第13話 若き新領主

 トゥーレの領主就任の儀式は滞りなく行われた。

 神の祭壇の前に立って、堂々と高らかに宣誓の祝詞をあげる従兄を、ラルスは誇らしげに見つめたのだった。

 一晩で長い長い祝詞を全て完璧に暗記したというのだから、さすがは俺のトゥーレだ立派に育ったものだと、親にでもなった気分だった。

 これで今からトゥーレは領主なのだ。


 感動で、つい先ほどハラルドに殴られた頬の痛みも消えていくようだった。

 妹ために用意されていた結婚衣装と母の宝飾品をアマリアの与えたのがバレてしまい、ラルスは数年ぶりの鉄拳を喰らってしまったのだ。それでも一発で済んだのは、やはり父が老いた証明だなと、心の中で舌を出していた。そして、自分でも意外なほど強気で睨み返せたことにも大いに満足していた。

 このくらいのことはどうでも良かった。妹の結婚はまだまだ先なのだから衣装は作り直せば済む話だし、母の宝飾品だってまた買えばいいのだから。


 それよりも問題なのはブリジッタだった。

 儀式が終わり、飲めや歌えの宴が始まると、ブリジッタはトゥーレにピタリと寄り添った。側を片時も離れようとしない。

 冷やかされるのを嫌って、トゥーレは何度か席を変わろうとしたのだが、彼女はしつこくついて回る。

 ラルスもなんとかトゥーレと二人きりで話す機会を作ろうと頑張ったのだが、そのことごとくをブリジッタに邪魔されてしまった。そのせいで、ラルスの目的は未だ果たせずにいる。早くトゥーレに伝えておきたいことがあるというのに。


 この宴の後、聖婚の儀式が待っていることをトゥーレはまだ知らないのだ。もう誰もが知っているのに、彼だけが知られされていないのだ。

 生贄に猛反対しているトゥーレが知れば必ず中止を言いだすのだから、直前まで伝えるなと、ハラルドと第一夫人からの厳しいかん口令が下りているためだ。

 腹黒い大人たちに、ラルスは反吐が出る思いだった。


 この宴の裏側で、聖婚の儀式が進んでいると聞けばトゥーレは憤ることだろう。 ラルスは、敬愛するトゥーレが嫌がることを無理強いさせたくないし、彼のハレの日を生贄の儀式で穢したくはなかった。

 昨日、話を聞いた時ラルスは、すぐにトゥーレに情報を垂れ込んで、アマリアが連れてこられる前にどこかに隠してしまおうと考えた。聖婚の花嫁が居なければ儀式は行えないのだから。

 だが、さすがに仕置き部屋ではなかったものの、昨夜は自室から一歩も出してもらえず見張りまでつけられてしまい、何も行動できなかったのだ。

 今朝早く、アマリアが自邸に到着したと聞いた時には、もう終わったなと思った。警備の目をかいくぐって、彼女を連れ出すなど不可能だった。

 だから、半分は父への嫌がらせのために、もう半分はアマリアを慰めるために、純白の花嫁衣裳を与えたのだった。


 そして今頃、アマリアは浜の船の中にいるだろう。周りは警備に取り囲まれているはずだ。

 今からでも浜に走って、儀式は中止になったぞと大ボラ吹いてみようかとも思うのだが、恐らく成功しないだろう。

 というのも、午前中のうちに船の修繕具合を確かめに行った時にも、警備の者たちはラルスの甘言に乗ならないようにと、父からきつく申し渡されていたようで、世間話にさえ耳を貸そうとしなかったのだ。

 このあとできることは、領主となったトゥーレ本人から正式に儀式の中止を宣言させることくらいだろう。それで皆を納得させられる保証はないが。


 トゥーレが落ち着いて弁舌をふるうことができれば、あるいは勝算があるかもしれない。一か八か賭けるしかないなと思うのだ。

 昨日はブリジッタを贄から下せたのだし、あの時彼の言葉に耳を貸した者は確かにいたのだから。

 しかし、彼女が有力な豪族の娘であったからこそ、贄を下りることを許されたともいえる。後々豪族間で禍根を残すことのないようにとの配慮だ。


 だがアマリアは違う。彼女は呪術師なのだ。虫よりも軽い命なのだ。贄を望む声が消えた訳でもないのに、それを救うとするなら生半可な弁舌ではきっと足りないだろう。

 それに呪術師蔑視を嫌うトゥーレが、贄がアマリアだと聞けば激高するはずだとラルスは思うのだ。冷静に説得できなければ儀式の中止できないであろうし、そればかりか愚か者の誹りを受けることだろう。


 だからラルスは、ハラルドが聖婚の儀式を行うと口にする前に、トゥーレに心の準備をさせる時間を取りたかった。宴の間にこっそりと知らせ、儀式阻止の密かな企みを二人で立てたかったのだ。

 それなのにブリジッタが邪魔なのだ。

 私はトゥーレの妻よといった顔で、張り付いて離れないのだ。


――この乳女! 俺のトゥーレにベタベタしてんじゃねぇよ! でかいのぶるぶる揺らしてんじゃねぇよ!


