第11話 花嫁の装い

 アマリアはハラルドの屋敷に到着すると、他の使用人たちの目にも触れないように、普段あまり使われることのない裏門を通って離れに通された。

 敷地の中でも一番奥まった場所で、まるで隔離されるようだった。いや、逃げ出さないように、閉じ込められるといった感じだろうか。

 家令から、この離れの一室で儀式を準備を始めるようにと言われた。そして世話役兼見張りであろう、年かさの女中が一人付けられた。

 とはいえ今はまだ早朝で、夜までは長い。家令が立ち去ると、女中はまずは腹ごしらえが先ねと食事を用意したのだった。


「まったく、何だってこんな朝っぱらから……ほら、あなたも食べなさい」

「でも、私は……」

「遠慮なんか必要ないわよ。なんなら旦那様とっておきのワインも持ってきましょうか? 今日はね、新領主様が立たれる特別な日なんだから。神に捧げる為って言えば、ご馳走だってちょろまかしてこれるわ」


 女中はアハハと笑った。

 古参の彼女は、館のことは隅から隅まで知っているのだと胸を張っていた。丸々した顔は気さくな印象で、不思議と呪術師であるアマリアへ蔑みの眼差しを向けることは一切なかった。また、今夜の聖婚の儀式に出される贄だと知っているのに、憐れむこともなかった。このような人もいるのだと、アマリアは驚いていた。


 先程引き合わされた時彼女は、今日一日あなたのお世話を任されたの、宜しくねとと手を差し出してきた。嫌な仕事を押し付けられたという様子でもなく、かと言って妙に張り切っている訳でも無い。アマリアに対して何か個人的な感情を抱いていたとしても、それは全く表情に表われることは無かった。

 極普通にいつも通りに仕事をしているだけ、そんな雰囲気なのだ。それはどんな仕事であろうとも、与えられたからには自分の役目を完璧にこなす、それがプロの矜持である、といったところなのだろうか。


 このように接してもらったのは初めてのことで、アマリアは少し戸惑ってしまう。もちろん嫌な戸惑いではない。緊張と罪悪感に押しつぶされそうになっていた心が、少しづつ和らいでゆくのを感じていた。

 父の事を思うと胸が痛んだし、今夜のことを思うとトゥーレは儀式を放棄しないだろうかと不安になるのだが、古参女中の自然な笑みはアマリアに深呼吸をするだけの落ち着きは取り戻させてくれたのだった。


 アマリアは甘い香りのローズティを一口含んだ。暖かさが心地よく、身体に染み渡ってゆくようだ。

 すると、食欲などないと思っていたのにお腹がグウと鳴った。そういえば昨日からろくに食べていなかったなと思い出す。

 もうすぐ死にゆく自分にもう食事など必要ないのに、お腹はすくしお茶は美味しい。小さくパンをちぎって何度か口に運ぶと、少しづつ満たされてくる。もう死んでも構わないと思っていたのに、やっぱり自分は生きていたいのだろうかと、ポロリと涙がこぼれた。


 父はどうしているだろう。アマリアを身代わりから解放するために、強引に因果の理を解いてしまったせいで、今頃苦しんでいることだろう。あの時父は、一体何を代償に支払ったのだろうか。

 走りながら咄嗟に解呪の術を使ったのだから、やはり捧げられるものは己の身しかない。無事でいて欲しいと祈るのだった。

 泣きながら、震える手でスープを口に運ぶ。それは温かくて美味しくて、アマリアの罪を優しく責めるように身に染みわたってゆく。生きてくれという父の思いに応えられないことが、苦しくてならなかった。

 女中は何も言わずに、アマリアが食べ終わるのじっと待っていてくれた。



 神に祈りを捧げ、身を清める儀式に移った。

 まず少し熱めの湯につかって身体を温めたのは、儀式の手順には無かったが、女中が勧めてくれたからだった。


「あなた顔色が悪すぎよ。夜までもたずに、今にも倒れそう。私はあなたを立派な花嫁にしなければならないんだから、さあもっと温まりなさい」


 アマリアの裸身を見ても、女中は驚かなかった。両足には不気味な茨のような死の刻印があるというのに。彼女が言ったのは、もっと食べなきゃダメよ細すぎるわ、という一言だけだった。


