第2話 プロローグ・前編

 ――空気は肌にヒシヒシと突き刺さるほど乾き、様々な歓声が闘技場の中心へと渦のように響き渡る。戦士達が降り立つ土で作られた足元からは大観衆の足踏みで揺れる大地の脈動が熱気と共にズシンズシンと体の芯へと伝わって来ていた。




 今日! この闘技場で開かれたるは! 世界中の武という武の頂点を決定する武闘大会……!


 これは鍛え上げられた肉体を、磨き上げられた技を、そして思い思いの武器を手に最強の座を争うため五年に一度アルス王国で開催される伝統的な大会だ!

 そして、そんな大きな大きな威信あるアルス王国あげてのイベントも数多の闘いを経てとうとう決勝戦へと進んでいた……





 ……


 栄えある決勝戦、二人の戦士が立っている戦いの舞台は縦横無尽に走り回れるほどに広く、その床面は多くの戦士たちによって踏み固められた黒い土で出来ている。

 そして、その舞台を中心にグルリと一周、すり鉢状に造られた石造りの観客席が円上にズラリと並び、そのほとんどの席に所狭しとアルス王国国民や諸外国からの観戦客が詰め入っている。彼ら彼女らは舞台で闘う戦士へと各々の好きなように歓声を上げていた。

 そう、このドーム状の巨大建築物こそがアルス王国が誇る神聖な闘いの場にして国営闘技場である。



 アルス王国では本日までこの闘技場を用いて国を上げての祭り事が行われていたのだ。

 数万と溢れる観衆の叫び声に包まれ、しかし、巨大な熱気に溶かされることなくしっかと存在するその神聖な舞台で、今、二人の戦士が相対していた……




「“天地分かつやいば”……やはり、こうして剣を交えればその名に違わぬ剣技だっ! しかし、私も偉大なる我が国に勝利の栄光を捧げるため、ここで負ける訳にはいかないっ!!」


「ハハハハハッ!! リアよぉ、御託はいいからさぁ、さっさとかかって来るんだなぁ! それとも俺の神々しい剣気に当てられて今さら臆病風に吹かれたのか? あぁ?」


「言ってくれるではないかっ! そちらこそ、そろそろその細い剣では私の技とこの大剣に耐えられないのではないか?」


「はぁぁぁ? 昔っから思ってたけど、お前の攻撃なんて見た目に反して軽い軽い! 軽すぎてアクビが出るぜ!! なんだぁ? 怖いのかぁ? ……臆病者は帰れ、蛮勇は切り捨てる、強者には更なる強者がいることを教えてやろうッ! “虹のつるぎ”、お前は俺の剣の前で絶望を知れえェェェ!!」


「ふっ……では、いざ参るっ!」


「「はぁぁぁあああ!!!」」






 “天地分かつ刃”


 その二つ名で呼ばれ、自信満々に挑発を続けていたのは、黒髪、黒目、片刃の細身の剣 ――刀(かたな)と呼ばれる鋼鉄の片刃を持つ剣―― を構えたまだ十八歳を迎えたばかりの歳若い男の剣士だった。

 彼は、銀色の甲冑を纏った大剣を手にする“虹の剣”と呼ばれた妖人種エルフの女戦士をまっすぐに見据え、挑発をしつつもジリジリと決着の付く刹那のやり取りの瞬間を待ち構えていたのだ。


 お互い僅かなスキも見せぬほど見事に剣構えを崩さぬまま、ピリピリとした空気の中、口撃が一方的に飛び、射殺すような視線が交差する。

 “天地分かつ刃”のその刀はとうに腰の鞘から抜き放たれ、今は正中にビシリと構えられているのみである。刀身からは青白い闘気とも言えるような魔力がユラリと立ち上がっており、その切っ先は相手の喉に向かって的確に伸びていた。

 一方、“虹の剣”の方もまたその長大な大剣を両手で持って頭上へ振り上げており、重さなど微塵も感じていないかの如く上段の構えでこれに応える。彼女の大剣もまた力強い赤く炎のような魔力に包まれ何時でも振り下ろせるよう握りに力が込もっていた。


 この場に立つ者にしか分からぬ静かな高揚感に二人が微かな笑みを浮かべたあと……

 大声援の中、二つの刃がぶつかり合う高い金属音がその場に大きく鳴り響いた。










 ◇◆◇◆◇




「う、う……うあああぁぁぁぁぁ……」


 闘いから一時間後、既に勝敗は決していた。

 しかしながら、勝者であるはずの男は通路で頭を抱えてしゃがみこんでいる。そう、何故なら彼は先程までのアドレナリンドバドバ状態で自分に酔っちゃってるハイな姿に後悔していたのだ。


