第24話 亀裂の神様

 ――オーク。

 それは大きな人の体と豚の頭を持った魔物。

 大きいと言っても人間の何倍もの巨躯を持っている訳ではなく、人の中では巨体と言った程度の物である。

 その体は人間の形を取っているものの、彼らが獣人や魔人、竜人と違い“魔物”と呼ばれるのは人と体内の構造が大きく異なることに由来する。

 彼らの体内の中枢を占めるのは人のものより一回り小さな脳と『魔核』、またの名を『魔石』と呼ばれるものであり、つまり、人の心臓としての機能が魔核に置き換わっているのだ。脳と魔核が一体化している個体なども存在していた。

 そして、魔核または魔石と呼ばれる物は魔力を蓄えることに長け、各種魔導具の動力源にも使われている。この点において、人類とは大きく異なる対内構造を持つ魔物は元来魔法の使用に長けていた。


 加えてこのルイズ王国へと侵攻を続けるオークは人語を解す。

 ウィリアム・フォリオの産まれた時代から幾千年もの歳月をかけようが、言語を全く喋れなかった種族が言葉を完全に解して会話をするという行為はそう易々と得られるものではない。

 そもそも人が話しているのは既に洗練され磨き上げられた言語で複雑な概念さえ優雅に表現できるようになっていることから操る者も一定の知能が必要な高度な技術であり。さらにオークにはそもそも人間のように複雑な音階を産み出す発声器官が備わっていなかったのだ。

 実際彼らの容姿や歩き方等についてはウィリアムが知っている数千年前のオークのものとそうかけ離れたものではなかったのだ。つまり骨格からしてオーク達の体に大きな変化があったわけではない。


 では何故、彼らが言葉を話すのか。

 複雑な思考を得られたのか。


 それは『生まれながらに持っていた』のである。

 彼らは通常のオークの生態系からはかけ離れた所で、言葉を話し、考える力をもって、更には既に成体まで成長した姿で“発生”した。


 最初の一匹が産まれたのはルイズ王国より遥か南に存在する洞窟の奥底。

 そこは広く開かれた空間で更に奥深くへと続く小さな亀裂以外は岩だらけで他に何もない場所であった。熊か何かが寝ぐらとしていたにはいささか大きく、公園か広場ほどあるそこにオークが初めて現れた時には、既に住んでいる者も存在せず、何に使われていたのかもわからないほど全てが風化したかのような様相を呈していた。

 あるのはただ外へと通ずる一本道と、オークも通れない程の小さな、しかし深い深い“亀裂”だけ。亀裂の中を覗いても、腕も届かない程の遠き所に白い何かがあるのみで、あとは岩とほこりばかりのそこで特殊な最初のオークは産まれたのだった。



「あれ……? なんだ、ここはブヒ……?」



 考えることや最低限の世界の常識、生きるための物事は知っていても、自分がいったい何のために産み出され、何故この場所に立っているのか、一匹のオークの頭では何が起きたのか分からず対処しきれず、立ち呆け混乱していた。そんなオークに対し、洞窟にあったその深淵に続く小さな亀裂はこう告げたのだ。


『……人の国を滅ぼせ……我の、いや、我等の帰るべき場所を取り戻せ! そのために私はお前を生み出した……!』


「ふぉっ! 穴が喋ったブヒィ!」






 ……


 最初のオークの誕生から数ヵ月後にはまた一匹オークが増えた。さらにその数ヵ月後にはもう一匹。

 月日をかけて増えていくオーク達はやがて、多くを語らず、仲間のオークや食料を生み出し続ける小さな亀裂を神と崇めるようになる。

 そしてその崇拝は亀裂が“雌”のオークを生み出したことでピークを迎えた。

 それまで亀裂が人の国を滅ぼし取り返すためにと産み出していたオーク達は全て雄だったのだ。


 彼らは初めの一匹から、神の亀裂が発する言葉の通りに人の国へと攻め入っていたのだが、特に数が揃わない最初の内はゴブリンやスライム同様人々に害獣のように狩られ、追い払われるだけだった。

 しかし、これで仲間がより増える。そんな思いもあってかオーク達は雌のオークに夢中になった。知能があり会話が出来るといっても彼らは人間と比べてしまえば頭が良いとは決して言えない。それゆえ自己の欲求もおさえられなかったのだ。加えて産まれてくるオークの子供達は親同様に話すことや考えることが出来ても明らかに親の代よりも劣っており、攻撃的で、間接的にしか関与していない亀裂の神を崇拝する心も小さかったのだ。

