第十五話 青薔薇ー3

 私と一応の姉――ハンナ・クラインが出会ったのは私が10歳の頃だった。


 私達の父はかつて軍に所属していた。詳しくは知らないが、創成期の騎士だったらしい。

 かなり優秀だったみたいで、当時は将来を嘱望されていたそうだ。

 騎士学校時代の教官にも父の部下だった方がいて懐かしがってくれた。


 しかし、父は中尉になった直後に突如として軍を辞めた。

 何があったのかは未だに聞けていない。多分……私からは聞かないだろうなぁ。

 その後、今の職場で母と出会い結婚。私が生まれ、父はほどなく独立し、魔装関連の部品を作る小さな工房を帝都に開いた。

 そして、10歳のある日、それは突然やってきた。


『あの……ここにクリュガーさんがいらっしゃると聞いて訪ねてきたのですが』


 未だに覚えている。

 可愛い制服姿で、それが悔しいことに似合っていた。

 当時も今も私は礼儀正しいので、律儀に「お姉さん(お姉さん!)何か御用ですか?」と聞いたのを覚えている。


 その後、何事かと母が出てきて驚き(母はハンナの存在を知っていたらしい。詳しい話はやっぱり聞けてない)、すぐに父を連れてこられた。

 その後の事はそんなに面白い話でもないから割愛する。

 要は、生き別れになった父と娘の対面がかなった、という訳だ。


 私とハンナは、当初そんなに仲は悪くなかった。

 こちらから向こうの家に行ったことはなかっけど、私の実家にはよく遊びに来ていた。

 その頃は、それなりに仲が良かった、と言ってもいいと思う。

 そういう時期も確かにあった。

 ……認めるのも癪だけれど憧れているところもあったし。

 けれど、ある事を境に決定的に拗れてしまった。


 それ以来、2年以上に渡って私達は断絶状態が続いているのだ。



※※※



『ああ、立ってるのもなんだ。かけてくれ』

『はい』


 中佐とハンナが今、同じ部屋にいる。それにしても――


「ハンナ……呼び捨てって……中佐は冗談めかして言う時以外で女性の名前を呼ぶことなんてなかったのに……」

「――――」


 ルカ大尉とミアが早くも深刻なダメージを受けている。早すぎるよ。


「中佐とハン――クライン中佐って、何か繋がりがあるんですか?」


 危ない、危ない。何時もの癖で呼び捨てにするところだった。


「ボクが知る限りではない筈だよ。勿論、同じ戦線にいるのだし、上の人達は顔見知りだろうけど。休暇を使ってわざわざ訪ねてくる程の仲とは聞いてない」

「大尉が知らないとなると」

「――開戦前」


 ミアが口を挟んでくる。なるほど。確かにそうか。


『珈琲で良かったかな? 大丈夫、本物の珈琲豆だ』

『はい。ありがとうございます。今日は申し訳ありませんでした。突然、訪ねてしまい』

『古馴染みのたっての頼みだ。気にするしないでいいさ。それで、今日は何の話かな?』

『はい。その……こんな事をご相談するのは本当に厚かましいと分かっているのですが』

『うん』

『この度、再編期間を機に帝都へ呼び戻される事になりました。近衛連隊配属とのことです』

『そいつはおめでとう。いや、おめでとうございます、と言うべきかな』

 

 近衛連隊配属――何とも言えない気分になる。

 その言葉の意味は、即ち『大佐昇進』。

 今、私はとっても複雑な表情をしているに違いない。

 大尉とミアも面白くない顔をしてる。

 何故、中佐よりも早いのか。幾ら何でもこれはちょっと……幾ら帝国が『英雄』を欲しているとはいえ、度が過ぎている。


『……辞退したいのです』


 とても弱々しくか細い声が聞こえた。一瞬聞き間違いかと。

 何時もは常に強気で、凛としているあの女が発した声とはとても思えない。


『何故だい?』

『余りにも過分です。私が任に堪えうるとはとても』

『そんな事はないだろう。貴官でそうなら帝国軍所属騎士の大半は落第だ』

『ですが』

『後ろめたく思う必要はないよ、ハンナ』


 何時もの声だ。

 温かく、そして残酷なまでに――優しい。


『貴官は開戦来1年半に渡って戦い続けた。そろそろ休養を取っても良い時期だ。誰も文句は言わんよ』

『しかし! それなら……それならばっ』


 この後の台詞は私にも分かる。分かってしまう。

 私達は、普段こそ大人しい優等生を演じているものの、気分が高まると、結構感情的だ。

 そういう所も鏡を見ているようで苦手だった。


『貴方こそ前線から離れるべきです! 開戦以来――いえ、イスパニア紛争から数えればもう何年になると思ってるんですか。一体、何時になったら貴方はご自身のことを顧みて下さるんです。それに、私を近衛にする位なら、貴方のことをもっと早く』


