幕間ー3 航空機狂い
ある男が、戦間期後半(※ここで言う戦間期とは、19世紀後半から大戦に至るまでの共和国と帝国との間の意)の共和国に産まれた。
幼き頃から、神童・天才・俊英と謳われた男はとんとん拍子に最高学府へと進学。
そこでも全ての成績で首席。前途は洋々に見えた。
しかし、そこで男はある物に出会う。出会ってしまう――最高学府が合衆国から半ば義理で購入した航空機にである。
彼はそれを見ると狂喜した。
そして当時、海のものとも、山のものとも分からなかったそれに熱中した。
否……狂った。
全てにおいて秀でていた彼の才能で唯一欠けていた魔法適正(※彼は騎士になれる程の魔力が潜在的になかった)。それを埋める可能性を持った物に出会ってしまった事は彼の人生を大きく歪める。
彼は猛然と航空機開発へとのめり込んでいったのだ。
そんな様子に周囲は当惑した。
彼には、仮想敵国である帝国へ対抗する魔装技術の開発に当たってほしいのが本音だったからだ。事実、航空機に出会う前に提出された論文は、当時の共和国主力魔装を一段階先へと進ませる価値を持っていた。
担当教官、果ては当時の大臣までが翻意させようとしたが、彼はそれらを全て黙殺。
その時に彼が述べた台詞は「航空機が何れ空を制する。私はそれを知っている。それが歴史の必然だ。何故、それが分からないのか」だったと伝わる。
数度の押し問答の末、説得に匙を投げた周囲は、それでも彼の才能を惜しみ、軍籍に置いた上で、航空機研究の許可を出す。
彼は、それを当然として猛烈に研究を始める。
大陸歴1913年に合衆国で初飛行を果たした航空機は、当初こそ持て囃されたものの、その初期性能が伝えられると急速にその熱は冷めていった。余りにも当時最先端とされた、帝国の飛翔魔法と差があり過ぎていたからだ。
しかも『初飛行』と言えば聞こえは良いが、実際には『跳躍』に等しい、という詳細な事実が分かると各国はそれに興味を失った。
予算は常に限られている。
ならば、帝国が先へ行き過ぎている魔法技術に国家予算を注ぎこまなくては、将来の戦場で、19世紀後半の戦場で量産された敗北を繰り返しかねない。
彼らはそう考えたのだ。
その結果、彼が航空機開発にのめり込んでいった1930年代前半においてもその技術は長く停滞しており、共和国内に飛ぶことが出来る実物自体が皆無、という状況であった。
彼は、憤慨しながらも共和国初の国産航空機開発を成し遂げる。
少なくとも彼が初めて製作した航空機は合衆国のそれより遥かにまともだった。 それは間違いなく『飛んだ』からだ。
流石にいきなり正式採用はされなかったが、彼の才能はここでも見事に発揮された。
だが、そこまでだった。
既に、帝国では大戦前半において猛威を奮うことになる
その性能は、当時としては圧倒的で、帝国から(恐らくは脅威を与える為、意図的に)漏れ伝わってきた性能は、共和国の軍関係者を慄然とさせた。
当時の共和国軍主力魔装が最大魔法保持数500に満たなかったのに対し、少なくとも800、下手すると1000を超えるとされたからだ。
これでは戦争にならない。彼らは口々にそう言った。
ただでさえ、帝国騎士の優秀さはイスパニア半島紛争で見せつけられており、そこに現段階でさえ劣勢にあると考えられていた更なる質の差である。
軍関係者の懊悩は我々が思う以上だったのだろう。
ここにおいて、軍は彼に『航空機開発凍結』及び『新型魔装開発専念』を命令。 従わなければ、彼に与えていた研究機関等の特権全てを剥奪するとの最終勧告を下す。それに対して彼は、徹底的に反論を試みた。
曰く『魔法の才能、という限定される要素により、絶対数という点で劣る騎士戦力を整備よりも、少なくとも訓練すれば技術を身に着けられる可能性が高い航空機戦力を整備する事の方が長期的に見れば安上がりになる』
曰く『航空機は量産性に優れる。魔装はその複雑さから量産性に劣る』
曰く『確かに帝国騎士が脅威なのは認めるが、それとて航空機の物量で対抗可能である』
当然だが、彼の反論は一笑にふされた。
既に帝国との戦争が近付いているのは誰の目から見ても明らかであったこの時期、共和国は高地・低地両王国と秘密条約を結び、先制奇襲攻撃(今日では妄想に近いが)すら作戦本部は真面目に検討していたのだ。
その状況下で、軍の主戦力変更など出来る筈もなかった。
しかし、皮肉なことに聡明な筈の彼はそれを何故か理解しなかった。
彼からすれば、コストに勝り、しかも可能性に満ち溢れている航空機こそ次代の最重要戦力である、という考えは自明のものだと信じていたからだ。
同時に、これは後世においても大きな疑問の一つとされているが、彼は「戦争が起きるのはまだ当分先だ。しかもそれは東方でだ。それなのに何を慌てているのか理解に苦しむ」と確信に満ちた表情で数少ない友人に語ったとされる。
だが、それを当時の軍首脳部が理解することはなく、以後、細々と研究する事は許したものの彼に期待することを止めてしまう。
前述したが、当時の国際情勢は、帝国と共和国との間に大きな火種を抱えておりそれは誰の目に明らかだった。にも関わらず、彼が自説に固執したのは何故か?