 アマリアは相槌を打つ程度だったが、古参女中は気の向くままにおしゃべりを続けている。話が途切れればそのままに、アマリアの身体を洗い清めていった。

 そして香油を全身に塗り、髪をとき、化粧を施した。

 今までアマリアは、自分の身を飾ることなどしたことが無かった。他人に髪を解かれることも、化粧も初めてだった。鏡の中で少女から大人の女性へと少しづつ変わってゆく自分を見ていると、だんだんと気分が高揚してきた。

 気持ちを落ち着けてくれるからと、焚いてくれた香の薫りにふわふわと酔い始めていた。アマリアは紅を引いた自分を、不思議な気持ちで見つめていた。


――あなた、きれいね……。だって、一生に一度だものね……


 鏡に映る自分を、まるで他人のように思った。夢の中にいるような気分だった。

 それから、目の前に広げられた純白の衣装に、アマリアは思わず感嘆のため息をついた。

 染み一つない真っ白な生地。胸元にあしらわれた小花と小さなリボンも真っ白で愛らしく、アマリアがこれまでの人生の中で最高に美しい衣装だった。

 いつも暗い色の服ばかりだった。呪術を行うときは、その上に黒いマントを羽織る。華やかさとは無縁だったのだ。

 町で見かける娘たちのように、自分もおしゃれをしてみたい思ったことはもちろんある。でも自分には遠い世界の話だと諦めていた。

 アマリアは、まさか自分の為にこんな素晴らしい衣装が用意されているとは思ってもみなかった。だから、本当に自分なんかが着ていいのだろうかと、おろおろと女中の顔色を伺ってしまった。


「い、いいのかしら。も、もったいないのではありませんか?」

「あらイヤだわ。あなたは花嫁になるのよ。花嫁衣裳を着ないでどうするのよ」


 彼女は、アマリアの肩をパンと叩いて愉快気に笑うのだった。


 そして真っ白な衣装に身を包んだ時、突然乱暴に扉が開かれた。

 入ってきたのはラルスだった。供も一人連れている。

 扉の外にいた見張り番は一旦はラルスを通したものの、険しい顔ですぐに出て行って下さいよとこぼしていた。

 一体何事なのかとアマリアは身を竦め、古参女中は両手を腰にしてどんと足を踏ん張っている。何の用なのよと言った顔だ。


「あらお坊ちゃま、どうなさいました」


 ラルスは眉間に深い溝を作り苛立たしげに口を歪め、アマリアの頭のてっぺんから足の先まで無遠慮な視線を送ってくる。そして、チッと舌を打った。

 ラルスはトゥーレを訪ねて、よく領主邸に顔を出していたので、アマリアは当然彼を見知っていた。とは言え、ラルスと言葉を交わしたことはない。その彼がいきなりやって来た上に、なぜ不機嫌な顔をしているのか分からなかった。


