四条﨑ストーカー殺人事件11

 病院に戻ってきたのはもう陽が傾き始める時間だった。昨日からロクに食事をしていないせいか座席から立ち上がった時軽い目眩に襲われた。

「大丈夫? 荷物持とうか」

「ごめん、そうしてもらえると助かる……」

 おそらく空腹からくる吐き気と目眩だ。出雲からもらったスポーツドリンクを口にし、落ち着いてからゆっくりと立ち上がる。連日ロクに食事などせず、昨夜に至ってはほぼ何も口にしていない状態に等しい。何か口にしてから行動するべきだったと悔やんでもそれは後の祭り。

 結局荷物は持ってもらい、申し訳無さを覚えながらも彼の後ろを歩く。そうしてエントランスを抜けようとしたところで声をかけられた。

「おい湊! お前だろ、真壁を殺ったの」

 周りにいた来院者の視線が一気に集まり血の気が引いた。聞かなかったフリをしてその場を立ち去ろうとするが、男に腕を捕まれぐいと引っ張られる。

「離せ……っ!」

 振りほどこうとして見た男の顔には見覚えがあった。それは忘れもしない同じ大学に通う同級生であり、上島七枝と真壁啓二の友人であった男。

 泣き腫らしたのか真っ赤な目をした男は忌々しいものを見るように湊を睨み、腕を掴む手に渾身の力を込めている。立て続けに友人が二人も殺されたのだ。彼の気持ちは分からないでもない。

「七枝も真壁も奪いやがって……何が目的なんだよこの人殺し!」

「俺じゃ……」

「俺じゃないって? どの口がそんな事言うんだよ。七枝をストーカーしてあれだけ怖がらせて、真壁の作品ブチ壊してたくせによ。それだけじゃなく殺しまでするなんて……っ」

 胸ぐらを掴まれ一気にまくし立てられ、恐怖で何も言い返せなかった。突然のことでしばし誰もが硬直していたが、出雲だけが冷静に制止にかかる。

「なんだよお前。こいつをかばうのか?」

「そういう問題じゃない。憶測だけで決めつけるな。それにここは病院だぞ。静かにしろ」

「はあ? ああ、そうか。お前もこいつの仲間か。お前もこいつと一緒に! 二人を!」

 極めて穏やかに男を制していた出雲だったが、興奮する男がそれを素直に受け入れるはずはなく。次第に眉間に皺が寄り始めこちらもヒートアップしそうな勢いだ。

 助けを乞うように周りを見れば、触らぬ神に祟り無しとでも言いたいのか誰もが目を逸らし助けてくれそうにはなかった。

「おい、お前らここをどこだと思っている? つまみ出されたいのか」

 険悪ムードを破ったのはまさに鶴の一声だった。声の方を見やれば僚が苛立たしげにこちらへと歩いてくる。どうやら看護師が彼を呼んだらしく、その後ろには警備員の姿も見えた。

 それでも男はまだ何か言いたげではあったが、さすがに警備員に取り押さえられては黙る他ない。

「ごめんなさい! すぐこいつ連れていくんで!」

 騒ぎが収まった頃、慌てた様子で浩樹が駆けてきた。まさか彼まで来ているとは思ってもいなかったので昨夜のことを思い出し息を呑む。

「ごめんな湊。こいつが湊が心配だから見舞いに行こうって言うもんだから来たんだけど、まさかこんな……」

「いい……そういうのいいから、帰ってよ」

「本当にごめん。また改めて、お詫びも兼ねて見舞いにくるよ」

 男に代わり僚に頭を下げた浩樹は申し訳なさそうに湊にも頭を下げ、周囲にも謝罪をしながら男を引きずり病院を後にした。残ったのは静寂と、居心地の悪さだけだ。

「湊、この病室に向かいなさい」

 騒ぎが収まりエントランスはいつもの静けさを取り戻したものの、ヒソヒソと小声で会話をする来院者がちらほらと見える。そこから逃げるように手を引かれ、湊は僚から預かったメモを握りしめエレベーターへと乗り込んだ。

「あの男、知り合い?」

「大学の同期。中学の頃から真壁と上島……真壁の彼女と仲良かったんだって」

「あの言い方だと、上島って子も亡くなったのか」

「そうだね。まだつい先日だよ、葬式したの。大学で亡くなったんだ。詳しくは俺も知らないんだけど、あの子もさっき言ってた通り俺が殺した事になってるんだって」

 どこにだってそんな証拠もないのに勝手なものだ。知らない間に七枝のストーカーに仕立て上げられ、挙げ句大学の屋上で彼女を殺したことになっている。彼女と親しくしていたなどと言われているが、それは彼女から一方的に構われてそれに返していただけ。啓二の恋人であることや彼女の真剣な表情も相まって無碍には扱えなかった。ただそれだけのことなのだ。

「そういえば……上島も篠田には気をつけろって言ってたな。さっきの赤い髪の男なんだけど」

「そうなのか? 悪い奴には見えなかったけど」

「そう。普段はああなんだよ。だから俺もたまに助けてくれる良い奴だなって思ってたんだけど……昨日、夕飯買いに出た時にあいつと会って、嫌な気配を感じたんだ。それこそ怪異に干渉されないようにしているにも関わらず、怪異の気配がして、ゾッとした……」

 それは疲弊した精神状態がそう錯覚させただけなのかもしれないが、それでも浩樹が「殺してやりたい」と言った時の殺意は本物に見えた。

「まあ……なんでもいいや」

 エレベーターが病室のある階に止まり思考を中断する。考えたところで結論が出るはずもなく、空腹を訴える腹の虫がやむこともない。

「とりあえず荷物置いたら軽くつまめるものでも買ってこようか?」

「そうしてもらえると助かる」

 病院内の売店までであれば、湊を一人残しても問題はないだろう。出雲自身も朝食はとったものの昼以降は何も口にしておらずそろそろ小腹が空いてくる頃で、休憩と情報整理にはもってこいだ。

