第十六話 青薔薇ー4

『机の上しか知らぬ士官はいらぬ。まずは出来るかどうかやってみせよ。話はそれから聞こう』


 知れば知る程、頭のネジがオカシイとしか思えない我らが帝国初代大宰相は、戦場において完全な現実主義だったことでも知られている。

 ある時、士官学校を優秀な成績で卒業したとある参謀が、戦地で彼に作戦案を具申した。

 それを見るや即座にその参謀を、作戦案の行軍速度を厳守させた上で帝都へ強制送還を命令したそうだ――1日ともたずに倒れたそうだが。

 何故ならば、その作戦案には最初から、疲労、という概念が完璧に欠如しており、兵士達に限界上の行軍を強いるものだったからだ。

 彼は、兵に極端な事を生涯させなかった。

 そして、全ての戦争に勝ち続けた。

 見えにくい物――兵士の疲労度や、士気、栄養状態に気を配りながら。

 最後まで現実主義を貫いた。


 そんな初代大宰相以来の伝統として、たとえ参謀本部中枢のエリート達であっても、一度も最前線を経験せずに昇進することはあり得ない(そもそも数度は出ないと、基本的に兵士達から信頼を全くされない)。

 故に、まずは最前線に送られ現実が骨身に染みて分かった後、初めて中央へ戻ってゆくのである。


 そういう意味では、ハンナが1年半に及ぶ前線勤務を解かれ、近衛へ配属になるのは、その一般的なパターンから見ても外れていない。


 ……私を巻き込むのは、心から勘弁してほしいけれど。



 ※※※



『クリューガー少尉をわざわざ欲しがる理由を聞こうか』

『ご説明します』


 ハンナの爆弾発言(と言っても内心動揺しているのは私だけ――ああ、ミアも心配してくれている)を受けながらも中佐は何時もの口調だ。


『今回の異動では近衛連隊の再編成も内々で指示されています。御存知の通り近衛騎士団は、前年の会戦以来、実戦参加がありません。しかも、熟練騎士を各方面に取られ戦力的にも弱体化著しいとのこと。帝国の切り札がこれでは……。そこで、西部戦線から数名、近衛連隊へ連れて行きたいのです。勿論、我が第451連隊からも選抜致しますが、第501連隊からも出来れば数名――叶わないならばクリューガー少尉をと』


 ハンナが一気に話し始める。それにしても――何のつもりなんだろう。


『彼女の実戦データを見させていただきました。見事な物です。とても騎士学校卒業して半年とは思えない程に。撃墜数こそ、クラム少尉よりもかなり劣りますが、それは彼女がサポートに入る回数が多いからでしょう。それに、生き残る事を第一にしている戦い方をしている点も評価が高い。『勇敢であれ。そして臆病でもあれ』。新米騎士が中々出来る事ではありません。貴方の下で西北戦線を半年間生き延びた点も考えれば、その技量も並の騎士は十分以上に超えているでしょう』


 中佐は黙って聞いている。

 私も沈黙。確かにその通りだから。でもそれは中佐から言われた事を守っているだけだし、私はまだまだ未熟だ。

 それに、いきなり高く評価されて、それを飲み込めるだけの度量が私にはない。


『私は彼女の、戦場における現実主義、を高く評価しています。近衛の純粋培養された騎士達には彼女位のインパクトが必要と判断します。お願いします。エマ・クリューガー少尉を是非、近衛に』

『――ハンナ』


 中佐が口を挟む。声質で背筋が伸びる緊張感。

 ルカ大尉とミアも同じく、背筋が伸びている。


『ハンナ、君はさっき僕にこう言った筈だ。軍人としてではなく古馴染へのお願い事だと。ならば、一言で良いんじゃないかな?』

『っ……相変わらず、容赦がありませんね』


 声から分かるのは躊躇いと、強い羞恥――そして決意。

 ハンナが口を開く。


『………………妹に戦場へ出てほしくないんです。たとえ、彼女に恨まれる事なっても。今後、許してもらえないとしても』


 頭を思いっ切り棍棒でぶん殴られたかのような衝撃。

 何を言ってるのだこの人は。

 私が、ハンナ・クラインの妹であることは、隊内の女性陣には既に伝えてあるから気にしない(誰も私の事を『ハンナ・クラインの妹』としてではなく、『エマ・クリューガー』として接してくれたのはほんとに嬉しかった)。

 だけど、言うに事欠いて『戦場に出てほしくない』? もう少し、何かあるだろうに。

 ふざけるな、と大声で叫びたい。


『私は仕方ないんです。御存知の通り他に選択肢がありませんでしたから。それに何より――私自身が貴方と同じ騎士になりたかった。夢でしたからね、貴方の隣で戦うことが。今でもずっとそうです』

『光栄だね。嬉しい話だ。エマ嬢は違うと?』

『はい。あの子のことです。妙な責任感を持って騎士学校に志願したのでしょう。魔法の才を持ち、しかも騎士にもなれる。ならば、祖国に多少なりとも貢献を。あの子の考えそうなことです。それなら他の路もある筈ですなのに。あの子はとても優秀なんですから』