 いやいや、斬り合いになるとああなっちゃうの! なんかテンション上がってノリノリで自分の剣技を『神々しい』とか『絶望しろ』とか言っちゃうの! 技名とかついつい声高に叫んじゃうの!! と、必死になって自分にブツブツと言い訳をするも、過去は消せない。彼の記憶には新たな黒歴史が刻まれていたのであった。


 この頭を抱える“天地分かつ刃”だが、彼は調子に乗ってその刀を魔法で青色に着色してみたり更には自らつけた大層な技名をつい大きな声で叫んでしまったりしたことに胸をかきむしりたくなる思いでいっぱいだった。

 そもそも、『天地分かつ刃』なんて二つ名も彼が自ら戦いの最中に名乗っていたものがいつの間にか拡がってしまったものである。

 これもまた、いつの間にか様々な人々に呼ばれるようになってしまった“自称二つ名”という彼の黒歴史の一ページであった。





「ぐっはぁぁぁぁ、恥ずかしいぃぃぃ、厨二病じゃん、現在進行黒歴史じゃん、死にたい、死にたいぃぃぃ……」


 いまだ自らの行いに死にそうなほど恥ずかしがる彼の所へ一人の女性がやってくる。


「……オイ、ウィリアム……ウィリアム・フォリオ! 聞いているのか“天地分かつ刃”っ!」

「オッ、オイィィッ!? や、やめろよっ! 他にも人がいるんだからその二つ名で呼ぶんじゃねぇよっ、リア! ったく、お前だってそこらで“虹の剣”なんて呼ばれたら恥ずかしいだろがっ!」


 “天地分かつ刃”、そう傷を抉るかのように呼ばれたウィリアムは凄い剣幕で女にせまる。


「……は? “虹の剣”はアルス王国、我が王から頂いた二つ名。私は誇らしく思うが?」


「くっ、こいつダメだ……妖人種エルフの騎士ってどいつもこいつもクソ真面目なんだよなぁ……しかもコイツは特に昔からポイ捨て一つとして許さないような大真面目女だからマジで面倒臭い……」



 ウィリアムはため息を吐く一方で彼女は鉄のプレートに覆われた固そうな胸を張っていた。



「ほら、それよりも早く授賞式に行くぞ。我が王がお待ちだ。この大会で優勝し『世界最強』になったのはお前なのだからな。はぁ……それにしても私も我が王にその栄えある名誉を献上したかったものだが……しかし、私はお前に負けた。今回の大会では世界一と呼ばれていた私の強さもまだまだなのだと理解出来ただけでも良しとしよう! 来年こそは必ずウィリアムに勝ってみせるぞ!」


「おうおう、頑張れよーセフィリアさん。ふぅ……って、あれっ? 悪い、『無銘』を控え室に忘れてきちまった! 先行っててくれ……」


「なにっ!? 全く……自分の愛剣を忘れるなんて、なんて奴だ……早く来いよ、授賞式、ウィリアムこそが主役なのだからな!」


「はいはいよー」




 ウィリアムはこのアルス王国主催の世界大会で優勝した。決勝で戦ったのは今ウィリアムと会話をしていた妖人種エルフの女騎士セフィリア。このエルフ騎士も世界一と呼ばれるほどには強かったのだが、彼はそれを更に上回っていたのだ。

 二人は以前から世界各地で共にモンスターを討伐したり、どちらが強いか競い合っていた仲だったが、今日その優劣に決着が着いた形だった。



「……ふ……ふふふ、ま、まぁ、なんて事はないよな……じっちゃんに無理矢理参加させられることになったけど楽勝、楽勝っ! ちょ~っと頑張ったらもう世界最強だ! ふふふ……新たなる英雄の物語が、今、始まる……!」




 ……どうやら自己嫌悪から復活したウィリアムは勝利に酔いだしているようであった。控え室までの道中ついついブツブツと独り言が口から溢れる。

 何と言っても生まれてからの十八年間、彼は実家の祖父が経営する剣道場を継ぐため忍耐と共に剣一筋に生きてきた生粋の剣士だったのだ。その結果である強さを示せることは何にも代えられぬ喜びであった。