 もういっそのこと、自分とブリジッタでトゥーレを取り合う歪な三角関係という体で、三人一緒にこの場から離れようか、などとバカなことを考えてしまう。


――ダメだ。返って好奇の目にさらされて、内緒話なんてできやしないぞ……


 思わず酒を煽ってしまう。

 もう時間が無いというのに、妙策は浮かばなかった。







 青ざめた顔でトゥーレは立ち尽くしていた。唇をギリギリと噛みしめている。

 皆が知っていたのに、自分だけが知らなかった。その事に屈辱を覚え、また身近な者たちにも裏切られたのだと怒りに燃えているようだった。

 彼の目が自分を睨んでいるような気がして、ラルスは目を伏せるばかりだった。結局トゥーレのために何もできなかった。


「浜では既に聖婚の儀式の準備は整っている。さあ、領主として最初の務めを果たしてくるがいい」


 ハラルドが上機嫌で笑って言い放ったのは完全に嫌がらせだ。トゥーレが憤るのを分かっていて煽っているのだ。


「行かないと言うならそれでもいいぞ。ブリジッタと新床を温めていればいいのだ。大切な儀式の務めを果たさぬ、無能な領主という烙印が押されるだけこと。わしは一向にかまわんぞ! 贄は明日の朝、わしが責任をもって海に沈めよう」


――この嗜虐家め……


 ラルスはチッと舌を打った。

 本来の儀式では、領主が聖婚の妻と称される贄と一夜の契りを交わすことが、絶対条件なのだ。神が望む贄は、あくまでも領主の妻なのだ。その証明として契るのだから、領主は必ず贄の待つ船に行かなければならないのだ。

 それをハラルドは行かなくても良いと言い、周りの者もそれを咎めないのは、とにかく贄を捧げなければならない、という強迫観念に捕らわれているからなのかもしれない。

 これでは最早、神など存在してはいないではないかと、ラルスは思うのだった。

 つかつかとハラルドに歩み寄ってゆくトゥーレの目が吊り上がっている。殴りかかるようなら止めなければならないとラルスは身構えるのだった。


「叔父上、貴方という人は……。なぜそこまで贄にこだわるのですか!」


 トゥーレの手がハラルドの胸を掴みそうになるのを、ラルスが制する。殴ってしまったら、ハラルドの思うつぼなのだ。有ること無い吹聴して回り、トゥーレの評判を落とそうとするに違いないのだから。

 しかし、トゥーレはその手を振り払ってしまう。


「昨日、贄は無しだと納得したのではなかったのですか!?」

「ブリジッタのことはな」

「詭弁を弄するのは止めて下さい! 別の者を立ててまで、なぜ強行するのです! 無理やり攫ってきたのですか!」

「何を人聞きの悪いことを。報奨目当てに贄になると申し出てくるのはよくあることではないか」


 嘲笑うハラルドと、ショックを受け苦渋を浮かべるトゥーレ。

 両者を見比べて、ラルスは胃の痛む思いだった。

 取り巻く者たちが、贄をささげよ儀式をせよと囃しはじめた。ハラルドの根回しはよく行き届いているようだ。贄は婚約者ではないのだからいいではないか、これ以上反対ばかりするなと、トゥーレを攻め立てるのだ。

 ラルスがゴクリと唾を飲んで部屋を見回すと、昨日トゥーレの熱弁に興味深そうに耳を傾けていた者でさえ、儀式を行えと叫んでいた。

 トゥーレは孤立無援だった。


――ああやっぱり、無茶やってでも館を抜け出して、昨夜のうちにアマリアを隠せば良かったんだろうか……


 ラルスは激しく後悔した。抜け出すことは不可能だと端から諦めずに、ダメ元でも行動すればよかったと。


「さあ、行くのか行かないのか……どっちかな?」


 余裕しゃくしゃくの顔でハラルドが煽る。彼にしてみれば、先ほど自ら口にしたように本当にどちらでもいいのだ。どちらを選択しようと、トゥーレは苦しむわけで、その苦しむ顔を見物しようとしているだけなのだ。

