもベルトが解かれてゆく。狼狽えて逃れようとすれば、アマリアは腰にしがみついて、潤んだ瞳で見上げてくるのだ。

 彼女はまるで媚薬のようで、見つめられただけでトゥーレは動けなくなる。


「ア、アマリア……?」


 彼女は、彼の中心に顔をうずめていた。

 トゥーレには、信じられなかった。ぐっと腹に力がこもってしまい、息を飲む。

 なぜ、彼女はここまでしなければならないのだろうか。純潔を守りたくはないのだろうか。


「トゥーレ様……どうか……」


 浅ましくも欲情していることを知られ、これ以上醜態を晒したくないのに、彼女に操られていとも簡単に猛ってしまう。それが苦しくてたまらない。


「アマリア!」

――何がお前にそうさせる?! ああ、全て俺のせいだ! 贄を止められない俺のせいだ! お前の不安も、恐怖も全部……俺の……


 アマリアの肩を掴んで引き離した。

 悔しくて悲しくて切なくてならず、彼女をここまで追い詰めたものが、トゥーレは憎くてたまらなかった。

 それは呪術師や下層に位置する者たちへの偏見や差別であるし、支配者階級の驕りであるし、贄の風習のためでもあり、そして最大の罪人は自分だと思う。問題を知りつつ目を瞑ってきた自分のせいなのだ。

 しかし息が上がるのは、この後悔の心のせいばかりでなく、身体がアマリアを求めて叫んでいるからに他ならない。彼女に対し慙愧の念を抱いておきながら、一方でぐつぐつと劣情をたぎせている自分のなんと不埒なことか。


「ああ…………ご、御無礼を……申し訳ありません……お許しください……トゥーレ様」


 アマリアは倒れ込むように床に伏して、泣きだしてしまった。泣きながら何度も許しを乞うのだ。


――ああ、止めてくれ……謝らないでくれ。


 アマリアの言葉は責め苦にしかならない。謝るべきは自分であるのに。

 彼女の自尊心の無さも、悲しくてならなかった。彼女の背中の傷。父が鞭打った跡。このような仕打ちが彼女を歪ませたのだと、トゥーレは小さく首を振り膝をついた。


「ああ、アマリア……お前は」

「わ、私は……私は愚かものです。不埒にもトゥーレ様に……。私は……貴方が……」


 アマリアの言葉は途切れてしまった。

 しかし、続きを聞きたいとは思わなかった。領主として励んで欲しいなど、もう聞きたくないのだ。

 彼女の心の中など、トゥーレに見えはしないが、求められているものは分かる。

 今夜、聖婚を滞りなく行うこと。

 明朝、贄を必ず捧げること。

 アマリアは、覚悟を決めてそれを求めているのだ。トゥーレだけが、迷い嘆いている。逃げようなどと愚考し、返って彼女を追いつめ苦しめてしまったのだ。

 泣かせたくないと思うなら、心を決めなければいけない。それがどんなに苦しくても。


「…………お前の覚悟は分かった」


 言葉を発すると、トゥーレは恐ろしい程の喪失感に襲われた。

 それは自分も覚悟しなければならないということで。それは彼女の死の運命を受け入れるということで。


「悪かった。全て俺が背負うべきことなのに、中止するなどと身勝手な事を言い出して、本当にすまなかった」


 あくまでも、トゥーレは支配者であり贄を捧げる立場の人間で、アマリアの命を奪う張本人なのだ。それから逃げようとして、贄本人に諫められるという醜態を演じてしまったのだ。頭を下げないわけにはいかない。そして己の無力さについても。

 アマリアを愛し愛しと、身も心も叫んでいた。それでも、愛していると告げられない。トゥーレに、そんな資格は無いのだった。

 アマリアを抱き起こし髪を撫でる。のぞき込めば、彼女の濡れた瞳は従順そのもので、主に逆らうことなど知らぬようだった。謝罪の言葉にも、いいえと頭を振って答えるのだ。

 トゥーレは心が摩耗してゆくような気がした。


――そう、俺が全部背負わなければいけないのだ。愛しさも、苦しみも……

「お前はもう、何も考えるな……」


 アマリアを抱きしめた。

 聖婚などという神への冒涜の罪も、変革を願いながら何も為さなかった罪も、彼女に恋してしまったことも、この苦悩も、全て自分が負うべきもの。彼女には、心の平穏だけを与えてやらなければならない。

 抱こうと抱くまいと、明日の朝には絶望しかない。それなら今この時は、抱けという彼女の言葉に従うべきなのだろう。それが刹那の慰めにしかならないとしても。

 アマリアから漂う甘い香油の匂いに、頭がジンと痺れる。


「……アマリア」


 ぐっと力強く抱きしめると、細い腕がしがみつてくる。自分の思いに応えて抱きしめ返してくれているように感じてしまう。

 アマリアの鼓動が伝わってくる。ドクドクと激しいのそのリズムは自分と似ていて、もう衝動を抑えていられなくなる。

 自分の名を呼ぶアマリアに口づけして、言葉を塞いだ。余計なことはしゃべらなくていいのだと、伝えたい。

 彼女にこれ以上自分を卑下して欲しくない。不安も、主の案じる使用人の台詞も、もう言って欲しくないのだ。

 妻にしてくれと彼女は言ったのだから、妻として扱いたい。いや、言わなかったとしても。

 今、アマリアは自分にとって、呪術師の不浄の娘でも、贄でもないのだ。


――聖婚の妻なんかであるものか。お前は俺のただ一人の妻だ。


 言えば、彼女を戸惑わせてしまうだろう。だからトゥーレは、胸の中だけで何度もつぶやくのだった。

 アマリアを抱き上げた。想像以上の軽さが切なかった。なぜもっと早くに、彼女を知ろうとしなかったのかと、また後悔を重ねてしまう。

 抱き上げたアマリアの頬に少し朱がさしていて、拒絶の色が見えないことに安堵する自分の弱さが厭わしい。

 唇を噛みながら、彼女を寝台へと運んでいった。

 アマリアを横たえ、その様子を探りながら、トゥーレは衣服を脱いでゆく。そして、まだ彼女に確認をとってしまう。まだ揺らいでしまう。


「本当に、俺に抱かれたいのか?」

「はい……」


 アマリアの返事に、顔をしかめてしまった。

 明日の死を思えば、好きでもない男に抱かれることくらい、何ほどのこともないのだろうか。

 思い悩んでも、アマリアの心の中など分かりようもない。もう自分も余計なことは考えるまい、とそう思う。

 ゆっくりと重なった。素肌がお互いの体温を教え合う心地よさに、身をゆだねる。


「これで……いいのか」

「はい……トゥーレ様……」


 何度も口づけた。何度も名を囁いた。

 優しくそっと、壊さないように、丁寧に、彼女に触れた。愛しいのだと口で伝えられない思いを、身体で伝えるのだ。

 口づけを重ね仰け反る身体を抱きしめた。乱れる吐息まで愛しい。


「抱いて下さい。私を、トゥーレ様の……トゥーレ様だけのものに……」


――ああ、もちろんだ。お前は俺だけの大切な女だ。俺の妻だ。


 アマリアに微笑むと、堪えきれず涙がこぼれてしまった。

 一分の隙間もない程に抱き合っても、明日失う彼女が遠かった。


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