「全然、駄目だ!」


 つかつかと歩み寄って来て、見下すように言った。

 彼は何を言っているのかと、アマリアは怯えておろおろと後退った。女中は、その恰幅の良い身体でアマリアの前にどんと立ちふさがった。


「お坊ちゃま、私は今、この者の支度をしていたのですが……何が駄目なのでございましょう?」

「お坊ちゃまは止めろ。……そんなものは脱いで、これに着替えろ」


 ラルスは、供に持たせていた純白の衣装をわし掴み、アマリアの目の前に突き出した。


「そんなみすぼらしい格好で務まると思っているのか? 髪くらいもっとこう、華やかに……」

「あら! 髪は今から整える所だったのですけど!」


 どちらかと言えばアマリアに向けてでは無く、女中に対しての苦言だった。彼女は少し肩をすくめ、そして衣装を受け取った。

 ラルスが差し出した品は、ひと目で素晴らしく上質なものだと分かった。トロリと濡れたような絹の光沢、随所に施された繊細な刺繍にレースの飾り。

 惚れ惚れとため息が出るような美しさだった。アマリアが今着ている衣装の、更に数段上をいくのではないかと思われた。

 それを着ろとラルスは言っている。くらくらと目眩さえ感じだ。

 駄目だと言われたドレスも、アマリアにしてみればみすぼらしいどころか、とても素敵だと胸が躍った品だというのに。

 アマリアは、小さく首を振った。


「も、もったいのうございます……」

「お前は新領主トゥーレの第一夫人なんだぞ、相応の装いが必要だ」


 ラルスは真面目くさった顔で言った。そしてアクセサリーの入った箱も、女中の胸に押し付けていた。使えということなのだろう。

 トゥーレの第一夫人という言葉に、アマリアの胸がズキンと鳴った。とんでもないと思う。妻は妻でも、自分は聖婚の妻だ。明日は贄となって海に沈む、一夜限りの妻なのだ。

 畏れ多いとふるふる頭を振ると、ラルスはふんと笑った。


「とにかく着替えろ。それから、俯くな、胸を張れ。トゥーレと釣り合う女になれ。おい、もっと着飾らせろよ。くれぐれも手を抜くんじゃない」


 ラルスは言いたいことだけ言うと、くるりと背を向けた。女中の文句は受け付ける気はないようで、さっさと出て行ってしまった。

 女中は腰に手を当てて、もうっと不満げに息を吐いた。手を抜くなと言われたのが、かなり気に障ったらしい。彼が去った扉に向かって文句をぶつけていた。


「ラルス様のトゥーレ様贔屓にも困ったものね! こんなものまで持ち出して。どうなっても私は知りませんからね! 叱られても知りませんからね!」


 着替えろと言われても、本当に着てしまってよいのだろうかと、困惑していた。

 そして女中の独り言に、おずおずとアマリアは訊ねた。


「あ、あの……ラルス様はどうして、こんな……」

「だから、知らないったら。とにかくラルス様は、トゥーレ様が絡むと時々無茶をなさるのよ。昔っからね。あなた、知らないの?」


 アマリアが首を振ると、彼女は仕方ないから教えてあげるわといった、少し得意げな顔になって語り始めた。


「ラルス様が子どもの頃のことよ。毎日のように旦那様から酷い折檻を受けていたラルス様を、見かねたトゥーレ様がお屋敷に匿われたことがあるのよ。助けて差し上げたの。多分そのせいじゃないかしら、あの方がトゥーレ様を格別に慕うようになったのは。何を置いても、トゥーレ様が第一なのよ。今ではすっかり、生意気になってしまわれたけど」


 懐かしそうに目を細めて、彼女はふふふと笑う。

 そして、パンと手を叩くと表情をきりりっと切り替えた。


「さ、あなた、着替えるわよ! トゥーレ様に侍るからには、最高の女にしないとね。ラルス様にまた文句を言われちゃうわ!」


 そして、まだ戸惑っているアマリアを急かして、古参女中は張り切って美しい花嫁に仕立てていったのだった。

 髪を結ってもらいながら、ラルスは一体何のためにここに来たのだろうかと、ぼんやり考える。答えは出そうになかったが。

 ふと、扉の方を見た。すぐ横に置いてあるチェストの上に置いたはずのアマリアのロッドが無くなっていた。アマリアが唯一持って来たものだ。

 一瞬、大変だと声を上げかけたが、もう必要ないのだと思い直す。呪術師にとって何よりも大事な杖だが、アマリアにはもう用のないものなのだ。

 そういえば、先ほど別の女中がアマリア着ていた擦り切れた古い服を、持っていったのだった。処分すると言っていた。きっとその時、杖も一緒に持っていかれたのだろう。

 アマリアは、もう本当に引き返せないのだなと、また心の中で父に詫びた。

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