第二章

第6話 熱情

 何故ここまで熱くなれるのか、とラルスは不思議でならなかった。

 普段はとても温厚でにこやかで、どちらかと言えば自分よりも相手の意見を優先するトゥーレが、ブリジッタを贄にすることには強硬に反対し唾を飛ばすほどに激怒しているのだ。これだけは譲れないと。

 父ハラルドは亡き領主の弟で、ラルスとトゥーレは従兄弟同士だ。幼い頃からお互いのことを良く知っている。そのラルスでも、トゥーレがこんなにも反抗的な姿を見せるのは初めてなのではないかと思う程なのだ。


 トゥーレにとってハラルドは父モーゼスに次いで敬うべき一族の年長者だ。現在、次期領主の座を巡って微妙な関係に陥っているが、これまでのトゥーレは叔父を尊重していたのに、ラルスが呆れる程に己の意志を決して曲げようとしない。

 父の第三夫人を救えなかったことを悔いて、今度は絶対に阻止するのだと固く決めているのかもしれない。


「父が儀式を決めた時にも言ったはずです。嵐はもうすぐ治まる! あとたった二日程の辛抱なんだ。無駄な犠牲を出す必要はないんだ!」


 何度となく同じ主張を繰り返しハラルドとぶつかるトゥーレを、ラルスは珍しいものを見物するように半ば関心しながら眺めていた。

 トゥーレは留学の折に、気象に関することを熱心に学びとってきた。その知識をもって、嵐が直に終わるという根拠をハラルドや母を懸命に説得しようとしているのだ。話が専門的過ぎると理解されないので、なるべくかみ砕いて易しく解説しようと苦心しているのが、傍で見ているラルスにも良く分かった。

 だが肝心のハラルドたちには、それでも意味が分らないといった顔だし、トゥーレが言葉を尽くして解説する程に不機嫌になってゆく。彼の丁寧さに、返って無知や愚かさを指摘されているような気分になるのだろう。

 

――いいぞ、もっとやれぇ。親父をやり込めちまえ。


 ラルスは従兄を応援しながらニタついている。口うるさく支配的な父が、ラルスは大嫌いだった。


 留学から帰ってきたトゥーレが、いつか必ず生贄などという愚かな風習は無くしてみせる、と熱っぽく言っていたのをラルスはよく覚えている。その一歩として、二年前には贄に強硬に反対し、阻止しきった。

 そんなトゥーレだから、第三夫人の時も今も断固反対するのは理解できる。だが、その懸命さの熱量が以前と違うのだ。

 彼の熱をひしひしと感じていた。


――自分の婚約者が贄に指名されたからか? でもなぁコイツ、これは政略結婚だからって冷めた目ぇしてたしなぁ……


 ブリジッタのため、というようには見えなかった。

 ラルスの知らない所で、二人が仲を深めていたという可能性はあるだろうが、先ほどから、恋人を守りたいという趣旨の言葉はトゥーレの口から一度も発せられていないのだ。

 だから恋情というより人情として、そして何より彼が思い描く理想の未来を目指したくて、贄に反対しているのだろうと思うのだ。贄が誰であろうと、必死で止めただろう。


 贄の風習を無くすという思いは本物なのだから、贄を推進する父の遺志を継ごうという考えなど毛頭ないはずだ。むしろトゥーレは自分が領主となって改革すべき時が来たのだ、と責任感を強くしているのかもしれない。

 トゥーレはモーゼスの死を喜びはしなかったが、深く悲しむわけでもなく冷静に受け止めていた。彼らはもともと淡泊な親子関係でもあったし、分かり合えないまま永遠の別れになったことを残念に思いつつも、トゥーレの思いはすぐに未来へと向けられたのだ。感情を乱すことなく、至極理性的な態度だった。

 それが、贄の話が再浮上した途端、激してしまったのだ。


――何をイラついてんだよ。もっと冷静になれよ。じゃないと、親父に足元すくわれるぜ? なんつっても、俺もあんたもまだまだひよっこなんだしな。


 ラルスにできることは、見守ることしかない。

 もちろん、もしも彼が助けを求めたならば勇んで協力するし、むしろ求めて欲しいくらいだ。その時のためににも、今は成り行きをちゃんと把握しておかなければならないと、ラルスはじっと観察を続けているのだった。