 小さい頃から祖父である“じっちゃん”に剣道場でビシバシとスパルタ教育され、今までずっと悪を挫き弱きを助ける英雄然とした武道家を目指すようにと言われ続けた。と言うか、今でも度々小うるさくそう言われるのだ。だからこそ、大会で優勝し最強の剣士となることはそんな抑圧された彼のちょっとした目標の一つである。

 生まれ育った村では一日の休みもなくしごかれ、十五歳で成人してからはモンスター討伐などをして実戦で腕を磨きつつ金を稼いだ。酒や遊びは嗜む程度、女などにうつつも抜かさず剣だけを振って来た。

 更には自分に見合った剣がないからと剣道場の近くに引っ越してきた偏屈な小人種ドワーフに師事することになり、『無銘』なんて刀まで彼は二年という歳月をかけつつも師の手を借りて作りあげてしまっていたのだ。

 だからこその喜び、戦闘中でないにも関わらず彼はけっこう調子に乗っていた。

 じっちゃんが腰痛を訴えて決勝戦前に帰省してしまい、ウィリアムが開放的な状況だったことも一つの要因だろう。




「ふぅ、まぁ俺が天才なだけなのだ。あぁ、天才すぎて辛い。だからこの大会で優勝すること位は想定の範囲内だったと。うん、特に驚くべきことでもないな……ふへへ」



 武術に技術、自らを天才と自負する彼だったが、欠点も幾つかある。別に頭が良い訳でもないし、女性経験もなく年齢イコール彼女いない歴で即ち童貞である部分などだろうか。

 十五歳で成人すればすぐに結婚する者達もいる世界だが、彼は「モテなかったから彼女がいなかった訳ではない。俺の価値を分かってない女が多すぎたんだ!」と、自分になんとか言い聞かせその辺りについてはネガティブには考えないようにしていた。




「まぁ、でもね、大丈夫だから。俺は世界最強になった! つまり今日こそ酒場のアイドル、ミーシャちゃんに告白するんだぜっ!! ぐふふ」



 先程から独り言の多いウィリアムだが、酒場のアイドルミーシャちゃんとは一月ほど前、武闘大会のためこのアルス王国へと彼が足を運んだその日、じっちゃんがいないことをいいことに赴いた酒場で偶然出会った関係である。

 と言っても、彼女は酒場に赴いたウィリアムを席へと案内し、ウェイトレス業務の一環として笑顔で注文を取っただけなのだけど。何故かウィリアムはそれだけで恋に落ちた。

 そしてそこから一ヶ月もの間、何故か一方的に運命を感じたウィリアムは毎日酒場へと通いつめることになる。腹が酒でタプタプになろうが、貯めてきた金を全て使いきろうが、彼は彼女に会いに行ったのだ。

 そして注文をするその時に僅かに言葉を交わす。それが彼にとっての至上の幸せだった。


 大会数日前、なんと、勇気を出したウィリアムが『大会の決勝の日、大事な話があるから夕刻前に町外れの北丘の樹の下に来てください……』と、約束を取りつける。

 まぁ、それもウィリアムが勝手に告白まがいの手紙を食事を取った机に置いてきただけであり、実際ミーシャちゃんが後片付けをする際に気付かずゴミと間違えられ捨てられているのだが、本人はきっとミーシャちゃんが読んでくれているはずだと信じていた。

 因みに『町外れの北にある小高い丘の大きな樹』、そこはウィリアムが周りの飲んだくれに聞いた絶好の告白スポットらしく、そこで告白すれば必ず彼女と愛の誓いを結べることになる伝説の場所らしい。




「はぁ、大会が始まってからは禁酒していたからミーシャちゃんの顔を見てないなぁ。あぁ緊張する……でも、世界で最強のオレが告白するんだ。きっと絶対上手くいく、いや、それどころか愛を誓い合い、そのままの流れで……なぁーんてな、ウヒヒッ」



