第二十一話 冬季攻勢ー3

 『我が帝国軍において、冬季攻勢などという幻想を抱く者はいないと信ずる』


 初代帝国大宰相の思想は、今の帝国全体にも大きな影響与え続けているけれど軍においてはそれがもっと極端である。

 未だに、彼が示した戦略ドクトリンや、戦術論は帝国軍の根幹をなしていると言っても過言ではない。

 それにまだ晩年の彼を知る将官や、退役将兵も多いのだ。


 彼は多くの戦訓と、普遍的な教えを遺したが、その中でも兵站に関しては当時の将兵達の回想録でも多く取り上げられている。

 温かい食事の全面採用は分かりやすい例だろう。

 そして、彼はとにかく冬季の作戦行動を酷く嫌った事でも知られる。

 将兵が、冬季攻勢を懇願したとしても、絶対に首を縦にふらなかったというのはどうやら史実らしい。

 その理由を若い士官に晩年問われた際、彼はこう答えたと言う。


『冬はそれだけで味方を殺す。貴官が想像している以上に、な』


 以来、帝国は冬季――まして、雪が降る季節の攻勢作戦など狂気の沙汰という共通認識を持っている……少なくとも持っていた筈。

 それにも関わらず、冬季攻勢案が採決されたのは何故か?


 ……とてもとても、ろくでもない理由があるとしか思えないなぁ。

 


※※※



「参謀本部より上、ですか」


 ランゲンバッハ准将の一言は、中佐に嘆息をつかせるに足るものだったらしい。

 私は、帝都の政治なんて知らないし、参謀本部より上、と言われても余り想像つかないけれど……普通に考えたら、国家最高指導部から直接降りてきた作戦案、ということのかな?


「騎士団長は作戦案を読まれた後、首席参謀と他数名を連れられて西方方面軍司令部へ出かけられた。2日前の出来事だ。まだ戻られていない」

「それにも関わらず、あの二人が此方へ来たのは」

「私にも事後報告だ」

「……よろしくないですな、これは」

「ああ。とても拙い事態だ」


 中佐と准将は深刻そうな顔をして傾きあう。


「ですが、私達以外からも同じような反応が出るでしょう。特に、大損害必至な各師団長の方々が素直に従うとはとても思えませんが。西方方面司令部はそれをどうやって抑えるつもりなんでしょうか」

「――抑えるつもりなど端からないのだろう」

「では、作戦を強行して、後はなし崩しにすると?」

「ああ」

「……何時から我が軍は、そのような愚かな事をする集団に成り下がったので?」

「言うな。分かっている」


 苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる准将と、呆れを通り越してしまっている中佐。


「仕方ありませんね」

「諦めると言うのか? 貴官の言葉とは到底思えんぞ」

「最早、この攻勢は止まらないでしょう。ならば――勝つしかありません」

「勝つだと?」

「はい。この一戦で勝ち切ってしまうしかありません。で、なければ将兵の犠牲が浮かばれません」

「犠牲を前提か……」

「当然です。そもそも、正気ではない冬季の攻勢案なのですから。どうやっても犠牲は避けられません。私達に出来るのはその数を出来うる限り抑えることだけです」

「具体案は?」

「地図はありますか?」


 中佐が吹っ切れた口調で作戦案を説明し始める。確かにこれなら――。

 だけど、実現する為には各師団の認識統一が必要だ。

 そんな事が今から可能なんだろうか?


「確かにこの作戦案ならば、いけるかもしれん。だが……どうやって認識を統一する?」

「まず私が西方方面軍司令部――総司令官を直接説得しましょう」

「幾ら貴官でもそれは難しかろう」

「そうでしょうか? 少なくともこの1年半以上、西方方面司令部は悪手は打たず西部戦線を支えてきました。参謀の方々は基本優秀ですよ。……時には例外もいますが。それに参謀本部がこの攻勢案に賛成している筈がありません。基本的に良くも悪くも冬季の行動については恐ろしく慎重でしょうから。おそらくですが、司令部内でも相当な意見対立があると推察します。そこを突けば、どうにか出来るでしょう。正面攻勢よりは随分マシな案ですし、何よりあの方がそこまで愚かとは思えません」

