第5話 贄を出せ

 ハラルドは、ギリギリと奥歯を噛みしめながら第一夫人を睨んでいた。人を見下す傲慢な女だと思う。今も薄眼で嘲笑うようにこちらを見ているものだから、その首をへし折ってやろうかと拳を握ってしまうのだった。

 兄の死は自分にとって、のし上がるチャンスだと舞い上がったが、一瞬にしてこの女に潰されてしまった。

 浜での一件を、さもトゥーレに神がかった力があるように誇張して吹聴してまわり、ハラルドのことは臆病者扱いして笑いを誘ったのだ。


――あの気味の悪い笑い声を聞けば、このクソ女だってわしと同じことを命じただろうに!


 ちっちっと何度も舌打ちを繰り返した。

 トゥーレが領主になることを阻止できないのなら、せめて役立たずの能無しなのだと領民どもに知らしめなくてはならない。いつか自分が領主に立つためにも。

 キルシ家に発言力を持たせるのも良くない。娘のブリジッタがトゥーレの妻になれば、ますます大きな顔をするに違いなのだ。

 だから、ブリジッタを消してやろうと思った。どうせ近々結婚する予定だったのだから、妻とみなして海神への贄にしてしまえば、キルシ一族への牽制になる。


 いや、トゥーレに邪魔されることは予想済みだったし、贄にできなくても構わなかった。近頃、豪族の中でも力を増してきたキルシが、決して娘を差し出すわけがないのだ。それは娘可愛さではない。領主の外戚になる大事な駒だからだ。

 だからこそキルシを叩くことができる。神を蔑ろにする者として糾弾できる。しかもつい先日まで、キルシはハラルドと一緒に、一日も早く贄を捧げなければ神の怒りが治まらないと言っていたのだから滑稽だ。

 領主は領民の為に贄を出すべきなのに、それに反対するトゥーレともども大いに叩いてやるのだ。その為に自分に迎合する者たちを、既にキルシの館に送り込んでいるのだから。


 だがその前に、もう少ししつこくブリジッタを贄に推して、彼らを焦らせておこうとハラルドは思う。キルシやトゥーレは神に逆らい、民を思いやらぬ身勝手な輩なのだと、全領民に見せつけておくのがいい。

 ハラルドは、ツンと澄ました顔の第一夫人を睨みながら、片方だけ唇を吊り上げてフンと嗤うのだった。







 言われた通り、アマリアは少し時間を置いてから応接室に向かった。

 先ほどと同じ女中が彼女を先導する。女中は少しでも場を和まそうというのか、ティーセットを用意していた。

 扉を開けると、中ではハラルドと第一夫人が、無言で睨み合うようにして座していた。他には誰もいない。


「奥様、ハラルド様、亡き領主様のご葬儀の日取りを占いに参りました」


 アマリアが深くお辞儀をすると、ハラルドは嫌な物を見たというように顔をしかめ、シッシと手を払った。


「さっさと始めろ。占いなんぞ適当でいい。なるべく早めの日程を組め。そうですな! 義姉さん!」

「ええ、それでいいわ。トゥーレの領主就任に良い日も、選ばないといけませんからね」

「っち!」


 舌を打つハラルドを、第一夫人は鼻で笑ってツンと横を向いてしまった。二人ともアマリアを見ようとはしなかった。

 我関せぬといった調子で、女中はお茶をいれ始める。

 アマリアも部屋の冷え切った空気をなるべく乱さぬように、背を丸めてそっと部屋の隅へゆく。小さなテーブルに呪具を並べ、占いの準備を始めた。

 アマリアにとって亡くなった領主は、恐ろしくも尊ぶべき絶対君主だった。彼の死は衝撃であったし、悲しみとは違うが心を大きく揺さぶるもので、丁重に弔って差し上げなければという気持ちで臨んでいた。

 だから、故人の弟と妻である彼らの冷淡な態度には少々驚いてしまった。そして同時に、トゥーレの領主就任という言葉に安堵してもいた。

 もう領主就任は確実なようだ。第一夫人がハラルドをねじ伏せたのだろう。


「そうねぇ、やっぱりトゥーレの門出の日を決める方が先ね。葬儀の日程は後でいいから、さ、早くおやりなさい!」


 部屋に茶の良い香りが広がっていた。女中が主たちにカップを配り終えるのをまって、アマリアは占いの道具を置いた小テーブルを少し移動させて、彼女らに見えるようにした。

 分厚い本を片手に、現在の天の星の配置とトゥーレの生まれ月の星の配置を重ね合わせ、吉日をいくつか導きだす。その吉日を暦に記してゆく。そして、トゥーレの名と生年月日を書き込んだ小さな紙を暦の上に置いた。

