幕間ー5 インタビュー
これはこれは、こんな田舎まで良く来てくれました。
最初のお手紙を受け取った時は、何かの冗談かと思いましたよ。
あの戦争から今年で何十年になりますか。
仲間達も次々と先へ逝ってしまって、その手の話をする機会も少なくなってましたから。
そうですね。ちょくちょくとは言いませんが、数年前まで一年に一回は戦友会がありましたからね。
誰が幹事か? ですか。
う~ん、名前を聞いてもお分かりになりますかね。
ラウ中佐ですよ。そう、連隊整備長の。
へぇ……そんなに有名なんですか。『整備の神様』?
はは、また御大層な名前を付けられてますな。御本人が聞いたら怒りそうですよ。
ああ、懐かしい写真をお持ちですな。
これは、確かにうちの大隊です。
多分――戦争二年目の秋頃じゃないかなぁ。
そうです。戦い続けだったから、その休養で帝都近辺にまで後退した時に撮ったものだと思います。休日はよく近くの町まで繰り出したりしてましたね。
これが私。当時はまだ下っ端扱いでした。いえいえ、本当ですよ。
何せ、『化け物』みたいな人達がそれこそ無数にいましたらからね。今から考えてもとてもじゃないが叶わないと思います。
現場を見た事がない若い貴女にはピンとこないかもしれませんが、あの戦争中には、そういう人が結構いたんですよ。
一人で戦場の空気というんですか? そういうものを変えられる人が。
私も何度か敵側のそれらしいのと遭遇した事がありますが、あれは本当に勘弁願いたいですな。正直、人と相対している感覚はありません。
仲間が助けてくれなかったら、今頃は冷たい土の下だったでしょう。
この人ですか? ああ、副長ですよ。でその隣にいるのが副官。
どちらも、異名持ちだったと思います。副官はまだ持ってなかったのかな?
戦場では恐ろしく頼りになられる方達でした。
何度、命を救われたしりません。
確か、少佐はその後、一隊を任せられるようになったのかな?
お二人とも、とんとん拍子で出世されたイメージがあります。
私も後から、違う部隊に行くまでは余り気付きませんでしたが、うちの大隊は良い意味でかなり変わっていましたね。あそこまで、部下を大事にする上官が揃う部隊は後にも先にもお目にかかりませんでした。
私が配属されたのは、開戦から半年が過ぎた段階だったので大隊創設メンバーではなかったですが『新米の私を如何に生き延びさせるか』を真面目に議論されていたらしいですよ。
そういう議論の場がその後もあったかですか?
ありましたねぇ。何せ、ほら、連隊長がそういう人だったから。
え? ご存じない? まさかそんな……私以外の人にそんな事を聞いていたら大変でしたよ。
本当にご存じないんですか?
ああ、議論の話でしたな。
うちの場合、下っ端であっても意見がある場合は自由な発言が認められていました。むしろ、配属された当初からそういう風に教育された覚えがあります。
だから、他の部隊に行った時は煙たがられましたねぇ。
私からすると、実戦経験がまるでない上官の指示に従うと命が幾つあっても足りなくなるから、進言したことを後悔したことはありませんな。
だから、出世もあんまり出来ませんでしたが。
ほぉ……よく撮れてますね。
そうですよ。こっちのちびっ子がクラム少尉。で、その横がクリューガー少尉です。二人とも、私の半年位後だったかな? 配属されたと思います。
こうして見ると、まだまだ子供ですね。
うちの大隊は、負傷者こそ出てましたが戦死者そのものは出ていなくて、欠員は中々発生しませんでしたが、
確か転属した人の穴埋めだったんじゃないかなぁ……詳しい事は私ではちょっとね。
そうです。いきなりの本部小隊配属でした。
当時、本部小隊に配属されてた人は大分恨み節を言ってましたからよく覚えてます。
戦後もその話を出すと、冗談半分で文句を言ってましたな。
二人の技量ですか?
う~ん、どうだったかなぁ。
ただ、直属の担当教導役は副長だった筈だから、すぐに鍛えられたんじゃないですかね。そんなに目立ってはいませんでしたよ。
扱いは『隊長の秘蔵っ子』でしょうか。
少なくとも、休養の為に後退した時点では、騎士として彼女達が一目置かれていた記憶はありません。多分、他の大隊だったら目立ったんでしょう。
二人は何時も一緒でしたね。隊内でも随分と可愛がられていました。
あの後、あんなに有名人になるとは思いませんでしたよ。
サインの一つでも貰っておけば良かったんでしょうが。
ええ、秋頃に後退して、休養と新人を受け入れて、同時に新型魔装の慣熟訓練をしました。
古参揃いでしたから戸惑った記憶はありませんね。良い魔装でしたよ。思いっきり振り回す事が出来ました。
訓練自体はは何時も厳しかったですね。訓練時間が1分でも多いが方が戦場では生き残る確率が上がる、が上官達の口癖でした。
後から考えるとその通りで、戦争後半に指導した時は私も口を酸っぱくして言い続けたものです。
もうね、1分、1秒でも長く飛んでる方が良いんですよ。
咄嗟の判断が出来る出来ないか、で明らかに差が出ます。それが生死を分かつんです。
当初は、確か3ヵ月休養出来ると聞いてたんですが、それが2ヶ月に短縮されて、西北戦線に戻ったのはまだ雪が降る前だったと思います。
新型魔装にも慣れ、新人達もなんとか騎士らしくなり、これなら戦えるかな、という自信が芽生えてきていました。
印象的だったのは、戻る前に隊内全員可能な限り、故郷への1泊2日での帰省が厳命されたことですね。
遠方で不可能な場合は、魔装を用いての凱旋飛行も許可された記憶があります。
私ですか?
私は帝都っ子でしたから帰省組でしたね。手ぶらで帰ろうとしていたら、連隊の補給担当官からたくさんのお菓子や珈琲を渡されました。
何も連絡せずに帰ったら、当時付き合っていた妻や両親から酷く怒られたのを覚えています。
帰省後、即座に移動を命じられました。ええ、そうです。
懐かしの西北戦線へ。
エミリー・コッカー著(大陸歴2000年)『二人の騎士』第1章より
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