「……つまり、貴官はこう言っているのだ?」


 准将が呻きながら確認をする。


「『とにかく勝てば文句はなかろう』と」

「まさに」


 中佐は満面の笑み。

 ……悪魔の微笑みってあるんだなぁ。

 私をちらりと見てくる。


「少尉」

「はい!」

「貴官なら内容は理解出来たろう。これから忙しくなる、伝令役として飛び回ってもらうからそのつもりでいるように」

「は、はっ!」

「中佐はそれは幾ら何でも」

「問題ありません。適任です」


 准将は当然、懸念を示してくるけど、中佐は自信満々に断言。

 ……心臓が高鳴る。

 少佐でも、大尉でも、ミアでもなく、私を認めてくれている。

 ならば応えてみせなくては。女がすたるでしょう。


「では、まず西方方面司令部を説得すると致しましょう。なに、おそらく噛み付こうとしているのは私だけではありますまい」

「うちの騎士団長がもう噛み付いている」

「ああ、そうでしたな」


 中佐は立ち上がって敬礼。私もそれに倣う。准将からも返礼。


「すまないが、貴官に頼むしかないようだ。すまんな」

「恩を売っておきます。後で返して下さい」

「はは、それは恐ろしいな。だが、覚えておこう」



 部屋を出ると、中佐は即座に輸送機へと歩き始める。時刻は既に夕刻過ぎ。

 これから飛行するとなると、夜間飛行になるし、着陸も夜間だ。

 まぁ、私達は慣れているからそこまで恐怖はない。中佐に従って飛ぶだけだ。

 ……准尉は飛んでくれるのだろうか?


「問題ありません。すぐに離陸します」

「すまないな准尉。ありがとう」


 既に飛ぶ気でいたらしい。

 夜間飛行をする、と告げられた参謀二人の顔は血の気は完全にうせている。

 これから、西方方面司令部で話される内容を聞いたら心臓が止まってしまうんじゃないかな?

 中佐が、先程の中尉へ指示を出している。


「西方方面司令部へ、今からそちらへ向かうと伝えてくれ。ああ、夜間着陸するから、灯火の準備は十全にともな」

「はっ! 中佐殿、その先程は……」

「中尉。その気持ちを忘れなければそれで良い。少尉、私達も出発する」

「はい!」


 輸送機が離陸を開始する。それを追いかけて私達も進発。何か、大きな事に巻き込まれているけれど……まぁ仕方ないかな。中佐がされることだし。私はそれに従うのみ。


『鷹巣、こちら黒騎士01』

『黒騎士01、どうしましたか?』

『すまないが、繋いでほしい相手が複数いる。頼めるかな』

『貴方の頼みならば何時でも喜んで』

『ありがとう』


 そう言って、中佐は飛行中、次々と人を呼び出し続けた。

 時に相手からは笑い声。怒声、呆れた声。

 しかし、最後には『分かった』の一言。

 中佐は、私に笑いかけて「持つべき者は、偉くなった戦友だな。エマ嬢もとっとと偉くなって私を楽させてくれ」とのこと。

 ……私が偉くなる頃には、中佐は将官になってると思いますけどね。


 准尉は、夜間着陸を難なく成功させた。大した技量だ。

 今日一日で、大分寿命をすり減らしている参謀二人を連れて、西方方面軍司令部が置かれている建物へずかずかと入って行く。

 途中、幾人かが止めようとするも、中佐の笑みに轟沈。

 あれは怖いからなぁ……。


 そして、司令官室前へ辿り着く。中からは怒声と罵声。うわぁ……。


「さて、貴官らの出番だ」

「「…………」」

「では行こうか」


 扉を大きくノック。そして、入室する。

 中では、十数人が会議中。た、煙草臭い……。一斉に此方を振り向く。

 何人かの顔が引きつる。

 逆に、何人かからは「ああ……大変な事になる」という諦めの表情。

 片や、中佐の笑みはますます深く、いっそ禍々しい。



「第501連隊連隊長、お招きにより参上いたしました。少し話をいたしませんか?」



※※※



 まだ、この時、私は気付いてなかった。いや、気付いていたけど、気付かないふりをしていたのかもしれない。


 中佐がした行動の意味を。それが、彼にどう降りかかるのかを。

 まぁ、それで何が変わる訳でもないのだけれど。たとえ私が強く止めても彼は行動しただろうし。それが、私達の中佐なのだ。


 少なくとも当時の私はまだ新米少尉で、何の影響力も持っていなかった。

 これ以降、私は生まれて初めて、偉くなりたい、と強く思っていくことになる。

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