ある者はこれを彼の頑迷さと見るし、ある者は現実を知らない研究者と見る。
中でも荒唐無稽な説は彼のことを『歴史を知っていた』とする論だが、これは幾らなんでもあり得ない。それならば、何故彼が開戦時期を知らなかったのかの説明がつかないからだ。
彼の考えとは裏腹に、大陸歴1934年に帝国と共和国及び高地・低地両王国とは開戦に至る。その時の彼の様子は後世に伝えられていない。
開戦直後から敗走に敗走重ねた共王連合は、戦力不足に喘いだ。
東方連邦の参戦により、辛うじて踏みとどまったとはいえ、帝国騎士の戦闘力は圧倒的で、1934~35年のキルレシオは1:3とされる(※21世紀以降の詳細研究では戦死に関して見れば1:5を軽く超える)。
戦場において共王連合の騎士は、常に劣勢であり次々と散って逝った。
特に西北戦線は『黒死回廊』と呼ばれ、共王連合騎士にとって字義通りの地獄と化しており、2ヶ月生き残れたら叙勲物、と味方将兵から自嘲気に揶揄される程であった。
なお、最前線の激戦が伝えられる中でも彼の航空機狂いは続いており、執念で開発は継続されていた。
当初、共王連合の劣勢は彼を動揺させ「おかしい。こんなのは間違っている」と取り乱させたが、それを自分の力で挽回するのだ、と益々開発にのめり込んでいった。
大陸1935年春。共王連合は西北戦線に限定攻勢を計画。
厭戦気分が広がりつつあった国内向けに局地的でも良いから勝利が必要、という歪められた作戦理由ではあったが勝算はあると考えられた。
しかし結果は虎の子の騎士1個連隊を壊滅させられ、集結させていた砲兵及び歩兵にも甚大な損害を受け大敗。連合作戦本部は混乱に陥る。
これを見逃さず、彼は自らが進めていた航空機戦力の活用を軍首脳部へ申し出る。
騎士1個連隊の補充は困難である。ならば、その間でも補助戦力として航空機を活用してはどうか。
その言を受けた軍首脳部は飛びついた。それ程までに彼らは追い詰められつつあったのだ。
限定攻勢から2週間後、彼の言を受け共和国初の航空部隊が実戦に投入された。
彼は自信満々だったと言う。「ここから歴史を修正するのだ」と。
しかし、結果は――無残であった。
当時、共王連合側から『西北戦線の死神』『黒死の魔王』等と畏怖された騎士に率いられた、当時の西北戦線における帝国軍最精鋭部隊と交戦した航空部隊は、抵抗すら出来ず全機未帰還という悲劇となった。
事ここに及び、共和国は国内での軍用航空機開発を全面凍結。彼は軍法会議にかけられ、死刑にこそならなかったものの全ての特権を奪われることになった。この裁判でも彼は持論を撤回するどころか航空機優位を説き、失笑を浴びたという。
その後、彼は予備役編入となり、以後歴史の表舞台に立つことはなかった。
一説には、民間で航空機開発を継続しようとしたがうまく行かず、合衆国に渡ったとも、南米に渡ったとも伝わるが定かではない。
彼は確かに天才だったのかもしれない。しかし――彼は早過ぎたのだ。
エルヴェ・コルネイユ著(大陸歴2010年)『航空機の歴史』第3章より
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