第12話 今は道化でも

 屋敷の中は朝から騒がしかった。使用人たちが右へ左へと走り回っているのだ。今日、急遽行われることになった領主就任の儀式の準備のためだ。

 トゥーレは、屋敷の敷地内にある礼拝堂にて、多くの立ち合い人のもと宣誓の祝詞を上げるのだ。そして、酒や穀類といった捧げものをし、領主の証である金印を受け取るのだ。その印の側面には歴代の領主の名が刻まれており、トゥーレの名も後日刻まれることになるだろう。

 この儀式において一番準備が必要なのは、長大な祝詞を暗唱しなければならないトゥーレ本人であるはずなのだが、そんなことはお構いなしに浮かれた第一夫人は自分や他の子どもらのおめかしや、招待客のもてなしの準備のためにやかましく指示を飛ばしているのだ。


 トゥーレは慌ただしい屋敷の様子にため息をつきつつ、手早く朝食を済ませる。落ち着いて食事などできる空気ではなかった。

 そしてキンキンとした母の声が近づいてくるのに気付くと、飲みかけのお茶をそのままにして立ち上がり、顔を合わさないようにわざと別の扉から出て行くのだった。ただでさえ気分が悪いのに、母の相手をするなんてごめんだった。

 いつも本人の意思を確認しようともせず、貴方のためよと言って押し付けてくる母親のことを、トゥーレは苦々しく思っている。得てして母の「貴方のため」はトゥーレの意思に反するし、むしろ「母のため」ではないのかと思うのだ。


 今日の領主就任の儀式にしてもそうだ。母の意志が全てを決定している、そう思うのだ。

 昨日キルシの館から戻くると、何やら家令が忙しそうにしていた。何事かと問えば、領主就任の日取りが決まったという。寝耳に水の話である。本人であるトゥーレには全く報告は無く、問わなければ危うく何も知らされないまま、儀式に臨むことになりかねない有り様だった。

 家令は故意に伝えなかったのではないが、意識して伝えようともしていなかったのだ。申し訳ありませんでしたと頭を下げはしたが、彼にとって屋敷の主人は母であり、トゥーレはまだお飾りのあやつり人形なのだ。いや屋敷の中だけでなく、領民のトゥーレを見る目もきっと家令と似たようなものだろう。


 だからこそトゥーレは、強い領主にならねばならないと思っている。昨日熱弁を振るったのもそのためだ。人形のままではいけないのだ。

 トゥーレが領主の座を望むのは、権力を得るためだ。力が無ければ、どれだけ熱心に叫ぼうが何も変えることはできはしないからだ。

 異国に留学した際の衝撃がトゥーレは忘れられないでいる。先進的な学問を誰もが学べ、自由に発言できる気風に満ち、そして君主は民意を吸い上げて国を治めていた。その光景に魅了されてしまったのだ。力を持つ者の都合や感情に振り回されるのはいつも立場の弱い者だ。それを変えたいのだ。

 一朝一夕で成ることではない。しかし、自分がその第一歩を踏み出さなければならないと思っている。

 それが若いトゥーレの野心だった。




 食堂を後にしたトゥーレは、ある女中を探していた。

 昨日、占いの為に召し出されてた呪術師の娘とすれ違った。その呪術師の娘を連れて来た女中を探しているのだ。

 彼女に、昨日自分のいない間に何があったのか聞きたかったのだ。占いは果たして信じるに値するのか確かめるためだ。

 祭りや儀式の日取りを決めるのに、占いを使うのはよくあることだ。しかし、占いで翌日とでたからと言って、そのまま強行することもあるまいにと思うのだ。母が都合の良いように解釈しているだけではないかとさえ思う。嵐が終わり、父の葬儀を済ませてからでも十分なのだから。