 戻った病室にはおそらく僚が持ち込んだであろう長机と椅子、テレビやノートパソコンといった物が持ち込まれており、その用意の良さに感心する。

「こりゃすごいな……冷蔵庫も流しもある」

九ノ宮うちと違ってそこそこ大きな病院の個室だからな。それくらいあるさ」

 完全個室のそこは想像していたよりも広く、あれやこれやと確かめている内に僚も戻ってきたようだ。その手には何冊かのファイルとクリップボードがある。

「久し振りだね、出雲」

「ええ。半年振りくらいですかね」

「そうだな。それ以上に、きみら二人が並んでるのを見るのは随分と久し振りな気がするよ」

「はは……」

 曖昧に笑って流しベッドに腰を下ろすと、またも空腹を訴える腹の虫が鳴いた。それは出雲も同じだったようで、座った途端に二人共空腹を訴える。

「そうか、昼も食べてないのか。軽いものでよければ私の昼の残りと合わせてすぐに出せるけれども」

「そうしてもらえるとありがたいです。荷物置いたら買いに行こうかと思っていたもので」

「そうか。いちいち買いに出る手間がいらないようアレを持ってきて正解だったかな」

 そう言って僚が指を指した先には電気ケトルや炊飯器、卓上IHコンロといったものが並んでいた。元々は大きな個室でありある程度の設備が整っているおかげか、どれも退屈しのぎというよりは食材さえ揃えてしまえば極力外に出なくても済むような物が大半だ。

 彼なりの気遣いなのか、それとも彼自身がしたいようにしているだけなのかは分からないがそれでも感謝は尽きない。

 何があったかな、などと呟きながら冷蔵庫から取り出したのは食パンとハム、チーズ、卵など。どうやらサンドイッチを作ってくれるようだ。

「これくらいで申し訳ないが、いつ帰ってくるか分からなかったから夕飯の買い出しに行ってなくてね」

「いえ、十分です。助かりますよ」

 夕飯前に小腹を満たすには十分な大きさのサンドイッチには厚く焼かれた卵焼きには切れ込みが入れられ、中にスライスチーズとハムが挟まっていた。それに加えて僚が昼に作った残りだという野菜がたっぷり入ったミネストローネを二人でいただく。

 湊からすれば久し振りに口に出来たちゃんとした食事だ。最初こそ喉を通るか心配していたものの、一度手をつけてしまえば自分でも驚くほどすんなりと口に出来た。昨日のような吐き気もなく、ほっと肩を撫で下ろす。

「そういえばずっと気になってたんだけど」

 黙々と食事をして、一息ついたところで俯いたまま顔を上げずに口を開き何かを言いたげに、しかしどう切り出していいか分からないように躊躇いがちに言葉を紡ぐ。

「出雲が部屋に入った時、新聞で事件を知ったって言ったよね」

「ああ。開いた新聞が置いてあって、丁度事件のページが開かれていて。正直、不自然だった」

「それって、いつの新聞?」

「今日の朝刊。それ見て、悠吏さんから電話もらった時に手袋忘れるなよって言われた理由が分かった気がしたよ。俺が来る前に湊以外の誰かが部屋に入ってるんじゃないかなって思った。だから部屋を調べてたんだけど……多分悠吏さんもその辺りの違和感に気付いてるから、まだ調べものしてるんだと思う。湊の容疑が晴れるのもそう遠くないだろうな」

「だといいんだけど」

「大丈夫だよ。それよりお前は自分の身の心配をしてくれ。怪異に襲われたって聞いて肝が冷えたよ」

「まあまあ。無事で何よりじゃないか。それにしても、今の話からするに湊がここに来た後も誰かが湊の家に侵入してるって事だよね」

 そこが一番分からないところだ。湊を一連の事件の犯人に仕立て上げるためだとしたら湊を襲う理由が分からないし、わざわざ自分が部屋に侵入したという痕跡を残す理由も分からない。

「さて、これから君たちはどうする?」

「湊には休んでもらうとして、俺は少し大学の関係者に聞き込みに行こうかなと。悠吏さんからも言われたんですけど、大学生装えば警察には話してくれない情報貰えるかもしれないので」

 いくら田舎のあまり大きいわけでもなく、有名というわけでもない美術大学と言えども、全員が顔見知りではない。他の学部を装えば、ある程度の容疑者の絞り込みや湊がストーカー扱いされている理由や原因も分かるかもしれない。

 出雲は今はもう警察官ではない。だが、怪異対策室の協力者と言える立場にある。だから怪異対策室への情報提供は惜しまないし、対怪異の協力も惜しまない。

 全ては事件の早期解決であり、湊を九ノ宮に連れ戻すという共通の目的の為だ。わざわざ指名を受けたのだからそれに応える働きはしなくてはならない。湊の為にも、自身のスキルアップの為にもだ。

「仕事熱心で結構。こちらは私に任せてきみはきみの仕事に専念すればいい。だが、真壁家への調査は気を付ける事だね。あれはこの町の有名人だ。数カ月しかいない私の耳にもまあ、色々と良くない話は入ってくるくらいだから相当なのだろう」

「そうなんですか……気を付けます」

「うん。気を付けて、いってらっしゃい」

 不安そうな顔をする湊に心配するなと微笑みかけ、出雲は病室を後にした。

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