 崇拝は雌のオークを産み出した後急速に衰えていく。


 ことここに来て、ルイズ王国への侵攻も滞る気配を見せた。この状況を打開するため神と呼ばれていた亀裂はジェネラルオークを複数産み出す。しかし、そのジェネラルオーク達でさえ雌のオークに夢中になる始末だ。そのため、とうとう亀裂は更に長い年月をかけて理性があり自分を律することが可能なオーク達の統率者であるモンスター、オークキングを産み出したのだった。



 特別に亀裂の神から破壊の力も与えられたオークキングはその能力とオークを引き連れ、人の世界へと激しい侵攻を開始した。

 それから暫くの戦況はオークにとって非常に優勢なものとなる。ルイズ王国の人々は多いに苦しめられた。特にオークキングはルイズ王国に大きな打撃を与えている。破壊の力は一度使えばその日一日疲労感に覆われ戦闘不可能になるものの、城門や人々等、多くの物を破壊していた。


 しかしながらそんな折、オークの群れから雌のオークが全滅してしまったのだ。オーク達は雄ばかりであり、子供が産まれてもその比率は極端に偏っていた。その上、亀裂の神の手からではなく、オーク同士の間に産まれた個体は本能的で乱暴な者が多い。神も最初の頃はオークを増やすためと雌の個体を産み出したが、なぶり殺されたり、凌辱や取り合いによるオーク達の間での喧嘩が頻発に起きていたため、洞窟のオーク達に対しそれ以上雌のオークを産み出すようなことはなくなっていた。

 これは本能的な性格を持つ第二世代のオーク達と言う要因のみならず、単身で産まれたオークにおいても家族や守るべき者と言う概念を理解できず、雌のオークを労ることがなかったことから招かれた結果であったのだ。



 そして、それから神がオーク達に与えたのは再三伝えられてきた人の国を滅ぼし取り戻せと言う目標、加えて自身を神の移し身であると告げる一つの喋る水晶だけであった。






 ……



「あー、もうやってらんないブヒ」


「たまに南から来ていた獣人種の女共も、もうすっかり見掛けないブヒ。狩りすぎたブヒね」


「うーん、僕達には女が必要だブヒ! 群れを率いる上位のオーク達は是非ともこの状況をどうにかして欲しいブヒ!」


『……お前達、いい加減にしろ……お前達の使命は人の国を滅ぼし私の帰るべき世界を取り戻すことだ。そうやって女に現(うつつ)を抜かしてばかりいるから……』


「ヒィッ! か、神様、いたのですかブヒ!」

「いっ、今のはちょっとした冗談だブヒ!」

「そ、そうだブヒ、女がいたら嬉しいけど人の国を攻めるのも忘れてるわけじゃないブヒよ!」




 もっぱら、神がオーク達に与えた水晶は移し身と言うだけあってメッセンジャーの役割を果たした。そしてそれはオーク達を締め付ける監視の役割を果たすものの、喋ることしか叶わないため一向にオーク達の士気を下げるだけの物だった。




「……はぁ。我等もこのままではまずい……」



 黙ってこのやり取りを見ていたオークキングは溜め息を吐くほどに今の状況を憂慮していた。彼は敬虔深く亀裂の神を敬っていたものの、仲間であるオーク達のこともまた群れのリーダーとして大切にしたかったのである。現状、雌がいない状況で士気も下がっているオークの軍団は人と戦えば数を減らすことはあっても増えることは決してなかったのだから。



 そこでとうとう暫くの間戦いを避け、人の国にいる雌を生け贄として差し出させ、オーク達の士気を維持することにしたのだった。言葉を話せるからこそ、力を背景とした交渉と言う手段に訴えることが出来たのだ。

 オークは生殖に関しては種族にあまり関係がなく、相手が人であっても孕ませることが可能である特殊なモンスターだ。ゴブリン等もこれにあたり、それこそが人々にとって嫌厭される由来の一つでもあった。


 そして、この生け贄にはもう一つの理由がある。神が住む小さな亀裂には神の言葉によって何人も触れることを許されていなかったが、生け贄を捧げることは許容されていたのだ。