『……君達姉妹は、どうしてお互いの事をそこまで理解しあっているのに肝心な事がずれているんだ』

『ずれ、ですか?』

『そうだね』


 中佐の大きな溜息が聞こえてくる。そして続ける。


『私が言っても分かるまい。取り合えず本人と話した方が良い』

『妹は私の事を嫌っています』

『君は?』

『愛しています。当然じゃありませんか。たった一人の妹ですよ』


 ハンナの断言。

 だから、この人は分かっていないのだ。

 私だって、別に憎悪を持ってる訳じゃない。

 愛してるか否か、だったら当然前者だと私だって答えるだろう。だけど――そういう問題じゃないんだ。


『だ、そうだ。――クリューガー少尉。そろそろ自分の口で話してくれ。正直、姉妹喧嘩は猫も食わない』

「「「!」」」


 ……どうやら、ばれていたらしい。そうでした、相手はあの中佐なのでした。

 三人で顔を見合わせ、同時に笑う。流石は我らが連隊長殿。



 執務室のドアをノックし、三人で入室する。

 中佐は私達を見ると、軽く手を振り苦笑。


「まったく。盗聴とは趣味が悪いな。これが戦場だったら一帯ごと吹き飛ばしてしまうところだ」

「「「申し訳ありませんでした!」」」

「取り合えず、今日聞いた事はまだ心に留めておいてほしい。ああ、少佐が暴れてだした時は君達三人で何とかするように」


 無慈悲な宣告。転属話を聞いて少佐が暴れない理由が思いつかない。


「それと、いい加減、姉妹喧嘩はここで終わらすように。時間の無駄だ」


 更なる無慈悲な宣告。


「お、お言葉ですが中佐。この女――もとい、クライン中佐は思い違いをしています! しかも分からず屋です。和解は困難だと愚考します」 

「クリューガー少尉。相変わらずな言い方ね。だけど、貴女にとっても悪い話ではないでしょう?」

「そもそも、その考えが間違っています。私は近衛に行きたいなんて思ったことはありません。少なくとも今の隊を気に入っています」

「私の言う事を聞きなさい。一回でいいから」

「嫌です。聞きません」

「エマ、お願いだから。私のことは嫌いになっても構わないから今回は聞いて」

「お姉ちゃんはどうして私が怒っているのか聞きもしない」

「――エマは、クライン中佐、貴女のことを本当に心配してる」


 不毛な言い争いをしている私達に対して、ミアが淡々と口を挟んできた。


「どういう意味かしら?」

「――貴女はエマが心配。それは何故?」

「妹だからよ」

「――なら、エマが貴女の心配をするのも分かる筈」

「だ、だってエマが私の心配なんてする筈が」

「少尉は、貴女の情報をなんだかんだ良く知ってますよ。ボクでも知らない話を集めてきてましたからね」

「そ、そうなの?」


 ……なんだこの羞恥プレイは。私にどうしろと。

 ここまできたら最後の一兵まで徹底抗戦。

 ミア、そんなジト目をしても私は知らないよ。

 大尉、楽しそうにしないでください。

 ハンナ、此方をちらちら見ないで下さい。

 察してください。お願いですから、たまには。

 そういうとこが嫌いなんです。

 

 はたと、気付く。この状況って実は中佐が最初から仕組んでたんじゃなかろうか。私達姉妹の勘違いを是正する為にわざわざ。

 ちらりと見ると、意地悪そうな目。

 うぅ……やっぱり言わないと逃がしてはくれなそうだ。


「……お姉ちゃん」

「!」

「私の心配をしてくれるのは嬉しい。だけど、それ以上に。お願いだから」

「私の?」

「そう。いくら、お姉ちゃんが『青薔薇』であっても、戦場に絶対はないんだから。私の為に近衛へ行くのではななく、自分の為に近衛へ行って」

「エマ……」


 ちょっと涙ぐむハンナ。

 そして、こめかみを押さえている中佐。


「おかしい。良いシーンの筈なのに、私にも突き刺さっているぞ……。ハンナ。少しはお互い自分の事を大事にする癖を身につけることとしよう。君は十分以上に働いた。ここらで休みたまえ。――で、良いかね? エマ嬢」

「よろしいです」

「近衛は良いのか?」

「断固として拒否致します!」

「了解した。諸君、甘い物でもどうかね?」


 そう言うと、中佐は満面の笑みを見せた。そしてみんなも笑顔。

 私とハンナもお互いの顔を見て、少し笑う。

 突然、ドアが乱暴に開いた。ナイマン少佐が両手を腰にあてて柔和な笑み。

 あ、これはヤバイやつだ。

 後ろの整備長からは、すまん止めきれなかった、とのジェスチャー。


「……ご歓談中のところ真に申し訳ありませんが、詳細な状況説明を求めます。特に中佐殿から。懇切丁寧に。私を帝都へ追い出しておいて、一体全体何をなさっているんですか?」


 中佐にとっての戦いはこれからみたいだ。



※※※



 ハンナ・クラインは私の姉である。

 

 彼女はとてもとても優秀であるが、自らを大事にせず、私や周囲を最優先にする大変な悪癖を持っている。

 そんな姉は、騎士になった後、常に最前線で戦い続けていた。

 イスパニア戦線、そして西部戦線。

 この間――私は彼女と会った事がない。

 だからこそ、ここまで関係が拗れたのだけれど。


 『青薔薇』の称号を得て、帝国の『英雄』に祭り上げられていく中、彼女には何度だって後方へ下がる機会があったのだろう。

 だけど、彼女はそうしなかった。

 多分だけどそれって中佐のせいでもあるんだろうなぁ……。

 二人の関係には興味がある。姉妹で骨肉の争いは勘弁願いたいけれど。


 まぁ、今度、聞いてみることにしよう。不器用で、優しい私のお姉ちゃんに。

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