 ロッドをかざし、呪文を唱える。するとふわりと紙片が数十センチ浮かび上がり、くるくると回り始めた。

 アマリアがロッドをくるりと回すと、ひとしきり舞った紙は揺れながら落ちてゆく。そして印がつけられた日の一つの上に、そっと重なった。

 アマリアはその日付に少し驚き、思わずまあと声を上げてしまった。


「どう? なんて出たの?」


 待ちきれずに第一夫人が声をかけた。

 アマリアはまた深々と頭をさげ、占いの結果を報告するのだった。


「明日でございます」


 ティーカップを、トンとテーブルに置いた第一夫人の口角がキュッと吊り上がる。ギリギリと歯噛みするハラルドを、嘲笑っているようだった。


「良いでしょう。早いに越したことはないわ。領主不在が長引くのは民の為にもなりませんもの」

「ふん! 贄の儀式をしないとなれば、領民どもから舐められること間違いなしでしょうよ。役立たずの腰抜けだと!」

「あら、あなたが妙な煽動をしなければ、そのような声は上がりませんわ!」

「それはどうかな。私が黙っていても、キルシたった一人の反抗さえ抑えらずに、贄が出せない情けない領主だと、下々の目には映るでしょうな」


 第一夫人は、フンと鼻白んでハラルドを横目で睨む。

 少し考える様な素振りをしてから言った。


「……そうね、やはり贄は出しましょう。あの子ったら、自分はまだ領主じゃないから、儀式は成立しないなんて言ってたけど。明日には正式に領主になるんですからね! ブリジッタには悪いけど、トゥーレのため……。それに贄さえだせば、あなたもちゃんとトゥーレを認めてくださるんでしょう? さあ、準備に忙しくなるわ! ……ああ、そこの。葬儀の日取りは適当でいいから、さっさとお行き」


 アマリアにシッシと手を振った。悪臭がする、とでもいうように、夫人は鼻を押さえて部屋を出て行った。

 ハラルドはイスにふんぞり返って、ニヤリと笑った。


「ふんババアめ、トゥーレのこととのなるを目の色を変えやがって……。せいぜいキルシとこじれればいい。あのじじいが、大人しく娘を差し出す訳がないっていうのにバカめ。……今頃、ラルスが上手くやっていてくれればいいが……」


 アマリアは懸命に何気なさを装っていた。しかし内面では心臓が破けそうだった。

 上流階級の人間というものは、使用人など壁か置物程度にしか認識していないのか、彼らの前で時折際どい話をぽろりと晒すことがある。使用人にも耳があることを忘れているのか、アマリアには知る由もないのだが。

 こういう時は、なるべく彼らの視界に入らぬようよ立ち去るのが礼儀であり、身を守る術でもある。口を挟むなど、もっての他だ。

 ハラルドの言葉に反応しないように気を付けながら、アマリアは呪具をしまってゆく。それでも耳は彼の独言に敏感になり、意識がそちらに持っていかれそうになるのだった。

 すぐ側にいる女中も、早く出ようと目配せするも、やはりアマリア同様に気になるようで、のろのろとティーセットを片付けているのだった。


「しかし、トゥーレの戯言はどうするべきか……まあ、この嵐があとたった二日で終わるとは思えんが……まさかな……」


 呟きながらハラルドは首を振る。

 ああ、そうだったと、アマリアも心の中で頷く。第三夫人を贄に出すとモーゼスが決めたのが四日前で、その時トゥーレはもうじき嵐は終わると予言していたのだ。


『贄は必要ない! 嵐の終わる兆候は、もう見えている! 必ず、後五日か六日経てば嵐は去るんだ。贄を出す必要はないんだ!』


 彼はそう叫んでいた。

 なぜトゥーレがそう断言したのかは分からない。モーゼスは全く耳を貸さなかったが、その通りになるなら確かに贄は必要ないだろう。それに、彼の予言に半信半疑ながら期待を寄せている者もいるかもしれない。

 ハラルドはブツブツと考え込んでいる。


「いや、絶対に贄は出しておかねばならん……。ああ、そうか!」


 ポンと手を打った。


「聖婚だ。聖婚の妻を用意すればいい」


 聖婚。

 その名称とは異なり、清らかさなどない偽りの結婚だ。初めから贄となることを定められた女と、一夜限りの契りを交わすの儀式なのだから。

 しかし、ハラルドの言葉に、アマリアは雷鳴のような衝撃を感じた。


――トゥーレ様が、聖婚の妻を……!