 トゥーレはブリジッタのもとへ行くと言って、席を立ち上がった。

 ついて行けと父にあごで命令されて癪に障ったが、ラルスもそのつもりだったから、否やはない。従順なフリをして、従兄の後について行くのだった。

 廊下に出ると、女中とその後ろに隠れるようにしてみすぼらしい少女が立っていた。それが呪術師の娘だということに、ラルスはすぐに気が付く。

 名前はアマリア。呪術師として名高いフーゴの娘だ。そして、身の程知らずにトゥーレに恋い焦がれている。

 第一夫人に呼ばれたのだとすぐに察したが、今室内は恐ろしい程の険悪ムードに包まれている。入らない方が無難だ。


「ちょっとお茶してからまたおいで」


 ラルスは軽口を叩いてから、ふと思い立って、彼女の興味を引くであろう情報を、何気に与えてやった。

 トゥーレの肩に腕を回し、少し大きめの声を出す。


「あんたが守ってくれると知りゃ、ブリジッタもさぞ喜ぶだろうねえ」


 贄に指名されたブリジッタを今から救いに行くこと、トゥーレとハラルドと対立していること、などだ。

 どう反応するかとチラリと振り返れば、アマリアは青白い顔をしていた。


――まあ、状況は理解したようだな。さあ、どうする、アマリアちゃん。っていうか、大人しくしてて欲しいもんだけどな。君なんかにどうこうできる状況じゃないんだし。


 ラルスは、三年前アマリアが酷い折檻を受けたのを偶然知ってしまった。

 それはトゥーレの出立を見送った後、彼が自由に持っていって良いと言っていた本棚からごっそり本を抜き取り、自邸に持ち帰ろうとしていたときのことだ。

 アマリアがフーゴに抱えられて、屋敷を出てゆくのを目撃してしまったのだ。フーゴ自身もよろよろとふらつきながら、気絶してしまった娘を抱いて歩いていたのだ。あまりに異様な光景で、声をかけずにはいられなかった。

 呪術師に何があったのか問いただしてみたが、彼は頭を下げるばかりで答えようとしない。半ば脅すようにしつこく訊ねて、ようやくフーゴは語った。呼ばれもしないのに屋敷に忍び込み、トゥーレに護符を渡した、それが彼女の罪であり罰を受けたのだと。


 酷い不快感を覚えた。

 ラルスは、自分がトゥーレのような慈愛の精神も開拓精神も持っていないことを自覚している。普段使用人なんか眼中に無いし、贄の風習も昔からあるのだから仕方ないと思っているし、嵐で村が酷い有り様だと聞いてもいつものことだなと思う程度なのだ。

 だが、絶対的な強者が抵抗の手段を持たない弱者をいたぶることにだけは、猛烈な嫌悪感を抱いてしまうのだ。

 吐き気がするほど、おぞましく思う。全身をいじいじと虫が這うような不快なむず痒さに襲われる。こんな時、ラルスが感じるのは怒りではなく恐怖だった。幼い頃に沁み込んだ恐怖だった。


 この時ラルスは、アマリアがトゥーレに恋をしていることを察したのだった。鞭打たれて気を失っているというのに、彼女の顔は満足げにさえ見えたのだから。

 しかし、彼女の恋情を知ったからといって、ラルスにできることは何もないし、何もする気はなかった。見ているしかない。

 決して実ることのない恋だということは、アマリア自身が百も承知しているはずで、他人が口を挟むことでは無いのだ。


 だが、ただ一度だけ出しゃばったことがある。

 トゥーレは帰国後、護符のお礼としてアマリアに土産をやろうとしていたのだが、それを止めたのだ。

 ラルスからすれば、アマリアに土産だなんて、何をバカな事をするんだと呆れ果てる出来事だった。バレれば、また彼女が折檻を受けることになると言うのに、と怒りも感じていた。無論、トゥーレは半年前に彼女の身に起きた事を、何も知らなかったのだが。

 あのような暴力を、ラルスは二度と見たくは無かった。


――っていってもこの女バカだから、鞭が待ってるって分かってても喜んで受け取っちまってただろうなあ……


 あの頃と変わらず今も、トゥーレを見つめ続けるアマリアを見るにつけ、ラルスはため息の出る思いがした。

 一見すると彼女の恋は上手く隠されていて、それと気付く者はあまりいないように思う。しかし一度気付いてしまったラルスには、容易く見破れてしまうのだ。トゥーレの姿を追い求める彼女は、ひどく危うかった。

 一途とか健気とかいうものでなく、もう狂った熱情に取り付かれているようにしか思えないのだ。言葉を交わしたことはほとんど無いが、気を付けて彼女を見ていれば分かるのだ。トゥーレのためなら何だってやるという、追いつめられた思いが。

 アマリアが、恋しさのあまりにコソコソと嗅ぎまわらないように、せめてもの配慮として最低限の情報を与えてやった。とは言え、彼女の想いが報われる要素は何もないのだが。


――トゥーレはブリジッタと結婚するんだ。もういい加減、他の男に目ぇ向けた方が幸せってもんだぜ。ま、無理だろうけど。


 ラルスはトゥーレと共に廊下を進み、小さく息を飲むアマリアの気配を背中で感じていた。

 そして、このにぶちんめ、とトゥーレの肩をバシンと叩くのだった。

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