第27話 国境を越えて南へ

 ラルスはニタニタと笑い続けていた。


「なあ、トゥーレ。フーゴの遺体が見つかった時の事を、覚えてるか。あいつ、なんで全身に死の刻印がついてたんだろうなあ……」


 何を今更と、トゥーレは思う。

 あの嵐が去った日、アマリアが海に沈んだ日、フーゴは姿を消した。そして五日後、遺体となって領境の遠い南の浜に打ち上げられていたのだ。

 海に落ち流されたらしく、遺体は酷く傷んでいた。

 何処かに逃げようとしたのだろうとトゥーレは思ったが、彼の身体をぎりぎりと締め上げるように取り付いた茨の痣を見て、彼は死に場所を探して去ったのだと思い直した。


 アマリアは父の身代わりに、術の代償である死の刻印を受けていた。

 フーゴの身にその刻印があったということは、彼があの日浜で術を使った時にはもう彼女はこの世に無かったという事かと、苦々しく思ったものだった。

 結局、彼が何の術を使ったのかは分からず仕舞いだった。

 娘の後を追ったと思しきフーゴに憐憫を感じはしたが、アマリアを失った苦しさから、彼についてそれ以上考えることはしなかった。

 そして、アマリアの遺体はついに見つかることは無かった。それが良かったのか悪かったのかは、トゥーレは未だによく分からないでいる。


「フーゴが、あんな遠い南の浜で見つかるなんて、不思議だったんだよな……死の刻印に蝕まれて苦しかったろうに、なぜ越境してまであんな南に向かったんだろうってさ」

「止めろ……聞きたくない」

「あんたは、不思議に思わなかったのか?」

「止めろと言っている! フーゴが何をしようとしたか知らんが、もう死んだんだ! 今更、そんな話は無意味だ!」


 トゥーレはここで初めて抵抗した。フーゴの話など聞きたく無かった。彼の様に、自分もアマリアを追いたかったのにと苦しくなるのだ。

 ラルスの腹をどんと拳で殴り、彼の下から逃れた。その時ナイフが浅く皮膚をかすったが、焦ったのはラルスの方だった。ナイフを慌てて引っ込めていた。


「何を考えている?!」


 怯んだラルスに今度はトゥーレが馬乗りになって、ぐいと襟を締め上げた。


「……だから、領主交代よぉ。俺があんたの代りに領主になってやるって言ってんだよ」

「はっきり言え! 何を企んでる! なぜ、フーゴの話を持ち出す?!」

「知りたい? そんじゃあさぁ、黙って聞けよ。……どけって、重いから」


 どんと押し返され、ラルスを解放すると、二人して床に座り込んで睨みあった。

 そしてイライラしながらも、ラルスの話にどんな裏があるのかと、トゥーレは耳を傾けるのだった。






 今日帰ってくる途中で、フーゴの事を思い出したんだ。旅の途中の感傷みたいなもんかな。

 そんでさ、あいつが見つかった浜を通ってみようかなって思ったんだ。たいして回り道になるわけでもないしね。で、海岸沿いをずっとね、馬車で走ったんだ。

 もうすぐ例の浜だなって思いながら眺めてたら、砂浜が途切れて丁度いい岸壁が見えてきたんだよ。なにが丁度いいって? 飛び込みだよ。

 ああフーゴはこっから海に飛び込んだんだ、ってピンと来たね。岸壁を過ぎればまた砂浜が延々続いて、あの浜に繋がってんだから。

 

 そんでさ、その岸壁の近くに小さな島があったんだよね。島って言ってもさ、潮が引いたら陸続きになんのよ。浜からもそう遠くない。で、行ってみたんだ。

 なんでって? なんとなくさ。潮引いてたし。

 でさ、そこにちっこい子どもがいたんだ。そりゃあびっくりしたよ、まさか人がいるとは思わなかったからさ。

 で、その子ども、歩き始めたばっかりって感じの、俺の娘よりほんの少し大きいかなってくらいでさ。よちよち歩いててさ、可愛いくってさ、なんかもう娘に早く会いたくなっちまったよ。また大きくなってるんだろうなって。いやいや、今それは関係ないんだ。


 トゥーレ、聞いてるか?

 なぁんか、知り合いに似てんだよねぇ、その子。ヘーゼルの瞳しててさ。

 親はどこにいんのかなってキョロキョロしてたらさ、少し離れたとこで女が貝を拾ってたんだ。呼びかけたら、すんごい勢いで走ってきてさ、驚いたよ。

 返せって、めちゃくちゃ怒鳴られちまったんだ。息子を連れていかれるって思ったんだろうなあ。いや、勝手に抱っこしてた俺が悪いんだけど。


 なあ、トゥーレ。フーゴはなんで、あの時あんなに必死で呪文を唱えてたんだと思う? たった一度で、死の刻印に全身蝕まれるくらいの術を、なんで使ったんだと思う? あれは、愛する娘を沈める為だったのか?