 何よりオーク達は知っている。亀裂の底にある白きものが全て人骨だと言うことを。神は人間の国への侵攻だけでなく、人の死体もまた求めていたのだ。

 亀裂の中の人骨は最初のオークが産み出される前から存在していて、今も亀裂の奥底にあり続ける物だった。加えて、オークを次々と産み出した後も、たまに南から来る獣人種をなぶり殺したオーク達は亀裂の中へと人であったものの残骸を投げ入れていた。それは神への供物として神自身が望んだ物でもあったのだ。


 そこで、人の国を滅ぼすことについて、人間の国が女だけで構成されているのはオークキングにとって好都合であった。

 部下のオーク達に人間の女を与え、死ねば神への供物とする。オークの増加に対し、なんの対策も取れていなかった国などそれを続けていればいつか絶えるとそう考えていたのだ。

 この方法を採ることについては、亀裂の神からもまた水晶を通して既に了承を得られていた。



 しかし、神の、そしてオークキングの誤算は続く。

 ウィリアムの登場だ。それは特異点であり、この世界に大きな歪みを産み出すものであった。

 勿論、神の移し身であった喋る水晶は激怒した。何故この時期に、何故この場所に、と。

 生け贄を連れ帰るため送り出していたオークは、付近で食糧調達を行っていたジェネラル含めほとんどが帰ってくることもなく倒されてしまい、しかも人間には生け贄の要求さえ拒否されたのだ。



 それは神が人の国を一息に滅ぼすと決意するには十分な事態であった。

 亀裂は黄金の装備をオーク達に与える。武器を、角笛を、松明をオーク達に与える。そうしてオークキングには総力をかけて完膚なきまでに人の国を滅ぼし己に捧げよと捲し立てた。

 辟易するほどに水晶が叫び続けていたのだ。


 オークは産まれてから成体になるまで人間ほど時間がかからない。まずオークキングはこの水晶が語る神の指示に従い、全てのオークを兵士として育て上げた。そして、これ以上その数を減らせないため、厳しく律し、黒髪の人間への対策も考える。

 一方では「人の国を支配し、オーク達に女を与えよう」と、自分の下で戦うオーク達の鼓舞も忘れていなかった。

 彼らの神への忠誠心はかなり少なくなっていたのだ。こうしてエサで吊るほうが効果的であった。


 そんなオークキングの言葉を聞きながら神の宿る水晶が発した結論。それは消耗作戦だった。

 ひたすらに人の国の目の前で地味な攻撃を行い続け、黒髪の人間が疲弊するまで長い時間をかけて攻略する。

 黒髪かつ、異常な戦闘力を持ってしても所詮は人間である。

 疲れもするし、魔力にも限りがあるだろう。加えて睡眠も取らなければならないはずだ。


 ジェネラルオーク等のオークを率いる能力があった個体の力もあり、統率の取れたオーク軍団は早急に完成していた。

 オークキングは一定の練度が得られたと感じればすぐに全オークを率いて洞窟を出発する。目指すは人の国、その城の門。

 黄金の鎧や多量の食糧。加えて参謀の役割を果たす、オーク達に神と呼ばれた水晶を抱えて。




 人間とオークとの総力戦となる戦は始まった。

 ジリジリと攻める方法は当初こそ上手く行っていたものの、一日もしない内に覆される。

 今やジェネラルや笛吹きの他にも多くのオークが倒れ地に転がっていた。


 角笛の役目を持っていたオークが倒されそうになった折にはなんとしても黒髪の人間を止めろと言っていた水晶も今や無言をで、オークキングの裁量に全てを任せているようだった。

 それはこの大敗目前の緊急時において現場に立ち、状況をよく分かっているオークキングの指揮を妨げないような配慮であったのかもしれないが、攻められていたオークキング達に取っては、今更静かになられても変に圧力をかけられているようで、焦燥を感じさせる物だった。


 しかし、次々と倒れる仲間達を見てオークキングは決断する。

 破壊の力。それは一度の戦闘においては一度のみしか使えない切り札。

 もし外れたり効果がなければ無駄に疲労し負けが確定するものだ。だが、的確に相手に届けば逆転のキッカケも掴める物であった。


 こうして、オークキングは必殺技を放ち、見事賭けに勝った。

 何匹もの同胞を葬ったその凶悪な武器どころか、強敵であった黒髪の人間を完全に打ち倒したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る