朝なんて来なければいい

外宮あくと

 

序 一夜限りの契りでも……

 女の悲鳴のような風が聞こえてくる。みしみしと壁もきしんでいた。夕刻になると雨はやんだが、風はなお激しかった。

 例年の倍の長さになろうか、嵐はもう一月以上吹き荒れている。もちろん止み間もあるが、今にも泣き出しそうな曇天ばかりで、晴れの日や風の吹かぬ日はまるで無い。これ程に荒天が続いたことなど、長老たちの話にも聞いたことは無かった。


 アマリアは荒れる風を聞きながら、外から施錠された木戸を見つめていた。鍵など必要ないというのに、これではまるで囚人のようだと苦笑する。

 仄かなランプの灯りが揺れる中で、彼女は静かに座していた。

 この狭い部屋には窓が無く、大型の箱といった方が良いほどの無粋さで、部屋の中にあるのは灯りと酒瓶と肴の乗った小テーブル、そして寝台のみだ。

 アマリアは、純白の絹の衣装に身を包んでいる。

 長くもないこれまでの人生で、一番美しく華やかな装いだった。栗色の髪を美しく結い上げ花で飾り、化粧を施し宝飾品で身を飾り、指の先まで香油を擦り込んだ。

 それは花嫁の装いであり、また死に装束でもあった。

 アマリアは今、一人の男の訪れをじっと待っている。彼女はその男の聖婚の妻となるために、ここにいるのだ。


 聖婚の妻とは、すなわち海神に捧げる贄のこと。

 聖婚とは、すなわち領主と贄の女が仮初に夫婦の契りを交わすこと。


 アマリアは贄として、今夜聖婚の儀式に臨むのだ。海神が欲する贄はこの地の支配者の妻だと言われている。だから、一夜だけの領主の妻になるのだ。

 そして明日の朝、彼女は神に捧げられる。荒ぶる海神にこの嵐を鎮め給えと。





 アマリアは床に直接座って、施錠された扉が再び開かれるのを待っていた。

 今日新しい領主となった男がやって来るのを、祈るような気持ちで待っていた。彼と二人きりで会いたいがために、彼にただ一度抱かれたいがために、アマリアは自ら贄に志願したのだ。

 どんなに想いを寄せようと、アマリアは本当の妻になれるはずもない卑しい身分の女だった。だからせめて聖婚の妻となる、それが彼女の最期の望みだった。

 アマリアは扉をじっと見つめる。叶わぬ思いを秘めながら、彼を見つめてきた日々を思い起こすのだった。


 トゥーレ。

 アマリアには決して届かない、遠い人だった。

 領主の嫡男である彼に、仄かな思いを抱き始めたのは随分と昔のことだ。まだほんの子どもの頃、両親と共に初めてお屋敷を訪ねたとき、誰もがアマリアたちから顔を背けるのに、トゥーレだけは真っ直ぐにこちらを見つめていた。そしてにっこりと微笑んでくれたのだ。

 たったそれだけのことで、彼はアマリアの特別な人になってしまった。茶と緑の混じったヘーゼルの瞳。少しクセのある黒い髪。彼の姿がしっかりと心に焼き付いてしまったのだ。

 アマリアは、彼の為に全身全霊を込めてお仕えしようと、幼心に誓った。ずっと恋い焦がれてきたのだ。


 卑しい身分である自分が、トゥーレの妻になることなど夢のまた夢、いや夢見ることさえ罪になる。けれど聖婚の妻になら……。

 一夜限りの契りでも、彼と結ぶことができるなら、アマリアは命を惜しいとは思わなかった。


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