 アマリアの心臓は激しく鳴っていた。

 自分の占いの結果が、この聖婚を呼び寄せたのだと瞬時に理解した。


 ハラルドは、明らかにトゥーレの予言を気にしている。甥の言葉通りに嵐が終わることを恐れているのだ。もしも的中すれば、トゥーレに神がかった力があると信じ、支持する者が増えるのは間違いないのだから。野心あるハラルドにとって、好ましいことではない。

 彼が頑なに贄を捧げようとするのは、仮に予言通りになった場合の予防線にしたいからだろう。海神に贄を捧げたから嵐は去った、ということにするために。

 ブリジッタを贄に指名したのは、無理を承知の嫌がらせだったかもしれないが、明日正式にトゥーレが領主に就任するなら、聖婚の儀式を行い正当に贄を出すことができるのだ。それも予言の期日内に。


 しかも、贄を望む領民の声は無くならない。権力者たちの思惑と、領民の感情は全く別であり、古くからの数多の風習に縋って生きてきた者にとって、贄は今なお必要なものなのだ。

 だから、領民に心の平穏を与えるためだと、もっともらしく語れば誰もが聖婚の儀式を受け入れるだろう。トゥーレの意思はお構いなしに、ハラルドならそう仕向けるはずだ、とアマリアは確信するのだった。


 視界の隅で、ハラルドが立ち上がるの見える。そわそわとして考え事をしていようだった。これから聖婚の妻になる者を探しに行くのだろうか。

 誰も喜んで贄になる者はいない。だが、聖婚の妻に指名されれば、決して拒否などできない。必ず誰かが、トゥーレの聖婚の妻として召し出される。


――……もしも、もしも私が聖婚の妻になると言ったなら……


 ぎゅっと胸に手を押し当てた。口から心臓が出てきてしまいそうだ。

 聖婚の妻になるのに条件などない。本来の贄である支配者の妻の身代わりなのだから、誰でもいいのだ。アマリアが自ら志願しても、なんら問題ないのだ。


――聖婚なら……私でも、私なんかでもトゥーレ様の妻になれる……


 彼に思いを寄せるのは、穢れた呪術師であるアマリアには罪ですらあった。しかし聖婚の妻ならば、贄となって神に命を捧げるならば、彼の側に侍ることを誰も咎めはしないのだ。

 なんという甘美な誘いなのかと、アマリアは震えた。

 だが一方で、やはり許されないことだ、誘惑されてはいけないという思いもある。そう、トゥーレだけはきっと許さないだろうから。

 あんなにも贄に反対している彼が、聖婚の妻など受け入れはしないのだ。その彼の意思を知りながら、正反対の行動をとって良いはずがない。トゥーレに尽くしたいとずっと願ってきたのに、裏切ることにもなるのだ。


――ああ、それでも……


 聖婚の妻。

 その言葉に、アマリアは浅ましい程の喜びを感じてしまっていた。


 もうじき、トゥーレはブリジッタと結婚してしまう。そしてアマリアはこの先ずっと、二人が寄り添うのを見つめていなくてはならない。きっと心が引き裂かれてしまうだろう。

 アマリアはブリジッタと比べるべくもなく、道端の小石のようなものだ。その小石でも聖婚の妻にはなれるのだ。たとえ一夜限りでも。天地がひっくり返っても決して結ばれるはずのない、トゥーレの妻に。

 そして何より、トゥーレとブリジッタが並ぶ姿を見なくても済む。夜が明ければ、贄として海に沈むのだから。


 これは、恐ろしく身勝手な感情。トゥーレの意思に反する行動。そう分かっているのに、アマリアには止められなかった。報われない思いを慰めたかった。

 ただ一時でもいい、仮初めでも構わない。彼に妻と呼ばれたい。そのためだけに贄になる。

 そして、熱に浮かされるようにハラルドの前に進み出たのだった。

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