 トゥーレは屋敷の裏方を歩き回り、洗濯場でその女中が一人で仕事をしているのを見つけると、迷うことなく声をかけた。お前も占うところを見ていたのかと。


「はい、確かに占っておりました。私、あのような占いを見るのは初めてでしたが……とても不思議なものなのですね」

「母が今日と言えと強いたのではないのか?」

「いいえ、とんでもない。確かにあの者が、今日と言ったのです」


 トゥーレはふうとため息をついて肩を落とした。

 占者の言であったというなら、阻むのは難しいだろう。母の企みであってくれた方が、余程マシだったのにと思った。


「そうか……アマリアが、か」

「まあ、トゥーレ様はあの者を名をご存知なのですね」

「…………あ、ああ、いつもフーゴと一緒にいるからな。父親同様に、腕の良い術師さ。占いに間違いはないようだし、これで母に文句を言えなくなってしまったよ」


 肩をすくめて苦笑してみせた。

 忙しいのに仕事の邪魔をしてすまなかったねと言いおいて、トゥーレは立ち去ろうとした。だが、二歩三歩と進んだ時、女中に呼び止められた。


「あの……お祝いの宴は少し縮小されるそうですが……」


 女中が少し言い淀んでいるのをトゥーレは不思議に思ったが、通例と違うことを思い出し、彼女はそれを気にしているのだろうと一人頷く。

 儀式には決まった順序がある。大事な儀式は特に、慣例から外れることをとても嫌うのだ。災いを招くとされているからだ。

 領主就任の儀式の場合、正午から宣誓を中心とする儀式が行われその後、夜通し宴を催し領民にも酒が振る舞われるのが通例だった。しかし、今回は宴の規模を縮小して宵の口には終わるとのことだ。身内と主だった豪族のみが、領主邸に集まることになっている。

 父の葬儀もまだであり、長引く嵐で食料も底をつきかけているのだ、トゥーレにしても盛大に祝うべきだなどとは思いもしない。むしろ宴自体無くてもよいと思っているくらいなのだから。

 慣例から外れるからといっても事情があるのだし、儀式自体は通常通りに行うのだから、災いがおこるなどと気に病むことはないのだ。

 トゥーレはそう言って女中を宥めた。


「陰謀渦巻く宴など、短く済むならそれに越したことはないさ。母にしては珍しい英断だと思わないか?」

「……そ、そうでございますね」


 少しお道化てみせると、女中は困ったように笑みを浮かべた。

 母の言いなりになっている頼りない男だと思っているのだろう。実際、これまでのトゥーレはそうだったのだし。


――そうさ、今は道化でいい。だが、必ず変えて見せる。皆が道化と侮っているうちに、大きくひっくり返してやる。……俺が変えるんだ。


 女中はまだ何か言いたげだったが、トゥーレはわざと気付かぬふりで、今度こそ足早にその場を後にした。

 宴について質問されても、取り仕切っているのは母なのでトゥーレには答えられないし、アマリアの名を知っていることを指摘されて少々動揺していたのだ。


 女中のように、ぼかした呼び方をすればよかったと後悔していた。

 呪術師の名をわざわざ口にする者はいない。忌む者として扱われているせいだ。

 アマリアだけが特別ではないことを示す為に、父親のフーゴの名も出したが、彼らの名を呼んだことで、また自分は異端として見られるのだろうなと思う。

 しかし、それだけならまだいいのだ。

 いつかのように、自分に関わったために彼ら親子が罰せられることがあってはならない。いや、彼らだけではない。使用人の中には、トゥーレのお気に入りと揶揄されただけで解雇された者もいるのだ。子が病いだと言うので見舞いを贈っただけだったのだが、それは過分な好意だと周囲に受け取られてしまったのだ。

 不用意に親し気な態度をとったせいだと、トゥーレは強く自戒していた。


――だが、それもいずれ変えてみせよう。身分がなんだと言うんだ。なぜ虐げる者と虐げられる者がいなければならないんだ。このような不条理がいつまでも許されていいはずがない。


 呪術師の名を呼んで何が悪いのかと思う。彼らの何が忌まわしいというのかと。他の者となんら変わらぬ同じ人間同士なのに、なぜこうも虐げられるのか理解できず、我慢ならなかった。

 確かに彼らは、生贄を使った怪しげな呪術を扱う。だからこそ忌避されるのだが、それでいて誰もが呪術を欲するのだから、人の世は歪んでいる。

 実のところ、彼らを蔑む者たちは恐れているのではないかと思うのだ。意識的ではなくても、不思議な力を操る彼らを恐れて、押さえ込もうとしているのではないだろうかと。


 トゥーレは、呪術師を嫌いはしないが、彼らに自身を犠牲にする呪術を行わせるのは嫌で堪らなかった。

 一つを得れば一つを失う。それが術の理だと聞いた。しかし、その術の利益を受け取るのは、自分たち権力の側にいる人間であり、何も得るものなどない彼らは不利益だけを被るのだ。僅かは報奨金しか与えられないというのに。

