幕間ー2 20世紀初頭の帝国の全般状況
『此方から戦争を行わず国内を固める事に専念せよ』
帝国を実質的に建国した、初代帝国大宰相の遺言と伝わる。
この言葉を直接聞き、それを遂行したのが彼の一粒種で長男であった二代帝国大宰相であった。
彼はまず、帝国の問題解決に取り掛かった。
この時期、帝国は既に大陸中央部から東部へ至る広大な領土を有しており、各地の制度、インフラ、教育水準、経済規模にはかなりの差が発生していた。
余りにも急激に拡大した結果、晩年は、帝国大宰相の才覚を持ってしても政策が間に合わなくなりつつあったのだ。
故に、彼の死は老衰ではなく今で言う過労死ではなかったか、と唱える研究者も少なくない。
分かっていた事は、これらの問題を何とかしない限り帝国は遠からず崩壊していくだろう、ということであった。
そこで彼は、初代が遺した膨大な国庫資産を用いて、帝国各地の主要都市を道路と線路で結び、国民向けにラジオ放送を開始し(全国民へ帝国から機器を配布することまで行った)、全国民への教育の一律化、貧民対策としての兵役優先政策(帝国では軍に所属するだけで一定の社会的地位を得られる)、各地への経済発展政策等を一挙に展開していった。
同時に彼は、今や多民族国家になっていた帝国を、真の意味で『一つ』にすべく、国民一人一人への意識付け(既に初代の時代から行われていて成果を出していた)を強力に推し進めていった。
それは勿論教育であり、マスメディア(当時であればラジオと新聞が主になる)を使ったものであり、また宗教勢力を用いたものであり、また、時には軍を使用してまで徹底的に行われた帝国内の民族差別撲滅政策であった。
彼は本気で『帝国人』を創り上げようとしていたのだ。
帝都であろうと、北方半島であろうと、南東地域であろうと、東方地域であろうと、そこに住んでいる人達の地域性は尊重しつつも、自分達は何人か? 問われた時に『自分達は帝国人である』と答える国を、彼は希求していた。
何故、彼がそのような思想に至ったのか、今でも研究課題の一つとなっているが、大きな影響を与えたのは間違いなく初代大宰相の教育だったと思われる。
彼は、息子の教育係や、遊び相手を選ぶ時、誰一人として社会的地位で選ぶ事はなかったと伝わる。
大陸全土にその名を知られた南方半島の化学者。
北方帝国出身で異端扱いされていた探検家。
南東地域からきた無名の音楽家。東方地域の老農学者。
名前を挙げていけば、それだけで当時の大陸全土の国家出身が揃ってしまう程だ。
遊び相手の中には、海を渡った合衆国では差別対象になっていた黒人や、極東の扶桑皇国人までいたというから、初代が何を教えようとしていたのかが読み取れるだろう。
その教育の影響もあり、彼はまた移民政策にも積極的であった。
広大な領土は、同時に多くの人手を必要としていたからだ。
帝国に行けば、農地にありつける。
少なくとも暮らしが落ち着くまで――本気で『帝国人』になることを誓えば――生活を保障してもらえる。
これは、当時の大陸各国の貧民層からすれば恐ろしく魅力的な内容であった。
結果、20世紀初頭、移民が帝国に殺到した。
それにより、悲喜こもごもな事が発生したものの、全体を見れば帝国は新たな『帝国人』を獲得したと言える。
また、この手の問題で、最大の問題である宗教政策についても彼の考えは一貫していた。
『誰が何を信じようがそれは尊重しよう。ただし、それを盾にして『帝国』に問題を生じさせるのであれば、他国へ行った方が良い』
彼自身は、親の影響か無神論、もしくは物には魂が宿る、と言った発言から独自の宗教感を持っていたようだが、宗教が現実の世界に影響を与えることを酷く嫌っていた。
その結果、『帝国』では過激な宗教は発生してもうまく根付かなかった。
人は現実に問題があるからこそ、宗教へと逃げ込みやすいが、『帝国』においては、少なくとも各国列強とに比べても、ある程度の平等が成し遂げられていたからだ。
当時、世界各地で猛威をふるっていた、社会主義という阿片も、『帝国』内では下火で終わっている。
初代が亡くなった後、その遺言通り内政に専念していた彼であったが、大陸歴1905年、ワラキア公国との移民政策問題のこじれから、そのバックについていたルースキエ帝国との戦争を決断する。
彼が父親の遺言に背いた瞬間であった。
ただし……敵から手を出させる謀略の末、にではあったが。
(中略)
大陸歴1925年。帝都にて帝国二代目大宰相は執務中に突然昏倒し、そのまま逝去した。享年70。
四半世紀余りに渡って行われた諸政策の結果、彼が生涯に渡って希求していた『帝国人』化政策が確実に成果を出し始め、『帝国』に大いなる安定と繁栄、そして更なる領土拡大をもたらした上での死であった。
ただし、唯一の問題を彼は遺した。
彼には自分の息子へ、すなわちあの悪名高き『帝国』三代大宰相に、直接遺言を遺す時間がなかったのである。
ジェラルド・イーグルトン著(大陸歴1985年)『騎士戦争物語』第2章より
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