幕間ー6 作戦名『緋』

『カンナエ以来の完璧な殲滅戦』


 そう形容されたワルプルギス会戦は帝国の完勝に終わった。

 帝国の欺瞞情報に踊らされた共王連合軍は後世の目から見ると無謀な全面攻勢を実施。

 その結果、主力野戦軍の内1/3を一挙に包囲殲滅され、騎士戦力主力も半壊。

 誰しもが、これで戦争は終わりだ、と思っただろう。

 帝国参謀本部では、包囲の穴が閉じたという連絡を受けた時、喝采が叫ばれたと言うが、それも無理はない。


 何しろ、帝国軍は陸上戦力、騎士戦力共にほとんど損害を受けずにこの戦果を実現していた。

 気の早い者は即座に講和条件の話を非公式に開始していた、との未確認情報も飛び交っていた位だ。


 が――その戦勝報告に冷水を浴びせる情報が、当の身内である諜報部からもたらされる。


『東方連邦軍、帝国国境へ大規模移動の兆候あり』


 この一報がもたらされると、一瞬参謀本部は色めきたったが、すぐに鎮静化した。

 第二報として送られてきた敵軍の規模と、補給物資の備蓄情報が全く合わず、彼等の常識(それが大陸内では非常識なのだが)からすればとてもではないが攻勢等出来る筈はない、と判断されたのだ。

 

 恐らくは訓練。そして此方への威圧。

 

 参謀本部はそう判断を下す。

 それでも、東方方面軍に警戒が出されたのは彼等の優秀さを物語ってはいよう。 この警戒命令が帝国軍の破局を幾分か回避することになる。


 連邦が補給物資の備蓄状況等まるで気にせず帝国に対して奇襲攻撃をしかけてきたのは大陸歴1934年5月20日――共王連合に対して、帝国が講和案の叩き台を提出した丁度その日であった。


 警戒命令こそ出されていたが、まさか本気で殴りかかってくるとは誰も思っておらず、連邦の奇襲はその点、完全とは言えないものの成功していた。

 侵攻軍総兵力約250万に対して当時の東方本面軍は約80万。

 ただし、戦前から仮想敵であった連邦に対しては、国境後方に野戦陣地が無数に設営されており、守備に徹するのであればある程度の持久は可能であった。


 圧倒的な物量に物を言わせた連邦軍は、国境を突破すると遮二無二、前進を続けた。

 彼等も、西方から帝国軍主力が戻ってくる時間がいかに貴重かを理解しており、出来うる限り土地を稼ぐ必要があったからだ。


『奴等は兵の命を何とも思っていません』


 ある帝国軍師団長の指摘は正鵠を得ていたと言える。

 兵の命を濫費するとは言え連邦の作戦は成功しつつあった。

 伝統的に砲兵重視の国でもありその火力はかなりの脅威となり、帝国はじわじわと領土を侵食されつつあった

 

 

 連邦側からすると、帝国軍の精強さは想像以上であり楽な戦場は何処にも存在していなかったが、許容範囲だと考えられた。

 連邦にとって『兵は畑で取れる』のだ。代わりは投入可能。

 今は先へ進んでしまうことだ――。


 が、彼らの思惑は奇襲攻撃5日目にして早くも綻び始める。


 彼等がそのイデオロギーから、国内で追放処分としていた『騎士』。

 魔法などという意味が分からない物を扱う連中が、悪天候が回復した途端に、空中から一方的に侵攻軍を叩き始めたのだ。

 

 騎士を追放した後に、連邦が空中戦力として採用した航空機――この侵攻作戦にも約1000機が投入されていたが、結果は余りにも無残だった。

 

 機動性・火力・防御力において、絶望的な差があった帝国軍の騎士に対して、連邦航空部隊は一方的に蹴散らされ、ただ戦果を稼がせるだけの存在であることが早くも露呈。

 連邦軍は空からの攻撃に対して無防備となってしまったのだ。

 邪魔者がいなくなった騎士達(当時、東部戦線にいたのは2個飛翔騎士団約500騎に過ぎない。ただし重編成の為、騎士の数は多い)は連日連夜に渡って、侵攻軍を叩き続けた。何しろ、この時期、連邦軍には野戦対空火器という発想すらなかったのだ。


『これは戦争じゃない。単なる射的だ』


 当時の騎士が言ったというが、獲物は無数にいた。彼等は出撃を続けた。


 そして、混乱していた帝国参謀本部だったが、落ち着いてくると直ちに中央からありとあらゆる予備戦力投入を開始。

 戦力の逐次投入は歴史が強く戒めるところだったが、とにかく数を揃えなければ戦争にならない。

 また、敵がまともな空中戦力を持っていない事が分かってきていたので、防御陣地を固めてしまえば、兵の消耗は抑えられると判断された。そして、帝国軍にとって野戦陣地構築は十八番の一つでもあった。

 

 同時に参謀本部は大胆な決定を下す。

 一部騎士団から古参騎士を引き抜き、帝国本土で編成が進められていた騎士団に配置、そのまま強引に西部戦線へ投入する事を決定。そして、一部精鋭師団と主力騎士団主力の東部戦線移動を実施。

 共王連合との講和が破談となった上での決定であり、賭けにも近かった。最悪、西部戦線が突破される可能性もあったからだ。

 が、参謀本部は冷徹に『共王連合は最低半年間、攻勢不能』と判断していた。

 この賭けには、第三代帝国大宰相の意向が強く働いたらしいが、今のところ公式の命令書等は発見されていない。

 

 だが――帝国はこの賭けに勝つ。


 中央からの増援と西部戦線からの増援を受けた東方方面軍は、敵先鋒の攻勢を粉砕。

 騎士戦力による圧倒的な制空権下に、6月22日、逆襲を開始し包囲殲滅を敢行。各地で完全な成功を収める。

 

 この段階において参謀本部は東方連邦に対する逆侵攻を決意する。

 

 作戦案には事欠いてなかった。何しろ、数年前まで仮想敵だったのだ。

 兵員移送の想定も十二分に考えられていた。結果、本国はもとより、西部戦線からの移送にも何の問題もなく、配置が終わるのに1ヶ月もかからなかった。

 

 投入兵力は約200万。騎士戦力は6個飛翔騎士団1800騎(重編成の精鋭飛翔騎士師団のみ)。

 陸上兵力に関しては、既に総動員(ただし熟練工員や技術者、研究者は除く)が発せられており順次増加する予定だった。

 問題は物資に関してだが、それも準備よろしく集積中(元は西部戦線用。首都侵攻を視野に入れていた為、それが中止された後に流用)。

 連邦侵攻後は、兵站面において相当な困難が考えられるが敵野戦軍を早期に殲滅し、騎士で空中から叩き続ければ『やってやれない事はないだろう』というのが当時の参謀本部内に蔓延していた空気だったようだ。

 既に『勝利病』と戦争中盤以降、前線兵士から揶揄される事になる病理の初期症状が生まれつつあった。


 

 大陸歴1934年7月15日。参謀本部、作戦名『緋』を発動。帝国軍は東方連邦への侵攻を開始した。



ジェラルド・イーグルトン著(大陸歴1985年)『騎士戦争物語』第5章より

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