 ラルスは怒りをじっと耐える。今ここで怒っていいのはトゥーレだけだと思うのだ。しかし、恐らく彼も怒り耐え忍び、そして決断を下すだろう。


――行くんだろう、トゥーレ。


 それしか選びようがないのだ。

 固く施錠された船に閉じ込められた贄は、もう逃れることはできない。

 行っても行かなくても、贄は殺される。

 それならばトゥーレは行くだろう。自ら志願して贄となった娘を、知らん顔で放っておくなんてできないだろうから。


 そして、トゥーレが拳を握り締めたまま、くいしばった歯の隙間から大きく息を吐きガックリと肩を落とした。

 彼が悲痛な思いで、諦めたことをラルスは悟った。一晩かけて弁舌を振るおうとも、船は必ず沈められるということを、トゥーレは受け入れてしまったのだ。

 しきりに頭を振っているのは、無念でならず動揺がまだ収まっていないせいだろう。しかしそれでも、彼は小さな声で浜へ行こうと呟いたのだ。







 前方の馬車からトゥーレが浜に下り立つのが見えた。

 雨は止んでいたが、強い風がゴーッと彼のマントをまくり上げている。そのすぐ後ろに、もう一台の馬車が停まった。と同時に、扉が開きブリジッタが転がるように走り出てきた。

 ラルスは、うんざり顔で彼らのもとに急ぐのだった。

 トゥーレの馬車をブリジッタの馬車が追い、そのまた後ろからラルスは馬で彼らを追ったのだ。


 聖婚の妻が待つ浜へ行くというトゥーレに、ブリジッタは物凄い剣幕で行くなと騒いだ。

 だまし討ちのような聖婚の儀式に、トゥーレの方こそ憤慨して失態を犯すのではとラルスは心配していたというのに、思いがけずブリジッタが無様な醜態を晒したのだ。

 絶対に行かせない今夜は私と一緒に居て、と泣きわめいて扉の前に立ちふさがり、父親のキルシに取り押さえられるという一幕を演じたのだ。

 一言で言えば嫉妬ゆえである。彼女は婚約者が自分以外の女の下へ行くことが許せなかったのだ。

 あまりにも見苦しいブリジッタの振る舞いと失笑の嵐に、トゥーレは取り乱している場合ではないと返って落ち着きを取り戻したようだった。


 トゥーレは、自分が浜へ行かなければならない理由を、冷静に彼女に説明したのだった。領主として責任を取らなければならないのだと。

 その責任とは皆が言うような贄を出すことではなく、自分の知らぬところで勝手に動き回る人間を抑えられなかったことへの責任があるというのだ。そして、儀式に反対しておきながら止められなかったことにも。

 自分は贄に謝罪するために、今から会いにいくのだと言ったのだった。


――あいつ、聞いちゃいなかったけどな。


 この後とトゥーレは、ブリジッタを振り切って浜へと向かった。そして彼女はキルシが止めるのも聞かずに、婚約者の後を追っていったのだ。

 もう放っておこうかとも思ったのだが、ハラルドにブリジッタを連れ戻してこいと命令されて仕方なく、ラルスも浜へ向かう羽目になったのだった。


 ラルスの目の前で、ブリジッタがしつこくトゥーレの腕にまとわりついて叫んでいる。


「トゥーレ! 行かないで! 明日の儀式だけで十分じゃない!」


 行きたくて行くわけでは無いトゥーレは思い切り顔をしかめて、しかし静かにブリジッタを見つめていた。

 ひどく冷たい目だとラルスは思った。


――ああ、終わっちゃったな……ブリちゃん。


「帰れ。ここはお前の来る場所じゃない。俺の邪魔をするな」

「トゥーレ!」

「ささ、ブリジッタ、もう戻ろうか。あとは俺が相手してやるから」


 ラルスはトゥーレの腕から彼女を引きはがした。離してと、もがく彼女の肩に腕を回して、強引にトゥーレから遠ざける。

 そして船に乗り込むトゥーレを見送った。


「まあがんばれよ、トゥーレ。明日の朝、迎えにくる」

「……ああ」


 浮かない顔のトゥーレを見ていると、不安になってきた。

 そしてつい、余計な一言を添えてしまった。


「変な気、起こすなよ?」


 言ってからラルスは、慌てて背を向けた。

 不思議そうなトゥーレの問いかけには答えず、ブリジッタを引きずるようにして彼女の馬車に乗り込んだのだった。

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