『ハンナ』


 中佐の声。

 離れているけど、私達も一瞬で鎮静化。

 自分が手を強く握りしめていたことに今更気が付く。


『……申し訳ありません。ですが、本心です』

『ありがとう。そう思ってくれるだけで十分だよ。それと、話は断らず受けなさい。戦場の実情を知る人間が偉くなれば前線にいる兵が死ぬ確率は下がる。私はそう信じている。そろそろうちの副長にも同じような話が来ると思うしね。君達は偉くなって私やラウを楽させてくれれば良いよ。さっきも同じ話を彼としてたところさ』

『――――わかりました。『偶像』に過ぎない我が身ですが、整備長はともかく、貴方の為ならば喜んで。最善を尽くすことといたします。それにしても、ナイマン少佐もですか』

『ああ。もう追いつかれてしまうね。全く、私の部下になる騎士達、特に副長や副官は優秀過ぎるのが玉に瑕だ』


 なるほど。つまり


「――クライン中佐は中佐の元部下」

「しかも、副長もしくは副官職と」


 中々衝撃的な事実だ。私にはとっては特に。


 心中で蠢いているのは――明確な嫉妬。そして理不尽だと自分でも分かる怒り。

 

 中佐の『副長もしくは副官職になる』というのは、模擬空戦で惨敗した後から私が密かに――ミアにも話してないけど目標としているところの一つで、それは同じ戦場を駆ける日々を送る中、強くなっていく一方だった。

 勿論、現状は少佐と大尉ががっちりとそこを守っているので、立ち入り隙間もないのだけれど。

 それを先に、あの女が務めていたという。

 何なのだろうか。

 そんなに私の人生における超えられない壁を演じて楽しいのか。ろくでもない。

 

 そういえば、大尉がさっきから不気味なまでに沈黙している。

 横を見ると、その顔は百面相。

 こちらは……ああ、非常に分かりやすい。

「少佐がいなくなったら頑張ればボ、ボクが副長かな?」「いやでも、副官も気に入ってるし」「中佐にほ、ほ、褒められた」等々、色々な事が頭の中を駆け巡っている模様。ちょっと和む。

 

 耳をすますと、部屋では他愛ない談笑が続いている。

 それにも嫉妬を感じる自分が嫌になってくる。私はあんな風にまだ話せない。

 すると、急に身体が緊張。

 あれ……これって、中佐が部下の前で訓示をするされる時に感じるそれと一緒な気が。

 

『さて――そろそろ本題を聞こうか、ハンナ? 多忙な君がわざわざ、もう自分で、、だけを伝えに来るとも思えないしね』

『それもお見通しですか』

『これでも、かつては君の上官だよ。見損なってもらっちゃ困る』

『そうでしたね。貴方はそういう方でした。ですが、重ねて言いますが――あれも偽りない本心です』

『ああ』


 ハンナが深く息をする。そして、意を決して口を開いた。


『帝国軍中佐ハンナ・クラインとしてではなく、貴方を慕う元部下からのお願い、いえ、懇願です。――エマ・クリューガーを私にください』



※※※



 私が騎士学校入学を決意した日。


 私とハンナは、初めての、そして今に至るまで最後の大喧嘩をした。

 彼女は当時、既に騎士学校を卒業していて休暇で訪ねてきた時、私は軽い気持ちで報告をした際の事だった。

 それに対して、彼女の反応は激烈だった。一方的で高圧的な全否定。


『貴女なんかが騎士になれる筈がない! 私の言う通りにしなさい!!』

『なんでそんな事を言うの!』


 売り言葉に買い言葉。正直、何を言ったのかも覚えてない。

 けれど、一つとして話がかみ合わなかったことだけは確かだ。


 結果、私とハンナは人生の内、ほんの少しだけ重なっていた路から、自分達の路へとそれぞれ戻って行ったのだった。

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