 実はさ……あの時俺、船にロッドを隠したんだ。俺にできることはそのくらいしかなかったしさ。フーゴにもそのこと、教えてやったんだ。後はあの二人に任せるしかなかったんだけどな。

 まさかフーゴが死ぬことになるとは思わなかったから、それだけが残念というか申し訳ないというか……。でもさトゥーレ、海神は俺らが思ってるよりも、ずっとずっと優しいんじゃないかな。


 なあ、トゥーレ……。その女、栗色の髪してたんだ。細くてさ、色白でさ。

 貝、拾ってたから裸足で、茨の痣があって……

 もう少し勇気が出たら、会いたい人がいるんだってさ……






「ラ、ラルス……」


 トゥーレの喉はカラカラに乾いていた。心臓がドクドクと暴れまわっていた。

 これは夢だろうか、奇跡だろうか。


「その……女は……ラルス、教えてくれ、その女は……」


 すがるように見つめて来るトゥーレに、ラルスはふふんと笑った。


「確信がなかったから、今まであんたには言えなかったけど、もしかしたら、とは思ってたんだよね。今日やっと見つけることができた」

「そ、それは本当のことなんだな……?」

「あの娘は今じゃ、海で自由に生きる名もなき女だよ」

「ラルス!」


 トゥーレは勢いよく立ち上がった。もうじっとしていられなかった。

 何も持たず、身一つで扉に走っていた。


「南だな! 国境を越えて南に!」

「今から馬を飛ばせば、夜明け頃にはつくだろうよ。って、ああっ、待て! 一筆書いていけ、俺に金印譲るって! 皆に説明するの面倒くさい! おい、こら、ありがとうくらい言え! 俺だってすっげー気をもんでたんだからな!」


 感謝の言葉を叫びながらも、呼びかけに振り返ることなく走ってゆくトゥーレの背中を、ラルスは寂しく笑いながら見送った。もしかしたら、もう会うことはないのかもしれない、そんな予感に少し震えながら。

 仕事机の上に無造作に置かれている金印を見つけて、思い切り苦笑した。


「ったく不用心な。……まあいいさ、あんたはやるべきことはやったし……俺はあんたが残していったもの全部貰うから」


 片手で目を覆った隙間から、ラルスの頬を一筋光るものが流れていった。









 白む空の下、トゥーレは馬で海沿いの道をかけていた。

 夜を徹して走ったのだ。南へ南へと。目的地はもうすぐだ。

 この目で確かめるまでは、休むことなどできはしない。逸る胸を抑えきれず、トゥーレは馬を走らせ続けていた。


 厩舎に飛び込んだ時、既に愛馬は騎乗の用意ができていて、ラルスの使用人が待ち構えていた。

 トゥーレはチッと舌を打ち、そして笑った。うかつにも、目を潤ませてしまった。ラルスの素直でないやり方が、とても彼らしく好ましいと思った。

 野心だなどといいながらも、実際にはそんなものちっとも持っていないラルスだ。彼は、自分を解き放つために身代わりになってくれたのだ。それも帰郷してすぐに。彼の心馳に胸が詰まった。

 ラルスなら、後の事は上手くやることだろう。自分よりも余程賢く立ち回り、良い領主になることだろう。彼には心からの感謝しかない。

 そしてフーゴ。

 自分は彼のことを誤解していたのだと、恥ずかしく思った。父親というものは、本来こんなにも愛情深いものなのだと教えられた気がした。


 空はどんどんと明るくなり、水平線が輝く。真横からの眩しい光を受けながら、トゥーレは走った。

 領境を越えた。

 日が登ってゆく。トゥーレの馬は走り続けた。

 遠くに岸壁が見える。島影が見える。

 フーゴはきっと、探していたものを見つけたのだ。彼の死に顔はとても穏やかだったのだから。

 勢いよく掛け声とともに、馬の腹を蹴る。島を目指して、トゥーレは駆ける。


 言わなければならないことがある。

 しがらみを捨てた名もなき女になら、きっと言える。自分も、家と名を捨ててここまでやって来た。

 ただの一人の男として、伝えなければならないことがあるのだ。

 どんな答えが返ってくるか、知れない。しかし、彼女の『会いたい人』それが自分だと信じて、思いを伝えよう。


 島が近づく。

 潮はまだ引ききっておらず、海水が島と浜を隔てていた。

 馬を飛び降り、浅瀬を走った。島へ向かって走った。

 激しくバシャバシャと飛沫を跳ね上げ、走った。そして叫んだ。

 砂と海水に足を取られて何度転んでも、懸命に女を大声で呼んで、走った。

 ずぶ濡れになり、砂に汚れて、彼女を探して叫び続ける。無様でも滑稽でも構わない。二度と後悔しない為に、トゥーレは走るのだった。


 浜の奥に小屋が見える。

 扉が開く。

 そこに、遠目でも決して見間違えることのない、懐かしい姿があった。

 見知らぬ老いた夫婦が、彼女の後ろから心配げに見ていた。

 トゥーレは走り続けた。


 驚きに口を押えてしゃがみこむも、息を切らして走り寄るトゥーレに彼女は両手を広げて微笑んでくれた。はらはらと涙をこぼしながら。

 トゥーレには、それが何よりも輝いて見える。

 もう一度見たいと、何度も願った笑顔が、もう手の届くところにあった。

 ぜいぜいと肩で息をし、倒れるように彼女の前で膝をつき、見つめ合った。震える手を差し出せば、白い手も応えてくれた。そっと震える指を絡ませ合う。


「ああ……トゥーレ様……会いたかった……」


 キラキラと朝日に光る波に囲まれて、トゥーレは愛しい女を抱きしめた。やわらかな体温が、同じ強さで抱擁を返してくれる。

 もう彼女が遠いとは思わなかった。



「アマリア!」










〈了〉

 

 

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