 叶うことのない幸せな希望を胸に抱いて独り言を呟きつつ、ウィリアムはやっと愛刀を置いてきてしまった控え室に到着した。

 扉を開ければ『忘れんなよ』とでも言いたげに無銘はポツンと壁に立て掛けられている。

 ウィリアムは心の中で『すまん、すまん』と呟きながら愛刀に近づいた。



 それは名前も特に思いつかなかったため『無銘』と名付けられたウィリアムの打った刀だ。

 自分の身長に合った長さ、筋力に合った重さ、魔力に耐えうる強度など素材集めまでして原料にこだわった一振りである。

 この剣を作るために何本もの鉄くず、なまくらを生みだしたのは彼にとって懐かしい思い出だ。

 一応現時点では最高傑作なのだが、いつかウィリアムの力に耐えられなくなり壊れるのではないかと名前を付けずに早半年。

 以外と壊れずにいるのでそろそろちゃんと名前でもつけてやろうかと思い始めた今日このごろであった。


 あー、それにしても良かった。盗まれてなくて。

 一安心するウィリアム。

 盗まれたら大変なのだ。無銘の素材集めは半年はかかる。

 ドラゴンの鱗やオリハルコン、神の水など、再度集めるのも嫌になるほどの超一品が使われているのだ。

 無銘は打つのもやっとだったが、原料だけ見ても結構高価な一振りだった。


 ……その時はそんなこと位しか考えていなかったため、安心しきっていたウィリアムは完全に無防備であった。

 あまりに警戒がなさすぎた。鼻唄を歌いながら無銘を手にしたその瞬間、彼の指先にチクリと何かが刺さる。


 ……しまった!!


 ウィリアムが心で呟く。自身の刀に罠が仕掛けられていることに気付いた時、既に彼の意識は急速に薄れつつあった。

 立て掛けられた剣の死角になっていた持ち手の裏側に針が仕掛けられていたらしく、すぐに柄からその毒針を抜いて投げ捨てるも……



「チッ!! なんの毒だ!? 意識が急激に遠退く……ぞ……」



 そのまますぐに立つこともままならなくなり、膝をついてしまう。



「チ、クショ……だ、れが……?」



 力が抜けつつある中で悪態をついたその時だった、選手控え室の扉が開き黒いローブを身にまとった男達がゾロゾロと室内へなだれ込んでくる。

 恐らく魔法使い、顔も影でほとんど見えず見た目は完全に怪しい。このタイミングで現れるのだ……コイツらに嵌められたのだろうとウィリアムは一瞬で理解した。




「……我らがアルス王国が誇る世界一の戦士が倒されてしまうなど許されないのですよ!」


「チィッ!! リ、『リバイブ』ッ……!」


「無駄です、既に回復魔法無効化フィールド『アンチヒーリングバリア』は張られています」


「なっ、そ、そんな、気配は……」


「君がアホみたいに決勝戦を戦っている間に既に『アンチフィーリングバリア』はこの会場全体に張っていただいていたのですよ! さぁ、もう抵抗するのは止めて諦めなさい! ハーハッハ!!」


「ク……ソがぁっ……」




 とうとう地面へとウィリアムの体は倒れてしまう。

 意識はどんどん薄れていく。

 実はこの大会の始まった当初、ウィリアムはアルスの王様から呼び出しをくらい、自分の元で働けと言われていたのだ。

 セフィリアなんかもその武勇から召し抱えられたらしいので彼女同様に抱え込もうとしたのだろう。

 更にはこの世界大会も控えていた。半分出来レースの大会だったが、空気を読まないウィリアムが無茶苦茶しないように暗に彼を縛るための申し入れだったのだ。


 しかし彼はそれを丁重に断った。そもそも縛られるのはあまり好んでいない。彼は既に家や武と言うものに縛られていたため、自由気ままに生きたいと思っていた本心からも、道場を継がなければならないという表面的な理由からも結局断ることになったのだ。そしてそのままアルス王国が誇る世界一の騎士さえ破り大会に優勝してしまう。それは王の怒りを買うには十分な案件だった。


 この会場全体に回復魔法無効化フィールドを張るなんて明らかに主催国であるアルス王国の手の者であり、そのことはウィリアムもすぐに理解した。しかし、完全回復魔法の虎の子、『リバイブ』さえも無効化され彼はまどろんでいく。

 『アンチフィーリングバリア』はウィリアムが決勝戦で負った傷を回復治療させないためのものであったが、こうして隙をついて罠にかけることに対しても有用だ。

 彼は、薄れ行く意識の中、こんなことなら俺もリアのように表面だけでもアルス王国に忠誠を誓っておけばよかったぜ……と考えていたがそれももう遅い。





 ……


 チッ……

 この戦いが終わったら伝えたいことがあると呼び出していた酒場のミーシャちゃんも……

 来年再び戦うことを約束したリア、いや、セフィリアも……

 俺をここまで育て修行してくれたじっちゃんも……


 みんな……すまないなぁ……




 せっかく、世界最強になれたってのに……

 俺の英雄人生はこれからだろ…… 

 ハハ……




 ……



 ……



 ……あぁ。



 ……フザケンナ、チクショウ。



 ……まだ死にたくなかったなぁ……

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