幕間―10 歯車

 大陸歴1936年3月24日。


 帝国はまたしても、戦史史上に残る勝利をその手中に収めた。

 連合王国への路である、カレー海峡。その制空権を巡る戦闘において、決定的とも言える勝利を得たのだ。

 通称『カレー海峡の狐狩り』と称される、一連の大空中戦の結果、連合王国は騎士約400騎を僅か一戦で喪失。

 辛うじて生還した騎士達も、その日から連続10日間続いた空中消耗戦に引きずり込まれ、摩耗、ほぼ消滅した。

 しかも、今まで性能・技量で圧倒的に勝る帝国騎士に対抗する少ない手段であった、優れた探知網の過半を別動隊によって叩かれ、海岸部の大半が破損。

 海峡上空における、電波戦で帝国の後塵を拝せざるをえない状況に追い込まれてしまったのだ。

 戦局は今や絶望的だった。

 連合王国の外套を操る長い手―—戦略情報部からは、帝国本土において戦略予備部隊と思われる精鋭部隊の部隊移動が報告されていた。

 事実、この時期、帝国西方方面司令部は作戦成功の功を持って新たな増援部隊(二個飛翔騎士団。この時点で五個騎士団約1000騎を指揮下に置いた)を手に入れており、その戦力を持って、カレー海峡上空の制空権を盤石となし、次いで死に体と考えられていた連合王国本土上空の制空権すらも奪取する気であった。

 事実、3/24以降、カレー海峡の制空権は帝国優位で固定され、本土沿岸部ですらそうであったから、彼等の自信は余程のものだったのだろう。

 

 ―—歴史にIFはないという。が、もし……そうこれは、そのもしだ。


 この時期に、帝国本土にいた、戦略予備部隊。

 例えば、西北戦線で勇名を馳せ、帝国軍最強部隊と謳われた第7・第9飛騎のどちらかでも、西方方面軍に増援として送られていたなら。

 例えば、一時的に第7、第9を除く、8個飛騎を投入していたら。

 例えば、既に戦力が余剰になりつつあった東部戦線から、一部部隊を帝国本土へ戻し、代わりに予備部隊を投入していたなら。


 この後の歴史を知る者であるならば、誰しもが思う事だ。

 何故なら、あの頑迷極まる(私もその一角ではあるが)連合王国人をして、『帝国がこれ以上の戦力投入を行えば、本土上空の制空権下を喪失するのに、半月とかからず、また、同時にカレー海峡の制海権をも喪失するのは自明』と言わしめる程に、当時の戦局は末期的だったのだ。

 そして、帝国軍には、連合王国人の心を圧し折り、軍門に降らせる、十分以上の戦力があった。

 二個飛翔騎士団の増援を受けた西方方面軍相手ですら、ああだったのだ。もう数個飛翔騎士団を投入していれば――それで、この戦争は終わっていただろう。

 それでも東部戦線は残るが、これより後の歴史を知る私達からすれば物の数ではない。

 帝国は、この時点で世界で唯一、連邦領内で兵站を維持できる数のトラックを保有していたからだ。潤沢な兵站を持つ帝国軍は、紛れもなく世界最強であり、如何に人的資源という点では、帝国に勝っていた連邦であっても抗しきれなかった事は歴史が証明している。



(中略)



 突然の開戦に、帝国国内はもとより、世界が震撼した。

 東西に強大な敵を抱える帝国が、どうしてわざわざ、北方に新たな戦線を形成したのか、理解が出来なかったのだ。


 ……皮肉な事に、それは帝国中枢及び帝国軍上層部ですらそうであった。 


『戦争とは何処までも現実だ。それを見れぬ者は去れ! 戦場に浪漫を持ち込む将は銃殺されて然るべきなのだから』

 

 初代帝国大宰相は事あるごとに、麾下の将兵に噛んで含めるかのように繰り返していたという。  

 その言葉を受け継ぐべき彼の孫が、彼の意志とは真逆の事――単に自らの、自らだけが考えた戦争をする為に、新しい戦場を求めた事実は、人という種の限界を示しているのかもしれなかった。

 もしくは、多くの企業が三代目で傾くという社会的原則に過ぎないと言うべきか。 

 が、この時点で多くの帝国将兵にとって、新たな戦争、対バルト帝国戦が始まった事は、カレー海峡における大勝の喜びを吹き飛ばし、暗雲を感じさせた。

 帝国は今まで、常に勝ち続けて来た。これからも勝ち続けるかもしれない。

 戦線を三方へ抱えてもなお、殆どの部隊の日常は変わらなかったから、気にしなかった、という意見も確かにある。

 

 ……だが、我々は歴史を知っている。


 大陸歴1936年4月4日。帝国、バルト帝国へ奇襲開戦。

 この大事件が、帝国の政治、経済に与えた破滅的影響を。

 そして……その事にしばらくして多くの人達が気付きながら、動き出してしまった狂った歯車を止められず、止めようとした時には……手遅れであった事を。

 その事に……この時点で気付いた者は多くなかった。

 おそらく気付いていたのは、『蒼』、それに続く海峡制空戦で、圧倒的な戦果を挙げた第十三飛翔騎士団。その部隊指揮官である――中佐(名前の部分は国家最高機密指定で検閲)だけだったと思われる。 

 彼は、同時代における傑出した前線指揮官であったと伝わるが、その彼の奮闘をもってしても、少しずつ、少しずつ、帝国は破滅への坂道を転がって行く。


 『カレー海峡の狐狩り』は帝国軍が見せた最後にして圧倒的な輝きだったのだ。



ジェラルド・イーグルトン著(大陸歴1985年)『騎士戦争物語』第8章より 

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騎士戦争物語~『彼』亡き後の世界にて~ 七野りく @yukinagi

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