怪異探奇譚

法月春明

File01「始まりの事件」

1.始まりの事件


 私は何度も自宅の寝室で殺された。寝室で、と言っても私が襲われるのは見慣れた教室であったり、自宅であったりと様々だ。

 それが始まったのはいつからだったかは覚えていない。けど、夏休みが始まる前からであったのは確かで、少なくとも二ヶ月……いや、三ヶ月前からだったような記憶がある。最初こそ殺されるなんてことはなくて、自分が痛い目に遭う直前には目が覚めていたのに。

 きっとこんな夢を見るのも就職活動のストレスのせいだろう。そう思っていた。そうでないと感じたのは、悪夢を見る条件が変わってからだ。

 お医者さんから処方された薬を飲んで、ようやく悪夢が収まったと思ったのも束の間。それまでは面接を終えた日やそのあくる日だけだったのが、数日に一度の頻度になってしまっていた。

 日に日に酷くなる殺害方法に、いつしか私はその状況を楽しむようになっていた。そう思わなければきっと本当に自分が死んでしまう。そんな気がしたのだろう。

 殺害方法は様々だ。ある日は撲殺、またある日は絞殺。そうして何度も殺され、息の根が止まるその瞬間に目が覚める。

 目が覚めてしまえば痛みも苦しみも消え、いつしか「今日はいつだかと同じだったな」などと思うようになってしまっていた。

 だからその日は大学で眠ってしまっていて、いつもの夢を見ている。その程度にしか考えていなかったのかもしれない。

 夢と現実の区別がつかなくなっていたようだった。笑ってしまう。そんなことありえない。そう思っていたのに不思議なものだ。

 その時の私は彼に大学の屋上に呼び出されたことにも、およそこの世のものとは思えないほど巨大な獣がそこにいたことにも、狐のお面をかぶった彼に襲われることにも何の恐怖もなかった。多少怖気づきはしたものの、あまりにも現実離れしすぎた光景にどうせ夢なのだと、そう思ってしまっていたからだ。だってそうじゃない、この世界に人間ではないファンタジーや御伽話おとぎばなしの世界にしか存在しないはずの生き物が存在するはずがないじゃない。

 けど、彼に襲われて怪我をした腕を襲う痛みは、夢の中のものとはどこか違った。頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響き、まるでこれは現実なのだと告げているようだった。

 いやだ、死にたくない。それは初めて死に対して本当に恐怖した瞬間だった。

虫のように屋上を這いつくばって逃げようとして、そうしている内にまた背中に激痛が走った。

 彼はわらっていた。お面の上からでも分かる嘲笑を浮かべて、泣いて、叫んで、屋上の端まで無様に這いつくばっていた私を、助けてくれと命乞いする私を、心底楽しむように嗤っていたのだ。

「いい気味だ。とても気分がいいよ」上手く聞き取ることはできなかったが、彼はそんなことを呟いていたと思う。

 そして胸ぐらを掴んで、彼は私に問うた。「最期に言い残すことはないか?」と。

それに対して私は小さく「助けて」とだけ呟いた。

 私が何か気に入らないことをしたのならば謝る。なんだってする。だから命だけは助けて。まだ死にたくないの、と。何度も何度も命乞いをした。その様は第三者が見ればとても無様で、とても惨めなものだったに違いない。

 彼もきっと、そう思ったのだろう。

「つまらない奴だ」と一言呟き、彼が短く息を吐いたところで私の体は宙を舞った。いや、正確には落下していたのだ。

 その瞬間、かすかにではあったが「彼女も同じことを言って死んでいったよ」と。そう聞こえたような気がした。

 でも私の意識はそんなところにはなくて、落下していた時間は十秒にも満たなかったのだろうけれども、その時間はとても長くゆっくりとしたもので、屋上から楽しげに見下ろす彼の狐面が目に焼き付いて消えなかった。

 地面に打ち付けられた瞬間、心臓が止まるかと思った。いっそ止まってくれればよかったのに。止まってくれれば、このあらぬ方向に曲がった両手足の激痛に苦しむことも、上手く息が出来ずに陸に打ち上げられた魚のように喘ぐこともなかったのだ。

 月明かりに照らされる景色の中で獣と男は目を光らせて嗤っていた。それが、私の見た最期の景色だった。


 ――夏休みも開けて間もない十月の頭。のどかな田舎町の大学で、一人の少女の遺体が発見された。


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