 自分が領主なったなら、彼らをまず自由にしてやろうと思うのだ。どのように計らうのが彼らのためになるのか話し合おうと思うのだ。二度と自分のために、身を削る術を使ってもらいたくはないと強く思っていた。


――それなのに、あのアマリアは……


 父が亡くなった朝、浜辺でのことを思い出すと、トゥーレギリっと歯ぎしりをしてしまう。

 彼女が術を使った確証などない。直観だ。あのタイミングで風向きが偶然変わるはずなどないと思うのだ。それに彼女は弱々しくよろめいていたのだし。


――くそっ……全く余計なことをしてれたものだ。二度とあんなことをするなと、きつく申し渡しておかないと……


 トゥーレは知っているのだ。彼女は父フーゴのために身代わりとなって、茨の死の刻印に冒されいることを。

 父のために。それはひいては主である、自分たち領主一族のために、ということに他ならない。

 トゥーレは他人の犠牲の上に何かを得たとしても、それを当然とは思えなかったし、喜べもしなかった。


 ふうと大きく息をつく。トゥーレは中庭を抜けて自室へ戻ろうとしていた。

 その時、視界の隅を黒い影が横切った。思わずそちらに目を向けると、たった今思いを向けていたフーゴの姿があった。

 彼の顔色は非常に悪く、足元がふらついていた。

 また何か術を使ったのかもしれない、そう思うとじわりと怒りが湧いてくる。それはフーゴに対してでもあるし、術を使うように命令した者に対してでもあり、また命令した者と同類である自分に対してでもあった。

 だが、トゥーレはぶるぶると頭を振り、自己嫌悪に浸っている場合ではないと思い直す。浜での一件も問いただしたかったし、二度を術は使わなくていいのだと伝えようと、フーゴへと歩み寄っていった。


 フーゴの方でもトゥーレに気付いたようだった。進路を変え、トゥーレのいる中庭の方へ歩き出そうとした。真っ青な顔なのに、何故かホッとしたような表情を浮かべているのが不思議だった。

 しかしその時、フーゴを先導していた家令が引きとめた。第一夫人を待たせるなと怒鳴るのだ。


「待て! この者と少し話がしたい」

「ああトゥーレ様、なりません。今日という大切な日に、このような者に近づいては穢れてしまいます! それから、早くお召し替えをなさった方がよろしいでしょう。奥様がトゥーレ様の姿が見えないと、お怒りになっておられました」


 そう言って家令は、イライラをぶつけるようにフーゴについて来いと命じる。本当は、トゥーレに対して、邪魔しないでくれと怒鳴りたいところなのだろう。


「待てと言っているだろう!」


 フーゴと話たいのに、家令こそ邪魔者だった。彼がいては浜でのことを尋ねにくい。ふと、フーゴの表情が固くなっているのに気付く。じっとトゥーレを見つめ、何か言いたげな様子だった。

 だがトゥーレが問いかける前に、家令が大声を上げる。


「いいえ待てないのです。さあ、来るんだ! 奥様をお待たせするんじゃない!」


 家令はトゥーレよりも夫人を優先し、横柄極まりなかった。

 じわじわとまた怒りが湧いてくる。フーゴへの偏見に満ちた侮りと蔑みがどうしても許せないのだ。

 思わず怒鳴りつけそうになる。

 しかし、弟妹たちが前方から楽しげに駆けて来るのを見つけると、言葉を飲み込んでしまった。幼い彼らに怒鳴り散らす兄の姿は見せたくなかった。

 大きく息を吐き、浜でのことはまた後日聞けばいいかと、トゥーレは肩の力を抜いた。


「お兄様! お着換えしなくっちゃ! 僕たちがお手伝いするよ」

「ああ、よろしく頼むよ」


 走って来た勢いのままぶつかってくる弟を受け止めてにっこりと笑った。

 顔を上げると、なんとも無念そうなフーゴが何度も振り返りながら歩いてゆくところだった。トゥーレの胸に不安がよぎる。


――どうしたんだ?

「…………娘をどうか……」


 短い言葉の後は続かなかった。

 フーゴが言い足りないのは明白だったが、母の金切り声の登場によって、それ以上聞くことはできなかったのだった。

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